
◎2009年11月21日(土)―I男と
I男とK女が保養所に到着したのは夜9時を過ぎていた。こっちはもう温泉につかり、1人で散々飲み過ぎの状態になっていて、改めて風呂に入り直しても、飲み直す気分にもなれず、さっさと寝てしまった。2人は、用意していたモツ鍋とサザエの残りを食べながら、夜中の3時近くまで飲んでいたらしい。年寄りの朝は旅先でも早い。5時半には目覚めた。風呂から上がっても、日の出はまだだ。あの2人、今日はどうするつもりなのか。7時の時点で起きてこなかったら、1人で山に行くつもりでいた。それ以上待つと、風呂上がり、朝からビールが欲しくなり、山に行くことをあっさりと捨ててしまい、後で必ず後悔する。4~5日前の予報では、今日は天城山でも一時雪になっていた。それがようやく昨日から晴れに変わっていた。どうしても行きたい。
(伊豆の夜明け)

K女が赤い目をして起き、続いてI男が目覚ましで起きた。山には行くつもりでいる。だが、K女の様子がおかしい。朝食を作ってくれたはいいが、ちっとも山支度をしない。結局、オレとI男で出かけることにした。8時半。外は陽が出て昨日よりも暖かい。K女は海を見に行くそうだ。
長九郎山にはある種の思い入れがあった。もう30年前のこと。山の案内本を見ていて、長九郎山に行きあたり、記事を読む限りは雰囲気もよく、ぜひ行って見たいと思っていた。以来、絶えず行く機会を探していたが、ようやく今日行けることになった。何かを体験していたわけではないが、感慨じみたものがある。
(宝蔵院の石仏たち)

コースは宝蔵院からのルート。この宝蔵院は古刹で弘法大師が開いた密教の霊場だそうだ。樹齢400年を超える大杉、江戸時代に置かれた120もの苔むした石仏群にその名残を感じた。ただ、寺院そのものは火災にあったとかで、お粗末なものだった。住職もいないらしい。曹洞宗の寺とのことだが、時代の流れとともに密教からは離れ、栄枯盛衰の道をたどったのだろう。
(杉並木の小径)

駐車場には車がなかった。9時45分歩き出し。地元ナンバーの軽トラが1台やってきた。オッサンが2人、何をしに来たのか、荷台には箒が積んであった。寺の方に消えて行った。いきなりコースを間違えた。標示はあちこちにあるのだが、長九郎方面を示す標示がない。20分ほど、21世紀の森の中をさまよってしまった。変な新興宗教的な標示板が目に付く。元に戻って仕切り直し。長九郎山方面を示す標示に出会う。大杉を右に入ればいいだけのこと。直進してしまっていた。ここからしばらく杉の植林帯を歩く。薄暗い。カーブが続く。傾斜は緩やか。宝蔵院から山頂までは5Km(これが、なぜか途中から5.5Kmになる)。単純に計算すれば、1Km歩く度に100mの標高だろう。I男がいつものように飛ばす。睡眠時間は3時間もないはず。元気だねぇ。こちらは出がけにウコンを飲んだものの、二日酔い気味である。
(出合でようやく明るくなった)

大沢温泉コースとの出合でようやく暗さから解放されて明るくなった。約1時間、気分も滅入っていた。夜に歩いたら不気味だろうな。I男はスギ花粉アレルギーで、春先に歩いたら、目も開けていられなかっただろう。こうして陽にあたりながら歩くと、気分も弾むが、いきなり暑くなってきた。2人とも上着を脱ぎ、I男はタオルを頭に巻く。
(八瀬峠)

間もなく八瀬峠。通行不可の林道を横切る。近くでチェンソーの音。ここから健脚向けと標示されたコースに入る。このコースしか選びようがない。もう一つのコース標示は抹消されている。荒廃しているのか。コースは尾根に向かって行く。きつい上りがしばらく続く。長九郎山の山容はいまだに拝めない。ニセピークを2つ越える。木々の間にぼんやり見えるピークを、あれが長九郎山だとI男を励ますが、その度に裏切られ、終いにはもうその手には乗りませんよという顔つきになっていた。上からオッサンが1人下りて来た。それ以外、だれとも会わない静かな山。柵越しに富士山がちらっと見えた。
(ヤグラに登る)

