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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:中宮寺・法輪寺」

2015-06-17 22:26:29 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:中宮寺・法輪寺」


 
まずは、中宮寺から!

7世紀初頭に聖徳太子が斑鳩の宮に移り住んだことにより、日本の仏教の中心となった。中宮寺は聖徳太子の母の発願により、尼寺として建てられ、1600年頃からは門跡寺院となった。現代の本殿は昭和に建てられた。本堂の周囲に池を張り巡らしているのは消化用水とするため、耐震耐火設備も!


中宮寺(聖徳宗 中宮寺 公式ホームページ)を発願したのは、聖徳太子(Wikipedia)の母穴穂部間人皇后(Wikipedia)。後に出てくるけど、当時600人近い尼僧がいたそうで、隣接する法隆寺が男性の僧侶のための寺であることから、尼僧のための寺として発願されたのだそう。


中宮寺_本堂 


中宮寺は2度訪れたことがある。昭和に建てられた本堂は、世界最古の木造建築である法隆寺(法隆寺)を見た後では、ありがたみが薄いような気がしたけれど、水に浮かぶその佇まいは、極楽浄土を思わせた。度重なる火災に備えてのことだったとは知らなかった! あの美しい菩薩様をお守りするためだったのね


本尊は如意輪観音と伝えられている。半跏思惟(本来は弥勒菩薩)の姿は菩薩が人々をいかに救うか考えている様子を表している。アルカイックスマイルの典型。スフィンクス、モナリザと並び世界三大微笑像。飛鳥時代は一木造りが多いが、寄木造り。装飾をしていたと思われるが失われた?


中宮寺_半跏思惟像


自分が今まで見た中で一番美しく、一番好きな仏様が中宮寺の菩薩半跏像(半跏思惟像(はんかしゆいぞう)とは|コトバンク)。右ひざを左足の上に乗せ、頬にそえた右腕を右ひざの上に乗せるポーズを、半跏思惟という。これは弥勒菩薩(Wikipedia)のポーズなのだけど、お寺では如意輪観音(Wikipedia)として伝わっているそう。 tweetにもあるとおり、人々を救う方法を考えておられる姿なのだけど、口の端を少し上げたアルカイックスマイルと、長い間に黒光りしたお体からは、宇宙の広がりを感じさせる。これは弥勒菩薩が釈迦入滅後56億7千万年後に地球に下生すると言われていることから影響を受けているのかもしれないけれど、本当にこの菩薩様の前に座っていると、その背後に宇宙空間を感じる。正気ですよ!(笑)

 

脇侍は薬師如来と阿閦如来。阿閦とはサンスクリット語で動じないと言う意味。お前立は大日如来と同等に考えられる。お前立が何か聞き取れず。


お前立について調べてみたけど分からず 童子のような姿をしていたように思うのだけど・・・ 阿閦如来(Wikipedia)はサンスクリットでアクショービヤで、これは不動という意味があるとのこと。

 

天寿国曼荼羅 天寿国=極楽浄土 聖徳太子の后が作らせた刺繍曼荼羅。製作時は4m四方と巨大であった。現存するのは鎌倉時代にはぎ合せたもの。描かれた人物たちから飛鳥時代の生活を知ることが出来る。月の中にはウサギが描かれてる。100個のカメの甲羅に文字が描かれていた?


中宮寺_天寿国曼荼羅繍帳


正式名称は天寿国曼荼羅繍帳で、tweetにもあるとおり極楽浄土を表した刺繍。奈良時代の人こんな感じだったのか~ なんかカワイイ

 

世間虚仮 唯仏是真 聖徳太子が愛した言葉。仏教の喜びを知って欲しい。2歳で南無仏と唱えた?


亀の甲羅に書かれていたであろう文字が"世間虚仮 唯仏是真"(世間虚仮唯仏是真とは|コトバンク)で、聖徳太子の言葉であるとのこと。聖徳太子は2歳で南無仏と唱えたという伝説があるらしい!

 

飛鳥時代の中宮寺は現在より500m東に位置していた。1600年頃から門跡となり、斑鳩御所と呼ばれた。表御殿は迎賓館として使われた。江戸時代前期の建立。書院造。6つの部屋にそれぞれ障壁画。唐子遊戯図、吉野山の桜、立田山が紅葉に染まる図 上段の間は全てが金色


中宮寺_表御殿


穴穂部間人皇后の発願により建てられたお寺だけど、門跡となったのは1600年頃なのだそう。皇族を迎えるために建てられたのが表御殿で書院造。上段の間は皇族の居間ということらしい。天皇をお迎えすることもあったのかな?


