谷川流『涼宮ハルヒの分裂』と機本伸司『スペースプローブ』に
『藤原』
『橘』
が共通して登場したり、
谷川流『涼宮ハルヒの陰謀』に
『鶴屋山』
が登場したのに対して、
機本伸司『メシアの処方箋』に
『尾上』というヤクザの私有地の城が建ってる『山』
が登場して、『鶴屋』も『尾上』も『歌舞伎』関連の名字繋がりだったり、
谷川さんと機本さんは同じ『兵庫県』出身作家なので、
お互いにキャラや事件設定を引用し合ってる可能性はあるんじゃないか?とか書いて来ましたが…
谷川作品に
『世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団』=『SOS団』
が登場するのに対して、
機本作品に
カルト宗教『SoulOriginService』=『SOS』
が登場してるのが『善悪交替』になっていて面白いですし。
この辺が『佐々木団』登場の元ネタ??
同様に、
2010年、『ハルキ文庫』に機本伸司『神様のパラドックス』が入った時、
『上下巻』
で、2011年に『涼宮ハルヒの驚愕』も、
『上下巻』
という偶然。
コジツケ好きな私としては、
機本さんの『神様のパラドックス』に、谷川さんの『分裂』~『驚愕』が対応してるんじゃないか?
とか勝手に思っております。
そう勝手に決め付けて読んでゆくと、
『神様のパラドックス』は、
『量子コンピュータ』の計算能力でコンピュータ上に『解析神』を作ろう
という話なのですが、
量子コンピュータの略称が『Qコン』、愛称が『久遠』→『九曜』さんの元ネタ?
『天蓋領域』の元ネタの一つだと思われる『天蓋花=彼岸花』は、
『種』でなく『地下茎』で増えるので、
『Qコン→球根』
コジツケも可能ですし。
また、『神様のパラドックス』で、
ミレニアム問題の『P=NP』問題
(コンピュータに計算困難とされる問題も良く調べれば解決可能なアルゴリズムが有る筈だ、という問題?)
が話題になってるんですが、
物語中では、
『一方を幸せにすると、他方が必ず不幸になる二者択一の、両者を幸せにする』
という課題を実現しようとして『コンピュータ』が困る、という展開になるのですが…
『ハルヒ』で、『キョン』が、『長門』に、
『古泉』『みくる』『長門』の全員を守れ
と要求していて、古泉やみくるの話では、三者は必ずしも利害が一致するばかりじゃないので、
『神様のパラドックス』の『二者択一』どころではない計算不能になる危険があるんじゃないかと。
『分裂』で長門が倒れた原因は、叙述トリック(?)で『九曜』が原因とされてますが、
『キョンの実現不可能な要求が起こした動作不良が長門の倒れた原因』?
とか思うようになりました。勝手な話ですが。
『九曜』さんと『長門』が共生するには、こういうドンデン返しが有って欲しいと思ってるからですが。
『神様のパラドックス』に
『SS』
という『半獣半人型』の機械が登場していて、
ここで何度かコジツケしてきた『55=朝倉さんの部屋番号505』とコジツケると、
『SS→55→朝倉さん』?
また、ハルヒの『射手座の日』の『射手座=ケンタウルスのケイロン』で、
『ケンタウルス=半獣半人』
『半獣半人=朝倉さん=射手座』?
『ケイロンは不死身』=『朝倉さんは有機生命体の死の概念がわからない』
神話上では、
『ケイロン』は『毒矢の毒』で死ねなくて苦しいので、
親友の『プロメテウス』に『不死身』能力を譲って、死んで『星座』になった、
ということなので、
朝倉さん、誰かに能力譲って死ぬ???
(毒矢に相当するのは、長門がキョンに夢中だということでしょうか…?)
