おれは、土門拳になる。第2章 写真家増浦行仁公式ブログ

写真家<増浦行仁>のオフィシャルブログ。
志を追い続けた増浦が「夢を追う」こととは何かを本音で語る。

国宝 薬師寺東塔大修理着工法要

2011年06月29日 | 日記--感じたことなど
まだ梅雨も明けきらぬ内に30°を軽く超える猛暑日が続く。
春夏秋冬、日本の美しい四季がだんだん狂って来た。
梅雨は苦手だが、合間の新緑の美しさや雨に映えるアジサイの彩などは
やはり日本の風流である。
そういう風情が失われて行くのはやはり寂しい、それだけでなく生態系まで狂ってしまう。
作物だって従来の方法では育たなくなるかも知れない。
僕たちの死活問題になりかねないほど、事態は急速に悪化しているのではないかと不安になる。



さて、そんな猛暑の中、薬師寺の東塔大修理着工法要に参列させて頂いた。東塔は唯一、約1300年前の創建当時から現存し、その美しさは「凍れる音楽」と称えられている。三重塔なのだが、各階に裳階(もこし)と呼ばれる小さな屋根が設けられているので見た目は六重に見える。大小の屋根の重なりが完璧なリズムを刻む音楽に例えられるのだろうか。
本格的な解体修理はおよそ110年ぶりという。次回その姿を見られるのは平成30年以降となる。幸いにも外観は2年前に撮影していたのだが、今度は是非とも内陣も撮影させて頂きたいと思っている。

今回の大修理の総工費は約二十七億ということだが、国宝とはいえ、国から全額出るわけではない。凡そ4割を一般の勧進によって賄われるとのこと。そしてこの度の法要の参列者数は、2日間で9000人余だ。炎天下の中、老若男女が二時間にも及ぶ法要に臨席した。高齢者も多いので、熱中症にならないようにとお寺側の心配りも細やかだった。お茶を配ったり、移動式ミストで冷却したりと、そんな気遣いが参拝者の心に届くのだろう。
それぞれの努力が貴重な文化財を守り、後世に託していくのだ。

余談だが、もう一つ感動したことがある。
お昼には参列者全員にお弁当が出る。そのお弁当が素晴らしかった。なんと日の丸弁当だったのだ。白い餅米のご飯の真ん中には小さな梅干し、片隅には二切れの奈良漬けが添えられていた。なるほど、包み紙には“がんばろう日本”の文字が印刷されていた訳だ。この演出も洒落ていて良かったが、何より、そのシンプルなお弁当がとても美味しかったのだ。

・・・飽食の身を反省した一日でもあった。

院内美術館 in 福井総合病院/MAILLOL編

2011年06月17日 | お知らせ
大震災から既に3ヶ月が過ぎた。
未だに9万人近くの人が避難所で生活をしているという。
この、文明が発達した時代に、何故いつまでも不自由を強いられるのか、と疑問に思う。
ただでさえ不安な避難生活に、政府の混乱が拍車をかけている。

こんなことを僕が言うのはおこがましいが・・・
震災への対応の不味さは誰が見ても明らかだろう。

さて、今月から、北陸地方福井市にある福井総合病院のエントランスホールに僕のMAILLOL作品が展示されている。
この病院の特色は、「高度先進医療」の提供と「充分な期間の入院治療」という、本来両立が困難な双方を満たしていることだ。患者さんにすれば安心で、とてもありがたいことと思う。



MAILLOLは彫刻シリーズの最初の作品で、パリのどん底から僕を救い出してくれた。マイヨールが作り上げた圧倒的な存在感の裸婦像を、平面(写真)に置き換えることで新たなアートが生まれたのだ。
以来、ブルデル、ロダン、ミケランジェロと被写体を替えながら彫刻を撮り続けた。

基本のテーマは共通で、「彫刻という完成された立体(3次元)を写真という平面(2次元)に移し替えることで、新しいアートを創造する」というものだ。

テーマは同様でも、僕の精神的状況や作者によって、それぞれ全く違う表現となった。
作品を私的に述べると、マイヨール=無垢、ブルデル=模索、ロダン=混沌、ミケランジェロ=覚醒という感じかな。
そして今は『神の宮』や『平成の古寺巡礼』という作品で“眼には見えないもの”を撮ろうとしている。
昇華、となれば嬉しい・・・