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日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2015 年 ヨーロッパへの旅 30 ハンブルグ

2015-12-15 14:24:33 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月19日(土)

Hamburg
ハンブルグ

目覚めた時は晴れていたが、朝食を取っている間に
かなりの雨が降り出し、外は寒そうだった。

昨日、チェックインした時に、クラークが
「このところずっと雨続きなので、今日の晴は珍しい、
明日も雨かもしれないから、今日の内にあちこち見た方がいい。」と
アドバイスをしてくれたが、今朝、顔を合わせた時に、
「ねっ、言った通りだったでしょう。」と顔をほころばせた。

この街の歴史は9世紀初頭に始まり、カール大帝が
街の基礎を築いたと言われている。
エルベ川に設けた港を中心に商業都市として発展した。

ここへ来て、港湾巡りをしないのはハンブルグに来た意味がない、
というくだりをガイドブックで読んで、年間13,300の船が
行きかうハンブルグ港へ向った。

たくさんの遊覧船が並ぶ船着き場で、
どの船に乗るのかウロウロ探した。
ドイツはどこへ行っても案内標識に英語が少ないが、
ここでは全てドイツ語ばかり。
あちこちで聞き、その結果、英語の説明のある船は
毎日12:00に一回だけで、
後は全てドイツ語のガイドしかない、ということだった。

切符売り場のおじさんに「英語が聞きたければ、
明日の12時に来なさい。」と言われたが、私などは英語だって
ほとんど分からない訳だから、どっちでも良い。
船に乗って、ステキな景色が見られればそれで十分だった。

ところが・・・・コンテナを運び入れる埠頭、船のドック、豪華客船、
運搬船の数々・・・・すばらしい景色はごく一部だった。



多分、ドイツ語を聞いている人達は笑ったり、感心したり、
頷いているので、とても為になっているのだろうが、
私達はワインとウインナ、トマトスープとカプチーノ、
パン等の軽食をおいしくいただき、1時間を過ごしただけだった。

下船して、電車で3駅戻り、市庁舎(Rathaus)へ。

1886年から1897年にかけて造られた
ネオ・ルネッサンス様式の建物で、部屋数が647室もあり、
バッキンガム宮殿より6室も多いことが、市民の自慢で、
現在は州議会の議事堂として使われているそうだ。

 112mの尖塔を何とか入れようとしたが、
かなり離れた場所まで行っても、
正面からの写真は撮れなかった。

ドイツの市庁舎の傍ではよく見かける光景だが、
今日も、寒い中、2組の結婚式の人達が、
撮影の為あちこちでポーズを取っていた。
日本では考えられない。


次にしばらく歩いて「聖ヤコビ教会」に 行った。
14世紀から15世紀にかけて造られた教会で、
オルガン製作者やオルガン奏者 にとっての巡礼地と言われるほど、
世界的に有名なパイプオルガンを持ち、
その演奏会が定期的に開かれているそうだ。


また、内部には中世の価値ある美術品がかなりあるらしいが、
残念ながら、10時から5時までの見学時間を少し過ぎていた。
 

コメント (3)
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2015 年 ヨーロッパへの旅 29 イタリアからドイツへ

2015-12-14 00:31:28 | 2015年 ヨーロッパへの旅


9月18日(金)

Milan→Hamburg
ミラノからハンブルグへ

6時起床。
朝食を取る時間もなく、タクシーでミラノアルペンサ空港へ。
9:30、ドイツ、ハンブルグ空港着。

飛行機の中で、隣に座っていた若い男性が話しかけてきて、
日本や、日本語の響きが大好きで、
日本語を習いたいと思っているが、とても難しい、と言われた。
ハンブルグ大学の2年生とのこと。

昔は日本のことが好きだ、と話しかけてくる人はおろか、
日本のことも知らない、という人がほとんどだったが、
ここ数年、日本人だと分かると笑顔で褒めてくれる人が多い。

日本人は勤勉で礼儀正しく、食べ物は安全でおいしい、
日本の街は美しく、ゴミのポイ捨てをする人がいないのはなぜなのか、
特に若い人達は、日本のアニメはすばらしい・・・等々。

ちょっと面映ゆいが、日本人として、本当にうれしいし、
自分自身もその名に恥じない行動をしなければならないと思う。

さて、前述の彼は、ハンブルグ空港に降りると、バゲッジクレインから
私達の荷物を降ろして、タクシー乗り場を探して下さり、
「何かあったらいつでも連絡を下さい。」と言って、
電話番号まで書き残して下さった。感謝!感謝!

