◎2020年2月1日(土)
柳沢貯水池駐車場(7:42)……「竜ヶ井城跡」の標識(8:05)……百貫石(8:35)……329m標高点付近(8:57~9:05)……443.5m△・三本松(9:47~9:59)……林道(10:29)……林道分岐・山道になる(10:37)……林道横切り(10:46)……コースを離れる(11:03)……林道(11:25~11:36)……峰寺山への遊歩道入口(11:38)……弁天山(12:21~12:37)……弁天石(12:55)……電波塔(13:18)……林道離れる(13:26)……作業道に出る(13:51)……ふれあい道に入る(13:55)……県道(14:25)……駐車場(15:13)
前回の歩きの失敗で、次回は林道工事の完了か名物のヤマザクラの咲く頃にと思っていたが、先日の雨続きが山では雪だったようで、日光、谷川方面の山々の白さは増していた(なぜか赤城はもろに雨だったようで白色はかなり少なくなってしまった)。今季は積雪が少なくて自分にはラッキーとばかりにそろそろ本気にと思っていたが、湿った深雪にズボズボではかなわない。結局、歩きネタもないままに裏筑波続行になった。余談だが、当日1日の土曜日は出勤日だった。わざわざ休暇を取ってまで出かけた。ここまで勇んで出向いたその結果はとなると、今回もまた<×>だった。ここで自己弁護。湯袋峠ときのこ山をつなげなきゃというおかしなこだわりは、もうどうでもいい。長い林道歩きを我慢するか、枝葉のクズにまみれたヤブこぎをして途中放棄のいずれかだ。むしろ、自身、筑波山系に大した魅力を持ってはいなかったんだし、それでいい。ただ、今回の歩きで、メインコースを外した別の歩きの楽しみ方もあるんじゃないかと思うようにはなってはいる。
連続の歩きになった筑波。しばらくはいいだろう。ただそれも、今の気持ちであって、通行止めが解除されたら、ホイホイと出かけることになるかもしれない。あるいは、その気になれば次の歩きにでも…。こだわりというか、わだかまりを消せば、それなりの魅力も感じてくるというもの。何を言いたいのか、自分でもよくわかっていない。
同じところに向かっても、失敗した際の満足感は残しておきたい。今回はyamatohamさん他の方々の記事をいろいろと拝見し、竜ヶ井城跡のある尾根を登ることにした。真壁城は知っていても竜ヶ井城の存在は知らなかった。調べる。中世期(鎌倉時代以降としての概念)の城ではない。十世紀後半にあった、平良兼の城というか館で、将門に焼き討ちされたらしい。資料としては『将門記』と地元の伝承でしかないようだ。真壁城はいわば中世から近世にかけての城で、竜ヶ井城とは関係ないだろうが、時代を隔てて真壁が山をバックに平野が開けた要害の地であったことは理解できる。
講釈はともかく、城跡を見たくてこの尾根を登ったというわけではなく、地図に破線路があったので調べたら竜ヶ井城の存在を知った。この尾根を登って、キャンプ場の林道に出、前回の続きをきのこ山まで行って終結させ、下りは396.4m三角点の権現山(真壁富士)経由で戻るというのが本日の予定ルート。駐車地は、柳沢貯水池とした。この柳沢貯水池だが、GoogleMapでは確かに「柳沢貯水池」と記されてはいるが、現地の看板を見ると、「柳沢溜池」になっていたりしている。水が抜かれていたところからして溜池が正しいかもしれないが、ここでは貯水池とする。ついでながら、前日の夜に何とはなしに筑波山をネットで見ていたら、筑波梅林のロウバイが見頃らしい。山行が終わったら、立ち寄るつもりでいる。
(貯水池の上の高台から。目の前の尾根から奥の尾根に登る形になりそうだ)
(貯水池の碑)
(ここは冬の時季以外は泥濘だろう)
(ヤブ漕ぎでスタートとなった)
(小尾根に出てまずはほっとする)
貯水池駐車場から尾根に上がる間は湿地になっているらしく、ネットの記録では共通して泥濘になっている。確かに、地形図を見ると、ここは田んぼマークになっている。正確に言えば「元田んぼ」だったところかと思う。今日は、気合いを入れて歩きたかったのでスパ地下にしたが、いきなり泥で濡れるのではかなわない。幸いにも、低温で凍って、緩くはあったがタビが泥水を吸収することはなかった。
(小尾根に出ると、右下から落葉道が続いている。左は前述の小尾根。細くなっている)
(そして、ロープと池)
(バイクのコース。ここがコースの最高点だろう)
(ともかく、メインの尾根に)
地図には尾根に向かって二本の破線が南北に通っている。実際には共に見あたらない。手近な南の破線路から入るつもりがヤブで入口は隠れているし、先があるのかも不明。北の破線路に移動しても同じ。強引に入り込み、いきなりのヤブ斜面登りになった。かすかに踏み跡らしきものは散乱しているが、先が続いていないからあてにはできないし、イノシシの跡かもしれない。細い木々の間隙を縫って登った。滑る、ザックに括り付けたストックは引っかかる、つかむ枝は簡単に折れる、そして急。これは短時間だったからまだご愛嬌で済ます余裕はある。上に植林の尾根が見えてほっとした。
この尾根、先細りになっていて、右下にどこから来たのか作業道のような落葉に覆われた道型が出てきたのでそちらに移動。どうもまだ本尾根には上がっていないようだ。小さな沼が現れ、張られたロープの先の剥き出しになった地面には多数のタイヤ痕。ということは、まだ真壁トライアルランドの敷地内のようだ。確かに、細尾根に復帰して目先下を見ると、コース状になっている。
(竜ヶ井城跡の標識。尾根に入ってから薄暗くて、しばらくはピンボケだらけの写真になってしまった)
(もしかして「一の堀」?)
(「二の堀」標識)
(歩きやすい道は続いている)
細尾根を左にカーブして本尾根。「これより先バイクは入いらないでください 竜ヶ井城山の会」の看板と「竜ヶ井城跡」の標識が目に入った。いずれも手書き。もうここが竜ヶ井城跡なのか。尾根のやや左下を溝のようなものが通っていて、そちらが歩きやすいので溝を歩いているが、この溝は堀切りだろうか。
大きな石がゴロゴロした所を行くと、右手に小高い平地が見え、登ると、雑木がまばらに繁った平地。ここに館があったのか。看板も何もない。ここではないらしい。
溝が一時的に消え、普通の山道になった。そして「二の堀」の標識とともに溝が復活。「3の堀まで20分」と書き添えられている。ということは、さっきの溝は「一の堀」だったのか。標識には気づかなかった。堀の間が20分とは、かなり巨大な館跡だ。もっとも、自分自身、城址に詳しくはないから、どの程度のものなのか想像がつかない。
(「三の堀」。ここから左右中央三か所の尾根になり、堀だか溝がその間を貫いている)
(道またぎの倒木が多くなる)
(また堀か?)
(大きな石が多くなって)
(自分ではここが「百貫石」ポイントだと思っていた。標識もあったし)
堀がまた消え、復活して「三の堀」。二の堀からは6分しかかからなかった。20分とは冗談過ぎないか。先が長いから、この時点で軽快に飛ばし歩きをしてはいない。そもそも自分の足具合では飛ばせない。ここの標識にもメモ書きのように「百貫石まで30分」とある。これでいくと9分となるが。
三の堀の先は、両サイドが溝状になっていて、その間の細い尾根を歩いたり、右の太い尾根を歩きやすいところを行ったり来たりしたが、どの溝が堀なのかはわからずのままに消えた。右往左往したのは倒木が多くなったからで、くぐったりまたいだりに気をとられ、気づいたら、館の廓はすでに終わっていたというところだろう。やはり、平安時代の館跡のある尾根だけあって、急峻なところがないのが楽だ。焼き討ちされたのでは類焼範囲も広かったろうが。
百貫石の標識が出てきた。標識もある。<←百貫石→>となっていて、かすかな溝は復活し、それを挟んでどちらの小尾根でも行けますよということだろう。角の取れた丸い大石が目につく地帯になって矢印もない「百貫石」ポイントに着く。イメージに見合った特異な巨石はない。集石場といったところ。三の堀の標識から16分。9分の見積もりは甘かった。ところで、この百貫石だが、自分が撮った現場の写真と2年前にここを歩かれたyamasanpoさんの記事に出ている写真とは随分と違っている。yamasanpoさんの百貫石はでかい石がゴロゴロと集積して、右側に石祠が覗いている。かたや自分の百貫石は量的に少なく、石祠もない。決定的な違いは標識。自分のは縦書き。yamasanpoさんのは横書き。筆跡からして同一人物。どうも正確なスポットは脇道歩きをしてしまって見逃してしまったようだ。だから、この時点では、何の思いもなく「なるほど」で終わっている。
その百貫石の標識にまたメモ書きがあった。「ラクダ檜まで40分」。ラクダ檜? はて。この先のポイントは329m標高点と443.5m三角点(添付のGPSマップでは443.8mとなっている)しかないと思っていた。
(四の堀?)
