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日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2013年ヨーロッパへの旅 24

2014-01-04 17:38:36 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月19日(木) (バルセロナからリスボンに)

 

諒君はアムステルダム経由で帰国、明日成田へ。

今日はポルトガルのリスボンに向かい、
4時35分の飛行機に乗る。
我々は12時のチェックアウトギリギリまで部屋で過ごし、
アジさんはその間バルセロナ市内の土産物屋を巡り、
空港で全員集合。

考えてみれば、すごく無駄な時間の使い方だが、
この余裕がなければ体が持たない。

2時間のフライトで本当は到着が6時半のはずだが、
ここで時差のため、1時間戻り5時半の到着。
あちこち着く度に時間が変わるのでちょっと面倒。

今夜の泊まりはホテルOlissipo Malques DeSa

ホテルの近くにこの地で有名なスーパーマーケットがあり、
日本のそれとは比較にならないほど大規模だった。

ワイン売り場も食品売り場もすごく充実しており

丁度、日本のデパートのような感じで、
最上階にレストランがあり、夕食はここで取ることにしたが、
疲れていたせいか、あるいは味そのものがまずかったのか、
私はサラダだけで他の物は何も入らなかった。

そして、洋ちゃんは明日海で泳ぐのだ
と言って海水パンツを購入。


ホテルに引き上げ、早めにベッドに入った。

 

 

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2013年ヨーロッパへの旅 23

2014-01-03 13:07:30 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 
9月18日(水) (バルセロナ3日目その3

あちこち歩き回っている内に、
午後の観光バスの時間が迫っていた。

慣れない地下鉄に乗ってようやくたどり着くと、
お客は新婚さんと私の3名。
朝の乗客39名に比べるとあまりの少なさにびっくり。

さて、モンセラット(モンセラートとも言う)は、
のこぎりを意味し、
その名の通り、のこぎりのようにギザギザの岩山がそびえ立ち、
ダイナミックな景観を作り出している。


古くからキリスト教の聖地と言われ、
カタルーニャ州の守護聖人として知られている黒いマリア像があり、
いつもお参りをする人で長蛇の列が出来ているらしい。
しかし、私達はラッキーなことに10分ほどでマリア様に会えた。


(撮影禁止なのでインターネットから拝借) 

      880年、羊飼いの少年達が
      モンセラットの岩山にきらめく不思議な光を見つけ、
      辿って行った洞窟の中でマリア像を
      見つけたという伝説があるそうだが、
      ガイドさん曰く、真実は全く分からないとのこと。
 
4時過ぎ、そろそろ帰りの集合時間が近づき、
このアーチ型のテラスから下を覗くと、
「11時ごろに電車でモンセラットに行く」
と言っていた夫とアジさんが、
登山電車の駅に向かって行くのが一瞬見えた。
 
 
慌てて下まで懸命に走って声を掛けると二人ともびっくり!
長い行列に並ぶのが嫌で、黒いマリア様には会えなかったが、
マリア像が見つかった洞窟まで歩いて行ったらしく、
相当疲れた様子だった。
 





バスを降りた後、一人で慣れない地下鉄に乗り、
緊張してホテルに戻った時にはぐったり・・・
とにかくお風呂に入って疲れを取ろうとしていた時、
二人がサン・ジョセップ市場で夕飯を買い込んで帰ってきた。
 
今夜でお別れの諒くんは、プレミアチケットが手に入った、と
うれしそうにサッカー観戦に出かけて行った。
14,000円もするらしい・・・
 
主のいないお別れパーティで、洋ちゃんも一緒に部屋で
おいしいワインを飲みながら楽しんでいたら、
11時過ぎ「メッシがハットトリックをしました!、すごかったです!!」と
興奮して諒君が帰ってきた。
一生の思い出になるだろう・・・・
 
 
 
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2013年ヨーロッパへの旅 22 

2014-01-02 13:46:06 | 2013年 ヨーロッパへの旅


 9月18日(水) (バルセロナ3日目その2)

