たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

秩父鉄道で行く若御子山

2014年12月22日 | 秩父の山
◎2014年12月21日(日)

武州中川駅(8:43)……若御子神社(9:05)……国見の広場(9:46)……若御子峠(10:00)……若御子山(10:40)……大反山(11:06)……十二天峰(11:16)……若御子山(11:25)……若御子峠(12:08)……浦山ダム車道(12:32)……浦山口駅(13:12)
※表示時刻は到着時刻ですが、ルートミスやら余計な寄り道のため、まったく参考にはなりません。

 若御子(わかみこ)山は、2年前のこの時期に矢岳に行った際、帰路で大反山の先から北西に下ったため、行けずのままになっていた。そのまま北の尾根を下ると若御子山に至る。若御子山だけでは不足感もあるだろうと、以前から課題にしているフナイド尾根を下ろうかと思ったりしたが、それをやると、浦山ダム湖(秩父さくら湖)の左岸車道歩きが延々となりそうだし、その左岸車道の状況もよくわからないままだ。崩壊しているというレポも見かける。ここは、無理をせずに若御子山だけにしておくとしよう。

(本日使用のフリーきっぷ)


 結果的にのんびり歩きとなりそうだし、たまには電車で行ってみようか。運賃と時刻を調べてみると、秩父鉄道開通記念80周年の「記念フリーきっぷ」なるものがあった。羽生と三峰口の区間が乗り放題で1,260円。羽生─三峰口間の正規料金は往復2,100円だし、熊谷から武州中川間にしても往復1,800円だ。みみっちい割引をしてお得、お得をPRするJRに比べたら太っ腹ともいえる。ガソリン代やら有料道路、駐車代を考慮すれば、1,260円は格安だろう。その分、時間がかかるのはやむを得ない。

(武州中川駅。無人駅ではない。)


 籠原駅のコンビニで食料を買い、高崎線に乗る。次の熊谷までは定期。熊谷発7時9分の秩父鉄道に間に合った。武州中川駅に着いたのは8時33分。車で行ってもさして変わりのない所要時間だ。文庫本を読み、ぱっとしない景色を眺めたりと、長い感じはなかった。その間、長瀞あたりから霧が濃くなり、秩父に入ると武甲山すら隠れていたが、御花畑を過ぎると、霧はすっきりと上がった。武州中川で降りたのは自分だけ。まずはタバコを吸う。電車ではこれが不便だ。続いてトイレに入ってすっきりする。

(千手観音堂)


(若御子神社の狛犬はオオカミ)


(若御子神社)


 道路は凍結していた。今日は新靴の履き慣らしも兼ねているが、これがやたらと滑る。スパ長にしとけば良かったと後悔する。道標の案内に合わせて清雲寺に向かう。若御子神社はその隣にある。去年の3月末に清雲寺のしだれ桜を見に来て、その際、下見だけはしっかりとしておいた。途中、土俵が置かれた千手観音堂を拝観する。
 若御子神社に到着。この神社の由来を見ると、歴史はかなり古いようだ。そういえば、若御子山自体も古くから「神山」として崇められた山だったらしい。本殿の脇にある遊歩道を上がる。この遊歩道は「奥社参道」となっている。九十九折れの階段付き歩道。あまり歩いているハイカーは多くはないのか、荒れかかっている。倒木もある。そして、落ち葉の堆積は厚く、下は水気もたっぷりで滑る。新靴もすぐに泥んこになってしまった。

(断層掻痕。何がどうなのかからきし不明)


(断層洞)


(まだまだ先がある)


(浦山ダムコースと合流)


 ここの断層は有名らしく、脇道に入ると、岩があって、その岩に「断層掻痕」と記された金属板が埋め込まれていた。その脇には石碑と木の社。元の道に戻ると、先に断層洞があった。中は洞窟になっているようだが入れない。もっとも、こういう地質学的な方面にはまったく疎いので、覗き込んだだけで先に行く。
 この歩道、延々と続く。先で空が切れているように見えても、さらに上がある。右手には両神山が見え、その下には街並みが続いている。ようやく浦山ダムからのコースに合流した。

(国見の広場)


(即道さんの石碑)


(あの手前のピークが若獅子山だろうか)


 上には展望台と、何やら石碑らしいのが見える。ここが「国見の広場」。標高点606m。展望台に登ると、さしたる景色が広がっているわけでもなく、樹間越しに両神山とその周辺、武甲山の頭が見えるだけで、この時期でこうだから、若葉の頃は、どこが国見?といった感じだろう。石碑には走っている御仁の姿が彫られている。「即道さん」? どこかで聞いたことがあるなぁと思っていたら、3月に秩父御岳に行った際、途中で見かけた墓が即道さんの墓ではなかったか。
 サンドイッチを食べて休憩。下の方から銃声が派手に聞こえている。そして、犬の吠え声とハンターどうしの大声。ここも物騒なところだ。ここまでの登りで汗をかいたし、今日は暖かい。上を脱ぐ。階段が2方向にあった。若御子山の位置見当はついていたから(地図には山名も標点も記されていないし、尾根のピークでもない)、コンパスをあてて南に下る。