(329m標高点の標識)
(これが「ラクダの檜」かと思う。下の標識で示しているのなら、ここに「ラクダの檜」の標識があって当たり前だが。この辺から、ここまで無責任的に置かれた標識はできるだけ無視するようにしたが、大方が新しいからどうしても気にはなった)
不可解なことに、先に行くと、今度は「四の堀」が出てきて、改めて横書きの「百貫石」。周辺に大きな石はない。四の堀も堀切とするには微妙な感じがするが、確かに標識の先に短い溝はあった。
一時的に道は落葉で隠れ、部分的にヤブめき、右手にちらりと桜川の街が見える。軽く登りきると、ご丁寧にも「329P」の手彫りの標識がぶら下がっている。329m標高点だ。標識の裏には「トラ」と彫られている。作者はトラさんか。ここに下部の幹が曲がった檜、これが腰を下ろして座ったラクダに見えなくもない。これがラクダ檜なのかは不明。それをフォローする物は見あたらない。ラクダの背中に腰をかけ、中のフリースを脱ぎ、ストックを出す。もう汗ばんでいる。地図では少し先の340mあたりで破線は終点になっている。一服したかったが、三角点まで我慢しよう。
(ようやくといった静かな雰囲気の道になった)
(やはり倒木は続く)
(富士権現の標識。新しい)
(だが、富士権現は先になっている。わけがわからん)
この辺からこれまでと周囲の様相が変わってきた。明瞭な道は続いている。植林が消えて明るくなった。一時的かと思うが、自然林やら雑木で倒木も目立ちはじめる。この倒木越えが少々やっかい。そのうちに「富士権現」の標識。石祠でもあるのかと探したが、そんなものは目に入らない。それでいて、その先の樹肌には手書きマジックで、進行方向に向けて「←至 富士権現」と書かれている。さっきの百貫石やラクダ檜とともに、よくわからない尾根だ。つまり、意味不明な標識が多過ぎるということ。トラさんを除いたこれまでの標識は、竜ヶ井城山の会が管理しているように思えるが、ハイカーを紛らわすような標識群は整備してもらいたいもの。別になければないで歩けるが、せっかくの名跡だ。頭を傾げてしまうのが多いのはどういうものだろう。別に百貫石の石祠を見逃したからの文句ではない。
(とにかく倒木が多い尾根。標識よりも、歩きやすく撤去してよとお願いしたい)
(また不明な標識)
続いて「350P 別荘分岐まで10分」。だれの別荘なのか。前方に筑波山が見えてくる。ここからでは行者山も見えている。次は「別荘分岐」。またかとうんざり。赤ペンキの矢印からして右手から上がって来るコースがあるらしい。と思ったが、よく見ると、矢印の向きは「←→」となっている。どちらに行けば別荘に着くのか。てっきり、別荘とは上の林道のことかと思っていたが違うようだ。メモ書きもあって「三本松まで25分」とある。かなりうっとうしくなった。ハイカーの少ないところでこういうのを目にするとほっとはするものだが、こううるさく、地元の地理に精通した人しか理解できないようではうんざりもする。少し下って上り。倒木は相変わらずだが、植林の復活とともにおとなしくなった。
(ようやくここまで来たら、ヤブかと思った)
(何も考えずに直登)
(443.5m三角点)
(三本松の標識)
瞬間、ヤブ入りかと思ったが、ヤブの間にしっかりと踏み跡がある。その先は横尾根状になっている。地図で確認する。443.5m三角点は、確かに北東から南西に続く尾根上にあり、三角点からは、その南西尾根に登るつもりでいる。あの尾根に出ればいいわけだ。
途中で道を失った。あの尾根に登れれば別にどこを歩こうと構わないと、強引に正面から斜面を登ったが、ズルズルと滑る。そのうちに、左から踏み跡が上がって来た。先にはテープが見えた。ここは、正面からではなく、左から迂回してトラバースして登るのが正解らしい。
ヤブっぽい尾根に出ると、すぐに平地になって三角点が目に入った。竜ヶ井城山の会の標識には太く黒々と「三本松」と記されている。事前に調べていたが、ここの三等三角点の基準点名が三本松。太田の金山にある三角点名は金山ではなく「東金井」で、地元の地名が基準点名に使われるのも多い。だから、ここのピークの山名は正確には三本松ではなく、無名のピークだからと便宜的に三本松という山名ということにしたのかもしれない。ちなみに、きのこ山からの下りで立ち寄ろうとしている396.4m三角点の権現山の基準点名は「権限山」で、「現」と「限」を間違って「権現山」になった可能性もある。また余計な講釈をしてしまった。
ようやく一服した。ここまで二時間か。ノロ足ではそんなものかもしれない。菓子パンを腹に入れ、地図を広げて、これからのルートを確認する。今回は25000分の1地図を四枚買う羽目になった。歩くエリアが四隅に集中していたからだ。真壁、加波山、柿岡、筑波。大きな地図を持って歩くわけにもいかず、部分、部分のみカラーコピーして持参したが、偏角線を入れるのを忘れてしまったのにここで気づいた。ヤマレコの地図でも刷り出せば余計なこともせずに済むが、ちょっとこだわってしまった。
(この先は一本道。この標識もうっとうしくなった。わかりきっている)
(左手に463m標高点かと思う)
破線は消えても踏み跡は道になっている。「キャンプ場→」の標識がある。下って上って、左手に小高い丘。これが463m標高点らしい。敢えて確認に行く必要もあるまいとパスしたが、後で写真を見ると、東側は多少の枝葉が邪魔になったかもしれないが、展望が開けているようで、ちょっと惜しかった。この辺から、左下から人の声が聞こえてくる。最初はハンターかと思ったが、ハイカーらしい。おそらく、先日下って車道に出たふれあい道を歩いているのかも。ハンターといえば、今日も散発的に銃声が聞こえている。ここまで来る間にも、さもイノシシといった感じの動物がドカドカと音を立てて下って行った。
(登って上から。右がふれあい道。左の林間から登って来た。標識もテープも何もない)
(そして林道)
左下からふれあい階段道が上がって来た。林道で合流した。振り返る。三本松に下る踏み跡には目印も標識もない。これまでの経緯からして「竜ヶ井城→」があっても不思議ではない。竜ヶ井城山の会では、多くのハイカーが山道経由で真壁の町に下るのを嫌っているのかもしれない。勝手な想像。山の会の標識についてはすでに苦言を記したが、その多さにしては矛盾している。そういえば、出発時に湯袋峠に向かう県道を歩いて行く単独さんを見かけた。どこまで行くのか知らないが、筑波山に行くのなら、多少の時間はかかるが、この尾根を使えば良いのにと思った。自分のように湯袋峠経由のこだわりでもあるのか。もしくはきのこ山なのか、途中からヤブとの格闘をするつもりでもいたのか。
ここから湯袋峠に林道歩き。しばらく歩いて、早々に道間違いをしてしまったことを知る。地図には実線道が南北に二本あり、北側を歩くつもりでいて南側を歩いていた。出所は同じだし、どうして気づかなかったのだろう。まぁ、どちらを歩いてもさして距離に差はなさそうだし、同じところに出るから、このまま行く。ここで、本日唯一のハイカーと出会った。先方は反対側から歩いて来た。以降、平日でもあるまいに、最後までだれとも会うことはなかった。
(ここで林道が合流する。手前から歩いて来た)
(ここから下ろうとしたが、先は激ヤブですごすごと戻る)
(ちょい先にしっかりした道があった)
(歩くハイカーは少なそうだ)
未舗装林道の歩き、さほどに歩かずに左右に通った林道に合流。一方は「つくば山つつじヶ丘」、片方は「国民宿舎つくばね」。ここまで来た方向には「真壁方面」とある。どっちに行けばいいのか地理に不案内だから不明だが、まだ北側の実線と合流していないはずなので左を選ぶ。すぐに廃林道近い状態になった。どうせならと、カーブミラーがあるところが市境っぽく感じたので、そこから林道を離れて湯袋峠に向かおうとしたら、すぐ先までは踏み跡はあったが、先は激ヤブ。すごすごと林道に戻ると、左に明瞭な山道があった。どうも地図の実線も破線もあてにならない。ここで北側の実線路と合流したのか。だとすれば、そのまま北東に道を辿ればいいのか。
(こんなところを下って)
(林道に合流。ここでハンターに話しかけられた)
下って間もなく、左から回り込んで来た林道で寸断されているようで、この先は下れない。手前左下に、その林道に下りられそうなところがあった。ほんの高さ4mあるかどうかのところだったが、容赦なしの崩れかけの急斜面でロープがあるわけでもない。木の根をつかんで慎重に林道に出た。ここが南北の実線の合流か。さっきの合流点に惑わされていたので、頭の中は混乱した。自分の居場所がわからない。GPSを見て、ようやく位置を納得した。確かに実線路の合流点だ。