山頂に正午着。寺から2時間。大きな櫓があった。30年前に出会った記事には、展望が素晴らしいの一言に尽きるかのような表記がされてあったと記憶するが、山頂は木立に囲まれ、展望は良くない。この櫓が30年前にあったとは思えない。詮索はともかく櫓に登る。確かに360度の展望だ。遠く南アルプスは雪をかぶり、富士山も天城からのそれよりも大きく見える。そして、昨日歩いた天城山方面。後ろは海。素晴らしい眺望をしばらく楽しんだ。風が冷たい。
(富士山)

(遠く南アルプス)

櫓から下りて食事の支度。今日は棒ラーメンを持って来た。鹿児島ラーメン、豚骨味。これに餅を入れる。鍋は小型だから、まとめては作れない。I男に先に食べさせる。フィニッシュは残り汁とパン。さすがに腹がきつい。さっきから何度もK女からメールが届く。海に行き、金目鯛丼を食べたそうだ。あまり想像したくない丼物。サザエを安くゲットしたそうだ。退屈なんだろう。早く帰ってやるか。
(石仏)

ずっとI男の話を聞きながら下った。人の気分もおもしろいもので、杉林に戻ったら、やはり気が滅入るのか、彼の職場の上司の悪口になってしまっていた。あっという間に寺に着いた。2時20分。1人で黙々と歩いていれば、えらく長く感じたろう。30年ぶりに邂逅したかのような長九郎山。櫓があったおかげで、来て本当に正解だったな。ただ、長九郎山の姿を見られなかったのが心残りか。
I男とK女が保養所に到着したのは夜9時を過ぎていた。こっちはもう温泉につかり、1人で散々飲み過ぎの状態になっていて、改めて風呂に入り直しても、飲み直す気分にもなれず、さっさと寝てしまった。2人は、用意していたモツ鍋とサザエの残りを食べながら、夜中の3時近くまで飲んでいたらしい。年寄りの朝は旅先でも早い。5時半には目覚めた。風呂から上がっても、日の出はまだだ。あの2人、今日はどうするつもりなのか。7時の時点で起きてこなかったら、1人で山に行くつもりでいた。それ以上待つと、風呂上がり、朝からビールが欲しくなり、山に行くことをあっさりと捨ててしまい、後で必ず後悔する。4~5日前の予報では、今日は天城山でも一時雪になっていた。それがようやく昨日から晴れに変わっていた。どうしても行きたい。
(伊豆の夜明け)

K女が赤い目をして起き、続いてI男が目覚ましで起きた。山には行くつもりでいる。だが、K女の様子がおかしい。朝食を作ってくれたはいいが、ちっとも山支度をしない。結局、オレとI男で出かけることにした。8時半。外は陽が出て昨日よりも暖かい。K女は海を見に行くそうだ。
長九郎山にはある種の思い入れがあった。もう30年前のこと。山の案内本を見ていて、長九郎山に行きあたり、記事を読む限りは雰囲気もよく、ぜひ行って見たいと思っていた。以来、絶えず行く機会を探していたが、ようやく今日行けることになった。何かを体験していたわけではないが、感慨じみたものがある。
(宝蔵院の石仏たち)

コースは宝蔵院からのルート。この宝蔵院は古刹で弘法大師が開いた密教の霊場だそうだ。樹齢400年を超える大杉、江戸時代に置かれた120もの苔むした石仏群にその名残を感じた。ただ、寺院そのものは火災にあったとかで、お粗末なものだった。住職もいないらしい。曹洞宗の寺とのことだが、時代の流れとともに密教からは離れ、栄枯盛衰の道をたどったのだろう。
(杉並木の小径)

駐車場には車がなかった。9時45分歩き出し。地元ナンバーの軽トラが1台やってきた。オッサンが2人、何をしに来たのか、荷台には箒が積んであった。寺の方に消えて行った。いきなりコースを間違えた。標示はあちこちにあるのだが、長九郎方面を示す標示がない。20分ほど、21世紀の森の中をさまよってしまった。変な新興宗教的な標示板が目に付く。元に戻って仕切り直し。長九郎山方面を示す標示に出会う。大杉を右に入ればいいだけのこと。直進してしまっていた。ここからしばらく杉の植林帯を歩く。薄暗い。カーブが続く。傾斜は緩やか。宝蔵院から山頂までは5Km(これが、なぜか途中から5.5Kmになる)。単純に計算すれば、1Km歩く度に100mの標高だろう。I男がいつものように飛ばす。睡眠時間は3時間もないはず。元気だねぇ。こちらは出がけにウコンを飲んだものの、二日酔い気味である。
(出合でようやく明るくなった)