昨日も来たサグラダファミリア、
今日はガイドさんと一緒だったので、
今まで見過ごしていた細かな所まで教えていただいた。

「生誕のファサード」
左には聖ヨセフ、右側には聖霊が控えている。

そして教会の中に入ると、
今までヨーロッパのあちこちで見てきた教会とは
全く違った空間が広がっている。

まず、これだけの大きな建物を支える柱が
考えられないほど細い。
内部の柱を木の幹と見立て、
木の幹のように柱を傾斜させることで
屋根の荷重を受け、
しかも柱の直交方向の負担を少なくして、
柱の径を小さく押さえているのだそうだ。

天井にはシュロの葉の形をした丸天井を配すことにより、
教会内部を森のようにイメージさせ、
また、丸天井やステンドグラスから自然の光を取り込み、
森の木々の間からの木漏れ日のような優しい光を
教会内部に取り込んでいるとのこと。

全てに計算し尽くされているのだ。 

そして反対側の出口?入口?「受難のファサード」には、
最後の晩餐からゴルゴタの丘までの道筋が示されており、
生誕の喜びと受難の悲しみの対比が表わされている。

受難のファサードの扉として用いられているブロンズ製の、
8000文字にも及ぶ聖書の一文の中に
日本語を見つけ驚いた。

見学終了後、作業場が覗けるようになっている館に一人で行ってみた。

ガウディは自然を手本とし、複雑な力の流れを
錘と糸で表現し、整理したという。
更に彼は必要以上の図面を書かずに、
模型やイメージスケッチを多用して、
当時の職人さんに「今日も楽しい建物を作ろう!」と鼓舞したという。
如何にガウディの感性が豊かであったかが伺われる。

そして、彼の晩年の写真を見つけた時、
聖書や建築など全く無知な私なのに、
しばし佇み、頭を垂れて感動の思いを語りかけた。

(続く) 

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2013年ヨーロッパへの旅 21

2013-12-26 12:47:06 | 2013年 ヨーロッパへの旅


 9月18日(水) (バルセロナ3日目)

しゃにむに知らない所を歩き回るより、
日本人ガイドのいる観光バスに乗るのが 効率良く、
且ついろいろなことを学べるので、私は彼等と離れて
「ミュー」というヨーロッパで最大のミキトラベルの
観光バスに乗り、午前中は市内観光、
2:30からはモンセラット修道院
という2つのコースに乗り継いだ。

ホテルコロン前の広場で集合。

観光バスは定員40名のところ39人乗車で、
もちろん日本人ばかり。
個人旅行者がこんなにたくさんいるのだと驚いた。

バスガイドのすばらしい説明でスペインの歴史や
ガウディの一生の話を聞きながら、
バルセロナを一望出来る公園で下車し一回り。
そしてグエル公園に向かった。

 ここはガウディのパトロンであったグエル伯爵とガウディが
自然との調和を目指し
総合芸術を作り上げようとした分譲住宅で、
1900年から1914年の間に建造されたのだが、
この頃バルセロナでは工業化が急速に進んでおり、
自然の中で暮らすという価値観は、
当時理解されなかった。

人々の住む場所から遠く離れ、まだ森が深く、
たくさんのイノシシなどがいたためでもあった。

広場、道路などのインフラが整備され、
60軒が計画されていたが、
買い手が付かず、結局売れたのは2軒で、
買い手はガウディ本人とグエル伯爵だけであったという。
グエル伯爵の没後、市の公園として寄付され、
現在に至っている。

まるで砂糖菓子のようなかわいい建物。
当初造られた建物は正規のタイルが使われていたが、
途中から経済的な理由でタイルが買えなくなった時に、
売り物にならない屑タイルを工場から無料でもらってきて、
それを砕いて使うようになったそうだ。
ガウディのリサイクルの発想のすばらしさに驚いた。