その間、わけがわからずに地図を見ていると、実線、つまりは林道だったのだが、パジェロミニがやって来た。こちらの姿を見て、窓を開けてエンジンを止めた。オジサンが話しかけてきた。紳士的だ。それでも、助手席には袋に入った猟銃が目に付く。「ヤマドリを探しています。見ませんでしたか?」と聞かれた。イノシシの気配はあったけどと答えると、わざわざスマホを出して、ヤマドリの写真を見せられた。写真を見なくともわかる。ここでは見ませんでしたと再度言うと、範囲を筑波山域以外に広げられた。少なくとも、ここ数年見たことはありません。残念がって、やはりそうですかと去って行った。よほどにヤマドリに執着があるのだろう。許可を得て、ここまで車で入って来たとおっしゃってはいた。だからといって、相手が猟銃を持っている以上は、関わりを持ちたくもない。
(破線路。これまでの経緯からして、地図上の実線も破線もあてにはならない)
(歩道は左だが、ここを直進に下って車道へのショートカットを試みた)
ここから破線路に入る。どんどん下る。登り返しを思うと嫌な感じだが、想定内だから仕方がない。この道、別にヤブめいているわけではないが、歩くハイカーが多いとは思えない雰囲気だ。植林で薄暗いからなのか。植林から抜けると明るくなってカーブにかかった。このカーブに、何の目印か知らないが、赤い木札が立っていて、木には赤ペンキとテープ。カーブ先を覗き込むと踏み跡のようなものが見える。破線路を外して、ここを下ればどういうことになるのか。地図を見ると、県道150号線にショートカットで出られそうだ。湯袋峠の南側にはなる。
ここで予定ルートを変更。414.1m三角点、確か弁天山だったか。県道から通じる破線があり、先で市境尾根に接している。それで行こう。
(すぐにヤブ)
(おかしなところだ。沢が流れ、左には作業道がある)
(作業道はうやむやになって290m標高点あたり)
(適当に下ったら、車道が見えた)
(ジャンプして)
(湯袋峠からの県道に出る。現在、通行止め)
植林の中のヤブ道になっていた。ところどころにピンクテープが垂れてはいるが、すぐに見失った、適当にヤブ漕ぎで下る。一時的に小沢沿いに歩いたりもした。また踏み跡が復活しては見失う。この繰り返し。GPSを見ると、290m標高点は通過している。尾根型になってはいない。そのうちに傾斜が緩み、先に車道が見えた。最後は70センチほどの溝をジャンプし、ヤブ漕ぎで車道に出た。
一服したいが、手頃な腰かけになりそうなものがない。通行止めであることを思い出した。アスファルトの地べたに座った。タバコを吸いながらため息をつく。もう11時半だ。ロウバイがちらちらと目に浮かぶ。この分では、予定通りに歩いても、梅林は夕暮れ時ではないのか。だけど、せっかく来たんだから、ロウバイを優先させたい。とりあえず先まで行って、気分次第ではきのこ山はやめるか。市境歩きと勇んでも、ヤブで気が滅入り、林道歩きになるのがオチのような気がする。それを考えると、自分が面倒なことにこだわっていることに、ここに至ってようやくあきれてくる。
(峰寺山の看板。ここを右から登る)
(だそうです)
(峰寺と湯袋との距離を示す看板しか出てこない)
県道を少し南に行くと、「峰寺山」の看板が左にあり、その脇に階段が上に向かっている。地図看板も置かれているが、その地図には弁天岩はあっても弁天山はない。これが破線路なのだろうか。そもそも峰寺山が看板地図にない。持参の地図を広げる。峰寺山はどこなのか。これにもない。それもそのはず。「峰寺山西光院」が正式名称。西光院なら地図にも看板地図にもあった。これは後で知ったこと。
(今日の歩きで一番お気に入りの歩道だが、こんなところはこの山域に限らずどこにもある)
(弁天山山頂)
(かろうじてわかった弁天山)
(三角点石標が二基)
果たしてこれでいいのかと思いながら階段を上がって行く。感じの良いハイキングコースではある。看板も要所に置かれてはいるが、そこに出てくる文字は「峰寺」と「湯袋」までの距離だけ。不安になってGPSを出す。運よくGPS地図に破線路は記されているが、微妙にずれて歩いている。出発地点は同じ。途中から分岐する道はなかった。疑心暗鬼のままに行く。どうせ、きのこ山までは行かないんだし、おかしな所に出たら、そのまま戻ればいいやといった気分が出てくる。
前方にピークが見えてきた。もしかして、あれが弁天山だろうか。まさに弁天山だったが、出発地点から続いている<八郷町観光協会>の看板には、三角点があるのにもかかわらず弁天山の名前はなく、相変わらず「峰寺1Km 湯袋1.1Km」とあるだけで、だれかが作ったパソコン山名標識が掲げられている。三角点標石が二個ある。御料局と地理院だろうか。
ここから、本来なら真北に市境尾根となるのだが、そうはならなかった。左に下る尾根型に神経を集中させてはいたが、それらしき尾根を見つけ出せないままに、この「いばらき森林浴の道100選 No.77」を大分先まで行っていた。ここまで来たら、この道のままに林道に出て、大迂回で湯袋峠に下るしかないかと腹を決めかけたが、ヘタすればロウバイは見られないことになる。取りあえず、このまま戻っては意味もないので、入口の看板に記された弁天岩くらいは見てから考えよう。
(不安を抱えながら先に行く)
(弁天岩への分岐)
また不安。地図破線は弁天山から北東、南、北東と向かうのだが、少し北に行くと、すぐに東に向かいはじめた。またGPSを出す。やはり破線から大きく外れている。歩道が途中でカーブしたので復帰かと思ったが、また東。道はこれしかなかったし、看板は依然として峰寺に矢印になっている。大丈夫かなと思ったところで弁天岩250mの標識が現れた。峰寺はもう0.5Kmになっている。「峰寺山」が途中から「峰寺」になってしまったが、ここで、峰寺は距離的に、ここから北にあるなだらかな364m標高点ピークかと思った。そんなところまで行ってもあまり意味はないだろう。長い林道歩きが確実になってしまう。
(折れたままに放置された案内板)
(弁天岩)
(そして石祠)
弁天岩に緩い下りだ。丸い岩が見えた。あれが弁天岩らしい。トタンの八郷町の解説板が折られて放置されている。折りを広げて読んだ。やはり弁財天か。下に回って見上げると石祠があって、ワンカップの御神酒がお供えされている。失礼ながら、さして印象深い岩ではない。
分岐に戻って、そのまま峰寺方面に向かってみる。失敗しても500mのムダ歩きだが、この先の方向からして、途中で破線部分に復帰するような気がする。復帰したら、それなりのショートカットの妙案があった。というのも、ここでスマホを出してみると電波を受けていて、だったら、ずっと使えたのではないのかと思ったが、それは今さらのこと。ヤマレコで弁天山を検索し、地図を見ると、破線路にくっつくように電波塔のマークがある。これは25000分の1地図にはない。その電波塔から林道が始まり、西に尾根伝いに湯袋峠の下る林道にショートカットができそうだ。それをやれば、かなりのショートカットになる。ただ、この道が電波塔にぶつかればという前提になる。
(電波塔に向かって歩いている)
(電波塔)
(林道起点)
いばらき森林浴の道はここまでの東から北東に向きを変え、北西へと下って行った。破線路に近づいている。左に施設のようなものが見え、道から外れて近づくと電波塔。期待通りになってくれた。
林道は見あたらない。電波塔は柵と有刺鉄線に囲まれている。回り込むと、反対側が林道起点になっていた。ラッキーと、ここで林道歩きを開始したら、すぐに森林浴の道をそのまま歩いてぶつかるはずの林道出合いに出るだけのことで、むしろ余計歩きで時間はムダ。すぐに林道から離れて、大回りしている林道の先に出ないことには意味がない。
(すぐに、林道をここから離れた)
(ヤブっぽいがのんびり)
(下りきると沢が横切る)
(沢沿いに行ったのがミス)
林道からはすぐに離れた。ここで先で落ち合うはずの林道スポットにコンパスを当てればいいだけのことなのに、前述のように地図には偏角線を引いていなかったので、西北西のやや下に合わせた。地図では明瞭な尾根型にはなっていないから、多少、やっかいかも。これにヤブが加わったら手こずる。
起伏のないヤブ斜面を下ると植林になり、小さな沢が横に流れる最下部に出た。踏み跡じみたものが沢沿いに見えたのでそれを下流に辿ってみた。倒木が多く、避けるのに時間がかかる。ここには、何を意味するのかテープもある。いや、実はテープはあちこちにあって、案内用のものではないようだ。ふとコンパスを見ると、逆方向を指している。西に行くべきところを北東に向かっている。戻る。同じところを辿れるわけがない。かすかに、ここさっき通ったなといった記憶。間違ったところ、つまりは沢横切り部分に戻ると、コンパスの矢印が向く方向には高い尾根が見える。これを登るのはきつい。地図を見ても、そんな尾根型はない。
(右下を歩いていたがたまらずに左上に逃げたが、この状態では先にも行けずにまた戻った)
(テープがあっても、簡単に足は動かない)
(こんなところを向こうから歩いて来た。自分の背丈では隠れる)
(出た作業道。このまま市境で歩けそうな感じ)
