おれは、土門拳になる。第2章 写真家増浦行仁公式ブログ

写真家<増浦行仁>のオフィシャルブログ。
志を追い続けた増浦が「夢を追う」こととは何かを本音で語る。

記憶に残る、母のひと言

2012年03月05日 | 日記--感じたことなど
確か僕が35歳の頃、ある先生の紹介で成安造形短期大学(現・大阪成蹊学園)の講師として半年ほど教えてもらいたいという話があった。その先生にも大変お世話になっていたので、断るわけにもいかず、気持ちよく引き受ける事にした。

しかし、人に教えるということは非常に難しいことだった。しかも、美大生に写真を教えるという事は、事務所の若いスタッフに仕事を教える事とは全く別の事だった。暗中模索しながら行った僕の講義は、なぜか学生からは好評で、半年の約束が結局は4年ほど教えることになってしまった。

当時は、仕事で海外へ行く事が多く、不在がちな自宅では学校からの書類を受け取ることができなかったので、母がいる実家の方に送付してもらっていたのだが、学校からの書類が届くと必ず母から「成安造形短期大学という所から書類が届いているよ」と電話連絡があった。

度重なる書類の送付に心配になったのだろうか、ある日、母からこの成安造形短期大学とはどういう関係なのと聞かれ、実は講師として写真のことを教えているのだと説明したら、母は急に怒ってこう言った。
「なぜ高校を中退した人間が、大学で教えたりできるの!! 親を騙すのも大概にしなさい。同じ嘘をつくなら、もう少しましな嘘をつきなさい!」と。
母にとっての僕は、常に心配の種であり、いつまでたっても高校中退の駄目な息子であるらしい・・・