高いテラスの上にギリシャ劇場と言われる広場があり、
周囲に屑タイルで作られたイスが巡らされている。
彼はこのイスを作るために人間工学?を勉強し、
体への負担がなく、家族や友人達がお互いに顔を見ながら
座れるように工夫を施したのだそうだ。
確かにとても座り心地の良い物だった。

残念ながら、あまり見学時間がなく、後ろ髪引かれる思いで、
次のコース、サグラダファミリアに向かった。

今まで名前しか知らなかったガウディだが、この観光が終る頃には
尊敬と哀れみ、そして暖かな気持ちに満たされた。

(続く)

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2013年ヨーロッパへの旅 20

2013-12-19 12:29:37 | 2013年 ヨーロッパへの旅


 9月17日(火) (バルセロナ2日目) 

若者二人は電車でバレンシアまで遠出。

私達は昼過ぎにマドリッドから飛んで来るアジさんを待って、
市内見物に出かけることにした。

2時過ぎ、ホテルに落ち着いたアジさんと夫は
ホテルのパソコンを借りて、サグラダ・ファミリアの入場券と
塔の3分の2ぐらいまで登ることが出来るチケットをネットで
申し込むことにしたが、その操作がスペイン語しかなく、
かなり苦戦、1時間以上もかかって、ようやく完了。
予約は6:30とのことだった。

3:30 有名なガウディの造った家を見に出かけた。

カサ・ミラ(1906~10)

実業家ベレ・ミラの依頼で高級アパートとして建設された物とか。
徹底的に直線を排除し、
ゆがんだ曲線を主張するこの建物のテーマは山。
屋上の煙突は山の尾根から突き出た峰々を
表現しているのだとか。

 

カサ・バトリョ(1904~06)

繊維業を営むパトリョ家の依頼を受けて、
1877年に建てられた五階建ての建物の増改築を、
ガウディがほぼ全面的に手がけた物で、テーマは海。

外壁に埋め込まれた色とりどりのガラスモザイクは、
海面に光が乱反射しているかのように輝いている。


特に増築された屋根裏階は「竜の背」と呼ばれ、
ひときわ奇抜な感じだった。



時間があまりなかったので、家の中の見学はしなかったが、
帰国後、学生の頃ヨーロッパの建築物を見て回り、
ガウディの作品に興味を持ったという我が家の長女に
「ええっ、どうして中を見なかったの。中がすばらしかったのに・・・」
と言われ、残念で仕方がなかった。
もう、次の機会はない・・・・ 

そして・・・・大きな目的、
サグラダ・ファミリア聖堂を目指した。

チケット売り場には大勢の人が並び、
1時間以上待たなければ入れないのに、
二人にインターネットと格闘してもらったお陰で、
私達はその印刷物を見せただけで
スイスイと入ることが出来、
しかも、鐘楼の途中までエレベーターで昇ることが出来た。

サグラダ・ファミリアという名は「聖家族」を意味し、
ヨハネ、マリア、キリストのことだそうだ。

サン・ホセ 帰依者教会の本堂として1882年に着工。
翌年、初代建築家ビリャールからガウディーに引き継がれ、
後年キリスト教徒として生きた彼が後半生の全てを費やした。
志半ばで電車に引かれて亡くなり、
その後、内戦などによってかなり損傷を受けていたが、
日本人彫刻家の外尾悦郎氏によって修復され、
今も工事は続いており、
完成すると合計18本の塔が出来るとのこと。

昔は後100年はかかるだろうと言われていたが、
最近、観光客が増えたことで着々と資金も集まり、
2026年頃完成するだろうと言われている。
私も生きているかな・・・

 

らせん状の狭い階段を登り、窓から下界を見ると街並みも美しい。

 

 

狭い階段で中国人と思われる女性が
二人で写真を撮り合っていたので、
二人で一緒に撮って上げましょうかと声を掛けると、
一瞬、ためらった後、快諾。

あちこちで中国人らしき人達に会うのだが、
私達が日本人だと分るのか
ツンと横を向かれることがほとんどだったので、
私はとてもうれしかった。
日本語も勉強をしているらしく、
片言の英語と日本語で十分に話が通じ、
とても楽しいひとときだった。

