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精神の冬へ、ベルイマンの視点#10・・・映画「沈黙」(1962年)

2010-06-04 | イングマール・ベルイマン
■製作年:1962年
■監督:イングマール・ベルイマン
■出演:イングリッド・チューリン、グンネル・リンドブロム、ヨルゲン・リンドストロム、ホーカン・ヤーンベルイ、ビルイェル・マルムステーン、他

ベルイマン監督の<神の沈黙>三部作のこれが三作目の作品です。内容としてはこちらが一番理解するに難しいのですが、変化にも富んでいて退屈せずに見れた映画でした。この「沈黙」はそれまでの二作品と違い子供が登場し、子供の目線で話を追っていくこともできるようになっています。その子供の仕草を見ていると演出が細かく、ホント丁寧に作られている映画だなあと思います。登場人物は例によって少人数で限られています。病気を持って発作に苦しんでいる姉、その姉に反発している妹、その妹の子供の3人をメインに異国のホテルの老いた支配人、小人の劇団員たち、妹の情事相手となるカフェのボーイがそれぞれに絡んできます。

姉と妹、彼女らは常にいらついて不安や怒りを内に抱えているように見えます。姉は急に咳込み、壮絶な苦しみの発作に襲われます。あきらかに病気が体を蝕んでいるいるにもかかわらず、お酒は飲むはタバコは吸うわで、半ば自暴自棄になっているよう。どうやら潔癖症なところもある。彼女の孤独と死への不安はたとえば自慰で慰めようとしますがそれも一時的なものに過ぎません。アルコールにタバコ、そして自慰、すべて自己完結する嗜好のもの、そこに他者の介在はありません。コミュニケーションが自分自身のなにものかになっていて閉鎖系、閉じています。ところで女性の自慰のシーンなんてほとんど映画では見たことないのでびっくりしました。(一度だけ高校生の時に見た吉永小百合が主演した「青春の門」にあったでしょうか)なんせ50年近く前の映画なわけですから、当時そのシーンは強烈なインパクトがあったんじゃないでしょうか。

一方の妹は姉に反発しており、憎むべき存在として姉に対して当てつけ的な行動をとり、それが彼女の行動における言い訳としています。彼女は子供がいるのですが、そのケアは気まぐれで子供はさみしい思いをしています。といのも、彼女は異国の言葉の通じない街へ出かけ男を誘惑します。ホテルに戻ってきた彼女の服が汚れているのですが、なんと教会で男と交わり汚してしまったというのです。なかなかの猛者です。さらに妹は男をホテルにも連れ込みますが、逢い引きの様子を子供に見られてしまいます。子供にとって母親が見知らぬ男と抱擁しあっているのを目撃してしまうことは、どれ程ショックなことでしょう。さらに妹の行動が気になる姉は、情事の最中に部屋に入っていきます。姉妹は罵りあいをはじめ、妹は獣のようなセックスをします。それはそれで彼女は姉と違った方法で自分を痛みつけていると感じるのです。

この映画において<神の沈黙>とは何なのでしょう?前作の「冬の光」と違って、こちらはダイレクトにそうしたことを饒舌には語りません。ただ目の前に繰り広げられる映像を感じるしかない見せ方をしています。全編ペシミックな流れている空気を感じるしかないのです。人生はいかにも苦しい。そこに神の光はさしこむのでしょうか。先の「冬の光」においては、救いとして<愛>という言葉が語られていましたが、この「沈黙」においてはそうした言葉さえ出てきません。とてもクールに描かれています。<愛>というよりは、むしろ自慰による慰めか行きずりの男との情事となっています。その間にいる子供は大人の絶望したエゴ剥き出し行動の犠牲者であります。「沈黙」とは現実の生の苦しみに対してなにもコメントをしない、ただその苦しみや葛藤を提示する、それを表明するたもの姿勢なのかも知れません。

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