曇り、28度、84%
一年前の夕方、福岡の繁華街を歩いていました。暑い日でした。人ごみの中で電話が鳴ります。発信者の名前からその電話が何を伝える電話なのか直に悟りました。私より若い友人が逝って一年が経ちました。
幾度か危ない状態を過ごし、家族とともに夕食に出かけた友人とご主人の写真を見たのはその少し前のこと、もしかしたらこのまま乗り切ってくれるかもしれないと思っている矢先のことでした。最初の病気の発症から既に5年近く経っていたでしょうか、最初の手術の後は元気に仕事にも復帰しました。私が彼女とほんとに親しくさせてもらったのはこの病気の発症後のことです。気丈な彼女は病院も入院も手術も一人で決めました。ご主人が出来ないことで、この異国の香港で何か直ぐに手助け出来ればという思いでした。彼女の健康状態を掴むのは、FBです。2日でもFBのアップが無いと電話をします。低いくぐもった声が彼女の特徴でした。仕事にも戻り、もう大丈夫ねとよく食べる彼女を見て思いました。我が家で女ばかり集まった時などお酒もしっかり飲んでいました。
2度目の発症はお仕事でも辛い時期があった後でした。精神的なものかもしれないねなどと話していたことが悔やまれます。若い身体を病気は勢いよく蝕んでいました。日本での治療を決める前から遣り取りはメールになりました。最後に会ったのは、ピカソの陶磁器の展覧会が香港大学の美術館で開かれていた時ですから、亡くなる一年前のことです。ピカソが好き、スペインが好きな彼女でした。
私より歳が上の方が亡くなるのは、この年齢ともなると受け入れることが出来ますが、若い方が亡くなるのはどうしても実感が湧きません。ご遺族のご厚意で彼女の料理の本は私が頂戴することになりました。年の瀬も押し迫った昨年の暮れ手にした数冊の彼女の本でした。本を開くのに深呼吸をしました。彼女の知らない部分を見てしまうような気持ちの引けがありました。数冊の本の中に「おすそわけ おふくわけ」という本があります。あれ?この本、私が彼女にあげた本です。
日本からのお土産物で多く頂戴したもの、日本の家族から送られて来たもの、彼女と私はよくこうした品を物々交換していました。「日本茶が一杯あるけど、助けて。」と電話すると「ちょうど実家から荷物が届いたばかりです。」と美味しい松の葉こんぶなどを持っ来てくれます。交換場所は彼女の家の地下鉄の駅、プラットフォームのこともあれば改札のこともありました。時には近くでお茶をしました。今考えると、この本の題名通りです。「おすそわけ おふくわけ」
彼女が残してくれたのは本ばかりではありません。生前から存じてはいましたが、彼女のご姉妹と今では懇意にさせて頂いています。これもまた彼女が私に残してくれた大きな置き土産です。
いま、彼女は香港の海とご実家のお墓で眠っています。今朝は走りながら、海に手を合わせました。ちょうどビクトリア湾をはさんで対面は彼女の家のある辺です。まだ、お墓に参っていません。時間が出来たら行くからね。 今日の朝焼けは、彼女の家の辺を赤く染めていました。