別れた後、しばらくしてまたすれ違った時
「お久しぶりです!」と声を掛けられ、
大笑いをしてしまったが、とってもかわいくて、
我が家の近所に住んでいるお嬢さん達のような気持ちがした。

帰国後、夫が写真を送って、そのお返事をいただき、
彼等はイギリスに語学留学をしている最中だったことを知った。

今、日本と中国は・・・・というよりも、
世界中で中国の動向が注目をされているが、
より多くの個々人が世界を見ることで、少しでも「調和と成熟」が
必要なことに気付いてほしいと思った。(生意気な私・・・)

サグラダ・ファミリアは本当にすばらしく三人とも大感激だった。

この後、昨日行ったランブラス通りの市場を
どうしてもアジさんに見せてあげたくて、
どうぞまだ開いていますように、
と思いながら地下鉄で戻ったら、
あちこち閉まりかけてはいたが、
夜だというのに賑やかで、また、大興奮!

こんな大きな肉、誰が買うのだろう・・・・

 

アジさん 台湾からの観光客と意気投合!

昨日昼食を取ったレストランの外テーブルは
そろそろ終りかけていたので、
表通りから入ってみると、
同じ店なのに雰囲気が全く違っていてステキだった。

わ~~~~、おいしい!
生まれて初めて飲んだシャングリア、
ワインに果物を漬け込んだ物らしいが、
アルコール分が薄く感じて、甘くおいしかった。

しかし、元々お酒の飲めない私は、ホンの少しだったのに、
この後気分が悪くなってしまった・・・・・

でも、たくさんのおいしい物をお腹に入れて、帰る頃には元気溌剌。
夫から何度も聞いていた「シャングリア」、初経験に大満足!
今日もすばらしい一日だった。

 

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2013年 ヨーロッパへの旅 19

2013-12-11 08:51:58 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

 9月16日(月) (マドリッドからバルセロナへ) 

朝9:50の飛行機でバルセロナへ。
正一郎君だけは2時間後の飛行機で
モスクワ経由で帰国の途へ。
4年生の彼は来春から社会人。
しばらく長期の休暇は取れないだろう。
学生生活最後のヨーロッパ旅行を楽しんだ様子だった。

アジさんはもう1日マドリッドに残り、
市内とトレドの観光に出かける予定。

マドリッドから1時間、バルセロナへ到着。
地下鉄6つ目のサンツ駅に出た。
サンツ駅はスペイン各地からの高速列車や特急列車、
また、近郊線の全路線が停車するターミナル駅で、
駅も駅前広場も大きくてきれいだった。

駅から歩いて6~7分、ホテル H10 ITACAに投宿。

早速町に出た。

ランブラス通りにあるサン・ジョセップ市場は
バルセロナ最大の市場で、大勢の人で賑わっていた。

「ランブラ」とは水の流れを意味するアラビア語の
「ラムラ」に由来し、その名の通り、昔ここには小川が流れ、
バルセロナの街の西の境界線だったとか。






わあ~~~、見る物、見る物、食べたい!飲みたい!

パプリカ、ナス、ピーマン、大きさに驚いた。
日本で見る物の2~3倍はある・・・
買って帰っても、その場で食べても構わない。

あちこち歩き回っていたら、
洋介君と諒くんはすでに市場に隣接するレストランで
食事を頼んでおり、そこへ合流。

マドリッドではホテルの朝食以外、
どういう訳かおいしい物に巡り会えず、
とても悲しかったが、ここの海の幸はとてもおいしく満足した。
残念ながら、食べるのに夢中で写真を撮り忘れてしまった。

おいしい食事の後、ラン・ブラス通りの南端、
コロンブスの塔まで歩いた。
1888年のバルセロナ万博の際に、
カタルーニャとアメリカの交易を記念して建てられたものだ。

そして、この道の中間点にミロの書いたモザイク絵があった。
私はわざわざ中心に立って、
ふ~~~ん、これがミロの絵なのか、と思ったが、
特に感慨はなかった。

 


