白隠和尚のブログ

今日より明日が幸せでありますように。好奇心旺盛な70代のブログ。

もう 家に帰りたい

2017-04-13 23:29:46 | 病気の話

[毎日、点滴を2本投与している]




6日目、今日から加入保険の入院保険金の支払請求が出来るらしい。
前回入院した時は4日目からだったのに・・・

自宅付近では一人暮らしの我が家のガレージに車がないので
ご近所さんが心配しているだろうな。
ゴル友のやツさんも私からの誘いをさぞや気を揉んで待っているだろうし、
弁当屋の伯母さんも冗談を言い合う相手が留守では退屈していることだろう。

それもこれもみな肺炎のせいだ。肺炎が悪い。

肺炎の病状は余り芳しくない。入院したときの激しい疲労や息苦しさは減って随分楽になったが、
退院の目処とされる血中酸素の値が入院しときと余り変わらないのだ。
目下のところ一進一退、微速前進といった感じだ。

依然として病室から出して貰えない、シャワーもダメだから
だんだん自分の体から異臭がするようで憂鬱、
病室の壁を見、天井も、窓枠で四角に仕切られた青空も見飽きた。
あと何日この闘病生活に耐えねばならないのかと思うと気分も塞ぎ勝ちである。

戯れに看護師さんに「他にも肺炎患者はいるの?皆さん元気になって退院して行きますか?」と聞いてみれば
「和尚さんはまだ若い方だから大丈夫ですよ」と
大丈夫でない人も居るみたいな意味深長な答えが返ってきた。

市内のセレモニーホールを名乗る会社から電話もきた。
「和尚さんですか」と私を知っているような口ぶりに思わずガチャンと電話を切る。
どうして葬儀社が私を知り、入院中の私を知っているのだろう。
ヤミルートで重病人のリストが出回っているのかと思わずテレビドラマを想像してニャリ。

娘が顔を見せてくれたとき始めて笑顔になれる。
娘は毎日来る。私は毎日来なくてもいいよと口では言うものの、
顔には別のことが書かれているようだ。

娘は病室に入ると「どう調子は」と声を掛けた後は親娘に格別の話題もない。
娘は私がうたた寝を始めるとゴミと洗濯物下げてこっそり帰って行く。
女の子ががいて本当に良かったと思うひとときである。

帰りたし住み慣れし我が陋屋へ 。 帰心矢の如し、三食付きだよ、どなたか替わってくれませんか。


お わ り


病室で闘病生活を楽しむ

2017-04-13 20:40:27 | 病気の話

[最初に食べた病院食]


病室に入ると早速患者衣に着替えさせられたが
私はすぐ退院するつもりだから気楽なもの。
そうこうするうちに看護師は私の体に心電図計測機器を下げたり、
腕に点滴用の針を埋め込み、更に酸素吸入用のチューブを鼻に差し込んだりして、
私は見事に肺炎治療中の患者に変身した。


この格好で毎日、午前と午後に抗生剤の点滴を投与されるのである。
先生は私の検査数値が良くなるまで病室から出さない、
風呂もダメと周知したので、
私は廊下に一歩も踏み出せない重病人の扱いを受けることになった。
例えば隣の洗髪場に行くにも
酸素ボンベの付いた車椅子を使うと言われて私はだんだん不安になっていった。

部屋から出られないと決まれば病人の楽しみは食事とテレビしかない。

病院食はご飯は美味しいけど、
お惣菜は野菜が中心の献立で貧弱な物。
私はカボチャやさつま芋では元気が出ない、
もっと体に良くないものを食わせろと心中吠えた。
幸い、娘が気を利かせて[梅とフリカケ]を差し入れてくれたからいいが兎に角不味い。

テレビがまた怪しからん。私の好きなBS系が全く写らないのだ。
食事が済んだら見るものがないのである。

肝心の肺炎の方は回復傾向に向かっているらしいが、
先生も退院の目処は立たないらしい。
肺炎はそれくらい先の読めない難病と言うことだろう

早く退院して太陽の下を歩きたい。今、それが最も切実な願いである。


お わ り