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チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

おなかの中の寄生虫

2016年07月11日 | 日々のこと

雨、29度、87%

 今でも日本は小学の低学年で検便が義務づけられていると聞きます。私が小学に上がったのは昭和30年後半、大きめのマッチ箱入れて検便を学校に持って行きました。結果はギョウ虫がいるとのことでした。私が育ったのは福岡の町中、通っていた学校は私学でひと学年ひとクラスの女の子の学校でした。小中高と続いているその学校で私一人がギョウ虫がいたのだそうです。確かに食が細くて、小さくて青白い子でした。虫下しをのんで退治でもしたのでしょう。ギョウ虫がいた記憶などありません。ただ、母がギョウ虫が学校中で私一人だったことを恥ずかしく思ったので、その後も繰り返し繰り返し「恥ずかしかった。」と言いました。

 それから20数年後、息子は東京の住宅街の公立小学校に入学しました。息子の時の検便は、学校から持たされたプラスチックの容器に入れて持って行きました。結果は学年で二人ギョウ虫がいる子の一人でした。学校から指定された虫下しを飲ませて退治しました。息子はその虫下しがチョコレート味でたいそう気に入って飲みました。息子は私とは違ってよく食べましたし、身体も大きい方でした。私の実家も私の家も不衛生だったわけではありません。普通だったと思います。ただ強いていえば、実家にも我が家にも犬猫がいたことぐらいです。そして母親の私は息子にギョウ虫がいたことなど恥ずかしいとは思いもしませんでした。

 最近の検便の容器はどんなに衛生的になっているのかしらと思います。私たちが小さかった頃と比較するのは大間違いです。先月、モモさんがおなかを壊しました。お注射一本で治りましたが、長引くようなら検便をしましょうといって持たせてくれた容器が見出し写真です。犬の検便の容器だって洒落てます。使いそうも無いのでモモさんの耳拭きのコットンを入れています。

 親子二代ギョウ虫などをおなかで養っていましたが、ギョウ虫にも負けずに元気にしています。


香港で味わえる宇和島のハマチ

2016年07月10日 | 香港

雨、雷、26度、79%

 私のふるさとの博多(福岡)では、お雑煮の出しはアゴとブリでとります。残念なことに両親とも博多の生まれ育ちではないのでこれが本物の味というのは知りません。それでもアゴとブリでとっただしのすまし汁のお雑煮にかしわ(鶏肉)が入ればこれぞ博多のお雑煮です。

 出世魚と呼ばれるハマチは大きさによって呼び名が変わります。世界中で捕れる魚ではないらしく、日本の九州沿岸、南限はハワイの辺だそうで、ここ香港では魚屋に並ぶ魚ではありません。冬場の脂の乗り切ったブリの美味しさは格別です。お魚のお煮付けがあまり好きではないので、専ら塩焼きでしか食べません。分厚く切ったブリをじっくり火を通して、ホロリと身が口の中で崩れると、「あー、幸せ。」と感じます。

 大きさで呼び名が代わるブリ、最近では養殖物はハマチ、天然物をブリとも呼ぶそうです。50、60センチの小ぶりな物は日本から香港に運ばれて来ています。日系のデパートやスーパーでは切り身で売られています。ところがその切り身たるやブリジャブにするには厚すぎる、焼いたり煮たりするのは薄すぎる物で、いくら食べても食べた気がしません。日本に帰るとブリが食べたいが始まります。

 ここ数ヶ月、正真正銘のブリ(80センチ以上)がちょっと高級なシティースーパーで売られるようになりました。当初は大きいのが一匹、魚売り場のど真ん中に氷の上にのっていましたが、最近ではど真ん中に切り身で売られています。その切り身の厚いこと。日本的な塩焼きではなくグリル用の切り身です。

 昨日は、鰻を買いに出かけました。ところが何処を探しても鰻の白焼きも蒲焼きも見つかりません。お店の人に尋ねると、サーモンの横にあると教えてくれます。あるのはスモーク鰻だけです。そこで、鰻は諦めて魚売り場のブリの切り身を買うことにしました。