『神様のパラドックス』では、
『宇宙の全てが巨大なコンピュータの演算子で、我々の人生は誰かのやってる計算の過程』
という仮説が語られてるんですが、
『分裂』で『橘京子』が『女優』について語ってましたけど、
『分裂』~『驚愕』の世界で、キャラ達は『巨大コンピューター』の『演算子』にされちゃってるんじゃないか?
その『巨大コンピューター』の『計算』は、『解析神=佐々木さん』創出が目的じゃないのか??
とか勝手に当て嵌めてしまいました。
蛇足1。
『オトナアニメ』vol.20で、
『ヤマカン』さんのインタビューと、『原恵一』さんのインタビューが、論点が噛み合うように
構成されていて、
原さんが1959年生まれ、
ヤマカンさんが1974年生まれ、
という世代差なのかもしれませんが、意見の合致と対立が面白いですね。
原恵一 ヤマカン
『アニメはどこまで行っても人の描いた人工的なもので間接的な表現』 ←→『1997年にアニメが世界を語る行為は挫折した』(アニメは死んだ)
『そこに何とかリアル感を出したいと努めてやっている』 『あくまで自分のリアリティに則したものを語るべき』
『アニメに生々しさを求めてきた』 『生々しく世界を捉えたいと気をつけた』
『フィクションなのでとてもドキュメンタリーのように全ては描けない』 『世界の茫洋としたつかみにくい部分は、アニメは作り物なので表現
しきれない』
『キャラが援助交際してるのに怒る視聴者がいるのは、
それだけ真剣に観てくれていると言う事』 ←→『処女以外は認めないってどういう宗教だよって』
『アニメは実写より地位が低いというコンプレックスが、
アニメを成長させてきた』 ←→『私小説をアニメでやれないならアニメはやることが無い』
…勝手な要約なので、不正確ですけど、
『アニメ』と『リアル』
という問題に取り組んでる点では、御二方は一致していると思います。
ただ、一番の違いは、
原さんの『リアル』は『視聴者がリアルと感じるもの』
ヤマカンさんの『リアル』は『ヤマカンさん自身がリアルと感じるもの』
だという点な気がしますね。
だから、
原さんの『リアル』は『どうやってリアルに感じさせるか』という『表現技法』の問題
ヤマカンさんの『リアル』は『私小説アニメ』という『ジャンル』の問題
という解法の違いが出てくるのだろうと思いますね。
ヤマカンさんが、
『実写映画に行くかも知れない』
と言い出すのは、問題解決の方法が、
『別に、アニメじゃなくてもいいじゃん』
という『処方箋』なせいだと思いますね。
『私小説』やるだけなら、メディアは問わない気がするのですが。
蛇足2。
私は、
1995年~1997年の『エヴァ』の終盤は『庵野秀明』さんの『私小説』
だと思っていますので、
『アニメで私小説やれないなら、アニメでやることって無い』
というヤマカンさんの問題提起は、
『やれますよ?』
と断言できます。だから、引退の必要は無いんです。
『私小説』だからといって、全然人気が出ないことはなく、
『高視聴率』で、
『グッズ』売れまくり、
『同人誌』でも大ジャンルになって、
『ポストエヴァ』とか言われて一時代画し、
10年経って『パチスロ』にもなって、大儲け。
ってゆう実例があるわけで…
『私小説だったから、「フラクタル」は受けなかったんだ』
『私小説を受容する能力が受け手に無いから、「フラクタル」は受けなかったんだ』
は、成り立ちませんよね。(エヴァの私小説部分が一番、『一般受け』した訳ではないでしょうが…)
まさか、
今まで『アニメ』には『私小説』というジャンルが無かったから、自分が『パイオニア』だ!
