
オーバーツーリズムに困惑するバルセロナ住民方々のデモ映像が流れていました。水鉄砲を観光客に向けて、発射するグループの映像もありました。160万人の住民に対して10倍の1500万人の観光客が訪れているとのこと、民泊の急増で家賃が高騰、さらに一部の観光客が私有地に侵入して写真を撮る、ごみを捨てる、注意すると暴力をふるうという悪質な行動に我慢できずのデモだったようです。最新の観光情報を入手してからお出かけ下さい
8日間のバルセロナ旅から帰ってきました。同一ホテルに六泊して、街や近郊の名所にでかけるというスタイルの旅は初めてでした。ホテルに荷物を置いたまま、まるで、自宅から出かけるような気軽な旅も良いものでした。
写真はバルセロナの通りをゲイ・フラッグを掲げて行進するゲイたちです。


5月か6月が最適なシーズン・・・この情報にはまったく間違いありません。訪れた6月23日から29日まで、郊外のモンセラット山へのハイキングで雷とパラパラとした雨に降られた以外、ほぼ快晴の毎日でした。日本の梅雨がウソのようの日和でした。
最高気温は27度、日差しが強く、夏らしい暑さでしたが、湿度が低いせいか、日陰に入ると実に快適、夕方から夜半にかけての散策を楽しむ人で賑わっていました。

バルセロナの空港に午後10時に到着・・・上空から花火が打ち上げられているのが見えましたが、夏至を祝うサン・ホアン祭りの前夜祭、空港からタクシーで市内のホテルまで、爆竹の音が絶えることがありませんでした。
成田から17時間の旅でしたが、ホテルに荷物を置くと、早速、ランブラス通りへ・・・夏の到来を祝う人々で、ごった返していました。子ども連れや乳母車を押して散策する若い夫婦もおり、地元の人と夏至の夜を共にしました。バルの一軒に立ち寄り、カーニャ(生ビール)で乾杯、バルセロナ到着を祝いました。

出かける前に、スペイン失業率17%の報道や外務省の海外旅行安全情報などで、治安の悪化が伝えられ、かなり緊張してのバルセロナ散策でしたが、安全に、楽しく、バルセロナの旧市街やランブラス通りの散策を楽しみました。
確かに、路上に座る多くの物乞いを目にして、バラの花を売りつけようと近づく浮浪者にも出会いましたが、アジア系の地元民も多く、日本人観光客という隙を見せなければ、なんら問題はないと感じま


バルセロナの中心地、カタルーニャ広場近くのホテルの三ツ星ホテルを予約したのは正解でした。旧市街地にもランブラス通り、グラシア通りにも徒歩圏内・・・この一角にはホテルが軒を連ねていますが、いずれも19世紀にバルセロナが繊維産業で最も賑わった時期に建てられた重厚な石造りのビルが軒を連ね、内部を改装してホテルとして営業しています。そのため、部屋やレストラン、ロビーは狭く、遮音性もいまいちですが、エレベーターを設置、バスタブもあり、快適に六日間を過ごすことができました。ツインで一泊12,000円、わが国のビジネスホテル並の料金設定でした。

バルセロナは地下鉄網が完備していますが、時間的なロスと、スリなどの被害を避けるため、市内の移動はタクシーを利用しました。流しのタクシーが手軽につかまるのではないかと思っていましたが、これが意外に難しく、ホテル近くのカタルーニャ広場のタクシー乗り場から乗りました。
料金は5ユーロから7ユーロ、一番遠かった北にあるグエル公園からカタルーニャ広場までが12ユーロ、値段はメーターに表示され、チップはお釣りが少しならそれを・・・払わなくても問題はありません。空港から市内までは30ユーロ少々、スーツケース二つの料金が、メーターを止めた最後に加算されて表示されます。
渋滞時にメーターがドンドン上がるのは日本と同じです。乗り込むときに「Hola!(オラ!)」と挨拶するのが慣例、行き先の発音に自信がないときは、紙に書いた行き先を示し、「Por favor (ポルファボール お願いします!)」と言えばOKです。

