最近、無性に10系寝台車が気になる… ゆっくり模型を眺める時間が取れませんが、それでも寝る前に“幾何学模様”の一角から箱を取り出して悶々…
アタシが初めて撮影した10系寝台車は、『山陰』号のオハネフ12です。あれは確か、近所の知り合いと一緒に12系の臨時列車で出雲大社へ初詣に行った時でした。目の前に予備車が留置してあったので、それを撮ったのが最初です。
オハネフ12-4 出雲市 昭和57年1月撮影(多分…)
銘板が外されたオハネフ12 出雲市 昭和58年1月撮影(きっと…)
中学生の時、タッチの差で切符が取れなかった『山陰』号。名前だけ知っていた『ながさき』号や『はやたま』号に一度は乗ってみたかったですね。
アタシが初めて撮影した10系寝台車は、『山陰』号のオハネフ12です。あれは確か、近所の知り合いと一緒に12系の臨時列車で出雲大社へ初詣に行った時でした。目の前に予備車が留置してあったので、それを撮ったのが最初です。
オハネフ12-4 出雲市 昭和57年1月撮影(多分…)
銘板が外されたオハネフ12 出雲市 昭和58年1月撮影(きっと…)
中学生の時、タッチの差で切符が取れなかった『山陰』号。名前だけ知っていた『ながさき』号や『はやたま』号に一度は乗ってみたかったですね。
祖父母宅の最寄り駅の時刻表、とんでもない時間に発車時刻があり、快速なのに「ながさき」という列車名・・・小学生時分のワタシには不思議な列車でした。
列車廃止後、オハネ12やスハネ16がマニ60と一緒に原田に留置されていて、コンパクトカメラで撮影した記憶が懐かしいです。
そういやぁ、ウチにも未整備車輌が・・・
寝台券を発売する為とは言え、彼女たちのネーミングは判りやすくて良かったですね。
あの時代の夜行普通列車、寝台車ではなくても体験したかったですね。
10系寝台車には幼少時からお世話になっていると思いますが、なにぶん記憶が…(^^;
10系寝台車で印象的だったのが、上段の窮屈さです。この点では、同じ52cm幅で寝台区画の基本的な寸法に大差のない20系と、天地ほどの差がありますね。20系の上段は深い屋根のおかげで広々としていますが、10系の場合屋根が20系より浅い上に、天井から生えたAU14の巨大な“根っこ”が寝台空間まで張り出していて、異様な圧迫感がありました。
10系ハネよりさらに屋根の浅いスハネ30の上段はどうだったんだろう? 乗ったことありませんが…
いつかは横川のオハネ1229へ会いに行きたいですね。他にもナハフ111も… ナハフ111は福知山の車両で、現役時代は浜田まで運用があり実際に目にした車両です。
>青列車さま
私は824列車“半”乗のときに、漆黒の餘部鉄橋を上から覗き込んだ覚えがあります。高所恐怖症なんで、夜間だったから見れたのかも…(笑)
>クモイ103さま
そうでしたか。オハネフ124は実際に乗られたのですか…
私は10系寝台車は模型と写真でした知らないので、実際に乗られた方のお話は大変嬉しいですね。
スハネ30は実物を見たことありません。模型では作りましたが… 仙台で保存されていた車両の写真があり転載許可を頂きましたので、今度貼りましょう。
一階にあった某直営店…懐かしいですね。あの店で多くの仲間と出会い、多くのストックをしました…(謎)
>サハ4801さま
あの方のブログですね。アタシも時々、拝見させていただいております。当時、現場の方々がどんな思いで、またご苦労されたかがしのばれますね。