まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

琴電860

2007年07月14日 | 廊下から
この車両は、昭和50年に廃止となった山形交通から購入し、翌51年に電動車780型780・790号として登場しました。登場時は2両でペアを組んで琴平線で使用されており、780号の築港側と790号の琴平側が貫通化されていました。後に増結用として単独運用に用いられた為、780号の琴平側も貫通化されました。

昭和58年、三岐鉄道からの車両が竣工すると長尾線に転出し、この際に電装解除を行い制御車860型に改番されました。志度線分断後も長尾線で活躍しておりましたが、平成10年に600型と置き換えられて廃車となりました。


860号 昭和63年12月 瓦町


860号運転席


870号 休車中 仏生山側線


870号の、オ・シ・リ(爆)

860号と870号は製造時期の違いから、正面水切りに違いがあり個人的には870号の方が好みです。しかし、つぶらな瞳に広いオデコの860号も捨て難いし…

今回、870号の写真を改めて見て、琴平側のジャンパ線が1本多い事に気が付きました。電動車に余分に受けがある事を知っておりましたが、やっと謎が解けました。

4 コメント

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Unknown (ひろ)
2007-07-14 18:19:09
これまた、なつかしいですね。
おでこが人の頭みたいですよねー。
ちょっと前までは、長尾線なんか、このようながゴロゴロいましたねー。
今日は運休続きでこっそりセピアの・・・を見ています。
やっぱ琴電は、赤色の電車と、前をはだけた白ズックのウテシで決まりです!
ちょっと前までは、ウテシもみんな恐もてで、旧型車に乗るのも緊張感がいりましたねー。
でも、仏○山には簡単に入れてくれたり。
今は、フリー切符もできていい時代になりました。
10年ほど前は、長尾線、志度線とも線路規格から見て、代車が無く旧型車は永久になくならないって私を含めほとんどの人が信じて疑わなかったでしょう。
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Unknown (まろねふ)
2007-07-14 22:00:55
>ひろさま
確かに昔は強面の方が多かったですね。でも、気さくな方が多かったように思います。
フリー切符も出来て撮影にはありがたいのですが、私はあえてIrucaを使っています。やはり、増収に協力しないと職場は守れませんから…
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Unknown (高宮今日子)
2007-07-14 22:15:54
870号といえば非貫通というイメージしかなかったけど、この貫通扉のある顔もエェですね~。某雑誌社の編集長を思い出してしまいます。
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Unknown (まろねふ)
2007-07-14 22:52:46
>高宮今日子さま
今思えば、870号は一粒で二度美味しい顔だったですね。貫通面の撮影は切り離さない限り撮影は出来ませんでしたが…
実は、このお顔は2回目の撮影(拝見?)でした。これ以前に、仏生山で全検前の顔を遠目に撮影してます。

画像を見ていただけると判るように、連結側のワイパーや行先板の受けがありません。確か室内の運転機器もなかったと記憶しますが、当時デジカメがあれば… ちょっと後悔しています(涙)
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