北京でのオリンピックが終って一週間が過ぎた。オリンピック自体に関しては、普通に楽しむことが出来たのだが、やはり開催国が悪すぎた。開会式のときのCG花火や口パク少女は良いとしても、人民解放軍が、毎朝、天安門広場で行っているのと同じやり方で国旗掲揚をしたのには驚いた。もし日本でオリンピックがあったとして、自衛隊が国旗掲揚をし、敬礼なんかしちゃたらどうなるのだろうか。想像するだけでも大変だ。
その北京五輪では多くの日本人が活躍したが、最も印象に残ったのは女子ソフトボールチームの金メダルだった。中でもエースの上野は、2日で413球を投げ抜いてチームを引っ張った。その上野投手がサインを求められて書いた色紙。そこには、「強い弱いは執念の差」と書かれていたそうだ。
金といえば、吹奏楽コンクールでも「金賞・銀賞・銅賞」と一応分けられる。ただ、これはオリンピックとは違って、「1位・2位・3位」ではない。しかも、県大会や支部大会という予選の段階でも「金、銀、銅」が与えられる。(しかも、1位・2位・3位ではなく)いや、失格にならない限り、もれなく3つの内のどれかが貰えるようになっている。なぜだろう?教育の一環だからか・・・。いや、あの神聖な(らしい)高校野球でさえ、ちゃんと優勝校が決まる。強いチーム・普通のチーム・弱いチームの3グループに分けたりなんかはしない。
今年、愛媛の一般団体は、残念ながら全国大会に出場できなかった。それなのに相変わらず、四国支部大会を突破できなかった団体は「銀賞を受賞いたしました」とHPに載せているし、さらに愛媛県大会で落ちたある団体も「金賞を受賞いたしました」(実は訂正前はもっと酷かった)とHPに堂々と書いてある。こういうのを世間では予選落ちというのだが・・・私には理解できない。恥ずかしくないのだろうか。
私は、愛媛で落ちた団体も、四国を突破できなかった団体も、四国代表の団体との間にそれほど大きな差があるとは思わない。そんなに高いレベルではないはずだ。
吹奏楽は団体競技である。団体競技にとって重要なのは、ある程度の技術と最高のチームワークである。それが得られたとき、一人の力では絶対に越えることの出来ない壁をぶち破ることができるのだ。全国大会に出るような中学校でも、一人一人の中学生はそれほど上手いわけではない。ところが、それが集団になると奇跡を起こすことがある。それらを支えているのは、やはり非常に強い一人一人の熱い想いだ。
「強い弱いは執念の差」
ここに書くのは簡単だが、実際にプレイヤーが口にするには、相当の覚悟がいるだろう。
その北京五輪では多くの日本人が活躍したが、最も印象に残ったのは女子ソフトボールチームの金メダルだった。中でもエースの上野は、2日で413球を投げ抜いてチームを引っ張った。その上野投手がサインを求められて書いた色紙。そこには、「強い弱いは執念の差」と書かれていたそうだ。
金といえば、吹奏楽コンクールでも「金賞・銀賞・銅賞」と一応分けられる。ただ、これはオリンピックとは違って、「1位・2位・3位」ではない。しかも、県大会や支部大会という予選の段階でも「金、銀、銅」が与えられる。(しかも、1位・2位・3位ではなく)いや、失格にならない限り、もれなく3つの内のどれかが貰えるようになっている。なぜだろう?教育の一環だからか・・・。いや、あの神聖な(らしい)高校野球でさえ、ちゃんと優勝校が決まる。強いチーム・普通のチーム・弱いチームの3グループに分けたりなんかはしない。
今年、愛媛の一般団体は、残念ながら全国大会に出場できなかった。それなのに相変わらず、四国支部大会を突破できなかった団体は「銀賞を受賞いたしました」とHPに載せているし、さらに愛媛県大会で落ちたある団体も「金賞を受賞いたしました」(実は訂正前はもっと酷かった)とHPに堂々と書いてある。こういうのを世間では予選落ちというのだが・・・私には理解できない。恥ずかしくないのだろうか。
私は、愛媛で落ちた団体も、四国を突破できなかった団体も、四国代表の団体との間にそれほど大きな差があるとは思わない。そんなに高いレベルではないはずだ。
吹奏楽は団体競技である。団体競技にとって重要なのは、ある程度の技術と最高のチームワークである。それが得られたとき、一人の力では絶対に越えることの出来ない壁をぶち破ることができるのだ。全国大会に出るような中学校でも、一人一人の中学生はそれほど上手いわけではない。ところが、それが集団になると奇跡を起こすことがある。それらを支えているのは、やはり非常に強い一人一人の熱い想いだ。
「強い弱いは執念の差」
ここに書くのは簡単だが、実際にプレイヤーが口にするには、相当の覚悟がいるだろう。