Le Boutique By Centro Comfort
ル ブティック バイ セントロコンフォート

タクシーで、何やら、ずいぶん長い名前のホテルに着くと、
隣のビルは改装工事の為か大きな音が響き、
防護幕が張ってあった。

2時30分がチェックイン時刻なので、
荷物をフロントに預け、しばらく、駅周辺の下見に出かけた。

ハンブルグはドイツ第2の都市。
何となく、都会のゴミゴミとした感じの駅前で、
駅構内も広いが、垢抜けた感じはしなかった。

ヨーロッパではお馴染みの八百屋さんがあり、
私の大好きなブドウは日本よりもはるかに安い。
でも、全体的にはやはり日本の物の方が美しく新鮮そうに見えた。

夕方、駅前のイタリアンレストランに入り、 
 早めの夕飯をいただいた。





イタリアンはどこへ行っても当たり外れがないので何となく頼み易い。

ホテルに帰ると、工事は終わったのか、騒音もなく、部屋に入ると
白を基調にした内装や家具はすごくモダンで美しかった。

夫が長年行ってみたいと言っていた北ドイツ、
正式にはハンザ同盟の自由ハンザ都市ハンブルグ、
明日からの観光が楽しみだ。
 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 28 イタリア(ミラノ-2)

2015-12-12 15:09:47 | 2015年 ヨーロッパへの旅


9月17日(木)

Milan
ミラノ

9:20、今日は「スカラ座」「ドゥオーモ」
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を
見るために観光バスに乗った。

このチケットは事前予約が必要で、「最後の晩餐」の会場には、
一度に30人、15分だけしか中に入れないというので、
日本で事前予約をして臨んだ。

ガイドのトヨタさんはイタリア在住20年のすてきな女性で、
我々日本人7人の担当。

40人乗りのバスに、幾つかの国の人達が、
それぞれのグループのガイドの元に、
イヤホーンで案内を聞きながら観光名所を回る。

スカラ座内部の見学はとても興味深かった。
ホールまでの階段には初演からのポスターが全て貼られており、
これはかの有名なプッチーニのオペラ トゥーランドットの物。

 舞台の上で用意をしている人達を見ることが出来、

昔の貴族達が幕間に優雅に集まって談笑したであろう待合室に遊び、

 代々の歌姫達の肖像画、作曲家や指揮者の銅像、
舞台で付けたジュエリー類、
書きたい事、載せたい写真は山ほどあるが、割愛・・・

でも、そっと使わせてもらったトイレは、ここに披露・・・

1776年2月25日に初代のスカラ座は火事で焼失し、
現在のスカラ座は2年後の1778年に建てられた二代目。
その当時の様子が描かれた絵画があり、
今とほとんど変わっておらず、車寄せの造りもそのままだった。

もちろん手直しはされているのだろうが、
230年以上昔の建物とは思えない現在のスカラ座。

ここからバスは市内を回り、ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)の見学に向かった。 

2012年にもここへ来たことがある。
(上のドゥオーモをクリックしてね。その時の記事が出てきます。)

幸運にも、我々旅行者は滅多に出会うチャンスのない
ミサが行われていた。

ドゥオーモに向かって左側のアーケードは、
中の建物が以前より明るく感じたので、不思議に思っていたら、
昨年、プラダがエキスポを機に、資金を提供して磨いたそうだ。

そして、前回は全く知らなかったが、牡牛のモザイクがあり、
その股間部分の窪みに踵を載せてぐるっと回転すると
願いが叶うという言い伝えがあるというので、今回、私も回ってみた。

もしかしたら・・・・ジャンボ宝くじでも買いに行こうかな。

 

その後、サンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会にある
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」を見るために移動。

この教会は世界遺産に登録されている建物で、ここに
彼が1495年から1497年にかけて描いた
「最後の晩餐」が展示されている。

いつもは閉まっているという教会の扉が、この日は開いていて、
「えっ、こんなこともあるんですね、ラッキーですから、
さっと見て来て下さい。」とガイドさんが言われた。

今晩、ここでコンサートが開かれる為、用意の最中だったらしい。
何だか、得した気分!

