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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

精神の冬へ、ベルイマンの視点#1・・・映画「仮面/ペルソナ」(1967年)

2010-05-17 | イングマール・ベルイマン
■製作年:1967年
■製作国:スウェーデン
■監督:イングマール・ベルイマン
■出演:ビビ・アンデショーン、リヴ・ウルマン、他

映画の冒頭から意味深な前衛的な映像が流れます。ショッキングなのは、種々のイメージ映像の中に挟み込まれた僧が焼身自殺する部分。そして映像を補完するように、これまた心の中の暗部をえぐり出すかのような実験的な現代音楽が流れます。メインの映像も構図が斬新で、如何にも問題をはらんでいる雰囲気。もう今では珍しいいきなりの実験映画のテイストです。

続く映像も、失語症となった女優とその彼女を看護する女性がほぼ出ずっぱりの展開となり、ユニークといえばユニークな、実験的といえば非常に実験的な展開であります。それも映像の中で喋っているのは女優を看護する女性のみという極端さ。これがまた、矢継ぎ早に、あるいは速射砲のように言葉が途切れないのです。そして彼女が喋れば喋るほど、看護婦としての社会的役割の会話から逸脱し、話の中に個人的な感情の側面が吐き出されるようになり、思わぬ過去の吐露(行きずりの男性との性的交渉とどの直後に彼と交わったらすごくよかったなどという打ち明け話)や激情に駆られガラスの破片を床に置いて女優がそれを踏むように仕掛けたりと彼女の無意識なコンプレックスはエスカレートしていくのです。

そして訪問してきた女優の旦那らしき男とも本人(=女優)に成り代わったかのように彼女の名前を名乗って寝てしまうという展開に・・・。もともとこの映画は、観念的・実験的な作り方をしているため、的確に話を捉えるのが難しいのですが(難解な映画ですね)、その場面に差し掛かりボクの心にはいくつかの疑問も浮かんできます。看護婦は自他の境界が薄れ人格的に崩壊し始めたのか?あるいは失語症となった女優とは実は看護婦のことで、今までの映像は看護婦の幻想であったのか?という疑念。見ていていろいろな考えが錯綜してしまい、こちら側もややおかしくなってしまいます。

さらに、看護婦が女優に対して彼女自身の子供を愛せなかった深層部分(女優は良き母という仮面を被っていたのか?彼女の失語症は仮面の裏の本当の自分の逆襲なのか?)を暴くにあたり、同じ台詞がリフレインする演出。と同時に看護婦と女優の顔が重なる映像が・・・。それは、驚くことに別の人間なのに、目や鼻の顔における位置がピタリと一致してしまう衝撃。(これは見事だった)そうなると一体どう見ていけばいいのでしょうか?この二人は表と裏の表裏一体の関係と意味しているのか?境界は消えさった。人は半分の人格しか生きていない。

ラストはそれぞれの持ち場にいる映像を映し出したので、ボクが途中に思った看護婦が実は女優であったという疑念は違ったのですが、女優の沈黙により饒舌な看護婦の無意識の部分が溶解し、女優の無意識の部分と混ざりあったことにより、それぞれの人人間性が少しばかり回復したと見たい希望的な観測が残った映画でありました。

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