カタルーニャ鉄道(バルセロナ公営)とRENFE(レンフェ・スペイン国鉄)に乗りました。
モンセラットに行くにはスペイン広場から出ているカタルーニャ鉄道で1時間、ダリの美術館訪問にはサンツ駅からフィゲラスまでRENFEで2時間の道のりです。いずれの線路も郊外に出るまで地下を走ります。
初めての体験となる切符の買い方ですが、カタルーニャ鉄道はスペイン語か英語の切り替えができる自動販売機で、RENFEでは窓口で購入します。割引往復切符(ida y vuelta イダ・イ・ブエルタ)であること、行き先を確認することで問題なく購入できます。
(後日、モンセラットとフィゲラス訪問記で詳しく報告します)

当然のことながら、日本の情報はまったく入ってきません。ただ、到着した翌日の6月24日には中村俊輔選手がバルセロナ・エスパニョールへの移籍を告げる報道で、スコットランド・セルテイックで活躍する姿を流していました。
ところで、スペイン代表と南アフリカ代表の対戦の中継をテレビ観戦しました。0-1とずっとリードされていましたが、後半戦で2-1と逆転、その直後に追いつかれ、終了間際に得点し逃げ切るという白熱したゲームでした。両チームの体格のよさ、玉回しの的確さ、攻撃の切り替えの早さ、圧倒的な攻撃力を見ていると、日本チームの4位入賞は難しいのではないか・・・と心配になりました。
ところでバルセロナ滞在中にマイケル・ジャクソンの訃報・・・テレビは朝、昼、夜と特集番組の映像ばかりとなりました。

ホテルでは取らず、街のバールとレストランを渡り歩きました。

朝食には、細長いパンの両端からスペイン特産イベリコ豚の生ハムがはみ出しているボリューム満点のボガデイ―リョ(ジョ)が気に入りました。しかしこのようなヘビーな朝食を食べているのは私たちだけ・・・スペイン人は、コーヒーとクロワッサンなどの軽い朝食でした。
もっとも彼らは11時頃にバルでもう一度食事、昼食として2時ごろにしっかりと食べ、夜は遅くまでバルで飲み食いをするという日本人とは異なる食生活のようです。
日本人に人気のパエリアには注意が必要です。値段が安いパエリアは出来合いのものを暖めるだけ、お米の味にシビアな日本人には食べられたものではありません。
やはり、専用の鉄鍋で焼き上げた本来のパエリアをレストランでいただくのがよいでしょう。

カタルーニャ広場に面した大手デパートEl Corte Inglesで済ませました。スペインのカラフルな色のネクタイとシャツを探しました。シャツは持参したクビ周りサイズ表を店員に見せると探し出してくれました。地下に、食料品を販売する区画があり、真空パックの生ハム、修道院で作られたお菓子などを購入しました。
ワイン類は、ロンドン経由でしたので、機内持込規制で購入できません。その代わり、ヒースロウ空港の免税店で、スコッチウイスキーを・・・二度訪れたことがあるスコットランド・スカイ島の銘酒TALISKERを見つけ、懐かしさから購入しました。

航空機、ホテル、食事、現地交通費、土産代を含めて、52万円・・・一人26万円の旅でした。

・・・と地元の方がよく言うとのことですが、独自の言語、文化、歴史を持ち、モデルニスモ建築の世界遺産、旧市街の中世からの町並み・・・たしかにスペインというより隣の国フランスに近い雰囲気を持っています。
地名表示、レストランのメニュー、看板など、まずカタラン語、続いてスペイン語で書かれているという具合で、地元の方々の自国語への自負心が伝わってきます。
世界遺産・カタルーニャ音楽堂のトイレに掲示されていたカタラン語、スペイン語、英語の注意書きを紹介しておきましょう。
{Si us plau, no disposition cap objecte als urinaris i WC. Gracies}
{Por favor, no espositen ningun object en los uninarios y WC. Gracias}
{Please don’t throw any object in the urinaries and WC. Thank you}