ふと、尾根の右手に激ヤブの沢型が見えた。あれか? 入り込む。水が流れている。そしてピンクテープ。こんなところを歩く人がいるのか。ヤブがひどくて、隠れて足元で横になった枝木が滑る。左手斜面に踏み跡のようなものが見えた。あちらがまだましかと上がると、今度は倒木で先に進めず、元に戻る。苦闘しながらかきわけ進みをすると、上に左右に尾根のようなものが通っている。もしかして、林道はあれか。枝に引っ張られて強引に上がると、やはり林道とは言えない作業道に出た。ここで車を走らすのはきつい。上半身の衣類をズボンから外に出してはたく。バラバラと葉や枝のクズが落ちた。この作業道だが、後でGPS軌跡を確認すると市境を通っているようだ。先がどうなっているのかは不明。
もう2時近い。ここから柳沢貯水池までどれくらいかかるのだろうか。少なくとも一時間はかかるだろう。ロウバイは何とか間に合いそうだ。
(林道出合い。右から下って来た)
(ふれあい道の標識。ほっとはする)
(古道なのか…)
(県道に出る)
すぐに舗装林道に出た。縁石に腰かけて、残りの菓子パンを食べる。今日は久しぶりにラーメンを持って来ていた。カップラーメンではない。陽だまりの中、きのこ山で餅を入れたラーメンを食べるつもりでいた。それ以外にもポットには湯を入れてコーヒー用。いずれもお荷物になった。今、その気にはなれない。
舗装林道はふれあい道だった。標識があった。この林道を北に行くと上曽峠2.1KM、反対側は湯袋峠1.1KMとある。つまり、自分は湯袋峠に向かって下っている。林道沿いにお地蔵さん。そして無人の工事車両が一台。県道に出た。
湯袋峠は県道を左、八郷方面に行くことになる。今さらそちらに用事はない。気になって地図を広げた。さっき、電波塔の林道先からヤブ入りして下り切ったところでひるんで避けた尾根。あの尾根は、どうも、弁天山から北に下る市境尾根だったのではないのか。尾根型を見つけられずに素通りしたが、発見できていたら遠回りしたり、派手なヤブ漕ぎをすることもなかったか。
(工事もそろそろ終わりのようだ。前回よりも工事個所が上になっていた)
(里に入る前に一服して、今日の歩きはいったい何だったのだろうと思ったりする)
(柳沢貯水池。水は抜かれている)
(駐車地に到着。あの2台の車は何なのか。城址巡りだろうか)
県道を下る。林道歩きをしている間は道端の落葉の上を歩いたから感じなかったが、県道はきれいになっていて、足袋のスパイクがアスファルトにもろにあたって足裏が痛くなった。前回のふれあい道の出口を素通りし、工事箇所を通過。そして家並みが続くようになる。県道に入って一時間もかからずに貯水池駐車場に着いた。前回の延々とした車道歩きとチャリ乗りは途方もない距離に感じたが、それに比べたら楽だった。
3時15分か。何とか観梅に間に合いそうだ。靴だけ履き替えて筑波梅林に向かった。今回は大した歩き方もしていないのに何だか疲れた。おそらく、ヤブ漕ぎが加わったことと紛らわしい物事が多かったせいだろう。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
余計な言い訳。今回の歩きは前回以上にまったくの不満足。どうやって記事を書くか悩み、結局はだらだらと長い文章になってしまい、さらに醜い写真も多くなった。それどころか、テーマ写真のような、ろくな写真しか撮れず、この選別だけでも悩んだ。そして山行から一週間も経過してのアップになってしまった。筑波山に登ったわけでもなく、脇の道とヤブ歩き、たまたま弁天山に登っただけのことで、特記すべきことは何もない。だが、歩いた以上は記事にしておかないとけじめもつかない。読む側にはただ退屈かもしれなかったろうが、これはご容赦願いたい。
記事は前後したが、この後に筑波梅林に行って、ロウバイでがっかりすることになる。
柳沢貯水池駐車場(7:42)……「竜ヶ井城跡」の標識(8:05)……百貫石(8:35)……329m標高点付近(8:57~9:05)……443.5m△・三本松(9:47~9:59)……林道(10:29)……林道分岐・山道になる(10:37)……林道横切り(10:46)……コースを離れる(11:03)……林道(11:25~11:36)……峰寺山への遊歩道入口(11:38)……弁天山(12:21~12:37)……弁天石(12:55)……電波塔(13:18)……林道離れる(13:26)……作業道に出る(13:51)……ふれあい道に入る(13:55)……県道(14:25)……駐車場(15:13)
前回の歩きの失敗で、次回は林道工事の完了か名物のヤマザクラの咲く頃にと思っていたが、先日の雨続きが山では雪だったようで、日光、谷川方面の山々の白さは増していた(なぜか赤城はもろに雨だったようで白色はかなり少なくなってしまった)。今季は積雪が少なくて自分にはラッキーとばかりにそろそろ本気にと思っていたが、湿った深雪にズボズボではかなわない。結局、歩きネタもないままに裏筑波続行になった。余談だが、当日1日の土曜日は出勤日だった。わざわざ休暇を取ってまで出かけた。ここまで勇んで出向いたその結果はとなると、今回もまた<×>だった。ここで自己弁護。湯袋峠ときのこ山をつなげなきゃというおかしなこだわりは、もうどうでもいい。長い林道歩きを我慢するか、枝葉のクズにまみれたヤブこぎをして途中放棄のいずれかだ。むしろ、自身、筑波山系に大した魅力を持ってはいなかったんだし、それでいい。ただ、今回の歩きで、メインコースを外した別の歩きの楽しみ方もあるんじゃないかと思うようにはなってはいる。
連続の歩きになった筑波。しばらくはいいだろう。ただそれも、今の気持ちであって、通行止めが解除されたら、ホイホイと出かけることになるかもしれない。あるいは、その気になれば次の歩きにでも…。こだわりというか、わだかまりを消せば、それなりの魅力も感じてくるというもの。何を言いたいのか、自分でもよくわかっていない。
同じところに向かっても、失敗した際の満足感は残しておきたい。今回はyamatohamさん他の方々の記事をいろいろと拝見し、竜ヶ井城跡のある尾根を登ることにした。真壁城は知っていても竜ヶ井城の存在は知らなかった。調べる。中世期(鎌倉時代以降としての概念)の城ではない。十世紀後半にあった、平良兼の城というか館で、将門に焼き討ちされたらしい。資料としては『将門記』と地元の伝承でしかないようだ。真壁城はいわば中世から近世にかけての城で、竜ヶ井城とは関係ないだろうが、時代を隔てて真壁が山をバックに平野が開けた要害の地であったことは理解できる。
講釈はともかく、城跡を見たくてこの尾根を登ったというわけではなく、地図に破線路があったので調べたら竜ヶ井城の存在を知った。この尾根を登って、キャンプ場の林道に出、前回の続きをきのこ山まで行って終結させ、下りは396.4m三角点の権現山(真壁富士)経由で戻るというのが本日の予定ルート。駐車地は、柳沢貯水池とした。この柳沢貯水池だが、GoogleMapでは確かに「柳沢貯水池」と記されてはいるが、現地の看板を見ると、「柳沢溜池」になっていたりしている。水が抜かれていたところからして溜池が正しいかもしれないが、ここでは貯水池とする。ついでながら、前日の夜に何とはなしに筑波山をネットで見ていたら、筑波梅林のロウバイが見頃らしい。山行が終わったら、立ち寄るつもりでいる。
(貯水池の上の高台から。目の前の尾根から奥の尾根に登る形になりそうだ)
(貯水池の碑)
(ここは冬の時季以外は泥濘だろう)
(ヤブ漕ぎでスタートとなった)
(小尾根に出てまずはほっとする)
貯水池駐車場から尾根に上がる間は湿地になっているらしく、ネットの記録では共通して泥濘になっている。確かに、地形図を見ると、ここは田んぼマークになっている。正確に言えば「元田んぼ」だったところかと思う。今日は、気合いを入れて歩きたかったのでスパ地下にしたが、いきなり泥で濡れるのではかなわない。幸いにも、低温で凍って、緩くはあったがタビが泥水を吸収することはなかった。
(小尾根に出ると、右下から落葉道が続いている。左は前述の小尾根。細くなっている)
(そして、ロープと池)
(バイクのコース。ここがコースの最高点だろう)
(ともかく、メインの尾根に)
地図には尾根に向かって二本の破線が南北に通っている。実際には共に見あたらない。手近な南の破線路から入るつもりがヤブで入口は隠れているし、先があるのかも不明。北の破線路に移動しても同じ。強引に入り込み、いきなりのヤブ斜面登りになった。かすかに踏み跡らしきものは散乱しているが、先が続いていないからあてにはできないし、イノシシの跡かもしれない。細い木々の間隙を縫って登った。滑る、ザックに括り付けたストックは引っかかる、つかむ枝は簡単に折れる、そして急。これは短時間だったからまだご愛嬌で済ます余裕はある。上に植林の尾根が見えてほっとした。
この尾根、先細りになっていて、右下にどこから来たのか作業道のような落葉に覆われた道型が出てきたのでそちらに移動。どうもまだ本尾根には上がっていないようだ。小さな沼が現れ、張られたロープの先の剥き出しになった地面には多数のタイヤ痕。ということは、まだ真壁トライアルランドの敷地内のようだ。確かに、細尾根に復帰して目先下を見ると、コース状になっている。
(竜ヶ井城跡の標識。尾根に入ってから薄暗くて、しばらくはピンボケだらけの写真になってしまった)
(もしかして「一の堀」?)
