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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

鏡花幻想譚への接近#96・・・佐伯順子による「夜叉ケ池」論を読む

2012-10-09 | 泉鏡花

ちくま新書から出ている佐伯順子による「泉鏡花」は、その鏡花作品についての、小説のみならず映画化された作品や漫画となった作品といった鏡花作品の変奏曲のようなものを手がかりに深く作品世界に言及した本です。今回静岡で「夜叉ケ池」を見てきたので、本棚からこの本を取り出し、「夜叉ケ池」に言及された部分を私なりにまとめてみました(ただし篠田正浩監督の映画、波津彬子の漫画に言及した部分は除いた)。

 

◆「夜叉ケ池」は鐘の音という聴覚的要素から始まる。この鐘の音は単に感覚を刺激するのみならず、物語の中核を担っている。鐘は晃の運命を左右した張本人であり、また容易に寺を連想させ、死のイメージをよびさます。そして登場人物たちの夥しい死を暗示するものとともに、その魂を招き慰める招魂と鎮魂の双方の意味を込めて冒頭に鳴り響いている。

 

◆鐘には日本の古典芸能の記憶が密接にまつわりついている。道成寺ものといわれる芸能の系譜である。恋の怨みが蛇と化し、男を焼き殺すという凄惨な道成寺の伝承、ここに見られる女性と蛇との一体化を「夜叉ケ池」の受け継いでいる(百合は背中に八枚鱗が生えた蛇体と噂されている)。蛇は性欲を暗示するといわれ、女性のエロティックな誘惑の象徴ともされている。

 

◆古典のモチーフの引用によって過去の芸能の記憶を想起させ、作品に重層的な奥行きを与える手法は、本説という能の作劇法に等しい。それは鏡花の常套手段であり重要な要素である。

 

◆晃にとって百合は、俗世間での人生を破滅させたファム・ファタル(=宿命の女)である。晃は人間の世界を離れ、蛇体とも噂される百合の世界ー一種の魔界の住人になったのだ(鐘楼守の老人へと変えられてしまった)。

 

◆ファム・ファタルは直接的には百合であり、道成寺を連想させる演技ををするのは白雪である。百合と白雪は、実はお互いがお互いの分身のような存在である。二人とも性的屈辱を受けた、そして、女性としての性の尊厳を守るため自殺した。彼女たちの名前に性的潔癖性を連想させる白という文字が冠されてある。

 

◆百合と白雪は水という共通のシンボルで結ばれている。百合は生命を育む母子神の元型的な姿(=グレート・マザー)をみせ、白雪は洪水で村を滅ぼす女性の破壊的な元型的な性格をみせる。二人は母なる女神の対極的な二側面の象徴なのである。

 

◆僧侶でもある学円は、先行芸能である能「道成寺」のワキ僧と類似した役割を担っている。彼の存在は現実世界=理想的世界の代弁者でり、百合の魔力が支配する異世界の調和を揺るがす、ファム・ファタルとしての百合にとっての脅威にほかならない。そこには時間的な感覚の相違がみられる。学円は現世的な直線的な時間の中で生きている、百合と晃は二人だけで暮らす愛の巣は現世的な時間を忘れさせる空間であり、官能的にも充足した、日常世界とは異質な時空を形成する円環的な時間である。

 

◆だが、学円は百合と晃のいる世界に全面的に敵対する者ではない。ワキ僧のシテ(主人公)の霊に対する終幕の回向に相当する役割である。洪水後の学円は合掌留(現世に恨みや恋の思いを残して死んだ主人公の亡霊を回向し、慰め、その成仏を喜ぶしぐさ)を思わせる。そもそも僧侶とは一般の人間よりはるかに死の世界や魔界に近い存在で、異界と現世の対話を可能とし、その媒介をすることこそが彼らの役割なのだ。

 

◆視覚的な華やかさが人を異次元に誘う鏡花世界の特色は、歌舞伎的な派手さを持つコスチューム・プレイとしての側面を備えている。さらに百合の白髪の老女の姿から本当の姿への変化は能の仮の姿(前シテ)から本当の姿(後シテ)へという変化を連想させる。

 

◆髪の毛で注目されるべきは、束ねた髪とおろした長い髪である。百合の束ねた髪は、彼女のエロスが潜在的で外面化していないことの表現であり、一方、長くのびた白雪の髪は、女性のエネルギーが解放されていることを象徴している。後半、百合が雨乞の犠牲として連れ去られそうになった時、百合の髪が乱れておちる。百合の裸体が予期されることで、潜在的であった彼女のセクシュアリティが顕在化することを、髪の変化が視覚的に物語る。

 

◆鏡花のヒロインは生身の女性というよりも、あらまほしき女性的なるものとしての超越的な存在である。

 

◆鏡花はとにかく花が好きである。花と女性美をオーバーラップさせて描いているし、筆名自体までも花という字が含まれている。そこには花にも植物にも魂は宿り、人間と同じように生きて呼吸していそこにる、上下の区別はないー花と人間を一体化するアニミズム的な、エコロジカルともいうべき視点がこめられている。

 

◆作品に登場する妖怪たちの異形のスペクタル性が、非日常的な視覚的刺激を求める人間の感覚的欲求を満たす。

 

◆妖怪や魔物が跳梁跋扈し、近代の文学としては一見荒唐無稽なお伽話風の「夜叉ケ池」が、明確にその時代設定を「現代」と宣言しているのには、それゆえに大きな意義がある。「夜叉ケ池」の洪水は、人知を過信して邁進しようとする近代文明に対する、鏡花の同時代文明批評だからである。

 

◆鏡花世界はスピリチャル・フェミニズム(=ウーマン・スピリット/女性の身体やセクシャリティを自然を体現する神聖なものとみなし、その象徴としての女神たちを崇拝する女神崇拝運動、さらにはエコロジー運動としても展開するもの)共鳴する先見性を持っている。

 

※上記の文章は、「泉鏡花」佐伯順子(ちくま新書)から一部引用し可変しています。

泉鏡花 (ちくま新書)
佐伯 順子
筑摩書房
夜叉ヶ池・天守物語 (岩波文庫)
泉 鏡花
岩波書店
鏡花夢幻―泉鏡花/原作より (白泉社文庫)
波津 彬子,泉 鏡花
白泉社

 

 

 

 

 

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