『早すぎたから世の中に受けないのも仕方ない』
とか思ってはおられないと思いますが…
まあ、
『エヴァ』の『視聴者に媚びてる部分=餌の部分』を取り除いて、純粋な『私小説』部分だけで勝負だ
というなら、初めてかもしれませんが、商業的成功は約束できません。
『1000年後の世界』
『フラクタルシステム』
『戦闘シーン』
『空飛ぶ戦艦』
といった『ヤマカン』さんの『私生活』とは無縁なモノの占める比率が高いので、
『餌の部分』ゼロの『純粋私小説』でも無い様で…
それなら、『餌で釣って、私小説部分も読ませた』、『エヴァ』と『同じ土俵』な訳で、
『庵野』さんのほうが見せ方が上手かった、ということだろうかと思いますね。
勝手な感想ですので、
『エヴァなんてつまらない。フラクタルの方が面白い』
という方がいらしても構いません。
商業的成功でも、私小説アニメのパイオニアとしても、『フラクタル』が『一番』ではないと私は思うのですが…
『二番じゃいけないんですか』
という時代ですから、まあ、『フラクタル』は『時代を活写してる』ということで。
蛇足3。
原さんが、視聴者が『このキャラにはこんなことはして欲しくない』と制作者を批判するのを、
『それだけ真剣に観てくれてるということ』
と、『リアルなキャラ描写』の成功の証拠、と捉えてるのが、面白いですね。
『アニメは受け手の受容力が大事』
『アニメは批評が大事』
と仰ってるヤマカンさんが、作品を好意的に評価している原さんのこういう発想に全く思い付かずに、
視聴者からの反発を、『そんな見方しか出来ないの?』と、そういう立場自体否定してるとは思えないので、
基本は、原さんと同意見なんじゃないかと思いたいですね。
『僕独りが耳塞いで無邪気にものを作ってるだけではどうしょうもない』
と仰ってるので、批判を聞きたくない訳ではないと判ります。
ヤマカンさん、受け手に『思考』を促す『助産術』戦略で、敢えて、
『思いが伝わらない』
『斜に構えてしかアニメを観ることができないのか、そこは僕の理解の範疇を超えている』
と悩んだ振りしておられるだけだろうと思っております。
前に引用したとおり、
『世界が捉えにくい』
ということは判っておられる訳で、理解の範疇を超えることが存在するぐらい想定内だと思いますから。
『批評』好きな方が、他人のアニメの見方が自分と違うなんてアタリマエの事実知った位で思考停止しないと思いますし。
『各人が自分の正解を見出すのであって、現実世界のほとんどの場面に正解は無い』
『自分が正解を与えるのではなく、受け手の各人が考え続けてくれれば良い』
と考えておられるんじゃないかと思います。
『フラクタル』って、そういう話だったと思うし、『私小説』ならば、『言行一致』してると思います。
『一部の視聴者が「けんもほろろ」に「フラクタル」を扱う理由』がヤマカンさんに理解できないのと同様に、
『ヤマカンさんの思い』が受け手にも理解できないという事態が起こってるだけなわけで、
悩むようなことではないと思います。
他人の心が理解できないなんて、今に始まったことじゃないし、目新しい発見じゃないじゃないですか。
インタビューで
『女って本当にわかんない』
と仰ってますし。女性の人数と、フラクタル批判してる人数はどっちが多いかなんて、考えるまでも無い。
だから、そんな些細なことで悩んではおられないだろうと。
いろいろな意見が有って良い、ということを気付かせるために、
敢えて道化になってちょっとオーバーに演技しておられるんだろうと思います。
本当にヤマカンさんが戦ってるのは、自分で考えずに『正解』を口を開けて待つ態度であって、
恐らく『フラクタルが好きになれない』という意見を持ってヤマカンさんを批判する視聴者は喜ばしいことであって、
そういう方々は真の敵にしていないと思います。
(耳塞がないと仰ってるんですから)
蛇足4。
気になるのは、『オトナアニメ』の批評コーナーを休止しておられることで、
ヤマカンさんが会社辞めてまで守ろうとした『批評』のヤマカンさんにとっての重要度が問われてしまうと思います。
辞める必要なかったじゃん
と言われちゃわないかが心配です。
(リビアで批評中断してる人を心配できるか?とかヤマカンさんに批判されそうですけど…)
『藤原』
『橘』
が共通して登場したり、
谷川流『涼宮ハルヒの陰謀』に
『鶴屋山』
が登場したのに対して、
機本伸司『メシアの処方箋』に
『尾上』というヤクザの私有地の城が建ってる『山』
が登場して、『鶴屋』も『尾上』も『歌舞伎』関連の名字繋がりだったり、
谷川さんと機本さんは同じ『兵庫県』出身作家なので、
お互いにキャラや事件設定を引用し合ってる可能性はあるんじゃないか?とか書いて来ましたが…
谷川作品に
『世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団』=『SOS団』
が登場するのに対して、
機本作品に
カルト宗教『SoulOriginService』=『SOS』
が登場してるのが『善悪交替』になっていて面白いですし。
この辺が『佐々木団』登場の元ネタ??