(「二の堀」標識)
(歩きやすい道は続いている)
細尾根を左にカーブして本尾根。「これより先バイクは入いらないでください 竜ヶ井城山の会」の看板と「竜ヶ井城跡」の標識が目に入った。いずれも手書き。もうここが竜ヶ井城跡なのか。尾根のやや左下を溝のようなものが通っていて、そちらが歩きやすいので溝を歩いているが、この溝は堀切りだろうか。
大きな石がゴロゴロした所を行くと、右手に小高い平地が見え、登ると、雑木がまばらに繁った平地。ここに館があったのか。看板も何もない。ここではないらしい。
溝が一時的に消え、普通の山道になった。そして「二の堀」の標識とともに溝が復活。「3の堀まで20分」と書き添えられている。ということは、さっきの溝は「一の堀」だったのか。標識には気づかなかった。堀の間が20分とは、かなり巨大な館跡だ。もっとも、自分自身、城址に詳しくはないから、どの程度のものなのか想像がつかない。
(「三の堀」。ここから左右中央三か所の尾根になり、堀だか溝がその間を貫いている)
(道またぎの倒木が多くなる)
(また堀か?)
(大きな石が多くなって)
(自分ではここが「百貫石」ポイントだと思っていた。標識もあったし)
堀がまた消え、復活して「三の堀」。二の堀からは6分しかかからなかった。20分とは冗談過ぎないか。先が長いから、この時点で軽快に飛ばし歩きをしてはいない。そもそも自分の足具合では飛ばせない。ここの標識にもメモ書きのように「百貫石まで30分」とある。これでいくと9分となるが。
三の堀の先は、両サイドが溝状になっていて、その間の細い尾根を歩いたり、右の太い尾根を歩きやすいところを行ったり来たりしたが、どの溝が堀なのかはわからずのままに消えた。右往左往したのは倒木が多くなったからで、くぐったりまたいだりに気をとられ、気づいたら、館の廓はすでに終わっていたというところだろう。やはり、平安時代の館跡のある尾根だけあって、急峻なところがないのが楽だ。焼き討ちされたのでは類焼範囲も広かったろうが。
百貫石の標識が出てきた。標識もある。<←百貫石→>となっていて、かすかな溝は復活し、それを挟んでどちらの小尾根でも行けますよということだろう。角の取れた丸い大石が目につく地帯になって矢印もない「百貫石」ポイントに着く。イメージに見合った特異な巨石はない。集石場といったところ。三の堀の標識から16分。9分の見積もりは甘かった。ところで、この百貫石だが、自分が撮った現場の写真と2年前にここを歩かれたyamasanpoさんの記事に出ている写真とは随分と違っている。yamasanpoさんの百貫石はでかい石がゴロゴロと集積して、右側に石祠が覗いている。かたや自分の百貫石は量的に少なく、石祠もない。決定的な違いは標識。自分のは縦書き。yamasanpoさんのは横書き。筆跡からして同一人物。どうも正確なスポットは脇道歩きをしてしまって見逃してしまったようだ。だから、この時点では、何の思いもなく「なるほど」で終わっている。
その百貫石の標識にまたメモ書きがあった。「ラクダ檜まで40分」。ラクダ檜? はて。この先のポイントは329m標高点と443.5m三角点(添付のGPSマップでは443.8mとなっている)しかないと思っていた。
(四の堀?)
(329m標高点の標識)
(これが「ラクダの檜」かと思う。下の標識で示しているのなら、ここに「ラクダの檜」の標識があって当たり前だが。この辺から、ここまで無責任的に置かれた標識はできるだけ無視するようにしたが、大方が新しいからどうしても気にはなった)
不可解なことに、先に行くと、今度は「四の堀」が出てきて、改めて横書きの「百貫石」。周辺に大きな石はない。四の堀も堀切とするには微妙な感じがするが、確かに標識の先に短い溝はあった。
一時的に道は落葉で隠れ、部分的にヤブめき、右手にちらりと桜川の街が見える。軽く登りきると、ご丁寧にも「329P」の手彫りの標識がぶら下がっている。329m標高点だ。標識の裏には「トラ」と彫られている。作者はトラさんか。ここに下部の幹が曲がった檜、これが腰を下ろして座ったラクダに見えなくもない。これがラクダ檜なのかは不明。それをフォローする物は見あたらない。ラクダの背中に腰をかけ、中のフリースを脱ぎ、ストックを出す。もう汗ばんでいる。地図では少し先の340mあたりで破線は終点になっている。一服したかったが、三角点まで我慢しよう。
(ようやくといった静かな雰囲気の道になった)
(やはり倒木は続く)
(富士権現の標識。新しい)
(だが、富士権現は先になっている。わけがわからん)
この辺からこれまでと周囲の様相が変わってきた。明瞭な道は続いている。植林が消えて明るくなった。一時的かと思うが、自然林やら雑木で倒木も目立ちはじめる。この倒木越えが少々やっかい。そのうちに「富士権現」の標識。石祠でもあるのかと探したが、そんなものは目に入らない。それでいて、その先の樹肌には手書きマジックで、進行方向に向けて「←至 富士権現」と書かれている。さっきの百貫石やラクダ檜とともに、よくわからない尾根だ。つまり、意味不明な標識が多過ぎるということ。トラさんを除いたこれまでの標識は、竜ヶ井城山の会が管理しているように思えるが、ハイカーを紛らわすような標識群は整備してもらいたいもの。別になければないで歩けるが、せっかくの名跡だ。頭を傾げてしまうのが多いのはどういうものだろう。別に百貫石の石祠を見逃したからの文句ではない。
(とにかく倒木が多い尾根。標識よりも、歩きやすく撤去してよとお願いしたい)
(また不明な標識)
続いて「350P 別荘分岐まで10分」。だれの別荘なのか。前方に筑波山が見えてくる。ここからでは行者山も見えている。次は「別荘分岐」。またかとうんざり。赤ペンキの矢印からして右手から上がって来るコースがあるらしい。と思ったが、よく見ると、矢印の向きは「←→」となっている。どちらに行けば別荘に着くのか。てっきり、別荘とは上の林道のことかと思っていたが違うようだ。メモ書きもあって「三本松まで25分」とある。かなりうっとうしくなった。ハイカーの少ないところでこういうのを目にするとほっとはするものだが、こううるさく、地元の地理に精通した人しか理解できないようではうんざりもする。少し下って上り。倒木は相変わらずだが、植林の復活とともにおとなしくなった。
(ようやくここまで来たら、ヤブかと思った)
(何も考えずに直登)
(443.5m三角点)
(三本松の標識)
瞬間、ヤブ入りかと思ったが、ヤブの間にしっかりと踏み跡がある。その先は横尾根状になっている。地図で確認する。443.5m三角点は、確かに北東から南西に続く尾根上にあり、三角点からは、その南西尾根に登るつもりでいる。あの尾根に出ればいいわけだ。
途中で道を失った。あの尾根に登れれば別にどこを歩こうと構わないと、強引に正面から斜面を登ったが、ズルズルと滑る。そのうちに、左から踏み跡が上がって来た。先にはテープが見えた。ここは、正面からではなく、左から迂回してトラバースして登るのが正解らしい。
ヤブっぽい尾根に出ると、すぐに平地になって三角点が目に入った。竜ヶ井城山の会の標識には太く黒々と「三本松」と記されている。事前に調べていたが、ここの三等三角点の基準点名が三本松。太田の金山にある三角点名は金山ではなく「東金井」で、地元の地名が基準点名に使われるのも多い。だから、ここのピークの山名は正確には三本松ではなく、無名のピークだからと便宜的に三本松という山名ということにしたのかもしれない。ちなみに、きのこ山からの下りで立ち寄ろうとしている396.4m三角点の権現山の基準点名は「権限山」で、「現」と「限」を間違って「権現山」になった可能性もある。また余計な講釈をしてしまった。
ようやく一服した。ここまで二時間か。ノロ足ではそんなものかもしれない。菓子パンを腹に入れ、地図を広げて、これからのルートを確認する。今回は25000分の1地図を四枚買う羽目になった。歩くエリアが四隅に集中していたからだ。真壁、加波山、柿岡、筑波。大きな地図を持って歩くわけにもいかず、部分、部分のみカラーコピーして持参したが、偏角線を入れるのを忘れてしまったのにここで気づいた。ヤマレコの地図でも刷り出せば余計なこともせずに済むが、ちょっとこだわってしまった。