 これは宇和島で養殖されているハマチだそうです。 売り場横の小型テレビでは青い空の下宇和島でハマチが養殖されている様子が写し出されています。主人などはこのために日本酒をカゴに入れました。

 この二枚のほかにハラミを一枚買い求めました。三枚をスキレットでじっくりと火を入れます。やはりこの時期ですから養殖といっても脂の乗りは今ひとつですが、旨味は十分です。ハラミも思ったよりさっぱりと臭みがありません。量も充分。満足、満足。モモさんもたんと食べました。こんなおいしいハマチを日本から離れた香港で食べれるとは、冷蔵技術、輸送技術の発達のおかげです。

 こんな贅沢なお買い物、私のお財布では出来ません。たまの主人と一緒の買い物は、思いもかけず美味しいものを頂けます。これもおかげです。

 


アフリカンマイマイ 香港

2016年07月09日 | 香港

晴れ、30度、87%

 香港に来て、初めて飼った生き物はアフリカンマイマイでした。雨上がりの朝にでもなると道端の何処かしこに、日本で見るかたつむりとは色も形も大きさも違うアフリカンマイマイがウニョウニョいました。通常のもので6センチから8センチ前後、日本のかたつむりのように丸くはなくタニシを大きくしたような殻です。

 このアフリカンマイマイは非常に危険だと知ったのはつい数年前のことでした。このマイマイに毒性があるのではなく、マイマイの寄生虫が時には死に至らせる程の悪者なのだそうです。その事を知った時にはそれはそれはびっくり仰天。なぜならば、30年程前に飼っていたばかりではありません。朝走る道には夏中、このマイマイが道を這っています。一匹や二匹ではありません。よく前を見ていないと踏みつぶします。心ないジョガーはバリバリ踏んで行く程いました。道の真ん中を這っているマイマイを見つけると道の端に逃がします。「マイマイの国の王様に表彰されてもいいわ。」などとうそぶく程このアフリカンマイマイを触って来ました。今考えると、よくその悪い寄生虫を貰わなかったものだと思います。脳神経を冒す寄生虫だそうです。

 日本でも南方の島、沖縄や父島などにはこのマイマイたくさんいるそうです。名前の通り東アフリカが原産で東南アジアではごく普通の繁殖力の優れたマイマイだそうです。しかも大きいので、食用に繁殖させている所もあると聞きます。脱け殻ですがゆうに20センチを超えるものを見たこともあります。もしもそれが這っている所を見たら、やはり仰天です。

 ところがこの10年で香港の我が家の周辺のアフリカンマイマイが減りました。この夏はまだ10匹程しか見ていません。雨上がりの側溝を行列していた頃が懐かしくなる程です。10年程前、朝早く大きな缶を携えてこのマイマイをとりに来るおばさんがいました。気が付くとセントラルの市場で身体に良いといって売られていることもありました。そればかりかフレンチのビストロが大いに店を増やし始めた時期です。エスカルゴの代わりにこのマイマイを出しているなどと実しやかに言われていました。真偽の程は分かりません。

 香港島のこの一帯だけにマイマイがいなくなった訳ではないと思います。香港は岩盤地質でよく土砂崩れが起きます。そのために護岸工事をします。そのとき使う土は中国から運ばれて来ているそうです。このアフリカンマイマイに代わって最近見られるかたつむりがいます。日本のかたつむりに色も形も大きさもほぼ同じです。少し無愛想に見えるのはこの私だけでしょう。沢山いるわけではありませんが、この香港にとっては新種のかたつむり、おそらく中国の土と一緒に運ばれて来たのではないかと思います。これは私の推測です。

 このアフリカンマイマイ、戦時中は南の島での良い食糧だったようです。火を通せば寄生虫も死んでしまうのでしょう。かたつむりが好きな私は、決してエスカルゴを食べません。


七夕様は友人の誕生日

2016年07月08日 | 日々のこと

晴れ、28度、86%

 昨日は朝からNHKワールドで「七夕」と盛んに言っています。2020年の東京オリンピックを前にNHKワールドでは日本の様々な行事を紹介しています。香港、昨日も快晴、夜には星が見えるなあと思います。

