
◎2019年8月17日(土)
吹割の滝─裏見の滝─稲荷滝─縁結びの滝─人影の滝─綾織の滝(不動滝)
※吹割の滝(沼田市)以外はすべてみなかみ町の滝。
前の日の朝までは沼田の奥にある山に登るつもりでいた。この猛暑続きの中、だれも歩いたことのなさげな尾根ルートを歩いても3時間はかかるはずもなく、自分には手ごろな歩きと考えていた。ここのところまっとうな山歩きをしていない。外を歩いて汗で全身がベトベトになるのがおぞましく、世間では九連休らしいが、こちらは飛び飛びの貴重な休日の合い間に映画館に行ったり、図書館で読書に耽ったりと、涼しい環境で過ごすことに専念し、この一念発起にも似た山行は、めっきり落ちた体力を少しはカバーしとかなきゃといった思いから出たことだが、これが3時間歩きを超えたらかなりしんどいことになる。ところが、その日の夜に家に帰って来た息子が明日は車を使いたいと言い出す。その山へのアクセスは道幅も狭かろうし、ジムニーで行くつもりでいただけに、肝心な車を使えないのではと山行は断念した。というよりも、普通車でも問題なく乗り入れられるのだが、山を歩く熱意はさほどのものでもなかっただけに、体のいい理由ができたとあっさりと引っ込めた。任意保険の年齢制限の関係で、息子が乗れる車はそのジムニーだけなのではしかたもない。
こんな暑苦しい時を過ごしながらも、矛盾したことだが、今月の10日にバカ尾根経由で浅間山に行くつもりでいた。日本百名山の浅間山は前掛山で茶を濁している。まさにバリケードを越えての本物の山頂の腹積もり。その思い立った翌々日に噴火した。暑さのせいで思考も気分もころころ変わる。レベル2になった今、小浅間山には行ったこともないので、そちら経由でぎりぎりまで歩いてみるのもいいかと思ったりもしているが、3時間超えは確実だろう。
ともあれ、話は戻して、車が使えないのではと、みなかみ町の滝を調べてみる(「水上」とせずに「みなかみ」とするのは、町名がそうなっているから)。みなかみを選択したのには特に理由はなく、職場に貼られた群馬県の交通安全ポスターに<綾織の滝>がバックにあったのを思い出し、その滝でも見に行こうかと、調べていてその気になったのだが、ネット記事で調べると、他にも車利用のチョイ歩きで見られる見事な滝が多かった。土曜日も猛暑日予報になっている。滝見なら少しは気分的にも涼しいか。まして、滝はマイナスイオンの宝庫らしい(笑)。五滝ほど候補にしてみた。急遽、これらの滝をドライブがてらに回ることにする。
ここで余計な考えが出てくる。自分は群馬県民(ここで敢えて「群馬県人」とは記さない。自分は県人という意識はない)でいながら吹割の滝を見たことはなかった。茨城県の方が袋田の滝、あるいは栃木県民が中禅寺湖を見たことがないのと同じような感覚だろう。吹割の滝はいつも素通りだ。一度は見てみたいと思いながらも、あの周辺の混雑ぶりでは、土産屋に入って何かを買わないと駐車場を使えないようで、野沢菜一袋とどこにでもある甘い菓子を買うこと自体がうっとうしくて敬遠していた。沼田市街寄りの市営駐車場なら無料であることは知っていたが、滝までは遠いようだし、駐車スペースは限られ、いつも満車の状態だった。自分には、みなかみも沼田も同じような距離感覚だ。みなかみの滝めぐりにこの吹割の滝を加えよう。だが実際には、沼田の吹割の滝から最初のみなかみの裏見の滝まではかなりの距離があった。
順序としては、早い時間帯に市営駐車場に車を置き、吹割の滝を見てからみなかみの滝めぐりとなる。ちなみに、この日は土曜とはいえ出勤日。代休を取るつもりで印鑑を押す立場の者に休暇申請を出したが、気づいていながらなかなか印を押さない。内心、コノヤロウと思いつつようやく押印したのを確認しての代休だ。第二の職場(正確には第三だが)、自分には固執して無理に働かねばならない理由は特にはない。働いている目的は時間つぶしに近い。代休取得程度のことで理不尽なことが続くようなら、いつでも辞めていいと思っている。こんなことを記せば、また、それはオフレコでしょうと言われそうだが、人生いろいろ、人それぞれの考え方だ。年だけは重ねてもひねくれた性根からはいつまで経っても解脱できない。
[吹割の滝]
(遊歩道入口)

(天狗山という山にここから行けるらしい)

(大山祇神社の石碑。隣のバケツみたいのが目障りだ)

(第三観瀑台から)

(馬頭観音碑)

(第一観瀑台から。あれが吹割りの滝かと思う。ドローンを飛ばすならここからだったか)

(詩のこみち。正直のところ、まったく添え物のようで気持ちも動かなかった)

(得体の知れないコンクリモニュメント。橋げたかと思ったが違う)

(吹割橋から片品川の吹割渓谷)

(浮島観音堂。手を合わす)

(浮島橋)

(左岸側の遊歩道)

(これが吹割り滝のようだ)

(アップしてみる)

(下流側から吹割の滝。あの窪みが気になってしょうがない)

(これが限界でしょう)

(しつこく)

(これが鱒飛の滝?)

(さらに下流にこんな滝もあったが、撮った時点での記憶は定かではなく、もしかして鱒飛の滝を下から見ただけのことかもしれない)

(無料の市営駐車場はガラガラ)