創建当時から尼寺。男子禁制の札が残されている。推古天皇の時代1300人超の僧侶の内569人が尼僧であったと言われている。菩薩半跏像は女性的な強さを感じさせる。 

 

ここから、法輪寺!

 

斑鳩 三井地区 聖徳太子が掘らせた三つの井戸。法輪寺=三井寺とも呼ばれる。山背大兄王所縁の寺と言われている。法隆寺式伽藍配置。飛鳥時代の創建当時からこの形式。金堂 1645年の台風で倒壊、現在の金堂は1701年に再建。三重塔はかつて斑鳩三塔と呼ばれたが、ある悲劇により失わた。


聖徳太子が斑鳩宮(Wikipedia)に移る際に、三つの井戸を掘らせたことから三井という地名になったとのことで、このうちの1つが今もこの地に残る赤染井だと言われいるのだそう。法輪寺(法輪寺ホームページ)を創建したのは聖徳太子の息子である山背大兄王(Wikipedia)なのだそう。


法輪寺 


ちょっと分かりにくいけど、この門を入って左手に塔、右手に金堂が配置されているのが法隆寺式伽藍(法隆寺式伽藍配置とは|コトバンク)というのだそう。


三重塔は昭和19年に落雷により焼失。昭和50年に現在の三重塔が完成。人々の悲願であった。釈迦如来坐像、四天王像、仏舎利は落雷時に救い出され、現在も同じ形で安置されている。心礎は建立時のものが使用され、外観も飛鳥時代の姿を再現している。


法輪寺_三重塔 

 

斑鳩の地は瓦の産地。三井瓦窯跡(三井瓦窯跡(みいかわらがまあと)とは|コトバンク)。飛鳥時代、瓦を用いるのは寺にのみ許されていた。高温多湿の環境から建物を守り、日本的な風景を守る意味で、瓦ぶきが愛された。 

 

法輪寺本尊 薬師如来像 五体健全 病気平癒のご利益があると信仰を集める。薬壺を持たない古来の姿。飛鳥時代の特徴である楠の一木造。虚空蔵菩薩立像。左手に水瓶、右手を上に向けているのは観音菩薩の特徴? 信仰すると知恵が増す。知恵の仏。楠の一木造り。


法輪寺_薬師如来

 

法輪寺_虚空蔵菩薩

 

法輪寺の薬師如来様(Wikipedia)も、虚空蔵菩薩様(Wikipedia)も、飛鳥時代の特徴である楠の一木造りだそうで、とっても素朴で親しみやすいお姿をしておられる。目がアーモンド形なのも飛鳥時代の仏像の特徴。光背に彩色が残っているのが素晴らしい!


十一面観音菩薩は3m超。台座から一本の木から彫り出している大作。あらゆる方角に顔を向けて人々を救う。飛鳥時代から信仰を集めた。日本の黎明期に仏教を信仰した聖徳太子の思い。国づくりに仏教を取り入れた。


法輪寺_十一面観音菩薩

 

十一面観音菩薩様(Wikipedia)はなんと台座から一本の木で造られているのだとか! しかも3m超ってスゴイ!! この十一面観音様も飛鳥時代の作らしいけれど、モダンなお姿。


妙見堂 星の仏 妙見菩薩は秘仏。北辰妙見。北辰=北極 お前立は妙見菩薩立像 右に筆を持つのが特徴だが失われている。天体の動きは人界のあたゆることに影響を与える←中国の考え方 妙見=善悪を見通す、未来を見通す 聖徳太子ゆかりの妙見菩薩ということで商人たちの信仰を集めた。


妙見菩薩様(Wikipedia)という仏様については知らなかった! まだまだ知らない仏様がいらっしゃる。


度重なる災害により焼失してきた法輪寺だが、そのたびに復興の手を差し伸べる人々が現れるのは、聖徳太子を慕う心によるものだと思われる。和を重んじる心。

 

お寺って木造建築であるだけでなく、塔などを配置しているため、その土地で一番高い建物だったりするので、落雷などの被害に遭いやすい。戦などもあったりして焼失してしまうことが多かった。その度、人々によって仏像が運び出されたり、復興されたしてきたから、日本にはたくさんのお寺が残っている。そういう名もなき人々の気持ちに涙してしまう


古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

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