白隠和尚のブログ

今日より明日が幸せでありますように。好奇心旺盛な70代のブログ。

旅友 ミー子さんの旅便り

2018-09-14 11:46:18 | 旅行

ミー子さんからアフリカを旅した時の写真を送っていただいたのでその一部を紹介紹介します。彼女と私はトルクメニスタンツアーで知り合って以来、中国、ギリシャも一緒に旅行しました。
私はこの年になって若い女性とお近づきになり、一緒に海外旅行をする機会が訪れる幸運に巡り会えるとは思ってもいませんでした。
まこと旅はするもの、長生きするものと改めて感じ入っています。











写真を眺めているだけでアフリカ大地の野生がイキイキと伝わってくるようです。

老人よ旅に出よう 若さを喪う前に、驚きと感動を探しに 明日は定めなきゆえ・・・


お わ り


ギリシャ人気質 (かたぎ)

2018-06-17 15:33:24 | 旅行
〈機内食のコーヒー〉


アテネ最後の夕食はレストランだった。辺りは薄暗かったので9時頃、
店内は旧い楽器や肖像画で飾られるレトロな雰囲気の感じられるお店だった。


テーブルに着くと直ぐドリンク(有料)の注文の受付が始まり皆思い思いに注文した。ご馳走が運ばれて来るまでの口つなぎである。下戸の私はペットボトルの水だけ。
ところが時間が経ち、グラスが空になっても料理は一向に運ばれて来ない。店員は回りをしきりに歩き回っているがいつも手ぶらである。

1時間以上経ち、遂に誰かの堪忍袋が切れて「遅い、いつまで待たせるの!!」と抗議の声が挙がった。中には「ギリシャ人は公務員が多いから急がないのさ」と声も有ったが、もとより相手に日本語は通じないから
何をいっても埒が明かないのである。
我々は疲れているし、明日は帰国するばかりだから皆一刻も早くホテルに戻りたくてイライラは募るばかりである。

漸く夕食が運ばれて来たのは10時を過ぎてから


塩漬けの鱈に何かが添えてある。他に肉料理も出た。不覚にも食べるのに夢中でこちらは写真を取り損ねた。

夕食を済ませて外に出たのは12時頃(日本時間の朝6時)か。通りもテーブル席も人で溢れていた。現地のガイドさんの話では「シェスタ(昼寝の習慣)の習慣のあるアテネの夕食は8時を過ぎてから」だと言う。
私はレストランの料理がなかなか出てこない訳を知ったような気がした。


お わ り

ギリシャ旅行 ( 7 ) 最終日 パルテノン神殿へ

2018-06-15 10:00:16 | 旅行
今日でギリシャともお別れ、私達は午前中に世界遺産パルテノン神殿に向かう。


アクロポリスとは「高い丘の上の都市」という意味(初めて知った)。
目指すパンテオン神殿は小高い丘の上の中央付近に建っていた。





この門を抜けるとアクロポリスに入る

大変な数の観光客が奔流となって動いている。はぐれたら大変、スリにも気を就けて

エレクテイオン

パルテノン神殿。

紀元前432年に完成されたが、1687年の戦争によって破壊されて現在修復が進められている。
しかし、パルテノン神殿の歴史は知らなくてもその壮大な偉容と美しさはどの観光客は見とれ、カメラのシャッター音が鳴りづめである。

今度のツアーでは身体的に再三のピンチに見舞われたが持ちこたえた。
娘が用意してくれた杖がなかったらメテオラ修道院の階段を登リきることは絶対無理だったし、速く歩けない私を気遣ってくれた旅友・A子さんが大きな支えになってくれた。ありがとう。


ブロガーの皆さん 長い間の御愛読ありがとう

終 わ り

ギリシャ旅行 ( 6 ) エーゲ海クルーズ

2018-06-13 17:17:46 | 旅行

今日は待ちに待ったエーゲ海クルーズである。地図に記した3島を巡り
旅の疲れを癒した。





ギリシャの屋根はすべて橙色、ギリシャ色と云うべきか

イドラ島の砲台

上陸

路地

オープンカフェ


フエリー船内のミュージシャン、奏でる楽器はブルギ


ボロス島は下船のみ。次に上陸したエギナ島はサロニコス湾最大の島でアテネと覇を争った時もあったという。
聖ネクタリオス修道院

アポロン神殿

丘からアテネ市街を遠く眺める。良く晴れた日はパルテノン神殿が見えるらしい。



ギリシャ旅行( 7 ) さようならアテネ につづく

ギリシャ旅行 (4) ミケーネに入る

2018-06-12 11:04:16 | 旅行


カラブリタと云う町からテイアコフトという町まで登山鉄道に乗る。この間に見るべき観光地は無いらしいから、ギリシャの列車の乗車体験だった。この列車の軌道が狭く見えたので不思議に思っていたら終点について納得、この列車は当初鉱物運搬用として敷設されていたのだ。







[ミケーネ遺跡]

この遺跡の年代は3600年前だという。ドイツのシェリーマン
(1822ー1890、幕末の日本も訪問している)というアマチェアが発掘したのでその真偽を巡って学会に大論争が起きたらしい。
〈アトレウス宝庫〉


内側の高さ13,4m、直径14,5m、石積みが32重ね。3200年経た今も崩れない精巧な建築技術だという。


近くの丘の上に城塞があり

獅子の門

円形墓地もある。(説明は専門的過ぎて観光気分は消えていた)


さらに上には見所があると聞いたが私は今日も余力なし。一人下山した。
アテネに向かう道筋のコリントス運河というカメラスポットでパチリ、
今夜はアテネに泊まる。旅の終わりが見えてきた。


ギリシャ旅行 ( 6 )につづく