5時半に家を出て、高速利用で市営駐車場に着いたのは7時10分。日光方面に向かう国道の車は多く、その半分は白根山ロープウェイ目当てのような気がする。山頂駅の標高は2,000m。その先の白根山に登らずとも結構涼しかろう。陽射しを勘案しなければ12℃は低いはず。
駐車場には他に一台だけ。その車、戻ってからもあったから、地元近所関係者の車だろう。吹割の滝の入口は土産屋だらけのところにあるだろうと上の方に向かいかけると、国道すぐ左に<吹割渓谷遊歩道>と記された看板が目についた。あっけない感じがしたが、ラッキーとばかりにそこから入り込む。この辺の状況をよくは知らなかったが、後でマップ看板を見ると、片品川両岸に遊歩道が設置されていた。土産屋の駐車場に車を置き、左岸側からのみ吹割の滝を見るよりは少しは充実した歩きができそうだ。
面白みのない遊歩道だった。水辺歩きと思っていたら岩壁沿い付けられた遊歩道の階段をどんどん上がって行く。右手下には樹間からチラチラと吹割渓谷が見えてはいる。やがて天狗山登山案内図看板が出てくる。山頂までは2km弱。遊歩道の進行方向とは逆になっている。利根天狗山とも呼ばれているらしいが、へぇー、そんな山があるのかと思っただけのことで、どうするかためらうことはなかった。天狗山に登っていたらみなかみの滝がいくつか犠牲になるか取りやめになってしまう。ここは滝見を優先する。まして登山する格好でもないし、水すら持っていない。
大山祇神社と書かれた石碑を過ぎると第三観瀑台。たいした景色は得られない。そして馬頭観世音碑を見て第一観瀑台。第二は見落としたようだ。ここからテレビなんかでよく見慣れた幅のある吹割の滝を見下ろせるものの、川面からかなり標高も上で、さらにここもまた木立が邪魔になってすっきりしない。ただ、普通の上から落ち込む滝ではなく瀑布的な滝だとはわかる。言うなればナイアガラの滝の超ミニチュア版といったところか。
標識は浮島観音堂420mとなって、遊歩道は下りになる。石碑が並び、その碑ごとに句が書かれている。一々読みもしないが、ここは「詩(うた)のこみち」とのこと。どうもすっきりしない半端な遊歩道だ。そしてアブラゼミの鳴き声が騒がしくなり暑苦しくなった歩道を下って行くとやがて大きなコンクリのモニュメント。案内看板には「広場」とだけあって、その先は対岸、つまり左岸に渡る中継の吹割橋がかかっている。モニュメントの説明を探したが、見つけられないままに橋を渡る。向こうから空身の男性が歩いて来た。軽く挨拶はしたが、やはり、観光滝としての例外には漏れないスタイル。スニーカーにカメラは決まってスマホ。それをわかっていて来ているから、今さらどうこう嘆く立場でもない。しかし、この男性もまた物好きで、おそらくはすぐに引き返すだろうが、右岸側の遊歩道は、正直のところ歩くに値はしないという結論だった。
橋を渡ると浮島観音堂に出た。眼下の片品川の川幅は広い。ただ、いわゆる吹割の滝がどこにあるのかは川下を目を凝らしてかろうじてわかる程度のもので、そこに段差らしきものがあったからだ。左岸側の遊歩道は川沿いに設置され、右岸側とは対照的。見るからに日陰で涼しそうだ。歩いている見物客の姿も数人見えている。続いて浮島橋を渡る。真下はナメ状の川床になっていて、あそこを歩いたらさぞ気持ちが良いだろう。ここで振り返る。さっきの男性の姿はない。橋を渡ると左岸側に出た。
遊歩道をゆっくり下って行く。反対側から歩いて来る人たちに挨拶をしても返りがないので、こちらもそんな慣習的なことはやめた。ここは観光地なのだ。お互い他人様。ハイカーの多い山もまた他人様のようなもの。富士山に登った時、挨拶は存在しなかった。
舗装された遊歩道を歩いている。今日も懲りずにハイパーVを履いている。何やかやと文句をつけながらも、結局はこれを履いている。足の骨折後に散々、スニーカー類を買い替え履きしていたが、どうしてもハイパーVに落ち着いてしまう。買ってしまったスニーカーと何種類もの足首サポータもまた使うことはなく眠ってしまった。再び使用することになったら自分の山歩きもThe Endになる。それはさておき、ちょっと水に濡れた程度の歩道はハイパーVも滑ることもなく歩きやすい。これにヌメリが加わればまた悪態をつくことになる。
最初の落ち込んだ水の窪みが見えた。あれが吹割の滝のようだ。見ようによっては二頭のマッコウクジラの頭にも見えるが、テレビの映像で見る迫力は感じない。もっと近づいて見てみたいが立入禁止だ。カメラ付きドローンでも使えば、真上から迫力ある吹割の滝でも撮れようが、それでは自分の目で見たことにはならない。下流に回って近づき、かろうじて滝を垣間見たが、全容ではないので物足りない。周囲にだれもいなければさらに近づいて覗き込むがそれは不可能。あきらめる。まぁそれでもマイナスイオンを浴びた感じはした。どんな感じか。それは言葉では表現できかねる。皆がそういうから、自身もたっぷりと浴びているのだろう。不満足ながらもしばし見入ってしまった。
歩道を少し下ると、これもまた溝状だが滝がまた一つ。これが鱒飛の滝らしい。こちらは豪快ではないが、垂壁の岩をバックにシチュエーションは良い。進入禁止の赤いポールが何とも目障り。ここもまた、確実に死ぬだろうが、飛び込んでグルグルと水に回されている分には気持ちが良さげだ。ここでも見ているのに時間がかかるが、周囲には他にカップルがいて、彼女をバックに写真を撮っているから、こちらはただのお邪魔虫。向こうが長居なら、こちらはそれに対応していなくなるのを待つことになる。撮った写真には彼女の方がピースサインなんかしている姿がどうしても写り込んでしまう。不思議なことに、二人の写真を撮ってくれとは頼まれもしなかった。いろいろと事情もおありだろう。
遊歩道を下流に向かうとまた窪みの滝。もしかして鱒飛の滝はこれだったりして。いずれにしても吹割の滝で長居した。みなかみに向かおう。さっと上ると土産屋というか準備中の茶店の間を抜けて国道に出る。通行量は観光バスも加わって、来た時よりも多くなっている。駐車場に着いたのは8時20分だから、一時間チョイの周回時間だったようだ。出がけは涼しかったのに、もう頭から汗が流れてきて、首巻のタオルはもう汗がしぼれる状態だ。
この吹割の滝、印象としての一言は不良消化。ドローンになりたかった。
【裏見の滝】
(武尊神社)

(意外に急で長い階段を下る)

(下りきったつもりのところに沢。これが裏見の滝になる)

(裏見の滝の落ち口)

(この先には基本的にというか当然に行けないが、これでは滝が見えない)

(裏見の滝。対岸に細い水流。右手には小さなお堂が見えている)

(滝つぼ)

(戻る。階段はかなり応える)

(右岸側の観瀑台から)

(お堂、つまり、武尊神社の奥の院)

(脇の細い流れ。対岸からチョロ滝にも見えた)

(神社に戻って)