同様に、
2010年、『ハルキ文庫』に機本伸司『神様のパラドックス』が入った時、
『上下巻』
で、2011年に『涼宮ハルヒの驚愕』も、
『上下巻』
という偶然。
コジツケ好きな私としては、
機本さんの『神様のパラドックス』に、谷川さんの『分裂』~『驚愕』が対応してるんじゃないか?
とか勝手に思っております。
そう勝手に決め付けて読んでゆくと、
『神様のパラドックス』は、
『量子コンピュータ』の計算能力でコンピュータ上に『解析神』を作ろう
という話なのですが、
量子コンピュータの略称が『Qコン』、愛称が『久遠』→『九曜』さんの元ネタ?
『天蓋領域』の元ネタの一つだと思われる『天蓋花=彼岸花』は、
『種』でなく『地下茎』で増えるので、
『Qコン→球根』
コジツケも可能ですし。
また、『神様のパラドックス』で、
ミレニアム問題の『P=NP』問題
(コンピュータに計算困難とされる問題も良く調べれば解決可能なアルゴリズムが有る筈だ、という問題?)
が話題になってるんですが、
物語中では、
『一方を幸せにすると、他方が必ず不幸になる二者択一の、両者を幸せにする』
という課題を実現しようとして『コンピュータ』が困る、という展開になるのですが…
『ハルヒ』で、『キョン』が、『長門』に、
『古泉』『みくる』『長門』の全員を守れ
と要求していて、古泉やみくるの話では、三者は必ずしも利害が一致するばかりじゃないので、
『神様のパラドックス』の『二者択一』どころではない計算不能になる危険があるんじゃないかと。
『分裂』で長門が倒れた原因は、叙述トリック(?)で『九曜』が原因とされてますが、
『キョンの実現不可能な要求が起こした動作不良が長門の倒れた原因』?
とか思うようになりました。勝手な話ですが。
『九曜』さんと『長門』が共生するには、こういうドンデン返しが有って欲しいと思ってるからですが。
『神様のパラドックス』に
『SS』
という『半獣半人型』の機械が登場していて、
ここで何度かコジツケしてきた『55=朝倉さんの部屋番号505』とコジツケると、
『SS→55→朝倉さん』?
また、ハルヒの『射手座の日』の『射手座=ケンタウルスのケイロン』で、
『ケンタウルス=半獣半人』
『半獣半人=朝倉さん=射手座』?
『ケイロンは不死身』=『朝倉さんは有機生命体の死の概念がわからない』
神話上では、
『ケイロン』は『毒矢の毒』で死ねなくて苦しいので、
親友の『プロメテウス』に『不死身』能力を譲って、死んで『星座』になった、
ということなので、
朝倉さん、誰かに能力譲って死ぬ???
(毒矢に相当するのは、長門がキョンに夢中だということでしょうか…?)
『神様のパラドックス』では、
『宇宙の全てが巨大なコンピュータの演算子で、我々の人生は誰かのやってる計算の過程』
という仮説が語られてるんですが、
『分裂』で『橘京子』が『女優』について語ってましたけど、
『分裂』~『驚愕』の世界で、キャラ達は『巨大コンピューター』の『演算子』にされちゃってるんじゃないか?