 昼前またしても耳にした「七夕」、途端にあっと思い出しました。永い友人K子さんの誕生日です。長い付き合いなのに彼女の誕生日が7月7日の七夕様だと知ったのはつい数年前。今年はすっかり忘れていました。私の誕生日にはスピードポストでカードを送ってくださいます。ぴったり誕生日に届きます。

 買い置いてあるカードを出して来て、今からスピードポストで出しても間に合わないし、電話もメールもお誕生日祝いには使いたくないし、自分が忘れてたことが悔やまれます。お誕生日当日に書くバースデーカード、手元に届くのは数日後です。なんだか虚しい気持ちです。

 K子さん、織り姫ではありませんがチクチクと針を持つ手を思っています。それこそ機織り機のような大きなパッチワークの枠を部屋一杯に張ってのチクチク姿は真剣そのもの。私は女性が手仕事に打ち込む姿が好きです。ミシンであれ針であれ、手を使って無心にものを作り上げて行くその姿が好きです。ひとつの事を永年続けると手の動きまでもが美しさを持ってきます。3月に会った時には、彼女の手にやはり目がいきました。背の高い彼女の手はチビの私の手よりも細く指の長い手です。

 カードを出し忘れたばかりに昨日はK子さんのことを一日思っていました。パグの歩みのようにゆっくりと飛行機に乗ってカードはそちらに向かっています。お待ちください。

 夜は香港のイルミネーションの上に星が輝いていました。織りを趣味とする別の友人が手染め手織りのマフラーの写真を昨日アップしていました。いつか織り機を操るその友人の姿を見たいと思います。星を見ながら、いい友人に恵まれたものだと一人一人を思い浮かべました。


香港のリンゴの木

2016年07月07日 | 日々のこと

曇り、27度、88%

 私は九州の福岡の生まれ、育ちです。要するに南方、リンゴが木になっているのを見た事がありません。テレビの映像では見ています。それを実際に見たと思い込みかねない、けど、見た事がありません。リンゴは北国の果物です。その反対にみかんは南国の果物、福岡から西に車を走らせれば玄界灘を見渡せるミカン山があります。5月にでもなれば白い花をつけて辺一帯、柑橘系の花の甘い薫りが拡がります。もちろん小さい頃は知人の家でみかん狩りをしました。みかんを傷つけないようにどの辺りから枝を切るのか知っています。

 香港は一年中リンゴもオレンジもあります。リンゴは秋から春にかけては北半球アメリカ、フランスから入って来ます。春からは南半球、オーストラリアが主流です。毎日リンゴを欠かしません。フランスから入って来るガラ種の小ぶりなリンゴは半分に切ると種から根が出ています。種を見ると土に植えたくなります。毎年その根の出た種を小さな鉢に蒔きました。必ず芽が出ます。必ず5センチ程は伸びてくれます。そしてある日急に元気が無くなって枯れてしまいます。それを毎年毎年凝りもせずに続けて来ました。

 2年前にまいた3つの種、どれも10センチ程まで伸びました。秋に蒔きます。昨年の夏は家の中の陽当たりのいい所に取り入れました。我が家は夏中、クーラーが付いています。少しでも北国環境を作ってやろうと思います。年が開けてぐっと気温が低くなった頃、外の出窓に出しました。そして5月も終わる頃、また家の中にいれました。その時分、3つのうちの2つが葉をすっかり落として枯れてしまいました。1本だけまだ元気です。細い細い幹です。20センチはあります。 古い葉っぱの間から新芽が開きました。

 日本よりずっと南の香港です。リンゴの木なんてないと思います。随分以前に花市で日本の姫リンゴの盆栽を売っていました。欲しいなと思いましたが、リンゴは北国のものだと諦めました。

 「私は真っ赤なリンゴです。お国は寒い北の国。」で始まる「リンゴのひとりごと」という童謡があります。私が小さい頃には、リンゴは木箱に籾殻の中に入れられて寒い北国から送られて来ました。籾殻からのぞく赤いリンゴの様子が忘れられません。東京にいた時分もリンゴの木を見たことがありません。商業価値のあるリンゴの南限は茨城県だそうです。いつかはリンゴが木になるのを見たいものです。