(若御子峠)


(その先のここが峠と勘違いしていた)


 下りはすぐに終わり、この先、遊歩道のガードも外れて、ただの山道になった。なだらかな薄暗い杉の植林帯を登って行くと、分岐になった。道標があって、右に向かう道には「憩いの広場に至る」とある。直進の踏み跡には道標表示はない。脇に黄色の東電巡視路杭はあった。そして、すぐ先に私製の「若みこやま→」とある。ここが、いわゆる「若御子峠」だったのだが、この時点では気づかなかった。まだ先とばかりに思っていた。ちょっと先に登ると、標識はないが、左に作業道が分岐する。鞍部にもなっている。そこが若御子峠と思ってしまった。この思い込みで、後で余計な歩きをすることになる。

(若御子山が近づく)


(両神山)


(つぶれた社殿)


(ここが奥社だろうか)


 ここから、ややきつめの登りになる。植林帯は左側だけになり、幾分明るくなってほっとした。右側はうっすらと雪が付いている。ちょっと登ると、つぶれた神社らしき建物。石碑があって、それには「先祖代々霊神塔」とあった。これは個人のものだろうか。
 続いて現れたのが赤い鳥居。その先にはトタン屋根の下に木の社が3基。石製の祠は見ないが、木の社を随分と見かける。こういうのは神棚と同じで、あまり興味がないから、素通り気味になる。もしかして、これが若御子神社の奥社か?鳥居付きだしなぁ。あるいは、さっきのつぶれた神社の代わりに建立されたのか。だとすれば、倒壊したままに放っておくのもどういうものか。

(大岩。ここは右に道がある)


(大岩裏手の斜面。画像右側を直進すればいいのに左手に上がって行った)


(行き詰る。左は切れ落ちている)


(右斜面を下って振り出しに)


 もう、この辺になると、明瞭な道も踏み跡っぽくなっている。上に、何やら大きな岩が見え出した。どでかい岩だ。ここは、右に踏み跡があって、すんなりと先に行ける。問題はこの先だった。
 巻いた岩の後ろは広い斜面になっていて、ここは大岩の先に続く尾根通しに行くのだろうと、左斜面を登った。きつい。落ち葉でズルズルだ。疎らな木を頼りにこらえて上に出た。岩場の細尾根が続いていた。厳しいところを歩かすんだなぁと、取りあえずそのまま登った。尖った大きな岩にぶつかった。ここは危なっかしく巻く。そしてまた大きな岩。山頂直下の大岩と思われる。岩の裂け目を登れるかもしれない。しかし危うい。左下はガケ状。登って来た右側斜面もまたきつい。木に足をかけ、さらにつかまって、少し下って、また這い上がる。岩の裂け目に手をかけたが、どうも、ここを登るのは身の程知らずのようだ。これ、間違っているんじゃないのか。山歩きを始めて間もないジイチャン、バアチャンですら登っている若御子山だ。こんなところを歩いているわけがない。何で自分だけが苦戦する。木に寄りかかって、取り付いた広い斜面を見下ろすと、取り付いた左斜面ではなく、直進の方向に、ピンクテープがヒラヒラしているのが見えた。この岩場ルートは眼中にないような方向だ。

(直下のロープ場)


(登りきれば若御子山)


(倒れた木に山名板)


 下る。半端ではなかった。木に飛び伝わって抱きしめては下降した。下り着いてため息が出た。改めて、テープのある方に向かった。ちょっとした突起を乗り越えると、また落葉だらけの急な斜面になっていた。こちらは、さらに下まで続いている。しかし、踏み跡がうっすらとついている。分厚い落ち葉を四つん這いで登るとロープがあった。ここはロープを使うのが賢明だ。ロープ場の先、踏み跡らしきものは消えた。上には尾根が見えている。もう、緩いところを選んで適当に登って尾根に出たが、どうせなら、上までロープを張って欲しかった。
 手書きの山名板があった。ここが若御子山かいな。短時間ながらも派手なドタバタ一人コントをやって登って来た。ヤレヤレだ。山頂はただの尾根の平坦地ピーク。周囲は植林で薄暗い。これをわかっていたら、こんなところにわざわざ来る人はいまい。達成感も満足感もほとんどなし。正直のところ、ここは、目的にするような山ではないな。これも、登って来たから言えることであり、また、手前の岩場でトラブルしてなけりゃ、ここまでこき下ろすこともあるまいて。ところで、ここ、下り、どうすんだい。とにかく、湿った落ち葉がやたらと滑ってズルズルだ。下りはさらに危ないだろう。幸いにも、20mの補助ロープは持ってきているから、さっきのロープ場まではロープで下るしかないか。
 別にここを下らずとも、武州日野なり中川に下るルートは他にもあるが、今日は、浦山ダムの左岸道路に出たい。道路の様子と各種の掲示板を自分の目で確かめておきたい。となると、ここを下るしかないわけだ。