みなかみの滝は奥の方から猿ヶ京へと向かうつもりで、最奥の藤原の裏見の滝を先行する。まさかとは思ったが、ナビを宝台樹キャンプ場にセットすると、また高速に乗るようになった。地理が不案内ではしかたもなく、滝入口の武尊神社に着いたのは9時45分。途中のキャンプ場、連休も今日と明日のみだが混んでいた。結局、吹割の滝から一時間半近くかかってしまった。ただ、途中のコンビニに寄って、朝食代わりの菓子パンを買って冷たい茶で腹を半分ほど満たしたりしている。
実は、以降は観光滝めぐりだから楽勝というか、車から出ればすぐに見られる滝とばかりに考えていたから、勝手が違って実際は時間を追うごとに暑さはしんどくなり、ちょっとした歩きもバテバテで、ようやく五つの滝のノルマを達成といった汗だくの滝見になってしまう。それでも、スタートの神社での気温は25℃とまだ涼しいものだった。
神社の手前には上州武尊山の登山口があり、車が10台ほど。もう四半世紀も前のことか、武尊に初めて登った際、スキー場側から登るのを嫌い、ここから登った覚えがある。平日だったせいかだれもいず、かえって不気味だったのは、下山したら警察車両が待機していて、刑事らしき人物に尋問されたことだった。話の様子では、何の事件かは知らないが、容疑者がこの辺に逃げ込んだらしい。事件の内容も、その後の展開もわからない。
神社の前を車が数台、奥に向かっては引き返して来る。この先はダート状であきらめるのか、一応は通れるものの「自己責任」と記された看板がある。車利用次第では武尊山への最短コースのようではある。
「裏見の滝遊歩道」という真新しいイラスト看板のわりには、沢に続く階段付き歩道は苔むしていて、訪れる人もまれなのが一目瞭然。看板には観瀑台10分、奥の院20分と書かれている。この奥の院そのものがこの武尊神社の奥の院であるのだろう。滝の脇に描かれている。
どんどん下る。これでは、帰りの息切れが確実だ。この滝は最後にすべきだったか。それにしても、ハイパーVの威力はたちまちのうちに落ちて悪態レベルに戻った。滑る。つい手すりに手をかけてしまう。途中、右に道が分岐している。荒れた感じ。どこに出るのか知らないが、帰ってからイラスト看板を見直すと、これが観瀑台のようである。イラスト看板といえば、先ほど「真新しい」と形容したが、このイラストにはまさに滝の裏見ルートも掲載されている。実際には今は歩けないようで、それどころか、奥の院すら行けなかった。
沢に下りてその下流部を見ると、その先が切れていて、ここが裏見の滝の落ち口らしい。ということは、まだまだ下らなきゃならないということか。がっくり。ここまで下るだけで汗をかいていた。さらに階段を下ると、突然、立入禁止のガード。大胆ではなくためらいがちに少しばかりガードを越えると、右手奥に裏見の滝が見えた。つまり左岸側からではガードを越えないと見られない。ヤブ化した滝に続く草だらけの斜面にはうっすらと踏み跡が見えている。そして奥の院も見える。だが、そこまでして滝の近くに行きたいとは思わない。これで十分。豪快な滝だ。落差がどれくらいか、素人の自分にはわからない。以降の滝もまた同様。
対岸が気になった。チョロチョロした線のような流れがある。あれも滝だろうか。まぁ、みなかみ町最初の滝として、裏見の滝は満足。あの掘っ建て小屋のような奥の院にお参りせずともいいだろう。ある程度のマイナスイオンは浴びた。
戻って、落ち口を通過して先ほど見かけた分岐道に入ってみた。看板はないが観瀑台だった。その先は進入禁止。おそらくは、かつては裏見の道に続いていたのだろう。右岸側から見る滝もまたグッドだ。何せ、こちらの方が滝に接近している。ただ、滝つぼが見えない。脇を対岸から見えたチョロ滝が流れている。
はい、次に行きましょうと戻りかける。予想通りいきなりゼーゼーになった。上からファミリーが下ってくる。キャンプ場利用客のようで空身だ。滝の様子を聞かれる。何食わぬ顔をこしらえてはいたが、息切れは声に出る。返答する声が詰まる。何も知らない方には、この人には言語障害でもあるんじゃないのと思うだろう。久しぶりの上り下りはきつい。ファミリーには、手前の観瀑台からの滝見をお勧めした。
費やした時間はほぼ40分。
【稲荷滝】
(稲荷滝はここからガードレール越える)

(階段下り)

(そして稲荷滝。この先ともに橋からの眺めになる。右の人影がじゃま)

(滝つぼはかなり深い。これではかなりドボーンになってもケガはするまい)

(改めて)

(下の滝の上のアスリートたち。笑)

(下の滝はこうなっている。何が面白いかと言いたいが、一瞬のスリルは面白そうだ)

次、稲荷滝。裏見の滝のあった藤原からは車移動で50分かかった。うち10分近くは滝の場所探し。滝がどこにあるかわからず、滝の上の橋を行ったり来たりしていて、よほどに、この滝はパスしようかと思ったが、橋の欄干にカメラを持ったオジサンが立っているのに気づき、車を止めてよく見ると「稲荷滝」の看板が見えた。オジサンもまた、こんなところにといった顔でこちらを眺めている。
広い路肩に車を止めて橋に向かうと、オジサンはすでに車に乗り込んでいる。こんなところに滝があるのかと思いつつ、欄干に接した階段を下ると、滝の音とともに歓声というか嬌声が聞こえて来た。そして目の前に稲荷滝。事前調べで稲荷滝はこの時期はウォータースライダー(正式にはキャニオニングというらしい)を楽しむ滝らしいが、まさにそれをやっているようで、この時点で半分近い興ざめ。滝そのものは見事だが、この滝、二段になっているようで、やはり典型的な観光滝かとがっかりしながら戻りつつ、下の段の滝下には20人ほどの集団が水に浸かっているのが見えたのには驚いた。
眺めている限り、このキャニオニング、上からインストラクターらしき方が身体をロープ縛ってユルユルと下ろして滝つぼ寸前でロープを緩めてズドーンといったもので、それなりにスリルと清涼感はありそうではあるが、自分には、これが何が楽しいのか、だったら、落ち口からそのまま20mほど自力で突っ込めばもっとスリルがあるだろうにと思ってしまう。ただの、少しばかり満足できる水遊びにしか思えず、滞在時間も10分ほど。ただ、だれも遊んでいない時期なら、滝そのものは見ごたえがあるだろうものの、いかんせん、車道の真下というのが、ただの滝といった感じがして難点か。それ以上に、烏合の衆というには失礼だが、そのツァーらしきもので俗っぽいイメージが残ってしまった。
このキャニオニングだが、21日朝のテレビ朝日のお天気検定で見てしまい、クイズには答えずに、何となく不快でチャンネルを変えてしまった。くどいようだが、本日のみなかみの滝の中で一番下の順位になったというわけではない。アスリートたちがいてもいなくともこれもまた豪快な二段滝で素晴らしくはあった。ネックは車止めから近過ぎたといったところだろう。
【縁結びの滝】
(駐車場は手前。この橋を対岸に渡る)

(ここは整備されている。人気の滝なのだろう。お礼参りに来る人はいるのだろうか)

(縁結びの滝が見えてきた)

(お堂の中の石碑)

(縁結びの滝)

(上部)

(下部)

(あまりに流れが清らかだったもので)

(縁結びの願かけ)

もう昼近い。残りの菓子パンを食べ、またコンビニで茶を買う。基本、ドライブではあっても水分の消費量が多くなった。猿ヶ京温泉方面に向かって35分。みなかみ町もまた広い。ここもまた迷いながら駐車場に着いたのは12時5分。すでに涼しさはどこへやら、車のエンジンを切って外に出るのが苦痛になってきた。
目の前に河原が広がっている。この川は赤谷川。石ゴロの河原は広くなっていて、ホームセンター扱いのテント、タープが数張。その周辺で遊んでいる子供たち。中州もあるが、今日だからいいものの、大雨にでもなったらあっという間に増水だろう。赤谷湖が上流だったらさらにやっかいだ。
どちらに行けば滝に出会えるのか迷った。滝見物らしき人の姿は見えない。下流には何もなく、上流の上には大きなホテルが突っ立っている。標識に合わせてここまで来たから、周辺に滝があることに間違いはない。上流部に続く歩道の先に橋が見えた。取りあえず行ってみる。今になってから思うが、ここで記した上流と下流だが、もしかすると認識が間違っていて、実際は逆だったかも。
橋を渡ると、ようやく手書きの「縁結びの滝」の看板が置かれていた。名称からして、そういう願かけの滝だろうが、自分にはそんな趣旨は今さらのこと。最近はあわよくばといった卑しい気持ちすら起きなくなった。ヤブめいた小径を行くと、今度はしっかりした看板が現れ、その先に鳥居と滝が見えた。看板には、この滝の水を飲めば良縁云々とあった。そして5人のファミリー。年頃の子供が3人。水でも飲んでいるのか。そういえばと、ふと思う。こんなヤブじみたところを歩いていても、半袖でいながら今のところ蚊に刺されていない。別に蚊除けを塗ったわけでもないのにこれは珍しいことだ。群馬県北部は蚊が少ないのか。
鳥居を過ぎると、願かけの絵馬というのか板が幾重にもかかっていて、その脇にはご神体と見られる石碑が小さなお堂の中にある。滝はその先だ。ファミリーは去り、独り占めの状態になってしまった。
これまでの滝に比べると豪快さには欠けるがきれいな滝だ。もしかしてこれはナメ滝か。直瀑ではなく斜度は緩い。下は二股になっている。まさにこういう滝がマイナスイオンいっぱいといったところだろうか。マイナスイオンの概念にこだわり続けていたら、そんな粒子が密に空気中を漂っているような感じになってきている。好みの滝ではないが、癒し系の滝だ。今回は滝見のみに来ているが、こんな滝なら上まで遡行してみたくなるというもの。
駐車場に戻る。縁結びの滝にかけた時間は20分。何やかやいいながらも、この滝の写真撮り枚数が多かった。
【人影の滝】
(駐車地で)