 我が家のフランスのガラリンゴから芽を出したリンゴの木、細い細いリンゴの木です。この夏も暑い香港の家の中でクーラーで涼みながらリンゴは育ちます。


ワンピース

2016年07月06日 | 日々のこと

雨、雷、28度、94%

 町を歩いている女性のワンピース姿が目に付くようになりました。日本より南の香港では長い夏に入りました。暑いばかりか湿度が高いので、女性はどんどん薄着になります。短いパンツにノースリーブ、夏でもスパッツ姿も見られます。中華服の流れを引いていますからズボンを夏場もはくのは香港では当たり前のことです。それがGパンに変わり最近は短いパンツ姿が主流です。もちろんリッチなマダム達はあのチャイナドレスやそれをアレンジしたツーピースに身を包みます。

 短いスカートも短いパンツもそれなりに涼しげです。でも、シャッキと腰のある木綿のワンピースを着ている人を見るととても好もしく思えます。ノースリーブでも短い袖が付いていても全身同じ柄で包むワンピースは日本の着物に何処か似ています。ワンピースを着ると不思議に女らしい気持ちになります。スカートを履くのとはまた違います。そう思って洋服ダンスを除くと私は4枚しかワンピースを持っていません。3枚はノースリーブ、1枚は短い袖が付いています。冬用の長袖のワンピースは一枚も持ちません。背の低い私には長袖のワンピースは重苦しく見えます。

 母は長袖のシルクのワンピースを幾枚も持っていました。どれもジパンシーのものです。母と私サイズは殆ど変わりません。でも着ないものどんな高価なものでも不要です。3年前に全部捨てました。その頃ののブログにも書きましたが、そのワンピースに合わせて帽子も作っていました。ピンクのシフォンの帽子までありました。こちらも全部捨てました。私には似合わない服や帽子ですが、母もあの服を着るときっと女らしい気持ちになったはずです。

 ワンピースを着るのを頭の中で思い描くとき、多くの人もそうでしょうが、亡くなったケネディ夫人ジャックリーヌやオードリーヘップパーンを思い浮かべます。映画の上でのオードリーではありません。私生活でのオードリーのワンピースの着方のさりげなかったこと。公の場ではなく母親としてのジャックリーヌのワンピース姿は、なんとも品が良かったことか。そんな思いを持って40年、ワンピースひとつ雰囲気を持って着こなすまでには至りません。それでもワンピースを着ると、靴を少し甘い感じのものに履き替えます。この夏はワンピースを着る機会を増やしましょう。


中国のキューピーマヨネーズ

2016年07月05日 | 香港

雨、雷、26度、94%

 香港の地元のスーパーマーケットで日本製のお醤油、ごま油、わさびが買えます。お醤油、胡麻油は中国人もよく使う調味料です。日本製のお醤油、胡麻油の品質の高さが値段の高さより売られる理由です。わさびは鮨の流行が原因です。そして、お醤油、胡麻油よりもどんな食料品店でも置いてあります。昔は日本の調味料は、日系デパート、スーパーでしか手に入りませんでした。

 今でも、日本の物は高値です。お金がなかった昔はキッコーマンのお醤油はシンガポール製を使っていました。地元のお醤油は煮物に使うには癖があります。お味噌は日本のものを買うしかありません。ケチャップはマレーシア産のデルモンテです。マヨネーズもアメリカ産のベストフードのものを使っていました。海外に住んでいる日本人なら誰もが経験するこうした遣り繰りです。日本の普通の食事を作るためには工夫します。中華圏ならお米もお醤油もあるのでまだ楽な方だと思います。

 キューピーのマヨネーズが地元のスーパーの棚に並んだのはもう随分前のことでした。200gぐらいの小さなチューブ入りです。あらっ、と手に取りました。裏を見ると中国製です。今では日系のスーパーに行くとマヨネーズは日本並みに揃っています。ハーフカロリー、減塩何でもあります。味の素のマヨネーズが我が家の定番です。