通りにはたくさんの大道芸人がおり、
趣向を凝らしているが、銅像の真似ではつまらない。
でも、長時間じっと動かず立っているのは
苦痛だろうと気の毒に思った。


塔に着くと、待ち合わせ人か、疲れた人か、
たくさんの人達が台座の上に座っていた。
その中に彼等も・・・

塔の上にある展望台には登らず、そのまま海へ出た。

ここから観光船に乗って1時間半の周遊。
特に説明もなく、見る物もなく、ほとんど昼寝をしていたら、
若いかわいい女性カメラマンが来て我々の写真を撮り、
下船前に売りに来た。
7ユーロ・・・
今時、誰でもカメラや携帯電話を持っているので、
その写真を買う人は滅多にいない。
買ってあげたら、という夫の言葉で手を出した。

タクシーでホテルに戻り
近くでレストランを探したが、何もなく、
サンツ駅まで行くと、構内にマクドナルドが一軒。
ここで夕食・・・・
夫は最後まで抵抗し、さらに歩き回って探していたが、
結局徒労に終った。

私は「マックのチーズバーガー」初体験に大満足!
若者達によると、日本とはかなりメニューが違うそうだ。

 

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2013年 ヨーロッパへの旅 18

2013-12-07 00:47:01 | 2013年 ヨーロッパへの旅


9月15日(日) (マドリッド5日目) 

昨夜、11時過ぎ卒業生のアジさんが到着。

昨年もヘルシンキ、オスロー、ストックホルム、一緒に旅をした。
今回もとても忙しい中、何が何でも・・・・と飛んでいらした。
彼にとって3回目のEU旅行。

今日はヨーロッパの三大自転車レースの日、
町の中心街は全て通行止めなので、
バスに乗って、セゴビアまで
約1時間の小旅行へ出かけることにした。

セゴビアはマドリッドから北西へ95km、
標高1002mの高地に位置する城塞都市で、
ローマ水道橋と古城「アルカサル」は見逃せない。
 

バスセンターには長蛇の列が出来ていた。

スペインの国土は日本の1,4倍、人口は4500万人と聞いた。
昨日 、今日と、バスに乗ってこのことを実感した。
とにかく、住宅のない、広大な土地が続き、
日本とは全く違う景色だった。

バスを降りてしばらく歩き、
ローマ水道橋が見えた時には感嘆の声が上がった。

 15km以上離れたアセベダ川の水を町まで引くため、
紀元1世紀前後に建造された物で、全長728m、
最も高い所は約29mに達し、
アーチの数は計166個、驚くことに石と石の間には
一切の接着剤を使用していないということだった。

1884年まで、水は上部を通って、供給されていたが、
1928年からは同じ場所に水道管が設置され、
間接的ではあるが、今もその役目を果たしている。

母国イタリアから遠く離れたこの地に、
ローマ人が築いた巨大な水道橋が、
今なお残っていて人々の生活を支えている。
また、ここでも
「全ての道はローマに通ずる」という言葉を実感した。


次に「アルカサル」に向かった。

「アルカサル」とはスペイン語で王宮、王城を意味し、
元は宮殿、城砦(じょうさい)、
要塞を意味するアラビア語からきているという。

ディズニー映画「白雪姫」のモデルになったというエレガントな古城で、
ローマ時代の要塞があった場所に、13世紀初め 城が築かれ、
以降数世紀に渡り、歴代の王たちによって増改築がされたという。

ああ、確かに「白雪姫」で見たお城に似ている・・・

アルカサルの上から見る町は小さく美しく、
まるでこびとたちが住んでいるような・・・ 

1862年の火災で城の大部分が焼け落ちたが、その後再建され、
城内に美しい調度品、武器、絵画などが保存されていた。

 

アルカサルから町に戻ると、おもしろい標識を見つけた。
日本語が書いてある。
それだけ日本人の観光客が多いのだろう。

ヨーロッパに来ていつも思うことだが、
 世界史をもっと勉強していたら、
きっと感激の度合いも、合点の度合いも違っていただろう・・・
とは思うものの、なかなか勉強することは難しい。

そして、いよいよマドリッド最後の夜。

バスの待ち時間に、駅で簡単な食事を取り、
一人、マドリッドの町中に残って観光をしていた洋介さんと
王宮の側で待ち合わせ、全員揃って「フラメンコ」の見物に・・・・。

 

 

 


 

初めて見たフラメンコ、興奮で大喝采!