(道も半分以上隠れている)

(水気をたっぷり含んだベンチ)

(人影の滝)

(接近して)

(滝つぼ)

(Y字状の落ち口)

(戻る。ここもまた汗だく。滝見の後の戻りは決まってなぜかむなしい気分になる)

しっかりした駐車場はなく、雑草の繁った路肩に車を突っ込んだ。大型車が通るらしいのでは仕方がない。何やら不思議な滝の名称だ。入口にある看板を読むと、「不動滝(人影の滝)」とあり、滝つぼに身投げをした二人の武士の人影が崖に残っているという伝説があるというようなことが記されている。ということは、怨念の滝とも言うべきか。
橋(合瀬大橋?)の脇を下って行く。この滝はあまり人気がないのだろう。歩道を草が覆っている。ここもまたどんどん下る。途中に朽ちかけたベンチがあったりする。滝の音が次第に大きくなって人影の滝が現れる。このままでは繁茂した草でまともに見られないので滝つぼに近づく。
豪瀑とはいえないが、勢いのある直瀑。落ち口を見上げると二股になってY字型に見えている。う~んなかなか良い滝だ。好み。つまり、普通の、落差のある滝が好きだということになる。だが、後になって、この滝の写真だけを見たら、はて、この滝は何だっけということになる。それだけ特徴がない。
滝つぼは浅い。水が跳ね返ってくる。滝つぼの前に横たわった樹の枝の塊が何とも邪魔でどかしたいところだが、それをするには足を濡らすことになる。今までの滝と違って、この滝だけは勢いがある分、周囲に水煙が漂っている。これがマイナスイオンだとしたら極めてわかりやすい。
ここにかけた時間も20分。すでに1時は過ぎた。ノルマはあと一つ。車から下りては歩いて滝を見て、車に戻って次の滝。単純作業の繰り返しのわりには疲れがきている。さらに悪いことに、これまでは陽が隠れたり出たりしていたのが、完全に青空一辺倒になり、ぎらぎらした陽が照りつけるようになった。
【綾織の滝】
(駐車地からすぐに舗装は切れ、こんなところを歩くが、滝が先にあるのか心配になってくる)

(お堂の後ろに綾織の滝が見えている)

(綾織の滝)

(近づいて)

(滝つぼ)

(落ち口。下のゴロゴロした石が剥がれた跡はツルツルになっている)

(しつこいが…。本日ラストの滝でもあるし)

(戻る。こんな道があるのには気づかなかった)

(おそらく吾妻耶山と大峰山)

ラストは今回のみなかみ、沼田の滝めぐりのきっかけになった綾織の滝。ここもまた不動滝と呼ばれているらしい。不動滝が二つ続く。
わかりづらいところにあったが、道路沿いに不動滝の標識があるので何とか行けた。林道のようなところに導かれると不動滝700mの標識。狭い広場になっていて、ここが駐車場なのかと思ったが、700m歩きはこの暑さでは応える。まだ車で行けそうだ。さらに先まで行き、東屋とトイレのある狭い空地に乗り入れたが、元より駐車場仕様になってはいない。先ほどの700m標識からここまでの間に対向車用の退避スペースもなく、さらに稼動はしていなかったが重機も置かれていた。観光客で混む滝とは思えないが、700mに駐車して歩いた方が無難だ。重機も盆休みだから稼動していないだけのことだろう。
さて、この先に滝があるのだろうかと思うような平らな道を行くと、すぐに右手に細い水流が出てきて、目の先の繁みの奥から滝の音が聞こえてきた。あれか。綾織の滝は。
お堂があって、その後ろに滝が控えている。お堂にはおそらく不動明王が祀られているのだろうが、お堂の板壁に隙間がないので中を覗くことはできない。滝に近づく。大きな石がごろごろしていて下は見えない。やっかいだなと思いながら、大石を越えて滝下まで出たが、何ということはない。脇に滝下に導いてくれる道が付いていた。これは後で気づいたこと。ちなみに、今回の滝見のきっかけになった交通安全ポスターに載った綾織の滝の前には、花を咲かせたイワタバコが配置されていたが、周囲に花らしきものを見ることはなかった。何でそんな花の名前を知っているのかは単純明快。ポスターにそう記してあったから。
滝の岩盤はテカテカしている。そして、周囲は垂壁状にぐるりとなっている。下のごろごろはここから剥げ落ちたのだろう。専門用語で何と言うのか知らないが、滝幅自体はさほどに広くもないし、水流の勢いもまた強いわけではない。だが、この滝は名瀑だなと理由もなくふと思う。この不動滝、だれが「綾織」と名づけたのか。この優雅な響きがこの滝には似合っている。それでいて、いつ、岩が崩れて来てもおかしくはないなといった恐さもある。不思議な滝だ。滝見の専門家でもないので、これ以上の表現はできない。
道沿いに下る。沢にかかる半身の丸太は水を含んで腐りかけている。ハイパーVだから用注意と思ったが、意外にもこんなところは滑らない。下地がコンクリだとダメということらしい。
正面に名のありそうな山が見え、後で調べようと思いながら、25分の見物タイムで駐車地に戻った。さて、この山、実は方向感覚がまったくなくなっていて、北に下ったつもりだが、だとすれば吾妻耶山と大峰山ということになるか。
もう2時を回っている。これから3時にかけて例外なくもっと暑くなる。ノルマも達成したことだしもういいだろう。スマホを取り出して、改めてみなかみ町の滝を見つける気力はもうない。家に帰る前に寄りたいところもある。帰路に就くことにしよう。
今日の滝見、これに自分好みの順位を付けることは意味もない。それぞれに素晴らしかった。ただ、沢を登りつめて出会う滝と、今日のような車で移動しながら見る観光滝とは、感慨がまったく違うということをあたり前のことながら感じた。ショボい滝ではあっても、沢を登って見た滝なら、印象も強く残る。今回の観光滝の記憶はいつまで持つだろうか。吹割の滝だけはスタイルも違った滝だっただけに、忘れることはあるまい。
吹割の滝─裏見の滝─稲荷滝─縁結びの滝─人影の滝─綾織の滝(不動滝)
※吹割の滝(沼田市)以外はすべてみなかみ町の滝。
前の日の朝までは沼田の奥にある山に登るつもりでいた。この猛暑続きの中、だれも歩いたことのなさげな尾根ルートを歩いても3時間はかかるはずもなく、自分には手ごろな歩きと考えていた。ここのところまっとうな山歩きをしていない。外を歩いて汗で全身がベトベトになるのがおぞましく、世間では九連休らしいが、こちらは飛び飛びの貴重な休日の合い間に映画館に行ったり、図書館で読書に耽ったりと、涼しい環境で過ごすことに専念し、この一念発起にも似た山行は、めっきり落ちた体力を少しはカバーしとかなきゃといった思いから出たことだが、これが3時間歩きを超えたらかなりしんどいことになる。ところが、その日の夜に家に帰って来た息子が明日は車を使いたいと言い出す。その山へのアクセスは道幅も狭かろうし、ジムニーで行くつもりでいただけに、肝心な車を使えないのではと山行は断念した。というよりも、普通車でも問題なく乗り入れられるのだが、山を歩く熱意はさほどのものでもなかっただけに、体のいい理由ができたとあっさりと引っ込めた。任意保険の年齢制限の関係で、息子が乗れる車はそのジムニーだけなのではしかたもない。
こんな暑苦しい時を過ごしながらも、矛盾したことだが、今月の10日にバカ尾根経由で浅間山に行くつもりでいた。日本百名山の浅間山は前掛山で茶を濁している。まさにバリケードを越えての本物の山頂の腹積もり。その思い立った翌々日に噴火した。暑さのせいで思考も気分もころころ変わる。レベル2になった今、小浅間山には行ったこともないので、そちら経由でぎりぎりまで歩いてみるのもいいかと思ったりもしているが、3時間超えは確実だろう。
ともあれ、話は戻して、車が使えないのではと、みなかみ町の滝を調べてみる(「水上」とせずに「みなかみ」とするのは、町名がそうなっているから)。みなかみを選択したのには特に理由はなく、職場に貼られた群馬県の交通安全ポスターに<綾織の滝>がバックにあったのを思い出し、その滝でも見に行こうかと、調べていてその気になったのだが、ネット記事で調べると、他にも車利用のチョイ歩きで見られる見事な滝が多かった。土曜日も猛暑日予報になっている。滝見なら少しは気分的にも涼しいか。まして、滝はマイナスイオンの宝庫らしい(笑)。五滝ほど候補にしてみた。急遽、これらの滝をドライブがてらに回ることにする。
ここで余計な考えが出てくる。自分は群馬県民(ここで敢えて「群馬県人」とは記さない。自分は県人という意識はない)でいながら吹割の滝を見たことはなかった。茨城県の方が袋田の滝、あるいは栃木県民が中禅寺湖を見たことがないのと同じような感覚だろう。吹割の滝はいつも素通りだ。一度は見てみたいと思いながらも、あの周辺の混雑ぶりでは、土産屋に入って何かを買わないと駐車場を使えないようで、野沢菜一袋とどこにでもある甘い菓子を買うこと自体がうっとうしくて敬遠していた。沼田市街寄りの市営駐車場なら無料であることは知っていたが、滝までは遠いようだし、駐車スペースは限られ、いつも満車の状態だった。自分には、みなかみも沼田も同じような距離感覚だ。みなかみの滝めぐりにこの吹割の滝を加えよう。だが実際には、沼田の吹割の滝から最初のみなかみの裏見の滝まではかなりの距離があった。
順序としては、早い時間帯に市営駐車場に車を置き、吹割の滝を見てからみなかみの滝めぐりとなる。ちなみに、この日は土曜とはいえ出勤日。代休を取るつもりで印鑑を押す立場の者に休暇申請を出したが、気づいていながらなかなか印を押さない。内心、コノヤロウと思いつつようやく押印したのを確認しての代休だ。第二の職場(正確には第三だが)、自分には固執して無理に働かねばならない理由は特にはない。働いている目的は時間つぶしに近い。代休取得程度のことで理不尽なことが続くようなら、いつでも辞めていいと思っている。こんなことを記せば、また、それはオフレコでしょうと言われそうだが、人生いろいろ、人それぞれの考え方だ。年だけは重ねてもひねくれた性根からはいつまで経っても解脱できない。
[吹割の滝]
(遊歩道入口)