その『巨大コンピューター』の『計算』は、『解析神=佐々木さん』創出が目的じゃないのか??
とか勝手に当て嵌めてしまいました。
蛇足1。
『オトナアニメ』vol.20で、
『ヤマカン』さんのインタビューと、『原恵一』さんのインタビューが、論点が噛み合うように
構成されていて、
原さんが1959年生まれ、
ヤマカンさんが1974年生まれ、
という世代差なのかもしれませんが、意見の合致と対立が面白いですね。
原恵一 ヤマカン
『アニメはどこまで行っても人の描いた人工的なもので間接的な表現』 ←→『1997年にアニメが世界を語る行為は挫折した』(アニメは死んだ)
『そこに何とかリアル感を出したいと努めてやっている』 『あくまで自分のリアリティに則したものを語るべき』
『アニメに生々しさを求めてきた』 『生々しく世界を捉えたいと気をつけた』
『フィクションなのでとてもドキュメンタリーのように全ては描けない』 『世界の茫洋としたつかみにくい部分は、アニメは作り物なので表現
しきれない』
『キャラが援助交際してるのに怒る視聴者がいるのは、
それだけ真剣に観てくれていると言う事』 ←→『処女以外は認めないってどういう宗教だよって』
『アニメは実写より地位が低いというコンプレックスが、
アニメを成長させてきた』 ←→『私小説をアニメでやれないならアニメはやることが無い』
…勝手な要約なので、不正確ですけど、
『アニメ』と『リアル』
という問題に取り組んでる点では、御二方は一致していると思います。
ただ、一番の違いは、
原さんの『リアル』は『視聴者がリアルと感じるもの』
ヤマカンさんの『リアル』は『ヤマカンさん自身がリアルと感じるもの』
だという点な気がしますね。
だから、
原さんの『リアル』は『どうやってリアルに感じさせるか』という『表現技法』の問題
ヤマカンさんの『リアル』は『私小説アニメ』という『ジャンル』の問題
という解法の違いが出てくるのだろうと思いますね。
ヤマカンさんが、
『実写映画に行くかも知れない』
と言い出すのは、問題解決の方法が、
『別に、アニメじゃなくてもいいじゃん』
という『処方箋』なせいだと思いますね。
『私小説』やるだけなら、メディアは問わない気がするのですが。
蛇足2。
私は、
1995年~1997年の『エヴァ』の終盤は『庵野秀明』さんの『私小説』
だと思っていますので、
『アニメで私小説やれないなら、アニメでやることって無い』
というヤマカンさんの問題提起は、
『やれますよ?』
と断言できます。だから、引退の必要は無いんです。
『私小説』だからといって、全然人気が出ないことはなく、
『高視聴率』で、
『グッズ』売れまくり、
『同人誌』でも大ジャンルになって、
『ポストエヴァ』とか言われて一時代画し、
10年経って『パチスロ』にもなって、大儲け。
ってゆう実例があるわけで…
『私小説だったから、「フラクタル」は受けなかったんだ』
『私小説を受容する能力が受け手に無いから、「フラクタル」は受けなかったんだ』
は、成り立ちませんよね。(エヴァの私小説部分が一番、『一般受け』した訳ではないでしょうが…)
まさか、
今まで『アニメ』には『私小説』というジャンルが無かったから、自分が『パイオニア』だ!