 キューピーの瓶入りマヨネーズが近くのスーパの棚に並びました。私が小さい頃はチューブではなくてこのちょっと太めな瓶入りでした。懐かしいなあ、いつか買おうと思います。日本製に比べるとずっとお安い中国製のキューピーマヨネーズを先日求めました。お味は、うわさに聞いていたように甘めです。中華圏の人たちは野菜を生で食べる習慣がありません。中国のキューピーはこの味を作るのに工夫したと聞きます。現在中国に3カ所工場があるキューピー、最近ではドレッシングも作っています。香港に入って来るのは杭州の工場生産のものです。

 甘すぎるから食べ上げれるか心配なマヨネーズ、昔ながらのすっきりしたこの瓶のスタイルは見ているだけ十分です。小さなゴムベラを使えば最後の最後まで食べられます。

 


パグの待ち針

2016年07月04日 | 日々のこと

曇り、28度、86%

 一週間程前のことでした。友人が私が喜ぶものを見つけたと言ってきました。「なあに?」と尋ねると、「待っててください。」とお返事です。何だろうと思いながらすっかり忘れていました。

 土曜日の昼下がり、ピンポンとドアベルが鳴りました。あれ、やたらに早く主人が戻って来たと思ったら、郵便屋さん。手には小さな小包です。彼女からです。私が喜ぶものって何かと急いでビリビリと荷物を開けました。

 お手紙に「小さなモモさんを見つけました。」とあります。小さな小袋に入っているのは青い鳥と小さなパグの待ち針でした。お米粒2つ程の大きさのパグです。

 よく京都のお土産物100選などにのっている「みやす針」です。桐のお裁縫箱でも有名ですが、ここの針は優れものと聞きます。海外に住んでいると、みやす針どころか日本の針は優れているとつくづく感じます。早速、刺繍用の針山にさしてみました。可愛い顔をしています。女性の方が一人で手作りだそうです。量産品ではありません。同じパグでも一つ一つお顔が違うそうです。ルーペ片手に友人は選んでくれたのかなと思います。可愛いので使えません。と思っていると刺し違えたとき、咄嗟にこの待ち針で糸を抜きました。華奢な作りです。壊しては大変。

 小さなモモさんは針山の上、 大きなモモさんは私の膝の上です。

 


友人の1周忌 返って来た本

2016年07月03日 | 日々のこと

曇り、28度、84%

 一年前の夕方、福岡の繁華街を歩いていました。暑い日でした。人ごみの中で電話が鳴ります。発信者の名前からその電話が何を伝える電話なのか直に悟りました。私より若い友人が逝って一年が経ちました。

 幾度か危ない状態を過ごし、家族とともに夕食に出かけた友人とご主人の写真を見たのはその少し前のこと、もしかしたらこのまま乗り切ってくれるかもしれないと思っている矢先のことでした。最初の病気の発症から既に5年近く経っていたでしょうか、最初の手術の後は元気に仕事にも復帰しました。私が彼女とほんとに親しくさせてもらったのはこの病気の発症後のことです。気丈な彼女は病院も入院も手術も一人で決めました。ご主人が出来ないことで、この異国の香港で何か直ぐに手助け出来ればという思いでした。彼女の健康状態を掴むのは、FBです。2日でもFBのアップが無いと電話をします。低いくぐもった声が彼女の特徴でした。仕事にも戻り、もう大丈夫ねとよく食べる彼女を見て思いました。我が家で女ばかり集まった時などお酒もしっかり飲んでいました。

 2度目の発症はお仕事でも辛い時期があった後でした。精神的なものかもしれないねなどと話していたことが悔やまれます。若い身体を病気は勢いよく蝕んでいました。日本での治療を決める前から遣り取りはメールになりました。最後に会ったのは、ピカソの陶磁器の展覧会が香港大学の美術館で開かれていた時ですから、亡くなる一年前のことです。ピカソが好き、スペインが好きな彼女でした。