毎日の訓練がどんなに大変なことか、
彼等の動き、筋肉を見ただけで想像が付く。
どの世界でも一流になるのは至難の業だろう。

独特な節回しの歌、手拍子、ギター、
彫りの深い美しい顔、情熱的な眼差し
笑顔に魅了された75分間であった。
飲物付きで、一人約5000円。

明日はバルセロナに飛ぶ・・・・

 

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2013年 ヨーロッパへの旅 17

2013-11-28 00:47:54 | 2013年 ヨーロッパへの旅


9月14日(土) (マドリッド4日目)
 

昨夜は夜中まで再会を祝ったようだった。
朝、レストランに行くと、洋介君と諒君がやって来た。

正一郎君はもうすでに出かけたらしく、
サッカーの大好きな諒くんは、
これからレアル・マドリッドの
スタジアム見学に出かけると言った。

夫と洋介君は海洋博物館や公園に出かけ、
私は部屋でのんびりと過ごすことにした。

3時から、世界遺産のトレドに
皆揃って4時間半のバス旅行に出かける。

「スペインに一日しかいられない場合はトレドに行け!」
と言われるほど美しい町で、ギリシャ生まれの
宮廷画家として活躍したエル・グレコがこの町を愛し、
後半生を送った頃のたたずまいを今も残しているそうだ。

1561年に首都がマドリッドに移るまで、
政治、経済の重要な拠点として繁栄していて、
711年から400年に渡って
イスラム教徒の支配下に置かれており、
その後、1492年に
カトリック教徒がこの地を支配するようになった後も、
この地の経済を握っていたユダヤ人と共に
多くのイスラム教徒が居残ったという。
キリスト、ユダヤ、イスラムが融合した、
不思議な雰囲気があった。


初めにサント・トメ教会に向かった。

とても小さな教会だが、エル・グレコ
(El Greco、1541~1614年)の傑作の一つとされている
オルガス伯の埋葬」があることで知られている。

この絵が世界三大名画に選ばれ、
一時はこの絵を見るための観光客が増え、
信者達の祈りの場所がなくなってしまうという
大問題が起きたそうだ。

現在は祈りの場所との仕切りが設けられ、
我々もガイドさんの説明を聞きながら、
ゆっくり鑑賞することが出来、
なぜここがこれほど大切にされているのかよく理解出来た。

 

次に「ダマスキナード」という象嵌細工の店に立ち寄った。
象は「かたどる」、嵌は「はめる」という意味があり
一つの素材に異質の素材を嵌め込んで作るらしい。

 店内では職人達が細かい作業を見せてくれ、
店頭では金で細工の施された商品が並び、
本当にすばらしいと感心したが、
値段が私の財布(夫?)と折り合わず、何も買えなかった。

しかし、お金持ちはたくさんいるらしい・・・
何人かうれしそうにお土産の包みを持っていた。

次に訪れたカテドラルはスペイン・ゴシック様式の大聖堂で、
フェルナンド3世の命によって1226年に建設が始められ、
1493年に完成したが、その後、時代に応じて増改築され、
オリジナルの部分は少なくなっているという。

教会は大きく三つに分かれており、
カテドラルは都市部に置かれた重要度の高い、大きな教会で、
大聖堂を意味し、次に普通規模の教会はイグレシア、
人里離れた小さな礼拝堂はエルミータと言うらしい。

このカテドラルは名の通り豪華絢爛、
200kgに及ぶ金、銀、宝石の聖体顕示台が置かれ、
その一部にはコロンブスが
アメリカから持ち帰った金が使われているという。

 