(天狗山という山にここから行けるらしい)

(大山祇神社の石碑。隣のバケツみたいのが目障りだ)

(第三観瀑台から)

(馬頭観音碑)

(第一観瀑台から。あれが吹割りの滝かと思う。ドローンを飛ばすならここからだったか)

(詩のこみち。正直のところ、まったく添え物のようで気持ちも動かなかった)

(得体の知れないコンクリモニュメント。橋げたかと思ったが違う)

(吹割橋から片品川の吹割渓谷)

(浮島観音堂。手を合わす)

(浮島橋)

(左岸側の遊歩道)

(これが吹割り滝のようだ)

(アップしてみる)

(下流側から吹割の滝。あの窪みが気になってしょうがない)

(これが限界でしょう)

(しつこく)

(これが鱒飛の滝?)

(さらに下流にこんな滝もあったが、撮った時点での記憶は定かではなく、もしかして鱒飛の滝を下から見ただけのことかもしれない)

(無料の市営駐車場はガラガラ)

5時半に家を出て、高速利用で市営駐車場に着いたのは7時10分。日光方面に向かう国道の車は多く、その半分は白根山ロープウェイ目当てのような気がする。山頂駅の標高は2,000m。その先の白根山に登らずとも結構涼しかろう。陽射しを勘案しなければ12℃は低いはず。
駐車場には他に一台だけ。その車、戻ってからもあったから、地元近所関係者の車だろう。吹割の滝の入口は土産屋だらけのところにあるだろうと上の方に向かいかけると、国道すぐ左に<吹割渓谷遊歩道>と記された看板が目についた。あっけない感じがしたが、ラッキーとばかりにそこから入り込む。この辺の状況をよくは知らなかったが、後でマップ看板を見ると、片品川両岸に遊歩道が設置されていた。土産屋の駐車場に車を置き、左岸側からのみ吹割の滝を見るよりは少しは充実した歩きができそうだ。
面白みのない遊歩道だった。水辺歩きと思っていたら岩壁沿い付けられた遊歩道の階段をどんどん上がって行く。右手下には樹間からチラチラと吹割渓谷が見えてはいる。やがて天狗山登山案内図看板が出てくる。山頂までは2km弱。遊歩道の進行方向とは逆になっている。利根天狗山とも呼ばれているらしいが、へぇー、そんな山があるのかと思っただけのことで、どうするかためらうことはなかった。天狗山に登っていたらみなかみの滝がいくつか犠牲になるか取りやめになってしまう。ここは滝見を優先する。まして登山する格好でもないし、水すら持っていない。
大山祇神社と書かれた石碑を過ぎると第三観瀑台。たいした景色は得られない。そして馬頭観世音碑を見て第一観瀑台。第二は見落としたようだ。ここからテレビなんかでよく見慣れた幅のある吹割の滝を見下ろせるものの、川面からかなり標高も上で、さらにここもまた木立が邪魔になってすっきりしない。ただ、普通の上から落ち込む滝ではなく瀑布的な滝だとはわかる。言うなればナイアガラの滝の超ミニチュア版といったところか。
標識は浮島観音堂420mとなって、遊歩道は下りになる。石碑が並び、その碑ごとに句が書かれている。一々読みもしないが、ここは「詩(うた)のこみち」とのこと。どうもすっきりしない半端な遊歩道だ。そしてアブラゼミの鳴き声が騒がしくなり暑苦しくなった歩道を下って行くとやがて大きなコンクリのモニュメント。案内看板には「広場」とだけあって、その先は対岸、つまり左岸に渡る中継の吹割橋がかかっている。モニュメントの説明を探したが、見つけられないままに橋を渡る。向こうから空身の男性が歩いて来た。軽く挨拶はしたが、やはり、観光滝としての例外には漏れないスタイル。スニーカーにカメラは決まってスマホ。それをわかっていて来ているから、今さらどうこう嘆く立場でもない。しかし、この男性もまた物好きで、おそらくはすぐに引き返すだろうが、右岸側の遊歩道は、正直のところ歩くに値はしないという結論だった。
橋を渡ると浮島観音堂に出た。眼下の片品川の川幅は広い。ただ、いわゆる吹割の滝がどこにあるのかは川下を目を凝らしてかろうじてわかる程度のもので、そこに段差らしきものがあったからだ。左岸側の遊歩道は川沿いに設置され、右岸側とは対照的。見るからに日陰で涼しそうだ。歩いている見物客の姿も数人見えている。続いて浮島橋を渡る。真下はナメ状の川床になっていて、あそこを歩いたらさぞ気持ちが良いだろう。ここで振り返る。さっきの男性の姿はない。橋を渡ると左岸側に出た。
遊歩道をゆっくり下って行く。反対側から歩いて来る人たちに挨拶をしても返りがないので、こちらもそんな慣習的なことはやめた。ここは観光地なのだ。お互い他人様。ハイカーの多い山もまた他人様のようなもの。富士山に登った時、挨拶は存在しなかった。
舗装された遊歩道を歩いている。今日も懲りずにハイパーVを履いている。何やかやと文句をつけながらも、結局はこれを履いている。足の骨折後に散々、スニーカー類を買い替え履きしていたが、どうしてもハイパーVに落ち着いてしまう。買ってしまったスニーカーと何種類もの足首サポータもまた使うことはなく眠ってしまった。再び使用することになったら自分の山歩きもThe Endになる。それはさておき、ちょっと水に濡れた程度の歩道はハイパーVも滑ることもなく歩きやすい。これにヌメリが加わればまた悪態をつくことになる。
最初の落ち込んだ水の窪みが見えた。あれが吹割の滝のようだ。見ようによっては二頭のマッコウクジラの頭にも見えるが、テレビの映像で見る迫力は感じない。もっと近づいて見てみたいが立入禁止だ。カメラ付きドローンでも使えば、真上から迫力ある吹割の滝でも撮れようが、それでは自分の目で見たことにはならない。下流に回って近づき、かろうじて滝を垣間見たが、全容ではないので物足りない。周囲にだれもいなければさらに近づいて覗き込むがそれは不可能。あきらめる。まぁそれでもマイナスイオンを浴びた感じはした。どんな感じか。それは言葉では表現できかねる。皆がそういうから、自身もたっぷりと浴びているのだろう。不満足ながらもしばし見入ってしまった。
