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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

精神の冬へ、ベルイマンの視点#2・・・映画「愛欲の港」(1948年)

2010-05-18 | イングマール・ベルイマン
■製作年:1948年
■製作国:スウェーデン
■監督:イングマール・ベルイマン
■出演:ニーネ・クリスティーネ・イェンソン、ベングト・エークンルド、ベルタ・ハル、他

タイトル「愛欲の港」の仰々しさとは裏腹に映画の話は純粋な若者の話です。魂が彷徨える一人の若い女性が主人公なのですが、話の展開がどうもしっくりきませんでした。それは時代の価値観の違いか(映画が製作されたのは1948年なので今から60年以上前)、それとも、お国の文化事情の違いなのか。主人公の女性は、不良少女として感下院に送られる過去を持っていて、それが彼女の現在を苦しめている要素の一つとなっているのですが、送られた動機をみるとたいしたことないんですね。一体この女性のどこが悪くて感下院に送られなければならないのって。

女性は母親との確執があって、夜遊びで遅くなったとき「どこをほっき歩いていたの」と家に入れてもらえなかった。困っていると女は悪い男?に誘われるままついていき、そのまま男の家に居着いてしまう。母親から見れば家出されたということ。やがて、家出少女として保護された彼女は、教育を母親が放棄することによって感下院に送られることになる。しかし、彼女は何か社会に害を及ぼすことを何かしたのだろうか?いや、何もしていないのです。ただ家を出ただけ…、それも母親が彼女の心情を解ろうともしないで一方的な道徳感を押し付けているのだ。はたしてそこに母親の親としての義務や愛情、やさしさがあるのか、といえば全く感じられない。むしろ母親のほうこそがが問題なのではないか、そう思えてしまうのです。ですからそうした価値観はどうも違和感がある。

また、不良少女としてのヒロインは、かわいらしい服をいつも着ているのでどうもそう見えない。精神的な救いを求めている女を見捨てたと苦しむ元船乗りの男(=一応、彼氏)は売春宿らしきところで、良心の呵責に苦しみいたたまれなくなって、喚くは、椅子はひっくり返すはの大荒れ。しかし、よくよく考えると売春婦として横にいる女性だって、そうした商売に身を染めるまでには暗い過去があるに違いないのだ。映画はその女性にはまるで風景のように扱っていました。ボクにはその売春婦にもその商売を選択するまでには様々な苦労や悲しみがあったに違いないと思うのです。その彼女の前で荒れ狂うのは、筋違い、男の甘さを露呈してしまっているように見えてしまう。それは逆効果に感じたのです。

飽きさせないカメラワークと計算されたベルイマンの演出は認めますが、話自体がどうも馴染まない映画でした。

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