大沢温泉コースとの出合でようやく暗さから解放されて明るくなった。約1時間、気分も滅入っていた。夜に歩いたら不気味だろうな。I男はスギ花粉アレルギーで、春先に歩いたら、目も開けていられなかっただろう。こうして陽にあたりながら歩くと、気分も弾むが、いきなり暑くなってきた。2人とも上着を脱ぎ、I男はタオルを頭に巻く。
(八瀬峠)

間もなく八瀬峠。通行不可の林道を横切る。近くでチェンソーの音。ここから健脚向けと標示されたコースに入る。このコースしか選びようがない。もう一つのコース標示は抹消されている。荒廃しているのか。コースは尾根に向かって行く。きつい上りがしばらく続く。長九郎山の山容はいまだに拝めない。ニセピークを2つ越える。木々の間にぼんやり見えるピークを、あれが長九郎山だとI男を励ますが、その度に裏切られ、終いにはもうその手には乗りませんよという顔つきになっていた。上からオッサンが1人下りて来た。それ以外、だれとも会わない静かな山。柵越しに富士山がちらっと見えた。
(ヤグラに登る)

山頂に正午着。寺から2時間。大きな櫓があった。30年前に出会った記事には、展望が素晴らしいの一言に尽きるかのような表記がされてあったと記憶するが、山頂は木立に囲まれ、展望は良くない。この櫓が30年前にあったとは思えない。詮索はともかく櫓に登る。確かに360度の展望だ。遠く南アルプスは雪をかぶり、富士山も天城からのそれよりも大きく見える。そして、昨日歩いた天城山方面。後ろは海。素晴らしい眺望をしばらく楽しんだ。風が冷たい。
(富士山)

(遠く南アルプス)

櫓から下りて食事の支度。今日は棒ラーメンを持って来た。鹿児島ラーメン、豚骨味。これに餅を入れる。鍋は小型だから、まとめては作れない。I男に先に食べさせる。フィニッシュは残り汁とパン。さすがに腹がきつい。さっきから何度もK女からメールが届く。海に行き、金目鯛丼を食べたそうだ。あまり想像したくない丼物。サザエを安くゲットしたそうだ。退屈なんだろう。早く帰ってやるか。
(石仏)

ずっとI男の話を聞きながら下った。人の気分もおもしろいもので、杉林に戻ったら、やはり気が滅入るのか、彼の職場の上司の悪口になってしまっていた。あっという間に寺に着いた。2時20分。1人で黙々と歩いていれば、えらく長く感じたろう。30年ぶりに邂逅したかのような長九郎山。櫓があったおかげで、来て本当に正解だったな。ただ、長九郎山の姿を見られなかったのが心残りか。
I男が結構きつかったと言っていたけど、後半だったのね。私もあと10分を4・5回、言われた事があったのを思い出した。
今回は足の裏にできた、マメのため、棄権しましたが、行けば良かったかな。櫓に登りたかった。
せっかく楽しい山歩きのブログなのに一日で全てアップしちゃうと次まで時間が空いてしまい訪問する人が減ってしまいます
数日に分けて アップした方がいいと思いますよ
そうすると翌日はどうなっているのかなと楽しみになるので
ブログは日記みたいなものなので 更新が多いほうが楽しみが増えます~~~
但し・・私のように在庫が無くなると困りますが・・・
旅行していて石仏に出会うと何故かほっとしちゃいます。。。しかし・・・多い石仏ですね~~
ここのところ、石仏に遭遇する機会が増えました。意識しているわけでもないのですが。あの石仏は、江戸時代に、寺の檀家の人たちが、麓からこつこつと運んだものらしいですね。もはや、住職もいないさびれた寺なんですけど。
I男君はそれでもスタミナが余っていましたよ。ついていけず、つい、「もっとペースを落としなよ」と声をかけてしまいましたから。
最近は、歩きながらまだ見ぬ山頂の風景を想像し楽しみにしてますが、長九郎山の展望は最高でした。ただ…一つだけ我が儘を言えば、人工的に作られた【やぐら】からの展望と言うのが少し残念でした。