歩道を少し下ると、これもまた溝状だが滝がまた一つ。これが鱒飛の滝らしい。こちらは豪快ではないが、垂壁の岩をバックにシチュエーションは良い。進入禁止の赤いポールが何とも目障り。ここもまた、確実に死ぬだろうが、飛び込んでグルグルと水に回されている分には気持ちが良さげだ。ここでも見ているのに時間がかかるが、周囲には他にカップルがいて、彼女をバックに写真を撮っているから、こちらはただのお邪魔虫。向こうが長居なら、こちらはそれに対応していなくなるのを待つことになる。撮った写真には彼女の方がピースサインなんかしている姿がどうしても写り込んでしまう。不思議なことに、二人の写真を撮ってくれとは頼まれもしなかった。いろいろと事情もおありだろう。
遊歩道を下流に向かうとまた窪みの滝。もしかして鱒飛の滝はこれだったりして。いずれにしても吹割の滝で長居した。みなかみに向かおう。さっと上ると土産屋というか準備中の茶店の間を抜けて国道に出る。通行量は観光バスも加わって、来た時よりも多くなっている。駐車場に着いたのは8時20分だから、一時間チョイの周回時間だったようだ。出がけは涼しかったのに、もう頭から汗が流れてきて、首巻のタオルはもう汗がしぼれる状態だ。
この吹割の滝、印象としての一言は不良消化。ドローンになりたかった。
【裏見の滝】
(武尊神社)

(意外に急で長い階段を下る)

(下りきったつもりのところに沢。これが裏見の滝になる)

(裏見の滝の落ち口)

(この先には基本的にというか当然に行けないが、これでは滝が見えない)

(裏見の滝。対岸に細い水流。右手には小さなお堂が見えている)

(滝つぼ)

(戻る。階段はかなり応える)

(右岸側の観瀑台から)

(お堂、つまり、武尊神社の奥の院)

(脇の細い流れ。対岸からチョロ滝にも見えた)

(神社に戻って)

みなかみの滝は奥の方から猿ヶ京へと向かうつもりで、最奥の藤原の裏見の滝を先行する。まさかとは思ったが、ナビを宝台樹キャンプ場にセットすると、また高速に乗るようになった。地理が不案内ではしかたもなく、滝入口の武尊神社に着いたのは9時45分。途中のキャンプ場、連休も今日と明日のみだが混んでいた。結局、吹割の滝から一時間半近くかかってしまった。ただ、途中のコンビニに寄って、朝食代わりの菓子パンを買って冷たい茶で腹を半分ほど満たしたりしている。
実は、以降は観光滝めぐりだから楽勝というか、車から出ればすぐに見られる滝とばかりに考えていたから、勝手が違って実際は時間を追うごとに暑さはしんどくなり、ちょっとした歩きもバテバテで、ようやく五つの滝のノルマを達成といった汗だくの滝見になってしまう。それでも、スタートの神社での気温は25℃とまだ涼しいものだった。
神社の手前には上州武尊山の登山口があり、車が10台ほど。もう四半世紀も前のことか、武尊に初めて登った際、スキー場側から登るのを嫌い、ここから登った覚えがある。平日だったせいかだれもいず、かえって不気味だったのは、下山したら警察車両が待機していて、刑事らしき人物に尋問されたことだった。話の様子では、何の事件かは知らないが、容疑者がこの辺に逃げ込んだらしい。事件の内容も、その後の展開もわからない。
神社の前を車が数台、奥に向かっては引き返して来る。この先はダート状であきらめるのか、一応は通れるものの「自己責任」と記された看板がある。車利用次第では武尊山への最短コースのようではある。
「裏見の滝遊歩道」という真新しいイラスト看板のわりには、沢に続く階段付き歩道は苔むしていて、訪れる人もまれなのが一目瞭然。看板には観瀑台10分、奥の院20分と書かれている。この奥の院そのものがこの武尊神社の奥の院であるのだろう。滝の脇に描かれている。
どんどん下る。これでは、帰りの息切れが確実だ。この滝は最後にすべきだったか。それにしても、ハイパーVの威力はたちまちのうちに落ちて悪態レベルに戻った。滑る。つい手すりに手をかけてしまう。途中、右に道が分岐している。荒れた感じ。どこに出るのか知らないが、帰ってからイラスト看板を見直すと、これが観瀑台のようである。イラスト看板といえば、先ほど「真新しい」と形容したが、このイラストにはまさに滝の裏見ルートも掲載されている。実際には今は歩けないようで、それどころか、奥の院すら行けなかった。
沢に下りてその下流部を見ると、その先が切れていて、ここが裏見の滝の落ち口らしい。ということは、まだまだ下らなきゃならないということか。がっくり。ここまで下るだけで汗をかいていた。さらに階段を下ると、突然、立入禁止のガード。大胆ではなくためらいがちに少しばかりガードを越えると、右手奥に裏見の滝が見えた。つまり左岸側からではガードを越えないと見られない。ヤブ化した滝に続く草だらけの斜面にはうっすらと踏み跡が見えている。そして奥の院も見える。だが、そこまでして滝の近くに行きたいとは思わない。これで十分。豪快な滝だ。落差がどれくらいか、素人の自分にはわからない。以降の滝もまた同様。
対岸が気になった。チョロチョロした線のような流れがある。あれも滝だろうか。まぁ、みなかみ町最初の滝として、裏見の滝は満足。あの掘っ建て小屋のような奥の院にお参りせずともいいだろう。ある程度のマイナスイオンは浴びた。
戻って、落ち口を通過して先ほど見かけた分岐道に入ってみた。看板はないが観瀑台だった。その先は進入禁止。おそらくは、かつては裏見の道に続いていたのだろう。右岸側から見る滝もまたグッドだ。何せ、こちらの方が滝に接近している。ただ、滝つぼが見えない。脇を対岸から見えたチョロ滝が流れている。
はい、次に行きましょうと戻りかける。予想通りいきなりゼーゼーになった。上からファミリーが下ってくる。キャンプ場利用客のようで空身だ。滝の様子を聞かれる。何食わぬ顔をこしらえてはいたが、息切れは声に出る。返答する声が詰まる。何も知らない方には、この人には言語障害でもあるんじゃないのと思うだろう。久しぶりの上り下りはきつい。ファミリーには、手前の観瀑台からの滝見をお勧めした。
費やした時間はほぼ40分。
【稲荷滝】
(稲荷滝はここからガードレール越える)

