テレビドラマで簡単に泣いてしまうのに、現実の世界では身近な人が亡くなっても実感がわかず、ぼんやりとするばかりで、精神的に欠陥があるのかと思い始めている。
友達からの電話でお見舞いに行った日、12階の大きな窓から富士山が見えると聞いた。
その日は雲が多くて見えなかったから、じゃあ一週間に一度訪ねるね、富士山見に来るよと私は言った。
だから次の金曜日の5月15日に電話は無かったけれど、行くことにした。
本来の面会時間は14時かららしかったので、その時間に着くように行き、面会受付でまたしても面会証が無いとダメと言われたけれど、お母さんが来られないのでと言って、ナースステーションに連絡を取ってもらい、どうにか入る事が出来た。
病室へ行くと彼女は口を開けて寝ていた。
どうしようか慌てたけれど、しばらく休憩室で時間を潰そうと思った。
少しして部屋へ行くとちょうど看護婦さんが定期的な検査に来ていた。
終わるのを待って、いざもう一度入ってみると、先ほどと同じ状況で寝ているように見えた。
すぐに廊下にいる看護婦さんに聞いてみると、既に水曜日くらいから何も食べてないそうで、意識はあると思われるので話しかけてあげて、と言われました。
土曜日の元気な姿から一転、どうしたら良いのかわからず、一方的に話した。
この前来たときに、もしも亡くなったら絶対会いに来てね、私は死後も世界があると信じたいからと
彼女がいつもと変わらずに接してくれるのを良いことにこんな事を言ってしまった。
彼女はえー、魂になるの?なんて返してくれて、どんな姿になるのかわかるの?みたいな話になったから、じゃあ次は何になりたい?って聞いた。
彼女は割とすぐに葉っぱになりたい。て答えた。
だからその日、私はどの葉っぱになるのかを聞かなければと思っていた。。。
彼女のまだふっくらとした手がそこにあり、握りしめようかものすごく悩んだ。
でも、コロナの状況下、躊躇してしまった、、、
あまり、言葉が思い付かず、5分くらいで部屋を出てしまった。
と、白衣の女性が私に近づいていらした。
精神的ケアを担当されてる方で、廊下の角の椅子でしばらくお話をしました。
その先生はもしもの時に連絡先として加えてくださろうと婦長さんに電話してくれていた。
しばらくして、二人の看護婦さんがやって来た。
そして、この状況下ではもうこちらへは来ないで欲しいということでした。
3人に見送られ、12階をあとにして、また歩いて帰りました。
絶えず、痛み止めを注入されているとはいえ、意識があったのかなかったのか、彼女の急激な変化にどう考えていいのかわからなかった。
けれど、その5日後の20日にいとこのお姉さんから電話があり、彼女が亡くなった事を聞いた。
痛みに苦しむことなく、眠れたのならそれは私もそうしたい。
でも骨と皮になるわけでもなく、亡くなってしまうなんて、、、
あんなに普通に喋っていたのに、僅か5日で、、、
まとまらない頭、実感のわかない心。
10人までしか参列出来ないとのことで、同期3人で26日朝の9時からの葬儀に行きました。
お棺の中の彼女はやはり痩せた感じはなく、笑顔に見えました。
でも、まだ病室で暮らしている気がしてならない。
毎日毎日彼女の事を思う。
外へ出れば至る所の葉っぱに声をかける。
私に彼女が見えないだけなんだろうか。
まだもうちょっと待たなければいけないのだろうか。
考えがどこにも辿り着かない。