書店で女優の風祭ゆきの写真が帯となっているこの本を見て思わず衝動的に買ってしまいました。新書でロマンポルノを語るというのがよかったのでしょうか。著者の寺脇研は東大法学部卒で文部省に勤務する傍ら、映画評論も書いてきたというエリートで、現在はプロととして活動している評論家です。ただ、これまでロマンポルノは語られすぎていると前置きして、ロマンポルノと題はつきながらも監督や脚本家、男優らをメインに綴っておりエロス度は全くありません。また、寺脇は1952年生まれでロマンポルノがスタートした10代の代後半の思春期からそれを見はじめ、アダルトビデオの台頭による配給の終焉までを見届けた自身の青春の思い出としても整理しています。
寺脇は私の9歳年上となり、彼がロマンポルノを見たり、同世代の監督がそれを作ったりと心を震わせていた時代よりは数年遅れて、私のロマンポルノ体験というのがあります。寺脇はそれこそ10代の頃から映画評論を書き続けているためどちらかというと作品中心の映画体験となっていますが、私の方とはいうと血気盛んな若い大学生の頃なので、どうしても女優中心の映画体験となってしまうのだと思います。そんな私が初めて成人映画を見たのは高校生の頃、それは日活ではなくピンク映画のジャンルだったと記憶しています。本格的に見るようになったのは19歳の予備校に通い出してからです。大スクリーンに映し出される女優の肢体を見て生ツバを飲み込んでいたという次第。以後、大学時代にオールナイトとか、2番館とか今ではすっかりみかけるることがなくなってしまった上映形態でよく見たものです。大人の恋、大人の愛憎、憧れたものです。
そうした映画を見ていくなかで贔屓の女優も出てきます。それは日活100年の歴史を振り返るポスター展について書いた記事の通りです。朝比奈順子、渡辺良子、泉じゅん、麻生かおり、風祭ゆきといったところが私のお気に入りの女優でした。時間があってもお金がない学生時代のことなので、映画を、特にロマンポルノを見ようとする場合、当然、女優中心となってしまうのは致したがないのすが、この寺脇の本にもあるように制約のある中で自由な発想と自身の作家性を出そうとする意欲的な監督も多く日活は輩出したため(そしてそれら監督達が日本映画界を支えているという事実も)、いわゆる濡れ場とは別の時限で映画に感応した記憶もあります。女優のヌードも楽しみながら映画監督としての作家性もたのしむ。そうした映像作家の作品をみることで、実は同時に大人の感性って言えばいいのか、そうしたものも養われていった、無意識に影響を受けているのだと思います。
そうした点においては、この本の著者である寺脇氏のミニ体験のようなこともあるわけで、ロマンポルノという響きは私にとっては、なつかしく、歯痒く、せつなく、苦い映画体験という印象もあり、今ならすんなりと私ロマンポルノのファンですと言うことができます。
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