『早すぎたから世の中に受けないのも仕方ない』
とか思ってはおられないと思いますが…
まあ、
『エヴァ』の『視聴者に媚びてる部分=餌の部分』を取り除いて、純粋な『私小説』部分だけで勝負だ
というなら、初めてかもしれませんが、商業的成功は約束できません。
『1000年後の世界』
『フラクタルシステム』
『戦闘シーン』
『空飛ぶ戦艦』
といった『ヤマカン』さんの『私生活』とは無縁なモノの占める比率が高いので、
『餌の部分』ゼロの『純粋私小説』でも無い様で…
それなら、『餌で釣って、私小説部分も読ませた』、『エヴァ』と『同じ土俵』な訳で、
『庵野』さんのほうが見せ方が上手かった、ということだろうかと思いますね。
勝手な感想ですので、
『エヴァなんてつまらない。フラクタルの方が面白い』
という方がいらしても構いません。
商業的成功でも、私小説アニメのパイオニアとしても、『フラクタル』が『一番』ではないと私は思うのですが…
『二番じゃいけないんですか』
という時代ですから、まあ、『フラクタル』は『時代を活写してる』ということで。
蛇足3。
原さんが、視聴者が『このキャラにはこんなことはして欲しくない』と制作者を批判するのを、
『それだけ真剣に観てくれてるということ』
と、『リアルなキャラ描写』の成功の証拠、と捉えてるのが、面白いですね。
『アニメは受け手の受容力が大事』
『アニメは批評が大事』
と仰ってるヤマカンさんが、作品を好意的に評価している原さんのこういう発想に全く思い付かずに、
視聴者からの反発を、『そんな見方しか出来ないの?』と、そういう立場自体否定してるとは思えないので、
基本は、原さんと同意見なんじゃないかと思いたいですね。
『僕独りが耳塞いで無邪気にものを作ってるだけではどうしょうもない』
と仰ってるので、批判を聞きたくない訳ではないと判ります。
ヤマカンさん、受け手に『思考』を促す『助産術』戦略で、敢えて、
『思いが伝わらない』
『斜に構えてしかアニメを観ることができないのか、そこは僕の理解の範疇を超えている』
と悩んだ振りしておられるだけだろうと思っております。
前に引用したとおり、
『世界が捉えにくい』
ということは判っておられる訳で、理解の範疇を超えることが存在するぐらい想定内だと思いますから。
『批評』好きな方が、他人のアニメの見方が自分と違うなんてアタリマエの事実知った位で思考停止しないと思いますし。
『各人が自分の正解を見出すのであって、現実世界のほとんどの場面に正解は無い』
『自分が正解を与えるのではなく、受け手の各人が考え続けてくれれば良い』
と考えておられるんじゃないかと思います。
『フラクタル』って、そういう話だったと思うし、『私小説』ならば、『言行一致』してると思います。
『一部の視聴者が「けんもほろろ」に「フラクタル」を扱う理由』がヤマカンさんに理解できないのと同様に、
『ヤマカンさんの思い』が受け手にも理解できないという事態が起こってるだけなわけで、
悩むようなことではないと思います。
他人の心が理解できないなんて、今に始まったことじゃないし、目新しい発見じゃないじゃないですか。
インタビューで
『女って本当にわかんない』
と仰ってますし。女性の人数と、フラクタル批判してる人数はどっちが多いかなんて、考えるまでも無い。
だから、そんな些細なことで悩んではおられないだろうと。
いろいろな意見が有って良い、ということを気付かせるために、
敢えて道化になってちょっとオーバーに演技しておられるんだろうと思います。
本当にヤマカンさんが戦ってるのは、自分で考えずに『正解』を口を開けて待つ態度であって、
恐らく『フラクタルが好きになれない』という意見を持ってヤマカンさんを批判する視聴者は喜ばしいことであって、
そういう方々は真の敵にしていないと思います。
(耳塞がないと仰ってるんですから)
蛇足4。
気になるのは、『オトナアニメ』の批評コーナーを休止しておられることで、
ヤマカンさんが会社辞めてまで守ろうとした『批評』のヤマカンさんにとっての重要度が問われてしまうと思います。
辞める必要なかったじゃん
と言われちゃわないかが心配です。
(リビアで批評中断してる人を心配できるか?とかヤマカンさんに批判されそうですけど…)