いつだったかさくパンを見に行った時に、若いパントマイミストさんが演じるものがどういう動きをしているのか掴めず、シュチエーションさえも理解できずに見ていたら、まわりがどっと笑うことがあった。
その時にパントマイムは自分の想像力と経験が豊富でないと置いて行かれるような、
自分を試されている気がした。
その後いろんな人の大道芸の中でパントマイムを見ているうちに、美しい動きをする方に心を奪われ、操り人形になれるタイプの方が好きだと思った。
川崎シネマ大道芸で竹ちゃんさんがパントマイムには波流みたいなものがあって、心象風景を表現するタイプとモノやらが存在するように見せるタイプがあるという話にすごく納得が入った。
短い時間で次々と演じられる今日のプログラムでも、一生懸命見ようとストーリーをわかろうとするのに入り込んでいけなくて、眠くなってしまうことも正直あった。
細かい部分はわからなくても、なんとなくわかっていくストーリー。
ストーリーがなくても動きに見惚れることもあるかもしれない。
美しくてピエロのような風貌でそれだけ切り取ったら好みだとしても、動きが加わった時に演じる世界が見えてこなかったり、動きや表情にキラリと光る何かを感じないと入っていけなかった。
かたや、ダンサーのように動きのある人が居て、何かを揺さぶられた。
目に見える動きだけにこだわるか、心のままに(表情を豊かに)動いて気持ちを表すのか。
みぎわさんは歌もあるけれど、存在感が圧倒される。
ちょうちょを掴もうと奮闘する動きや表情がなんともはやステキで可愛かった。
ただ居るだけで笑いを起こす登場シーンもあり。
無意識に出る動き、身についている動き、内なるものがつい出てしまうのなら、怖いものだよなぁと思う。