まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

セメント貨車…1

2008年10月19日 | 廊下から
私が初めて出会ったセメント貨車は、昭和58年冬に豊岡付近で見かけたホキ5700でした。見かけたのが夜の遅い時間で、写真はおろか所有社すら記憶がありません…(汗)

昨今の情勢変化により、セメント専用列車の多くが廃止となり、現在では三岐鉄道の東藤原~四日市港間でしか見れないと聞きます。

今から10年前、三岐鉄道を含め中京地区に貨車を尋ねた事がありました。その中から個人的に好きなスタイル『ホキ5700』の画像を紹介します。


ホキ25754 平成10年3月13日 富田

私が訪れた頃、東藤原~四日市港間のセメント列車は、タキ1900とホキ5700の混成でした。同じ40t積の車両でも異なるスタイルが並ぶと、ちょっと心が擽られたものです(笑)


ホキ5757 平成10年3月14日 美濃赤坂

ホキ5700は製造所の違いにより、大きく姿が異なりました。東洋製の初期番号が箱型の車体であり、清水工業株式会社所有のホキ5757を美濃赤坂駅で撮影する事が出来ました。


ホキ35732 同上

よく見かけたスタイルは日車製との事。積み込み口等に微妙な違いがあるそうですが、私には良く判らないので説明できません…(汗)


ホキ7501 同上

ホキ5700とよく似たスタイルですが、ホキ7500と言う別形式です。荷役方式が違うそうですが、撮影時には荷役方式が統一(?)されていたそうです。

何も判らぬまま、セメント貨車いっちゃった…どうしよう(汗)

参考資料:ネコパブリッシング発行『私有貨車図鑑』

押し入れの中から悪い虫が…(笑)

2008年10月19日 | 工作室から
この公休日、片付ける場所も無く出しっぱなしになっていた模型を、やっと片付ける事が出来ました。

『余り走らせない模型を押入れに』→『空いたスペースに模型を片付ける』…迄は良かったのですが、押入れに模型を片付けた分、押し出されてきた仕掛品が…(汗)

U山『早く作ってしまいなさいとのお告げ…』

まろ『また、貨車かいな… 競作が出来んが!』



すでに、箱の糊が劣化して崩壊しかけている『ホキ5700』のプラキットが3箱。1箱は全くの手付かずでした。そういえば一時期、セメント貨車に嵌ってましたからねぇ…(遠い目)



とはいえ、2箱分4両は半分以上組み立ててますから、この前のトラ90000と一緒に塗装できるように作ってしまいますか。



実はホキ5700は完成品も購入しており、何もしないままとなっておりました。急遽
、ナンバーを入れカプラーを交換し例会に持ち込みました。

セメント貨車、ちょっと良いかも…(笑)

坪野で記念碑を見た…2

2008年10月14日 | カブ
国道191号線を更に北上し、坪野郵便局を過ぎてお寺の先に、旧坪野駅と記念碑への入口を示す道標が立っています。広島方面からだと少し判り難いですが…



皆さんもご存知だと思いますが、旧可部線の坪野~田之尻間には、国鉄敷設20000キロの記念碑があります。旧坪野駅周辺は整地されると聞いておりましたので、もしかすると記念碑も撤去されるのではと心配し訪れてみたんです。



道標に沿って旧坪野駅に向かうと…



ご覧の通り…



この看板だけが、駅があった名残を留めておりました。



駅付近は整地されていたので心配しながら記念碑の方に向かうと、そこは既に藪となっており、更に進もうとすると藪がガサガサ… 

『うっキー!』

サルが柿を食べていました。あ~びっくりした…



クモの巣をかき分け薮の中を少し進むと、ひっそりと記念碑は佇んでおりました。



ペンキ書きなのか数字は消えかけ、その前には柿の食いくさし…勿論、サルの仕業ですよ(笑)
何の説明文もなく、20000と書かれたモルタル(?)製の記念碑。このまま自然に埋もれるのか、何らかの整備がされるのか… ここを鉄道が走った証として後世に残して欲しいですね。

本日の走行キロ…108.2km



坪野で記念碑を見た…1

2008年10月13日 | カブ
三連休の最終日、天気も良くて絶好のツーリング日和でした。初日はお客様のご案内、2日目は酒祭りと忙しく、3日目にしてやっと家事を済ませて、お昼前からプチツーリングをして来ました。

半日だと長距離は走れないので、春先に行きそびれた元坪野駅を行先に決め、光町~中山峠~安芸大橋~川土手経由で県道177号へと進みました。
県道177号は春先に通っているので地図を見ずに、超高性能ナビ『おろおろ君』だけを頼りにカブを進めていると、気が付けば久地峠を半分登っていて…

U山『あんたが単なる方向音痴なんぢゃろ?』

まろ『うるさい! 探検家と呼んでくれ!』

U山『・・・』



バカな事はさて置き、県道を北上すると太田川を横断する鉄橋(名称が判りません…)が現れます。ここで現役時代に撮影したかった…自分にも移動手段があったなら、そう思わせる場所です。


第2太田川橋梁

加計方面を望む

更に北上すると再度、太田川を渡る鉄橋を目にする事が出来ます。よく見ると旧路盤に上がれるようなのでちょっと登ってみました。鉄橋上は大変危険なので通行出来ないようになっています。まあ、高い所が苦手な私は、頼まれても歩きませんけど…(笑)

この先、県道は土砂崩れのため通行止となっております。看板は錆びてるし道路のアスファルトもかなり劣化しているようで、長期間放置されているのでは? 対岸に国道が走っているので不要な道路なんでしょうかね?



来た道を引き返し、追崎橋を渡り国道191号に出て更に北上し旧安野駅へと向かいました。国道をそれて、暫く進むと先ほどの第2太田川橋梁の対岸に着きます。



ここでも旧路盤に上がる事が出来、鉄橋上を望むと半分だけ枕木が残されています。安芸太田町と広島市との境が鉄橋上にあるので、その関係で残ったのではないでしょうね。大部分の旧路盤も自然に帰りつつあるので、こんな写真が撮れるのもあと僅かではないでしょうか?



自宅を出て約2時間(寄り道その他を入れて…笑)で旧安野駅に到着。一息ついていたら、アベックが車でやって来て駅前をウロウロ… ネコでも見に来たんでしょうかね?

ネコには興味なかったので、一息入れて坪野へと向かいました。

つづく…



こっちにも転がる…

2008年10月13日 | 泥沼より
先日…というか、もっと前だったか。庶務担当のお姉さんから…

『芸陽バスのミニカー買わんのですか? 締切今日ですよ~』

とまぁ、いなげな電話をしてきたんですが、『ちょっと考えさせて!』と一旦切ったんですよ。
どんなものか判らんかったので、HPで画像を見ながら考えに考えて注文しました。この間、約2分…久々に悩んで買い物しました。

U山『いつもと変らんぢゃろ!』

まろ『うんにゃ… 2分も考えたら充分!』



あ~ぁ…また、煩悩に負けた…