(階段下り)

(そして稲荷滝。この先ともに橋からの眺めになる。右の人影がじゃま)

(滝つぼはかなり深い。これではかなりドボーンになってもケガはするまい)

(改めて)

(下の滝の上のアスリートたち。笑)

(下の滝はこうなっている。何が面白いかと言いたいが、一瞬のスリルは面白そうだ)

次、稲荷滝。裏見の滝のあった藤原からは車移動で50分かかった。うち10分近くは滝の場所探し。滝がどこにあるかわからず、滝の上の橋を行ったり来たりしていて、よほどに、この滝はパスしようかと思ったが、橋の欄干にカメラを持ったオジサンが立っているのに気づき、車を止めてよく見ると「稲荷滝」の看板が見えた。オジサンもまた、こんなところにといった顔でこちらを眺めている。
広い路肩に車を止めて橋に向かうと、オジサンはすでに車に乗り込んでいる。こんなところに滝があるのかと思いつつ、欄干に接した階段を下ると、滝の音とともに歓声というか嬌声が聞こえて来た。そして目の前に稲荷滝。事前調べで稲荷滝はこの時期はウォータースライダー(正式にはキャニオニングというらしい)を楽しむ滝らしいが、まさにそれをやっているようで、この時点で半分近い興ざめ。滝そのものは見事だが、この滝、二段になっているようで、やはり典型的な観光滝かとがっかりしながら戻りつつ、下の段の滝下には20人ほどの集団が水に浸かっているのが見えたのには驚いた。
眺めている限り、このキャニオニング、上からインストラクターらしき方が身体をロープ縛ってユルユルと下ろして滝つぼ寸前でロープを緩めてズドーンといったもので、それなりにスリルと清涼感はありそうではあるが、自分には、これが何が楽しいのか、だったら、落ち口からそのまま20mほど自力で突っ込めばもっとスリルがあるだろうにと思ってしまう。ただの、少しばかり満足できる水遊びにしか思えず、滞在時間も10分ほど。ただ、だれも遊んでいない時期なら、滝そのものは見ごたえがあるだろうものの、いかんせん、車道の真下というのが、ただの滝といった感じがして難点か。それ以上に、烏合の衆というには失礼だが、そのツァーらしきもので俗っぽいイメージが残ってしまった。
このキャニオニングだが、21日朝のテレビ朝日のお天気検定で見てしまい、クイズには答えずに、何となく不快でチャンネルを変えてしまった。くどいようだが、本日のみなかみの滝の中で一番下の順位になったというわけではない。アスリートたちがいてもいなくともこれもまた豪快な二段滝で素晴らしくはあった。ネックは車止めから近過ぎたといったところだろう。
【縁結びの滝】
(駐車場は手前。この橋を対岸に渡る)

(ここは整備されている。人気の滝なのだろう。お礼参りに来る人はいるのだろうか)

(縁結びの滝が見えてきた)

(お堂の中の石碑)

(縁結びの滝)

(上部)

(下部)

(あまりに流れが清らかだったもので)

(縁結びの願かけ)

もう昼近い。残りの菓子パンを食べ、またコンビニで茶を買う。基本、ドライブではあっても水分の消費量が多くなった。猿ヶ京温泉方面に向かって35分。みなかみ町もまた広い。ここもまた迷いながら駐車場に着いたのは12時5分。すでに涼しさはどこへやら、車のエンジンを切って外に出るのが苦痛になってきた。
目の前に河原が広がっている。この川は赤谷川。石ゴロの河原は広くなっていて、ホームセンター扱いのテント、タープが数張。その周辺で遊んでいる子供たち。中州もあるが、今日だからいいものの、大雨にでもなったらあっという間に増水だろう。赤谷湖が上流だったらさらにやっかいだ。
どちらに行けば滝に出会えるのか迷った。滝見物らしき人の姿は見えない。下流には何もなく、上流の上には大きなホテルが突っ立っている。標識に合わせてここまで来たから、周辺に滝があることに間違いはない。上流部に続く歩道の先に橋が見えた。取りあえず行ってみる。今になってから思うが、ここで記した上流と下流だが、もしかすると認識が間違っていて、実際は逆だったかも。
橋を渡ると、ようやく手書きの「縁結びの滝」の看板が置かれていた。名称からして、そういう願かけの滝だろうが、自分にはそんな趣旨は今さらのこと。最近はあわよくばといった卑しい気持ちすら起きなくなった。ヤブめいた小径を行くと、今度はしっかりした看板が現れ、その先に鳥居と滝が見えた。看板には、この滝の水を飲めば良縁云々とあった。そして5人のファミリー。年頃の子供が3人。水でも飲んでいるのか。そういえばと、ふと思う。こんなヤブじみたところを歩いていても、半袖でいながら今のところ蚊に刺されていない。別に蚊除けを塗ったわけでもないのにこれは珍しいことだ。群馬県北部は蚊が少ないのか。
鳥居を過ぎると、願かけの絵馬というのか板が幾重にもかかっていて、その脇にはご神体と見られる石碑が小さなお堂の中にある。滝はその先だ。ファミリーは去り、独り占めの状態になってしまった。
これまでの滝に比べると豪快さには欠けるがきれいな滝だ。もしかしてこれはナメ滝か。直瀑ではなく斜度は緩い。下は二股になっている。まさにこういう滝がマイナスイオンいっぱいといったところだろうか。マイナスイオンの概念にこだわり続けていたら、そんな粒子が密に空気中を漂っているような感じになってきている。好みの滝ではないが、癒し系の滝だ。今回は滝見のみに来ているが、こんな滝なら上まで遡行してみたくなるというもの。
駐車場に戻る。縁結びの滝にかけた時間は20分。何やかやいいながらも、この滝の写真撮り枚数が多かった。
【人影の滝】
(駐車地で)

(道も半分以上隠れている)

(水気をたっぷり含んだベンチ)

(人影の滝)

(接近して)

(滝つぼ)

(Y字状の落ち口)

(戻る。ここもまた汗だく。滝見の後の戻りは決まってなぜかむなしい気分になる)

