曇り、23度、89%
実家の整理をしたのはほんの4年ほど前のことでした。もっと昔のような気がします。整理整頓、掃除すらしなかった母の後片付けでした。埃まみれになりながら、途方に暮れたことが何度もあります。何を残すか捨てるかではありません。あまりの量の多さです。一体どれくらいの量のものを捨てたのか未だによくわかっていません。分かっているのは残した物はほんの僅かだということです。
日本の家には、私たちの家の物が運び込まれています。家に染み付いた匂いが、玄関を開ける度に変わってきています。私たちの本や家具たちの匂いが、家の匂いよりも強くなってきました。やっと私の家になったような感じです。実家のもので残したものは大きな物ばかりです。母の衣類一切ありません。食器も当座使う物だけで、これまたもうしばらくすると処分するつもりです。そんな中思いがけないものを見つけることがあります。
印鑑が山ほどありました。母の実印が必要な事柄は全て完了しています。印鑑の山を全て捨てるつもりでしたが、ぱっと目についた印鑑がありました。取捨選択しているときにいちいちじっくり見ている暇などありません。ぽいと残しておく方の箱に入れました。それっきり忘れています。先日はこの箱の隅にその2つの印鑑を見つけます。この二つだけを取り残した時の自分の気持ちが蘇りました。
木の素材の蓋がしてあるのは今でもよくある社印です。 ところがアルミの凸凹のしかも3センチほどの印鑑入れを開けると、これまた小さな木の印鑑が入っていました。しかも紐の先にはサイコロです。粋です。洒落てると思います。小さな文字を読むと私の旧姓だけ彫られています。今でいう訂正印かしらとも思います。でも違うなあ。この2つの印鑑は父のものです。何に使っていたのやら、聞くすべがありません。
主人がある時言いました。「お前、よくここまで捨てたなあ。」はい、よく捨てました。でも、こんなちっぽけな印鑑、縁側の下の植木鉢、家の梁の傷跡、やっぱり私が育った家がそこかしこに残っています。これが家を続けていくという事かしらと思います。