(この先は一本道。この標識もうっとうしくなった。わかりきっている)
(左手に463m標高点かと思う)
破線は消えても踏み跡は道になっている。「キャンプ場→」の標識がある。下って上って、左手に小高い丘。これが463m標高点らしい。敢えて確認に行く必要もあるまいとパスしたが、後で写真を見ると、東側は多少の枝葉が邪魔になったかもしれないが、展望が開けているようで、ちょっと惜しかった。この辺から、左下から人の声が聞こえてくる。最初はハンターかと思ったが、ハイカーらしい。おそらく、先日下って車道に出たふれあい道を歩いているのかも。ハンターといえば、今日も散発的に銃声が聞こえている。ここまで来る間にも、さもイノシシといった感じの動物がドカドカと音を立てて下って行った。
(登って上から。右がふれあい道。左の林間から登って来た。標識もテープも何もない)
(そして林道)
左下からふれあい階段道が上がって来た。林道で合流した。振り返る。三本松に下る踏み跡には目印も標識もない。これまでの経緯からして「竜ヶ井城→」があっても不思議ではない。竜ヶ井城山の会では、多くのハイカーが山道経由で真壁の町に下るのを嫌っているのかもしれない。勝手な想像。山の会の標識についてはすでに苦言を記したが、その多さにしては矛盾している。そういえば、出発時に湯袋峠に向かう県道を歩いて行く単独さんを見かけた。どこまで行くのか知らないが、筑波山に行くのなら、多少の時間はかかるが、この尾根を使えば良いのにと思った。自分のように湯袋峠経由のこだわりでもあるのか。もしくはきのこ山なのか、途中からヤブとの格闘をするつもりでもいたのか。
ここから湯袋峠に林道歩き。しばらく歩いて、早々に道間違いをしてしまったことを知る。地図には実線道が南北に二本あり、北側を歩くつもりでいて南側を歩いていた。出所は同じだし、どうして気づかなかったのだろう。まぁ、どちらを歩いてもさして距離に差はなさそうだし、同じところに出るから、このまま行く。ここで、本日唯一のハイカーと出会った。先方は反対側から歩いて来た。以降、平日でもあるまいに、最後までだれとも会うことはなかった。
(ここで林道が合流する。手前から歩いて来た)
(ここから下ろうとしたが、先は激ヤブですごすごと戻る)
(ちょい先にしっかりした道があった)
(歩くハイカーは少なそうだ)
未舗装林道の歩き、さほどに歩かずに左右に通った林道に合流。一方は「つくば山つつじヶ丘」、片方は「国民宿舎つくばね」。ここまで来た方向には「真壁方面」とある。どっちに行けばいいのか地理に不案内だから不明だが、まだ北側の実線と合流していないはずなので左を選ぶ。すぐに廃林道近い状態になった。どうせならと、カーブミラーがあるところが市境っぽく感じたので、そこから林道を離れて湯袋峠に向かおうとしたら、すぐ先までは踏み跡はあったが、先は激ヤブ。すごすごと林道に戻ると、左に明瞭な山道があった。どうも地図の実線も破線もあてにならない。ここで北側の実線路と合流したのか。だとすれば、そのまま北東に道を辿ればいいのか。
(こんなところを下って)
(林道に合流。ここでハンターに話しかけられた)
下って間もなく、左から回り込んで来た林道で寸断されているようで、この先は下れない。手前左下に、その林道に下りられそうなところがあった。ほんの高さ4mあるかどうかのところだったが、容赦なしの崩れかけの急斜面でロープがあるわけでもない。木の根をつかんで慎重に林道に出た。ここが南北の実線の合流か。さっきの合流点に惑わされていたので、頭の中は混乱した。自分の居場所がわからない。GPSを見て、ようやく位置を納得した。確かに実線路の合流点だ。
その間、わけがわからずに地図を見ていると、実線、つまりは林道だったのだが、パジェロミニがやって来た。こちらの姿を見て、窓を開けてエンジンを止めた。オジサンが話しかけてきた。紳士的だ。それでも、助手席には袋に入った猟銃が目に付く。「ヤマドリを探しています。見ませんでしたか?」と聞かれた。イノシシの気配はあったけどと答えると、わざわざスマホを出して、ヤマドリの写真を見せられた。写真を見なくともわかる。ここでは見ませんでしたと再度言うと、範囲を筑波山域以外に広げられた。少なくとも、ここ数年見たことはありません。残念がって、やはりそうですかと去って行った。よほどにヤマドリに執着があるのだろう。許可を得て、ここまで車で入って来たとおっしゃってはいた。だからといって、相手が猟銃を持っている以上は、関わりを持ちたくもない。
(破線路。これまでの経緯からして、地図上の実線も破線もあてにはならない)
(歩道は左だが、ここを直進に下って車道へのショートカットを試みた)
ここから破線路に入る。どんどん下る。登り返しを思うと嫌な感じだが、想定内だから仕方がない。この道、別にヤブめいているわけではないが、歩くハイカーが多いとは思えない雰囲気だ。植林で薄暗いからなのか。植林から抜けると明るくなってカーブにかかった。このカーブに、何の目印か知らないが、赤い木札が立っていて、木には赤ペンキとテープ。カーブ先を覗き込むと踏み跡のようなものが見える。破線路を外して、ここを下ればどういうことになるのか。地図を見ると、県道150号線にショートカットで出られそうだ。湯袋峠の南側にはなる。
ここで予定ルートを変更。414.1m三角点、確か弁天山だったか。県道から通じる破線があり、先で市境尾根に接している。それで行こう。
(すぐにヤブ)
(おかしなところだ。沢が流れ、左には作業道がある)
(作業道はうやむやになって290m標高点あたり)
(適当に下ったら、車道が見えた)
(ジャンプして)
(湯袋峠からの県道に出る。現在、通行止め)
植林の中のヤブ道になっていた。ところどころにピンクテープが垂れてはいるが、すぐに見失った、適当にヤブ漕ぎで下る。一時的に小沢沿いに歩いたりもした。また踏み跡が復活しては見失う。この繰り返し。GPSを見ると、290m標高点は通過している。尾根型になってはいない。そのうちに傾斜が緩み、先に車道が見えた。最後は70センチほどの溝をジャンプし、ヤブ漕ぎで車道に出た。
一服したいが、手頃な腰かけになりそうなものがない。通行止めであることを思い出した。アスファルトの地べたに座った。タバコを吸いながらため息をつく。もう11時半だ。ロウバイがちらちらと目に浮かぶ。この分では、予定通りに歩いても、梅林は夕暮れ時ではないのか。だけど、せっかく来たんだから、ロウバイを優先させたい。とりあえず先まで行って、気分次第ではきのこ山はやめるか。市境歩きと勇んでも、ヤブで気が滅入り、林道歩きになるのがオチのような気がする。それを考えると、自分が面倒なことにこだわっていることに、ここに至ってようやくあきれてくる。
(峰寺山の看板。ここを右から登る)
(だそうです)
(峰寺と湯袋との距離を示す看板しか出てこない)
県道を少し南に行くと、「峰寺山」の看板が左にあり、その脇に階段が上に向かっている。地図看板も置かれているが、その地図には弁天岩はあっても弁天山はない。これが破線路なのだろうか。そもそも峰寺山が看板地図にない。持参の地図を広げる。峰寺山はどこなのか。これにもない。それもそのはず。「峰寺山西光院」が正式名称。西光院なら地図にも看板地図にもあった。これは後で知ったこと。
(今日の歩きで一番お気に入りの歩道だが、こんなところはこの山域に限らずどこにもある)
(弁天山山頂)
(かろうじてわかった弁天山)
(三角点石標が二基)
果たしてこれでいいのかと思いながら階段を上がって行く。感じの良いハイキングコースではある。看板も要所に置かれてはいるが、そこに出てくる文字は「峰寺」と「湯袋」までの距離だけ。不安になってGPSを出す。運よくGPS地図に破線路は記されているが、微妙にずれて歩いている。出発地点は同じ。途中から分岐する道はなかった。疑心暗鬼のままに行く。どうせ、きのこ山までは行かないんだし、おかしな所に出たら、そのまま戻ればいいやといった気分が出てくる。