それから、順番を待つ間、この絵に付いて
トヨダさんから詳しい説明を受けた。

彼女のお話は聖書の内容を 細部まで知らなければ
絶対に説明出来ないのではないかと思い、
そのことを伺ったら、やはり、クリスチャンだと言われた。

「ここでは、クリスチャンにならなければ、生活が出来ないのです。」
日本における宗教とは全く違う、宗教その物が生活なのだ・・・

 度重なる修復の結果、その時代、その時代の修復師達の考えによって、
上から塗り重ねられた物を、丁寧に剥し去り、現代の科学を駆使して、
塗料の種類を特定し、何年もかかる作業の結果、
今日の作品になったという。

戦争の爆撃によって周囲は全て崩れ去ったが、
この絵だけが奇跡的に残された。
数年の間、軍用のシートだけを覆い被せてあったので、
これも劣化の原因の一つになったり、また、教会その物が
牛舎、豚舎に使われたりし、その糞や息、汗などで
かなり作品が損なわれたこともあるという。

本物は撮影禁止で、撮れなかったので、ポスターで我慢!

夫は30年前と、その後にも一度訪れたことがあり、
その頃の絵と、周囲の環境の変化にひどく驚いていたら、
トヨタさんもその通り、その通りと頷いていらっしゃった。

立派な建物の中で、厳重に温度、湿度など管理されていれば、
500年前の天才の遺産が後世の人達に残される。
私達にとって、これからの人達にとって幸せなことだ。

9:20~13:30まで、なかなか興味深い、楽しい4時間だった。
 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 27 イタリア(ミラノ)

2015-12-07 00:16:19 | 2015年 ヨーロッパへの旅


9月16日(水) 

Milan
ミラノ

昨夜、10時半、ヘロヘロになりながらベッドに入った私、
10時間後、一度も目覚めることなく朝を迎えた。
今日はミラノエキスポに出かける日。
今回のテーマは「地球に食料を、生命にエネルギーを」

人混みが大の苦手な私は、
日本で開かれる万博にも出かけたことがない。
全くこんな遠方まで万博を見に来るなんて思ってもみなかった。

Rさん親子が数年後にドバイで開かれる万博の為に
是非行きたいと言われ、それでは私達も、ということで、
日本でチケットを取っていたのだが、Oさんはお仕事で、
Rさんは御友人が急逝されたという御連絡が入り、
私達が一足早く来ることになったのだ。 

万博会場に着くと、まだ早いのか、入口には人が少なかった。

 

 

中央に広い通りがあり、両側に各国のパビリオンが並んでいる。

私達はまず日本のパビリオンに。



真正面に各地方の酒樽が並び、両側には釘を使わない木組みの壁が。
パビリオンに入ろうとしたら、2時間待ちだと言われた。



「でも、先週は5時間待ちだったから、今日はラッキーですよ。」とのこと。

仕方なく、パビリオンは後回しにして、
日本酒の利き酒コーナーやレストラン棟に。

3~4日交替で各地方の酒造所から出品しているそうだ。
利き酒をして、アンケートを書いた人には
小さな瓶に入った日本酒と小さな枡が配られていた。
もちろん夫は

レストランも大盛況で、お蕎麦や、カレー、寿司等々
よく売れているようだった。

昼食、夫は天ぷらそば、私はお寿司をいただいたが、
残念ながら、お寿司はまずかった。

私はたまたま夫のお蕎麦に付いていたわさびを分けてもらって、
生臭みを消すことが出来たが、知らない人はお気の毒。

毎日これだけ多くの来客をもてなすのは大変だろうとは思うが、
「これが日本のお寿司?」と思われるのが心外で、
日本人スタッフにそのことを告げると、
ほとんど冷凍物で、輸送に時間がかかり、
しかもこの辺りの近海で取れる魚も使っている、
しかし、日本人以外の寿司職人が作る寿司とは全く違うので、
これでもすごく評判はいいのです、と言われた。

それにしても、わさびだけは付けてほしい、と言うと、
こちらでは わさびが苦手な方がいるので、
用意はしているが、あえて付けていないのです、とのこと。

これは大きな間違えで、数年前、ノルウェーのオスローに行った時、
ベトナム人ばかりが働いている寿司コーナーで、
現地の人が小さなおまんじゅうぐらいの大きさで、
2cm×1cmほどの円錐形のわさびを二つも注文して、
おいしそうに食べているのを見て驚いたことがある。
お寿司も決してまずくなかった。

