おれは、土門拳になる。第2章 写真家増浦行仁公式ブログ

写真家<増浦行仁>のオフィシャルブログ。
志を追い続けた増浦が「夢を追う」こととは何かを本音で語る。

LEICAとの出会い

2010年03月13日 | 写真のこと
さて、相変わらずのご無沙汰だが、今回は僕の愛猫(名はライカ)ならぬ、愛機LEICAとの出会いについて語りたい。

小学生の頃より、「土門拳になる!」などと大それたことを言う子供であった僕は、当然カメラも一流のものに憧れていた。その筆頭がライカである。
現在でもライカといえば高級品のイメージがあるが、かつて“ライカ一台=家一軒”と言われる程、庶民には全く手が届かない時代があったらしい。
そんなライカに初めて触れたのは、僕がまだ中学生の頃だった。当時、「サンエス」という有名なライカ専門店が大阪の御堂筋沿いにあった。僕は、どうしても憧れのカメラを見てみたい!という思いで、その高すぎる敷居を跨いだのだ。本来なら、お客として扱って貰えるはずもない子供の僕に、ガラスケースの中から、ライカ本体を取り出し、手に持たせてくれながら丁寧に説明してくれたのが、その時の社長夫人(現サンエスの社長である平野芳子さん)である。
垂涎の面持ちの僕に、夫人は「このカメラが買えるような写真家になりなさいね」と優しく励ましてくれたのである。以来、僕にとってライカというカメラは一層特別な存在になった。サンエスは現在、大丸心斎橋店に移転しているが、社長には今でも大変お世話になっている。

ライカというカメラは、プロが仕事で使用するには向かないと言う人もいるが、僕にとってはそうではない。アナログの時代から仕事でも作品撮りでもM6を愛用し続けて来た。初めて手に入れたライカは、ⅢFだった。18歳の時、新宿の中古カメラ店で2年のローンで買った。この時の感動を今も鮮明に覚えている。デジタル時代の今は、「神の宮」や「平成の古寺巡礼」等の撮影にはライカのM8.2を使用している。また、高級品ゆえにコレクションアイテムにされている方もいるだろうが、カメラは機材である。実用してこそ、本来の価値が解るのではないだろうか。

さて、今回、僕とライカとのなれそめを語っているのは訳がある。
実は昨年末、ライカカメラジャパン社から正式にサポートを受けることになったのだ! 憧れ続けたライカが・・・これからは公認で、僕と活動を共にしてくれるのである!!!この感慨はとても言葉で表せるのもではない。

改めて、ライカカメラジャパン株式会社の皆様に、また、サンエス社の平野社長を始め、僕の活動にいつも暖かいご支援をいただいている皆様に、心から感謝申し上げたい。

余談だが、昔からの恩師である積哲夫氏が一言
「カメラ(ライカ)を買うお金がなくて、ライカの空箱ばかり集めていた君が、遂にサポートまでして貰えるようになったのか・・・凄い一念だな」

そうなのだ。若かりし頃、僕はあの赤いロゴマークに魅せられ、中古カメラ店に通ってはせっせとライカの古い空箱を買い漁っていたのだ(笑)。
今は、実物のライカがいつも僕のカバンに入っている。幸せである。
ありがとう。