 私より歳が上の方が亡くなるのは、この年齢ともなると受け入れることが出来ますが、若い方が亡くなるのはどうしても実感が湧きません。ご遺族のご厚意で彼女の料理の本は私が頂戴することになりました。年の瀬も押し迫った昨年の暮れ手にした数冊の彼女の本でした。本を開くのに深呼吸をしました。彼女の知らない部分を見てしまうような気持ちの引けがありました。数冊の本の中に「おすそわけ おふくわけ」という本があります。あれ?この本、私が彼女にあげた本です。

 日本からのお土産物で多く頂戴したもの、日本の家族から送られて来たもの、彼女と私はよくこうした品を物々交換していました。「日本茶が一杯あるけど、助けて。」と電話すると「ちょうど実家から荷物が届いたばかりです。」と美味しい松の葉こんぶなどを持っ来てくれます。交換場所は彼女の家の地下鉄の駅、プラットフォームのこともあれば改札のこともありました。時には近くでお茶をしました。今考えると、この本の題名通りです。「おすそわけ おふくわけ」

 彼女が残してくれたのは本ばかりではありません。生前から存じてはいましたが、彼女のご姉妹と今では懇意にさせて頂いています。これもまた彼女が私に残してくれた大きな置き土産です。

 いま、彼女は香港の海とご実家のお墓で眠っています。今朝は走りながら、海に手を合わせました。ちょうどビクトリア湾をはさんで対面は彼女の家のある辺です。まだ、お墓に参っていません。時間が出来たら行くからね。 今日の朝焼けは、彼女の家の辺を赤く染めていました。

 


7月1日は中国返還記念日

2016年07月02日 | 香港

雨、27度、88%

 19年前、香港はイギリスから中国に返還されました。イギリスの統治下と現在と何が変わったのかと思います。イギリス人の高官がいなくなって、確かに中国寄りになっていますが、住んでいる人たちに何ら変化が見られません。返還前、まるでなにかに憑かれるようにカナダやオーストラリアへ移住して行った人たちもその土地での市民権を得るや香港に帰って来ていると聞きます。香港人は逞しい、そう思うのは私ばかりではないはずです。昨日の新聞で、中国に返還されたこと、つまり中国籍を持ったことを好もしく思っている香港人は3分の1にも満たないと書かれていました。この人たちを側で見ていると、確かにそう思います。自分たちは中国人では無いという意識が何処そかに見え隠れしています。よそ者の私等から見れば、中国人も香港人も同じですが、頑として自分たちは香港人なのです。善し悪しは別として、私はそういう香港人が好きです。

 ありがたいことにこの香港にイギリス統治下から30年近く住んでいます。狭い土地に何らかの活路を見つけて生活していく香港人、住む所は香港ばかりではありません。ここがチャンスと思う所に自由に動きます。おそらく海外留学をする人は日本より多いかもしれません。イギリス統治下であったばかりでなく、こういう海外経験の多い香港人は、明らかに中国人とは違うかもしれません。そうはいっても中国の近年の経済成長力には追従しています。

 私が香港に来た当初は、日本が好景気の時代です。日本人観光客が旗を立てて団体でやって来た時代です。当時は、有名ブランドのお店は、日本人向けの商品を揃えていました。日本のゴールデンウィークの前ともなると商品の品揃えが良くなります。今や中国人向けの品揃えです。有名ブランド自体が中国を意識した商品を作っているようにすら感じます。そういう旗色を読むのは得意な香港人、この土地が面白い歴史を持っているのと同じように住んでいる香港人も面白い気質の持ち主です。

 30年近く上り続けている香港島東のマウントパーカー、昨日早朝の景色です。 九龍半島東側のこの景色は昔とは違います。山の緑が美しく、海鮮料理で有名なレイユウムンに行くのも小舟でした。それが今では高い高いマンションが建ち、道路が張り巡らされています。 南シナ海を望むこの景色だけは変わりません。いろいろな思いを胸にこの山に登り、この南シナ海の拡がり行く景色に心を洗われました。昨日は、上る途中で大雨、この後ズカッと晴れ上がりました。

 見出し写真は香港島の中心部です。ビルの高さは上に上に伸びています。マカオに向かうフェリーが小さく見えます。長く住んだもんだわ、と大きく深呼吸をします。結局、外面は変わっても、土地も人も変わってはいないのだと妙な安心感が胸に拡がりました。