「寿司の食べ方」のパンフレットが付けてあるのだから、
わさびの説明も入れて欲しい、と一応アドバイスをした。

「日本の寿司」の看板の上に胡坐をかいていると、
いつの間にか、ベトナムや中国のお寿司の方がおいしい
ということになっては、悲しい・・・・
きっと「うるさいおばさんだ。」と思われたに違いない。

さて、食事が終わってまたパビリオンの入口に行ってみると、
相変わらず2時間待ち。
しかも見学に50分はかかると言うので、
先にUAEのパビリオンに向かったが、ここでも長蛇の列、
結局、1時間20分並んで、ようやく中に入ることが出来た。

ここでもビデオ鑑賞を含め、約50分の見学時間が必要だった。
大きなスクリーンに昔の砂嵐の中の生活の厳しさが映し出され、
現在の超近代的な街並み、未来に向かっての食糧計画、
その映像は、言葉の分からない私にも十分理解出来た。


 
展示室には、同じスクリーンに昔と現在の写真が映っていて
角度を少し変えるとそれが交互に見えるのでびっくり!

  

イタリア人にとって未知の国と思われる国々のパビリオンは、
かなり混んでいたが、アメリカ、ドイツ、フランス等の国々は
皆よく知っているせいか、空いていた。

たくさんあるレストランの一つで軽食を取り、
また、日本館を目指したが、相変わらず長蛇の列は続き、
2時間と見学時間の50分を考えると、残念ながら、
あきらめざるを得ず、他のパビリオンを見ながら10時頃
会場を後にした。
 

後日談だが、10月末にこの万博は終了した。
日本館は最後の日には9時間待ちだったという。 

日本館は金賞に選ばれたというニュースを聞き、
返す返すも2時間待たなかったのが残念で仕方がなかった。



この日、会場内で着物を着た女性を見かけ、
しばらく立ち話をしたが、わざわざ日本から用意して来られたとのこと。
私は着物を海外に持って行こうなどと考えたこともないが、
会場内での注目度は抜群だったようだ。

小柄な女性はローマ在住で、御主人が「こばやしはじめ」さんと言い、
バイオリンやヴィオラの制作をなさっているとのこと。
着物の女性は楽器を見に来られたらしい。
海外で活躍されている方のお話を伺えただけでも本当に良かった。

そして、数日前、彼女からメールをいただいた。

今日の夕方、空がとても綺麗だったので、お写真送ります♪
ベランダからの景色です。

居ながらにして、ローマの晩秋の空が拝めるなんて、何という幸せ!

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2015 年 ヨーロッパへの旅 26 イタリア(ティラノからミラノ)

2015-11-27 13:16:30 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月15日(火) 

Tirano→Milan
ティラノ→ミラノ

サンモリッツから2時間半、ベルニナ急行の旅が終わり、
イタリアのティラノに到着。

ミラノ行きの電車の乗り換え時間は5~6分しかない。

小走りに急いでいたが、ふっと目に入ったカタカナにびっくり!

じっくり見る暇もなく、カメラを片手に懸命に走り、
ようやくホームにたどり着いたら、中年の女性がイタリア語で
しきりに大声でしゃべっている。

”To Milan?"と聞くと、頷くので、大慌てで飛び乗った。

ベルニナは一等車だったので、その続きで一等車だと思い込み、
少し美しめの車両を探したが、どこにもなく、客はほとんどおらず、
この車両にも私達二人だけだった。

座席だけはまあまあきれいだが、どの車両もひどく汚い。
さらに外側は落書きだらけ、窓も全く磨かれていない。
こんな電車は今までに見たことがなかった。

しかも、途中で突然止まり、しばらく動かないので、
何かあったのかと心配していたら、しばらくして、
反対側を列車が走って行った。

単線で、列車の待ち合わせをしていたのだ。

両側に広がる街並みは、イタリアに入った途端、
薄汚れて見え、葡萄畑の山肌も、
あまり整備されているようには見えなかった。

薄汚れて見えたのは、窓ガラスのせいだけではないと思う。

ミラノ駅に着くと、人の多さに緊張が走った。
インフォメーションを探したが、誰に聞いても同じ方向を指差す。
しかし、どこにもなく、あちこち歩き回って、
結局、チケット・インフォメーションのことだと分かった。
どこへ行っても、必ず案内所はあるのだが・・・

