飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

僕は知らない寺山修司NO.162⇒ProjectNyx演劇公演「伯爵令嬢小鷹狩掬子の七つの大罪」

2010-04-19 | 寺山修司
■日時:2010年4月11日(日)、14:30~
■劇場:芝居砦満天星
■作:寺山修司
■構成・美術:宇野亜喜良
■演出:金守珍
■出演:水嶋カンナ、松熊つる松、野口和美、村田弘美、傳田圭菜、フラワー・メグ、中山ラビ、黒色すみれ、他

少女人形、メイド、赤ずきんちゃん、アリス、人魚、月…、次々と女性を象徴するアイコンが登場する。目眩くゴシックな雰囲気を漂わせた倒錯の幻想劇。先々週に<美女劇>と銘打たれた寺山修司原作によるProjectNyxの公演「伯爵令嬢小鷹狩掬子の七つの大罪」を見てきたことを本日は書きます。東中野にある「芝居砦満天星」という劇場でそれは上演されたのですが。まず驚いたのはその場所が、集合住宅の地下にあったということ。まさかの場所なのである。半信半疑で階段を降りていくとやがて木目調の壁に変わると演劇のポスターが所狭しと貼られてある。「新宿梁山泊」の名前があるのでその劇団が運営する小屋なのだろうか?(詳しくはわかりませんが、そんな気がします)そして、客席にすわると目の前には宇野亜喜良の洗練された美術が拡がっている。そのシュチエーションが異空間へと誘うにはなかなか洒落てるなと感じてしまう。

暗転となって、ピエロの口上によって芝居が始まっても、衣装にヘアメイク、そして舞台美術、小道具などの一つ一つが手が込んでいて、洗練されたイメージは損なわれることなく芝居は進行していく。そこに一癖も二癖も個性を持った女優が絡んでくるから妖しくならないわけがない。特に怪女優?と読んでいいのか野口和美が鰐を片手に風に吹かれながら船で登場するところは圧巻で、先日見たフェリーニを思い出してしまった。怪しげかつ妖艶で何が主で何が従なのか、現実と夢の境界がわからなくなってくる価値の転倒、そこに挿入される人形使いによる少女娼婦の悲しい話、あるいはシアターコクーンで見た蜷川幸雄が演出した寺山の「血は立ったまま眠っている」に出演し存在感を示した遠藤ミチロウの歌を、これまた思い出させてくれた中山ラビの歌、はたまた黒色すみれの歌が怪しげな幻想世界からメルヘンチックな世界へ陽気に導いていく…。

<うそがほんとうでほんとうがうそ><うそとほんとうはおんなじ重さ>それら舞台上で展開されたのは乙女による私探しの方法論のショーケースなのかもしれない。乙女は劇中の台詞<「好き……好き……聞こえる?」そう言う彼女の受話器を持たない方の左手は、そっとスカートの下にしのびこみ……そう、指は蜜をもとめる蜜蜂のように、素早く……森のしげみに入ってゆきます……そこはめったに陽のさしこまない場所です……彼女の指の蜜蜂は……ひとりではいられないんです。ときどき、自分の体さえ、他人のもののような触れ方をせずには、いられないんです。空想の罪には、空想の罰!>にあったように自身の指を蜜蜂にして快楽を味わいながら、不思議の国のアリスよろしく鏡に向かって自惚れしながら何を探すのだろうか?

ところで、奥行きのある舞台の奥で舞っていた人魚がいた。最後は舞台に水が流れ出し、水に流してではないが、何か意味深ではあったが、ボクはそれを忘れて人魚の釣り鐘状の美しく豊満な胸に見惚れてしまっていた。それはまた映画「NINE」で見せた華麗にしてセクシーなダンスを見せたペネロペ・クルスを思い出させるようなゴージャスな時間を舞台に、一瞬、個人的に作り出したのだった。今回のお芝居は、見ているだけでいろいろなものを思い出させてくれる、イメージがそれだけ豊饒でかつ洗練されているということに違いないと思った。




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