しっかりした駐車場はなく、雑草の繁った路肩に車を突っ込んだ。大型車が通るらしいのでは仕方がない。何やら不思議な滝の名称だ。入口にある看板を読むと、「不動滝(人影の滝)」とあり、滝つぼに身投げをした二人の武士の人影が崖に残っているという伝説があるというようなことが記されている。ということは、怨念の滝とも言うべきか。
橋(合瀬大橋?)の脇を下って行く。この滝はあまり人気がないのだろう。歩道を草が覆っている。ここもまたどんどん下る。途中に朽ちかけたベンチがあったりする。滝の音が次第に大きくなって人影の滝が現れる。このままでは繁茂した草でまともに見られないので滝つぼに近づく。
豪瀑とはいえないが、勢いのある直瀑。落ち口を見上げると二股になってY字型に見えている。う~んなかなか良い滝だ。好み。つまり、普通の、落差のある滝が好きだということになる。だが、後になって、この滝の写真だけを見たら、はて、この滝は何だっけということになる。それだけ特徴がない。
滝つぼは浅い。水が跳ね返ってくる。滝つぼの前に横たわった樹の枝の塊が何とも邪魔でどかしたいところだが、それをするには足を濡らすことになる。今までの滝と違って、この滝だけは勢いがある分、周囲に水煙が漂っている。これがマイナスイオンだとしたら極めてわかりやすい。
ここにかけた時間も20分。すでに1時は過ぎた。ノルマはあと一つ。車から下りては歩いて滝を見て、車に戻って次の滝。単純作業の繰り返しのわりには疲れがきている。さらに悪いことに、これまでは陽が隠れたり出たりしていたのが、完全に青空一辺倒になり、ぎらぎらした陽が照りつけるようになった。
【綾織の滝】
(駐車地からすぐに舗装は切れ、こんなところを歩くが、滝が先にあるのか心配になってくる)

(お堂の後ろに綾織の滝が見えている)

(綾織の滝)

(近づいて)

(滝つぼ)

(落ち口。下のゴロゴロした石が剥がれた跡はツルツルになっている)

(しつこいが…。本日ラストの滝でもあるし)

(戻る。こんな道があるのには気づかなかった)

(おそらく吾妻耶山と大峰山)

ラストは今回のみなかみ、沼田の滝めぐりのきっかけになった綾織の滝。ここもまた不動滝と呼ばれているらしい。不動滝が二つ続く。
わかりづらいところにあったが、道路沿いに不動滝の標識があるので何とか行けた。林道のようなところに導かれると不動滝700mの標識。狭い広場になっていて、ここが駐車場なのかと思ったが、700m歩きはこの暑さでは応える。まだ車で行けそうだ。さらに先まで行き、東屋とトイレのある狭い空地に乗り入れたが、元より駐車場仕様になってはいない。先ほどの700m標識からここまでの間に対向車用の退避スペースもなく、さらに稼動はしていなかったが重機も置かれていた。観光客で混む滝とは思えないが、700mに駐車して歩いた方が無難だ。重機も盆休みだから稼動していないだけのことだろう。
さて、この先に滝があるのだろうかと思うような平らな道を行くと、すぐに右手に細い水流が出てきて、目の先の繁みの奥から滝の音が聞こえてきた。あれか。綾織の滝は。
お堂があって、その後ろに滝が控えている。お堂にはおそらく不動明王が祀られているのだろうが、お堂の板壁に隙間がないので中を覗くことはできない。滝に近づく。大きな石がごろごろしていて下は見えない。やっかいだなと思いながら、大石を越えて滝下まで出たが、何ということはない。脇に滝下に導いてくれる道が付いていた。これは後で気づいたこと。ちなみに、今回の滝見のきっかけになった交通安全ポスターに載った綾織の滝の前には、花を咲かせたイワタバコが配置されていたが、周囲に花らしきものを見ることはなかった。何でそんな花の名前を知っているのかは単純明快。ポスターにそう記してあったから。
滝の岩盤はテカテカしている。そして、周囲は垂壁状にぐるりとなっている。下のごろごろはここから剥げ落ちたのだろう。専門用語で何と言うのか知らないが、滝幅自体はさほどに広くもないし、水流の勢いもまた強いわけではない。だが、この滝は名瀑だなと理由もなくふと思う。この不動滝、だれが「綾織」と名づけたのか。この優雅な響きがこの滝には似合っている。それでいて、いつ、岩が崩れて来てもおかしくはないなといった恐さもある。不思議な滝だ。滝見の専門家でもないので、これ以上の表現はできない。
道沿いに下る。沢にかかる半身の丸太は水を含んで腐りかけている。ハイパーVだから用注意と思ったが、意外にもこんなところは滑らない。下地がコンクリだとダメということらしい。
正面に名のありそうな山が見え、後で調べようと思いながら、25分の見物タイムで駐車地に戻った。さて、この山、実は方向感覚がまったくなくなっていて、北に下ったつもりだが、だとすれば吾妻耶山と大峰山ということになるか。
もう2時を回っている。これから3時にかけて例外なくもっと暑くなる。ノルマも達成したことだしもういいだろう。スマホを取り出して、改めてみなかみ町の滝を見つける気力はもうない。家に帰る前に寄りたいところもある。帰路に就くことにしよう。
今日の滝見、これに自分好みの順位を付けることは意味もない。それぞれに素晴らしかった。ただ、沢を登りつめて出会う滝と、今日のような車で移動しながら見る観光滝とは、感慨がまったく違うということをあたり前のことながら感じた。ショボい滝ではあっても、沢を登って見た滝なら、印象も強く残る。今回の観光滝の記憶はいつまで持つだろうか。吹割の滝だけはスタイルも違った滝だっただけに、忘れることはあるまい。
まぁ,観光地というのもあるのでしょうが,吹割の滝を見たことがなかったというのは,少々,意外でしたヨ。
それはさておき,今回の滝の中で,人影の滝と縁結びの滝は,未訪なんですが,この両滝で,ヒルを見かけませんでした?遠いことも未訪の理由ではあるのですが,この両滝はヒルが多いという情報で,家族が半ズボンで,縁結びの滝で遊んでいる姿は,大丈夫なのかと思えたモノですから。
それと,裏見の滝の周回コースは,通行禁止になってしまったようですネ。以前は,名前のとおり裏見が出来て良かったのですが。ちなみに,公称落差80mとされていますが,実際は40mも無いと思いますヨ。
綾織の滝は,さすがに夏草に覆われていますネ。冬,温泉ついでに寄ったのですが,見事な氷瀑が見られて,この滝は,落差・形の美しさもあって,気にいっています。
ヒルの件、そういえば、事前調べでヒルのことが記されていましたが、すっかり失念しておりました。忘れていなかったら、それなりの準備もしたのですけどね。こちらは半ズボンではないにしても半袖でした。
幸いにもというか、ヒルを見かけることはありませんでした。探せば目にもついたでしょうが、そもそもヒルに対する恐怖心が自分にはなく、子供の頃によく付かれてはむしり取っていましたから、そんなものだという気持ちがあるのでしょう。ダニも同様で、さほどにピリピリすることはありませんね。
裏見の滝はやはり裏に回りたかったですが、立入禁止の看板やらそれをつないだクサリの状態からして、かなり以前から見られなくなってしまったといった印象でした。見た目は滝の裏のスペースは狭く、果たして見るに値したかは自分にはわかりません。
みなかみの滝、他にも洞元の滝をどうしようか迷ったのですが、以前見たこともありましたから、今回はカットしました。
観光滝はこんなものでしょうが、綾織の滝の氷瀑ですか…。かなり気になりますね。