仕方なく、タクシー乗り場へ行き、ホテルの名前を告げた。
ホテル・チェルヴォは3つ星の古いホテルで、
設備はまあまあだが、庭を隔てて隣家と近いので、
窓を解放するのは気が引けた。

一落ち着きして、明日からの行動に備え、
近くのガルバルディ駅まで出かけた。

3年前に来た時には、ミラノ駅前の「ミケランジェロホテル」に
泊まったので、少し離れた所に、
こんなに近代的なビル群があったとは全く知らなかった。 

この真正面のビルのベランダにはたくさんの木々が植えられており、
垂直の森」と名付けられているそうだ。
あまり大きくなる木はないのだろうが、
それでも、雨の日、台風の時、大丈夫なのだろうかと心配だった。
(帰国してから調べたら、とても興味深い記事を見つけたので、
拝借してここに載せさせていただいた。)

後で聞いたところ、2015年のEXPOを目指し再開発されていた所で、
今もまだその工事は続いているようだ。
なるほど、3年前には分からなかったはずだった。

日本の中心地も再開発でどんどん美しくなっているが、どこも同じ。

今日はサンモリッツからティラノ、そしてミラノ、移動に加えて、
あちこち歩き回って疲れ果て、もう歩くのも辛かった。

夜7:00、ホテル帰着。
隣のスーパーマーケットでいろいろ買い込み、
今夜は部屋食。これだけ全てで、約3,500円。

昨夜のスープ二皿とサラダ、
パン、ワイン一杯で約5,000円からみると
はるかに安い夕飯だった。  
 

 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 25 スイスからイタリアへ

2015-11-25 15:14:13 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月15日(火) 

Saint Moritz→Milano
サンモリッツ→ミラノ

8:30、ホテルArteに別れを告げ、
9:30ベルニナ急行(Bernina Express)に乗って、
2時間半、イタリアのティラノ Tiranoを目指す。

これから電車に乗り込むという時、通りがかりの人が
「二人の写真を撮ってあげよう。」と声をかけて下さった。

皆笑顔で、これからの世界遺産の風景を
楽しみにしていらっしゃるようだった。

電車が動き始めると、
昨日行った「ムオッタス・ムラーユ」の建物が遠くに見えた。

 標高が上がるにつれ、遠くに氷河が見える。

 パンフレット、お土産、飲み物、クッキー等、車内販売もある。

途中、アルプ・グリューム駅で15分間停車。
皆、思い思いに外へ出て撮影。

さすが、世界遺産認定の風景、周りの山々、
氷河、無数の小さな滝の流れ、湖、美しい牧草地・・・・
何度も席を立ったり、座ったり、両側の車窓の景色を見ようと忙しかった。

日本を出て以来、珍しいことに団体の日本人に会うことは稀だった。

もうすぐ、ティラノ・・・・・・

 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 24 スイス(12日目)

2015-11-23 15:35:33 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月14日(月)

Saint Moritz
サン・モリッツ

お二人と別れた後、私達はホテルで薦められた
Muottas Muragl(ムオッタス・ムラーユ)という山に向かった。
標高2448メートル。
ベルニーナアルプスとエンガディンの谷を一望出来るという。

先程のケーブルカーの駅のすぐ傍からバスに乗ったが、
気が付いたら降りる駅の名が表示されておらず、
いつの間にか乗り越した模様。
近くの人に聞くと、次の駅で降りて、反対方向のバスに乗ると良い、
と若い男の子が英語で教えてくれた。

しかし、次のバス停で降りてから、そこにいた人に聞くと、
「このバスが正しい。」と言われ、あわてて又乗り、
バスの運転手さんに聞くと何を言っているのか全く通じない。
右往左往していると、先程の男の子が手招きをしてくれて、
その子の言う通り、反対方向のバスに乗ったら、目的地に着いた。

後で分かったことだが、「プント・ムラーユ駅」は2つあったのだ。
2つのラインの電車の、それぞれに同じ駅名があり、
ケーブルカー乗り場に近い駅と、
川を挟んでもう一つ、300m先にもあったのだ。