前方にピークが見えてきた。もしかして、あれが弁天山だろうか。まさに弁天山だったが、出発地点から続いている<八郷町観光協会>の看板には、三角点があるのにもかかわらず弁天山の名前はなく、相変わらず「峰寺1Km 湯袋1.1Km」とあるだけで、だれかが作ったパソコン山名標識が掲げられている。三角点標石が二個ある。御料局と地理院だろうか。
ここから、本来なら真北に市境尾根となるのだが、そうはならなかった。左に下る尾根型に神経を集中させてはいたが、それらしき尾根を見つけ出せないままに、この「いばらき森林浴の道100選 No.77」を大分先まで行っていた。ここまで来たら、この道のままに林道に出て、大迂回で湯袋峠に下るしかないかと腹を決めかけたが、ヘタすればロウバイは見られないことになる。取りあえず、このまま戻っては意味もないので、入口の看板に記された弁天岩くらいは見てから考えよう。
(不安を抱えながら先に行く)
(弁天岩への分岐)
また不安。地図破線は弁天山から北東、南、北東と向かうのだが、少し北に行くと、すぐに東に向かいはじめた。またGPSを出す。やはり破線から大きく外れている。歩道が途中でカーブしたので復帰かと思ったが、また東。道はこれしかなかったし、看板は依然として峰寺に矢印になっている。大丈夫かなと思ったところで弁天岩250mの標識が現れた。峰寺はもう0.5Kmになっている。「峰寺山」が途中から「峰寺」になってしまったが、ここで、峰寺は距離的に、ここから北にあるなだらかな364m標高点ピークかと思った。そんなところまで行ってもあまり意味はないだろう。長い林道歩きが確実になってしまう。
(折れたままに放置された案内板)
(弁天岩)
(そして石祠)
弁天岩に緩い下りだ。丸い岩が見えた。あれが弁天岩らしい。トタンの八郷町の解説板が折られて放置されている。折りを広げて読んだ。やはり弁財天か。下に回って見上げると石祠があって、ワンカップの御神酒がお供えされている。失礼ながら、さして印象深い岩ではない。
分岐に戻って、そのまま峰寺方面に向かってみる。失敗しても500mのムダ歩きだが、この先の方向からして、途中で破線部分に復帰するような気がする。復帰したら、それなりのショートカットの妙案があった。というのも、ここでスマホを出してみると電波を受けていて、だったら、ずっと使えたのではないのかと思ったが、それは今さらのこと。ヤマレコで弁天山を検索し、地図を見ると、破線路にくっつくように電波塔のマークがある。これは25000分の1地図にはない。その電波塔から林道が始まり、西に尾根伝いに湯袋峠の下る林道にショートカットができそうだ。それをやれば、かなりのショートカットになる。ただ、この道が電波塔にぶつかればという前提になる。
(電波塔に向かって歩いている)
(電波塔)
(林道起点)
いばらき森林浴の道はここまでの東から北東に向きを変え、北西へと下って行った。破線路に近づいている。左に施設のようなものが見え、道から外れて近づくと電波塔。期待通りになってくれた。
林道は見あたらない。電波塔は柵と有刺鉄線に囲まれている。回り込むと、反対側が林道起点になっていた。ラッキーと、ここで林道歩きを開始したら、すぐに森林浴の道をそのまま歩いてぶつかるはずの林道出合いに出るだけのことで、むしろ余計歩きで時間はムダ。すぐに林道から離れて、大回りしている林道の先に出ないことには意味がない。
(すぐに、林道をここから離れた)
(ヤブっぽいがのんびり)
(下りきると沢が横切る)
(沢沿いに行ったのがミス)
林道からはすぐに離れた。ここで先で落ち合うはずの林道スポットにコンパスを当てればいいだけのことなのに、前述のように地図には偏角線を引いていなかったので、西北西のやや下に合わせた。地図では明瞭な尾根型にはなっていないから、多少、やっかいかも。これにヤブが加わったら手こずる。
起伏のないヤブ斜面を下ると植林になり、小さな沢が横に流れる最下部に出た。踏み跡じみたものが沢沿いに見えたのでそれを下流に辿ってみた。倒木が多く、避けるのに時間がかかる。ここには、何を意味するのかテープもある。いや、実はテープはあちこちにあって、案内用のものではないようだ。ふとコンパスを見ると、逆方向を指している。西に行くべきところを北東に向かっている。戻る。同じところを辿れるわけがない。かすかに、ここさっき通ったなといった記憶。間違ったところ、つまりは沢横切り部分に戻ると、コンパスの矢印が向く方向には高い尾根が見える。これを登るのはきつい。地図を見ても、そんな尾根型はない。
(右下を歩いていたがたまらずに左上に逃げたが、この状態では先にも行けずにまた戻った)
(テープがあっても、簡単に足は動かない)
(こんなところを向こうから歩いて来た。自分の背丈では隠れる)
(出た作業道。このまま市境で歩けそうな感じ)
ふと、尾根の右手に激ヤブの沢型が見えた。あれか? 入り込む。水が流れている。そしてピンクテープ。こんなところを歩く人がいるのか。ヤブがひどくて、隠れて足元で横になった枝木が滑る。左手斜面に踏み跡のようなものが見えた。あちらがまだましかと上がると、今度は倒木で先に進めず、元に戻る。苦闘しながらかきわけ進みをすると、上に左右に尾根のようなものが通っている。もしかして、林道はあれか。枝に引っ張られて強引に上がると、やはり林道とは言えない作業道に出た。ここで車を走らすのはきつい。上半身の衣類をズボンから外に出してはたく。バラバラと葉や枝のクズが落ちた。この作業道だが、後でGPS軌跡を確認すると市境を通っているようだ。先がどうなっているのかは不明。
もう2時近い。ここから柳沢貯水池までどれくらいかかるのだろうか。少なくとも一時間はかかるだろう。ロウバイは何とか間に合いそうだ。
(林道出合い。右から下って来た)
(ふれあい道の標識。ほっとはする)
(古道なのか…)
(県道に出る)
すぐに舗装林道に出た。縁石に腰かけて、残りの菓子パンを食べる。今日は久しぶりにラーメンを持って来ていた。カップラーメンではない。陽だまりの中、きのこ山で餅を入れたラーメンを食べるつもりでいた。それ以外にもポットには湯を入れてコーヒー用。いずれもお荷物になった。今、その気にはなれない。
舗装林道はふれあい道だった。標識があった。この林道を北に行くと上曽峠2.1KM、反対側は湯袋峠1.1KMとある。つまり、自分は湯袋峠に向かって下っている。林道沿いにお地蔵さん。そして無人の工事車両が一台。県道に出た。
湯袋峠は県道を左、八郷方面に行くことになる。今さらそちらに用事はない。気になって地図を広げた。さっき、電波塔の林道先からヤブ入りして下り切ったところでひるんで避けた尾根。あの尾根は、どうも、弁天山から北に下る市境尾根だったのではないのか。尾根型を見つけられずに素通りしたが、発見できていたら遠回りしたり、派手なヤブ漕ぎをすることもなかったか。
(工事もそろそろ終わりのようだ。前回よりも工事個所が上になっていた)
(里に入る前に一服して、今日の歩きはいったい何だったのだろうと思ったりする)
(柳沢貯水池。水は抜かれている)
(駐車地に到着。あの2台の車は何なのか。城址巡りだろうか)
県道を下る。林道歩きをしている間は道端の落葉の上を歩いたから感じなかったが、県道はきれいになっていて、足袋のスパイクがアスファルトにもろにあたって足裏が痛くなった。前回のふれあい道の出口を素通りし、工事箇所を通過。そして家並みが続くようになる。県道に入って一時間もかからずに貯水池駐車場に着いた。前回の延々とした車道歩きとチャリ乗りは途方もない距離に感じたが、それに比べたら楽だった。
3時15分か。何とか観梅に間に合いそうだ。靴だけ履き替えて筑波梅林に向かった。今回は大した歩き方もしていないのに何だか疲れた。おそらく、ヤブ漕ぎが加わったことと紛らわしい物事が多かったせいだろう。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