さて、あちこち見とれていると大変!
三方をタホ川に囲まれ、町全体が要塞になっているので、
しっかりガイドさんに付いて行かないと、
今来た道も分らなくなってしまう。

橋の両側に敵が侵入出来ないよう、検問所が設けられ、
上から煮え湯や石を落としていたが、
それでもかいくぐって入って来た敵は、
迷路のように張り巡らされた道に迷い、
結局は城にたどり着けなかったという。

ヨーロッパの旧市街はこのような造りになっている所が多いが、
特に、11~2年前、ベルギーのブルージュで、夫と二人、
散々歩いて、最後まで目的地に着けなかったことを思い出した。

そして・・・・気になったことが一つある。

16世紀の町がそのまま残っているということは・・・
下水の処理などはどうなっているのだろう。
大きな処理施設がどこかにあるのだろうか・・・
 

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2013年 ヨーロッパへの旅 16

2013-11-24 15:13:39 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 


9月13日(金) (マドリッド3日目)

 昨日入れなかった宮殿にまたバスに乗って出かけた。
昨日の行列は何だったのか・・・今日は空いていた。

王宮の近くまで車に乗せられてきた馬に、
今度は警官が乗って、颯爽とお出まし・・・。

フランスのヴェルサイユで生まれ育った国王フェリペ5世が
1734年のクリスマスに焼失したハプスブルク王家の宮殿跡に
フランス、イタリア風の宮殿を建設するように命令し、
1764年に完成したという宮殿。

150m四方の建物の中に2700を越える部屋があるという。
現在の王ファンカルロス1世は郊外に住まれ、
この宮殿は公式の行事などに使われているそうだが、
写真撮影は一切禁止なので、中の様子は伝えられない。

ヴェルサイユ宮殿をまねているが、
やはり、本物の豪華絢爛さには劣ると感じた。
興味を引いたのは王室薬剤局の、
昔の医薬研究室の様子や調剤道具であった。


次に、この宮殿の前に建つカトリックのアルムデナ大聖堂に行った。

この大聖堂の建設計画は16世紀に始まったものの、
1950年まで諸事情によって頓挫し、
完成したのは1993年だったとのこと。
これは、ローマ教皇フアン・パブロ2世によって
「聖別」されたということで、
(宗教上用いる聖なるものとするため、
聖職者の祈りによって神聖化すること)
1993年から「大聖堂」と呼ぶことが出来るようになったそうだ。

説明が難しくて、建物は何年に完成したか分らないが、
「聖別」されるまでは「大聖堂」ではなく、
教会と呼ばれていたということだろう・・か?


大聖堂の反対側に建つ王宮の灰色と白のファサードに合うよう
外部はネオクラシカルの様式になっており、
このドームの上から王宮を見ると・・・

大聖堂との色の調和がすばらしかった。
ファサード・・・って?フランス語で建物の正面のことらしい。

 

そして、高いドームの目の前には聖人が何人も・・・

内部はネオゴシック様式、そして地下礼拝堂はネオロマネスク様式と、
複数の建築様式からなる教会と書かれていたが、
詳しいことはよく分らなかった。

大聖堂の前のレストランで昼食を取った後、
今度は別コースのバスに乗ったが、
ギラギラ照りつける太陽と疲れで、
いつの間にか皆お昼寝タイム 


夕方、昨日の小さなスーパーマーケットで
同じような食材を買ってきてもらって
夕食を取っているところへ、洋介さんが到着。
久しぶりの再会で皆大喜び。

彼は昨年新入社員の身ながら、
休暇を取ってこのEU旅行に参加。
パリ、トゥール、ロアールの古城巡りでは、
レンタカーでドライブまで敢行。
ハラハラドキドキの楽しい旅をした。
今回は2年目社員で、かなり厳しい中、
しがらみを振り切って出てきたらしい。

 