知らない所で言葉の通じない人に物を聞くのは恐ろしい・・・

さて、ケーブルカーの待合室の壁に、興味深い写真があった。

いつ頃の物か分からないが、このような厳しい時を経て、

 今は立派な美しいケーブルカーに乗ることが出来る。
大昔の、苦労をされた方達に感謝、感謝。

ふと、窓の外を見るとこんな山道を走っている男性が・・・

黒い人影、見えますか。

終点駅が山頂レストランになっており、
なかなかおしゃれな建物で、
入口にはシュタインボックの剥製が飾ってあった。


何組かの人達がゆったりとおしゃべりをしている間を縫って
案内された席の隣に、老夫婦が座り、ワインを飲まれていた。
目が合ったので、会釈すると、すてきな笑顔で微笑みを返して下さった。

すぐにおしゃべりが始まり、
彼等はクールの近くにお住いのスイス人で、ドイツ語だけ。
お互いに片言の英語で通じ合うことが出来、
夫が以前彼等の近くのザンクトガレンに行ったと話すと、
私も、古い図書館で靴の上から大きなスリッパを履いて
歩いたことを思い出し、
その話で、お互いに頷きながら大笑いをした。

(ザンクトガレンの上をクリックしてみて下さい。)

帰り際、お二人が私を抱き締めて下さって、
アドレスを交換し、写真を撮っていたら、
私達の後ろの席の男性が声をかけてきて、
彼はドイツの大企業「ジーメンス」の方で、
つい最近、個人旅行で日本に出かけたばかりだ、と言われた。
(写真右側の後ろ向きの方です。)

ほんの束の間の出会いだったが、交渉事をする場合以外は、
言葉はさほど重要ではなく、笑顔があれば、
心が通じるものだと、とてもうれしくなった。

ここで、サラダとパンとポルチーニのスープ、
伝統的なスイスの野菜のごった煮スープを
いただいたが、これだけでもう満腹。
夜は何も食べられなかった。 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 23 スイス(12日目)

2015-11-22 14:31:10 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月14日(月)

Saint Moritz
サン・モリッツ

サン・モリッツは雨が少ない所として知られているらしいが、
今日も雨!

「エンガディンカード」という無料パスをホテルでいただいた。
ちなみに、このカードは2泊以上した人に宿でもらえるそうだが、
昨日登ったチャンタレッラまでの普通料金は、往復で7,200円らしい。
(宿の方のお話なので、定かな額ではない)

ホテルから歩いて5分の所にある駅でケーブルカーに乗り、
昨日徒歩で登ったChantarellaで乗り換えて、
山の中腹のCorviglia(コルヴィリア)へ。 

駅の隣では急ピッチで、
近付くスキーシーズンに向けての工事が始まっていた。

一旦外に出て、すぐ傍のゴンドラの駅まで歩き、
標高3,056mPiz nair(ピッツナイル)へ。

ゴンドラを降りると、この地の象徴「シュタインボック」の銅像が
谷を見下ろすように建っており、その下にはオーバーエンガディンの谷と
その向こうのベルニナ・アルプスの遠景を眺めることが出来るらしいが、
残念ながら、今日は雲ばかり・・・

ここは有名なスキー場の最高地点。
さっき乗り換えた中腹のコルヴィリアへはもちろんのこと、
標高差約1,100mの村までも滑り下りることが出来るそうだ。

スキーの迷手まあちゃんも滑れるかな?

3,056mの高さはもうすでに冬で、霰が降り、驚くほどの寒さ。
強風に吹き飛ばされそうになりながら、すぐにレストランに避難した。

夫はワイン、私はキャロットケーキとチョコレートミルクを注文。

このケーキ、あまりおいしくなくて700円、がっかり!
晴れていればこのベランダですばらしい景色が楽しめるはずなのに・・・

 

 あれっ?昨日ハイジの家で出会った二人の日本美人が
窓の外で飛ばされそうになりながら写真を撮っていた。

私達のすぐ前にいるので、中から手を振ったり、
窓を叩いたりしたが、全く気付かず、
必死の形相ですぐに引き返して行った。

夫が出て行って声をかけたが、中に入る時間はなく、
次のゴンドラで降りて、これからミラノへ行き一泊、
その翌日はスペインのバレンシアへ行き、
サッカーの観戦をするのだと言った。