余計な言い訳。今回の歩きは前回以上にまったくの不満足。どうやって記事を書くか悩み、結局はだらだらと長い文章になってしまい、さらに醜い写真も多くなった。それどころか、テーマ写真のような、ろくな写真しか撮れず、この選別だけでも悩んだ。そして山行から一週間も経過してのアップになってしまった。筑波山に登ったわけでもなく、脇の道とヤブ歩き、たまたま弁天山に登っただけのことで、特記すべきことは何もない。だが、歩いた以上は記事にしておかないとけじめもつかない。読む側にはただ退屈かもしれなかったろうが、これはご容赦願いたい。
記事は前後したが、この後に筑波梅林に行って、ロウバイでがっかりすることになる。
地元でも思いつかないビッグな縦走で、大変だったと思います。これに懲りずに、こちら裏筑波に再び足を向けていただけたら幸いです。
なお、貴重な体験の数々、大変参考になりました。竜ヶ井城から三本松までの縦走時の標識などは、私も実地踏査をし、安全の対策を図っていければと思っていますので、今後とも改善のためにご協力いただきますようによろしくお願いします。
こんなお粗末な記事にお付き合いいただきありがとうございます。
yamatohamさんは、もしかして、竜ヶ井城山の会のメンバーさんでしたか。そうでしたら、大変、失礼いたしました。全体を見ず、部分部分でしか見ていないため、こんな描写になりました。その点はお含みおきいただければと思いますが、標識が多いと思ったのは正直なところで、それも統一されていればいいのですが、あちこちに同じ標識があるのには、例えば、百貫石はどれなのかといったのは、何回か歩いていればわかるでしょうが、初者にはいささか閉口でした。
本記事は、筑波に精通されているyamatohamさんにはほとんど参考にならないと思います。なにせ、ロクな歩きをしておりませんから。ヤブ外しをしなければ、だれでも歩いているコースでしょう。
まぁ、追々、yamatohamさんに感心していただけるような歩きをしたいとは思っているのですが。
竜ヶ井城は、全く知りませんでした。いろいろ調べてみましたが、なるほどと、納得できるような記事にはヒットしませんでした。平良兼となると、相当古く確実な資料は乏しいのかと思われます。たそがれさんの言う「堀」とは、尾根を切断したものなのでしょうか(掘切)。行動の様子からは尾根に沿った堀(竪掘)のようにも読みとれるのですが。竪掘だとすると、かなり大規模で平安時代のものとも思われないので興味がわいてきました。
峰寺山。
30数年前に歩いた事があります。車道から薄い踏み跡を辿りました。当時は414.4m峰を峰寺山と認識しておりました。山銘板などはありませんでした。現在の峰寺は「西光院」を指すのでしょうか。当時は草深い所で、人影皆無の「茨城の清水寺」でした。
ちなみに,今回出てきた,竜ヶ井城やら弁天山,それと峰寺山もそうですが,自分は,まったく知りませんでした。まぁ,自分の場合,栃木や群馬の山ほどの愛着は無いので,知らなくて当然なのですが,それでも一応,西光院くらいは,「関東の清水寺」(地元民は「関東の」と称しています。)と呼ばれているので,昔,何度か行ったことがありますケドね。(とはいえ,「舞台造り」も,栃木の出流山満願寺や出流原弁財天など他にもあるから,ぶなじろうさんが仰る「茨城の」の方が,正しいのですが。)
それにしても,今回はいろいろと標識に翻弄されたようですネ。記事を読んでいてさえ?でしたから,現地ではなおさらでしょう。なんにしてもお疲れさまでした。
気になって調べてみますと、現在は東筑波ユートピア内の379mが峰寺山のようです。
古いガイド本によると、やはり今回たそがれさんが歩かれた414.4m~380m圏を峰寺山として紹介していました。
どちらが正しいのかは判りませんが、自分も歩いたのは後者の方です。
やはり城址通のぶなじろうさんでも竜ヶ井城の存在は知りませんでしたか。
堀の様子を云々する前に、私自身が無知で、尾根を横切るのが「堀切」でしたか。私は溝状のものすべてが堀切と解釈していまして、溝、堀、堀切の三種ごちゃまぜで表記してしまい、詳しい方には、よく様子が飲み込めなかったのではと思います。
確かに、堀はぶなじろうさんがここでおっしゃる竪堀です。尾根に沿っていたり、小尾根を挟んだりして上に続いています。途中で消えるか、寸断されているので、都度に一の堀、二の堀、…となっているのかと思います。
ぶなじろうさんが行かれる場合は、おそらくバスでしょうか。バス停はどこになるかわかりかねますが、県道41号(つくば益子線)沿いに日月亭という蕎麦屋があり、その向かいに「真壁トライアルランド」と「城ヶ井城 百貫石入口」の看板がありますから、そこから入る形になります。ただ、トライアルランドの中に入る形になるようですので、その区間の歩行だけは要注意ですね。それが嫌なら、私のようにヤブ漕ぎでしょう。できる限り尾根末端部からの登りが望ましいですね。
行かれるようでしたら、館の跡を特定してきてくださいよ。私も、あのルートはまた利用すると思います。何せ車道歩きよりも気分が良いです。
414mの弁天山ですが、30年前には山名板がなかったということもうなづけます。八郷町の案内地図にも山名は記されていなかったわけですからね。確かに三角点の基準点名は弁天山ですから、これが通称の山名になったのではないでしょうか。
なるほど、あの一帯が峰寺山ですか。ピークが379m三角点で西光院が峰寺山の中腹にあるということになりますね。
ぶなじろうさんに限らず、瀑泉さんのコメントも含め、西光院に一度行ってみたくなりました。
こんな記事にまでご協力いただきありがとうございます(笑)。
瀑泉さんが竜ヶ井城はともかく、弁天山や峰寺山もご存知ないとは意外ですね。私なんざ、今回の歩きで、筑波も奥が深いものだと思ったものですが、別に極めたいというレベルまでには至りませんね。と言いながらも、11日に宝篋山に行っている始末です。
おっしゃるように、つなぎ歩きをするつもりもないし、市境のヤブ歩きもまた、何だか暗く沈んだ気分で歩くようになりそうで、しばらくは考えないようにします。
茨城の清水寺には行きたいと思っています。その舞台造りには興味もあるし、少なくともネット写真を見る限りは深山幽谷といった雰囲気もあるし。
標識の写真はあれでおしまいではありませんよ。ほんの一部です。それも最近の物です。山の会が整備しようとするお気持ちは十分に伝わってくるのですが、メンバーの各自がてんでにつけたといった感じで統一性がないのですよ。歩きやすい尾根なのに、ああゴチャゴチャではもったいない気がしますね。
峰寺山で盛り上がっているようで、地元の人間としては、関心を持っていただけてうれしい限りです。
標識もなければ心配だし、ありすぎて矛盾があればなお困りますね。私は竜ヶ井城山の会は、たそがれオヤジさんの記事で知りました。三本松は何回も訪れていますが、竜ヶ井城や百貫石は2年前に1度だけ訪れただけです。
まずはこの目で確かめたうえで問題があれば、地元の商工観光課に相談したいと思っています。事故や遭難に結びつくような事例があれば対応してもらえると思います。
なお、昨年末、南牧村の標識のボランティア活動をしている方とお話する機会がありましたが、組織的に活動されているようなので、うらやましく思いました。
竜ヶ井城山の会の件、失礼いたしました。つい、会に所属されているのかと勝手に想像してしまいました。
山を歩きながら、気になるのがやはり標識と目印。標識は文字ですから、余所者が歩いていて混乱したり、首を傾げてしまうのでは、正直のところ困ります。
自分にとって、標識よりも悪質に思えるのが無言の目印テープです。明瞭な尾根伝いに5m間隔で垂れていたり、間違ったルートに付けて、そのまま回収もせずに次の目印を付けるような方もいます。私なんか、せっせと足を運ぶ足尾の山で目印テープを見つけると、明らかに不要なテープは撤去しますよ。山の美観を損ねるし、おかしなテープなら道迷いにもつながりますから。
ただ、これも足尾の山に限ってのことで、他の山域では無視しています。
私の記事で記した標識の多さは、多少は誇張もありますので、商工課云々の前に、二年前にyamatohamさんが訪ねて以来、どうなっているかをまずはご確認いただければと思います。