パリ時代の事。想像していた以上に生活費が嵩んで、持っていたお金も底をつき、アルバイトをしながらなんとか生活を維持しようとしていた。
それでも、食べるものを買うお金もなくなって、最後の最後に、日本にいる母に国際電話をかけて助けを求めた事があった。
僕は電話で母に「家賃も払えず、食料も買えないから、お金を送って欲しい」と頼みました。母は、「わかった、送ってあげる」と言って電話を切りました。
3日後、東京銀行パリ支店に着金を確認しに行った窓口で、500円が送られて来ていると告げられて、思わず「そんな馬鹿な、50,000円の間違いでしょう」と言ってしまいました。当時は、フランスの通貨はまだフランで、東京銀行パリ支店を通しての送金しかできなかった時代です。送金手数料が1,500円、なのに送金額はやっぱり500円でした。
すぐに母に確認の電話をしたのですが、その時言われた事は今も忘れる事ができません。
「ええ、間違いなく500円送りました。あなたの今の価値は500円ぐらいが相当でしょう。大見得切って勝手に日本を出て行って、もし日本に帰って来ても大阪にはもどらないように・・・」
当時は、息子が本当に困っているのに、なんて母親だと思って憤慨していたのですが、今思えば母親の愛情がこもったキツイひと言だった。
・・・と、思う。
それでも、食べるものを買うお金もなくなって、最後の最後に、日本にいる母に国際電話をかけて助けを求めた事があった。
僕は電話で母に「家賃も払えず、食料も買えないから、お金を送って欲しい」と頼みました。母は、「わかった、送ってあげる」と言って電話を切りました。
3日後、東京銀行パリ支店に着金を確認しに行った窓口で、500円が送られて来ていると告げられて、思わず「そんな馬鹿な、50,000円の間違いでしょう」と言ってしまいました。当時は、フランスの通貨はまだフランで、東京銀行パリ支店を通しての送金しかできなかった時代です。送金手数料が1,500円、なのに送金額はやっぱり500円でした。
すぐに母に確認の電話をしたのですが、その時言われた事は今も忘れる事ができません。
「ええ、間違いなく500円送りました。あなたの今の価値は500円ぐらいが相当でしょう。大見得切って勝手に日本を出て行って、もし日本に帰って来ても大阪にはもどらないように・・・」
当時は、息子が本当に困っているのに、なんて母親だと思って憤慨していたのですが、今思えば母親の愛情がこもったキツイひと言だった。
・・・と、思う。