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2013年 ヨーロッパへの旅 15

2013-11-17 15:15:02 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月12日(木) (マドリッド2日目) 
 

昨夜7時頃、諒君がホテルに到着していたのだが、
19時と9時を間違えていた夫は気が付かず、
しかも、帰国後に分ったことだが、
携帯にも連絡が取れないようになっていて、
 かわいそうに、ずっと一人でいたとのことだった。

彼は大学3年生。
1年生の時から毎回参加で、
もう海外で動き回るのは全く問題はないが、
それでも、初日に連絡が取れないのは、
心細かったに違いない。
柔和な笑顔で、おっとりとした様子がとても好もしい。

今朝はhop on hop offという観光バスに乗って
市内観光をすることになった。
昨日、2万歩近く歩いて、もう歩きたくなかったのだ。

1日券21ユーロ、2日券24ユーロなので、ホテルで2日券を買い、
バスの中で日本語のガイドとイヤホーンをもらった。

スペインの歴史」について帰って来てから調べたが、
膨大でよく分らなかった。

スペインの首都マドリッドはイベリア半島のほぼ中央で、
海抜655m、気候は1年を通して晴天の日が多く、
空気は乾燥している。

日差しはとても強いのだが、
日本と違って蒸し暑さはなかった。


バスの中の説明では、1400年代イザベル女王が
コロンブスや多くの冒険家に援助を与え、
新大陸から持ち帰った銀や様々な物資で
スペインに黄金時代をもたらしたと言っていたが、
この頃のヨーロッパは新大陸の奪い合い、
植民地化、現地人の奴隷化、殺戮、
すごい時代を経てきたのだと改めて気付かされた。

さて、バスの中から見る市街は、
イギリスやフランスと比べると少し質素だが、
それでも、ヨーロッパの街並みそのもの。
あちこちにモニュメントや噴水、大きな公園が散りばめられていた。





マドリッドのメイン通りとグラン・ピア


王立植物園の側で降り、しばらく地図を見ながら行き先を決める。
う~~~ん、ここはどこかな・・・プラド通りだ。

そして、プラド美術館へ。

スペイン王室の美術コレクション約300点を中心として1819年に開館。
現在では3万点以上の絵画や彫刻を所蔵しており、
主に12~19世紀のスペイン、イタリア、フランス、フランドル絵画を展示、
中でもエル・グレコ、ベラスケス、ゴヤの3大巨匠の傑作は必見とのこと。

でも、広過ぎて、歩き疲れて、1時間半では何が何だか分らず、
一番興味を引いたのは日本版画のコレクションだった。

美術館を出て、ゴヤの銅像の前で写真を撮っていたら、
すぐ側から日本語が聞こえてきた。
御夫婦らしいお二人の記念写真を撮ってあげようと声を掛けて、
しばらく話す内に、何と夫が尊敬し、
学生達も皆御指導を受けているH先生の
先輩の方だということが分った。

こんなに遠く離れた異国の地で
お互いの知り合いが同じ方だったなんて、何という奇遇!

 

 

 

そして又バスに乗り、スペイン広場で降りた。

1930年にセルバンテスを記念して造られた広場で、
作者ミデル・デ・セルバンテスの足元に、
ドン・キホーテとサンチョ・パンサ像が置かれている。


私はドン・キホーテと握手をし、

二人はサンチョ・パンサのロバ?に水を与えた・・・?

しばらく遊んでから王宮まで歩いたが、
王宮を取り囲むように
入場希望者が2~300人ほど待っていた。
とても入るのは無理

明日に希望を繋いで、又バスに乗り 私はホテルに。
学生達は近くのスーパーマーケットに
買い出しに立ち寄ってくれた。

残念ながら、小さな店で、品数があまりなく寂しい夕食となった。
これも明日に希望を繋いで・・・・

そうそう、町の至る所に大道芸人がいるが、
もっとも興味を引かれたパフォーマーはこの一組。

 片手で持つ棒の上に座っている男性・・・不思議!
どのようなカラクリがあるのか、見せて欲しかった。

コメント
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