私達も同じゴンドラで降り、コルヴィリアからケーブルカーに。

すごいなぁ、東京と佐賀に住む友人同士で10日間の旅、
全て自分達で計画を立てて行動しているそうだ。
偉いなぁ・・・・・私には絶対出来ない。



ケーブルカーを降りると、次の列車に間に合うかどうか分からない、
と言いながら、急いで走り去って行った。

(後日談、お二人は運良くバスに乗ることが出来て、間に合ったとのこと。)
  

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2015 年 ヨーロッパへの旅 22 スイス(11日目)

2015-11-21 12:59:38 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月13日(日)

Saint Moritz
サン・モリッツ

頂上でしばらく過ごし、ここから又歩いて町に下る途中、
湖の周りにたくさんの建物が見えた。

あれっ?あの建物は・・・・・



先ほど、不思議だと思った建物が目に入った。
上から見るとこんな感じ。

おもしろいが、一体何に使われているのかは分からないままだった。

道のあちこちにすてきな木彫りの置物があり、目を楽しませてくれる。
キノコ型のごみ箱もたくさんあった。

  ゆっくり、往復3時間位のトレッキングを楽しみ、部屋でしばらく休み、
7時頃、ホテルの一階にあるレストランに出かけた。

昨夜は9時頃だったせいもあり、
我々以外のお客様はいなかったが、
今日はたくさんのお客様で賑わっていた。

昨日と種類の違うピザとスパゲッティ、サラダを一皿ずつ。

        

                  

昨日は満腹でほとんど何も食べられなかったが、
今日はとてもおいしくて、何も残らなかった。

店のボスが言っていたように
「この辺りでは一番おいしいピザリアだ。」
というのは本当だったかもしれない。

口々に帰り際に「又、明日!」と言いながら
別れを告げる人達は、皆 常連のようだった。 

 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 21 スイス(11日目)

2015-11-19 16:03:17 | 2015年 ヨーロッパへの旅

 

9月13日(日)

Saint Moritz
サン・モリッツ

昨夜はテニスのUSオープンを見て、1:00に就寝。
食事に降りたのは10:00だった。

もう他のお客さんは出かけたのか、私達だけ。
朝食を見て驚いた。
モントローの4つ星ホテルより品数が多く、
ハムやチーズの種類も揃っており、味もとてもおいしかった。
卵は注文に応じて茹でてくれるという。

卵はお断りしたが、ホールの女性はとても親切で、
忙しいだろうに、天気予報や周囲のハイキングコース、
それぞれの見所を説明してくれ、楽しい食事時間を過ごした。

お昼から、生憎の雨の中、
Chantarella(チャンタレッラ)を目指して歩き始めた。
晴れていれば、美しい湖水が望めたのだろうが、
全てが霞んでいて残念だった!
しかし、美しい家や変わった建物を眺めながら歩くのもなかなか良い。
土地の人が犬と散歩しているぐらいで、観光客に会うことはなかった。
この建物、変わっているでしょう・・・。

途中から「ハイジトレイル」という名の道があり、
道の両側のそこここに、小さな石で囲んで、
その中に高山植物を育てている区域があった。

貴重な植物を守るため、育てるためにとても良い方法だと思った。

しばらく行くと、「アルプスの少女ハイジ」の
撮影に使われた小さな小屋があった。

 私は子供達が小さかった頃、毎週子供達と一緒に
「アルプスの少女」というアニメーションを
テレビで見ていたが、実写の映画は見ていない。
大好きだったハイジ、どんな感じかな・・・見てみたい・・・。

ここで日本から来たという二人の若い美しい女性にお会いした。
やはり、お二人もきっとハイジのファンだったのだろう。
雨が激しくなってきて、あまりお話しもせぬままお別れをした。

チャンタレッラの頂上はどこなのか、懸命に探したが分からなかった。
「この辺りにあるはずよ、ケーブルカーの駅があるから。」

しばらくあちこち探している内に
「えっ、ここに看板があるけど、ここが頂上?」

道路標識の後ろ側に・・・・目立たないように・・・・。

とんがり山のてっぺんを想像していたが、平らな山だった。

チャンタレッラからのパノラマ、晴れていたら美しいだろうに・・・残念!

コメント (2)
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