2月7日朝4時40分。N尾さんが亡くなられました。
51歳という若さでした。
前の日に意識不明になったという連絡を受けて、いよいよ本当に覚悟しなければいけないのかな・・・・と思っていた7日の朝10時20分頃に、N尾さん本人の携帯からの着信がありました。
ドキッとしながら電話を受けると、N尾さんの旦那様の声。そして、訃報。
覚悟していたのに、覚悟していたのに、号泣して、もう言葉になりませんでした。
体調を崩してからたった1ヶ月で、あっという間に帰らぬ人となったのです。
N尾さんはときどき、このブログにコメントしてくれていたmikkeyさんのこと。
娘のピアノの先生でもあり、マイシアター高松屋島ブロックでずっと一緒に活動していた仲間。私の生活でしょっちゅう会う人でした。
前向きで明るくてやさしくて元気でガッツがあって、子供好きのN尾さん。面倒見がよくて頭がよくて、何事にも公平で。
なぜこんな人がこんなにも早く・・・。
訃報を受けてから仲間に一斉に連絡をまわすと、予想通り、あまりの突然の死に皆受け入れられない。ショックを隠しきれない。続々と返信メールが届く。
悲しみに暮れるばかりにもいかない様々な段取り。打ち合わせ。
お通夜とお葬式の両方に参列しましたが、故人が一主婦とは思えない程の弔問客でした。
どんどん押し寄せて会場に入りきれないほどの弔問客に葬儀会社の人が驚くほど。N尾さんが仲間が多くどれほど慕われていたか改めて思い知りました。
皆さん「おつきあい」で来ているのではなく「N尾さんに会いたくて」やってきているのです。
祭壇に飾られたN尾さんの写真は、まだふっくらとしていた頃の写真で笑顔がとびきり素敵でした。
でもそこにある棺の中にN尾さんが横たわっていることが信じられなくて
これは夢では?と思ってみたり、写真を見る度に、「N尾さんは亡くなったんだ」と受けとめたり。
お焼香が近づくと、もうN尾さんに会って笑ったり相談したりできないんだという現実を突きつけられ、また涙が溢れて頭の中が真っ白になりました。
子供からお年寄りまで幅広いつきあいのあったN尾さん。会場は、まだ何が起きたのかよく分からない子供達の声や、嗚咽とすすり泣きが入り交じって、重く重く私たちに悲しみが広がりました。
告別式の後のいよいよ出棺というときに「最後に一目お会いしてお別れを告げたい方はどうぞ」という案内に、皆N尾さんに会ってお礼を言いたい、お別れをしたい思う人たちの波が続きました。
棺に横たわったN尾さんは本当に安らかな顔をしていました。
でも、N尾さんの生気を失った顔に、死という紛れもない事実を突きつけられたような思いでした。
花や手紙に囲まれて、N尾さんは旅立ちました。
いよいよ出棺のとき「N尾さんが、N尾さんが、N尾さんが行っちゃう!!」とう号泣が耳に残っています。車を追うように皆泣き崩れました。
N尾さんという、こんなすごい人に出会えたことに感謝です。
N尾さん、天国でも忙しく過ごすのかしら?
いえいえ、天国では人のお世話ばっかりしないで、ゆっくりして下さいね。
何十年か後には仲間皆そちらへ行きますので、また一緒に活動しましょう。
それまでしっかり私たちのことを見守って下さいね。
私達もN尾さんを見習って「前向き」に生きていきますから。
N尾さん、心から「ありがとう。」そして「お世話になりました。」
私は2月7日、Nさんが亡くなられた時間のころにNさんの夢を見ました。
私「Nさん、腹水少しとれたんじゃない?」
Nさん「そ~~なのよ。少しだけどね。楽になったのよ。」
私「そっか~~。良かったですね~~~。」
ただ、それだけの会話でしたが、N尾さんとお話が出来ました。
N尾さん、最後に会いに来てくれてありがとうね。
N尾さんのこと絶対に忘れないからね。
天国でも楽しく過ごしてね!
感謝を込めて。
まりひんより。