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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

鏡花幻想譚への接近#34・・・映画「滝の白糸」(監督:島耕二)

2008-10-23 | 泉鏡花
滝の白糸

■製作年:1956年
■配 給:大映
■監 督:島耕二
■出 演:菅原謙二、若尾文子、滝花久子、沢村貞子、他

ハッピーエンドで終わっています。もともと原作である泉鏡花の小説「義血侠血」は短編であるため、映画化されるにはいくつかの創作部分が入ってくるのはやむおえないとは思うのですが、事前にそれをを読んでいるとまさかのどんでん返しであるわけです。映画となるとあまりに悲惨に終わってしまうと、観る側の感情は昇華されない。銀幕のという言葉があるように、基本的にスクリーンの世界はきらびやかでなくてはならない。特にこの映画が製作された時代は、映画は娯楽の王様として君臨していたのでしょうから。

ですから、滝の白糸は銀幕のヒロインとして観客の憧れと同情を一身に受け、最後は幸せな気分で映画館から帰っていくことが大切なのです。。華やかに魅せる白糸の水芸の部分や一座を率いた座長として自立したところ、そして村越欣弥との出会いのシーンや一途な愛情を見せる姿勢などは憧れの部分として、寒冷地でのドサ回りまでして健気に学資を提供するところや欣弥にパトロンの欲望に仕組まれた罠にはめられるところなどは同情する部分として、映像は観客に語りかけます。

そして最後の展開において愛する男の手によって裁かれるという、自分を保つには限界に近い究極な状態に追い詰められた時、白糸の凛とした姿と欣弥との金網ごしの健気なまでの会話に涙してしまうのです。ここでもし、2人が死に向かって一気に進んでくような展開になってしまうと悲壮感が漂い遣りきれない気持ちになってしまうんじゃないかと思うわけです。映画のような逆の展開になると、一方でなんだというあっけない感情が湧いてくるも、観賞後の後味はいいんだろうなと想像しうるのです。となると同じ話ではあるわけですが、本を読んだ場合と映画を見た場合とは、中間の話は概ね一致しているも全く結末違うとなってしまうのです。つまり本だけ読んだ人と映画だけ見た人の印象が違ったものになり、会話がかみ合わないなんてこともありえる?

滝の白糸を演じた若尾文子が若い、当時23歳。まだ色気が全開というには速い初々しさがあります。懐かしい歌手・若原一郎が出演していて滝の白糸の主題歌を歌っていました。

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