(浦山ダムと武甲山)


(最初のピーク。これは十二天峰という山だそうだ)


(ここは、左の急な斜面をトラバースする)


(矢岳から下った時は、あの向こうの白い尾根を歩いた)


(大反山。左下に三角点)


(十二天峰の社。壊れている。後ろが山頂)


 予定では、このまま下って、若御子峠から浦山ダムに向かうつもりでいたが、ちょっとばかり、気持ちも動転しているので、落ち着かせるつもりで、先に行ってみた。落ち着いたところで戻るとしよう。若御子山の突端に行くと、浦山ダムが見えた。
 傾斜は緩くなって、植林帯の歩きになった。正面にピークが見えてくるが、ここの登りはきつそうだ。左に巻き道があるので、ここを辿る。巻き道とて傾斜はきつい。先のピークの鞍部に出た。何だか、記憶のある風景になった。そのまま尾根伝いに登ると大反山に出た。若御子山から意外にあっさりと来られた。
 ここで悩んだ。このまま登れば、大方1時間もかからずに962mのフナイド尾根の頭に出るだろう。だったら、フナイド尾根を下っちゃうか。しかしなぁ、あの尾根、見た時はかなり急だったし、落ち葉でスリップしていたら危ないんじゃないのか。今日はやめとこ。この季節なら、雪で落ち葉が隠れてしまってからの方が安全だろう。
 引き返す。前回はここから左に下ったが、今日はそのまま直進。さっきのピークに行ってみた。壊れた木の社があった。後で知ったが、このピーク、十二天峰と呼ばれているそうだ。山名板があったかどうかは気づかなかった。

(若御子山直下の落ち葉斜面を下りきる。正面に最初の大岩)


 若御子山に戻った。恐怖の下りが待っている。スパ長だったら、何ということもない下りだ。補助ロープを出して、ザックのベルトに結わえて下る。出来るなら使いたくはない。しばらく下ってから、おかしな方向に下っていることに気づいて山頂に戻る。またズルズル。
 改めてコンパスをセットする。こう落ち葉だらけでは、どの斜面も同じに見える。うっすらと踏み跡が見えた。登った際には気づかなかった。そーっと、そーっと、踏み跡に沿って下るとロープ場に出た。助かった。補助ロープは使うこともなかった。しかし、若御子山の周辺ではウソ歩きを多発して危うい思いをしてしまった。着地してほっとし、大岩を眺めながらタバコを吸った。

(作業道に入ると)


(こんなものがあるところで道は消えた)


 若御子峠と思い込んでいたところから、右に作業道を入ってみた。次第に道は不明瞭になり、右に古い石垣、左下にコンクリートの生簀のような物を見ると、踏み跡は消えた。ここで峠を間違えていたことに気づく。戻る。今日は戻りだらけだ。

(峠からは巡視路を下ることになる)


(ここは結構歩かれているようだ)


(この中に)


(こんな古い新聞があった。読みもせずにそのまま束ねた感じだった。「後進国」なんて言葉は今や死語だ)


 正しい若御子峠から東電の巡視路を下る。こちらの道はしっかりしていて、見失うこともない。やがて石垣が出てくる。何に使われたのかわからない小屋のようなものがあった。5つの小部屋が並び、それぞれ半畳程度のもの。覗いてみると、古い新聞の束があり、取り出してみると、何と昭和38年1月24日付のサンケイ新聞であった。一面トップは「池田首相、施政方針演説」とあり、隣の記事は「仏独協力条約に調印 ドゴール アデナウアー」とあった。51年前の新聞をしっかりと読めるというのも、野ざらしの状態では異常なことだ。この新聞の束をごっそりと持って帰ろうかなと思いもしたが、おかしな霊やら怨念が憑いているやもしれない。山の中で、石祠やら社に手を合わすのはあまりよろしくないと言われている。この新聞とて同じだろう。写真に収めるだけにした。

(続いて廃屋)


(車道に出てダムが近づく)


 石垣が続き、二階家の廃屋。離れや井戸跡らしきものがあり、さぞ立派な家だったのだろう。廃屋の探索は興味の外。写真を撮って素通り。
 ダム湖が近づき、車道が見えてきた。左岸道路に出た。今は冬季通行止めになっているが、関係者だろうか、上から歩いて来る自分に気づかずに、車を止めて立ちションをしていた。SLの汽笛が聞こえた。煙を出し、鉄橋を走っているのが見えた。

(ダムから若御子山に登るにはここから取り付く)


(車道をまっとうに歩いていたらとんでもない迂回になる)


(適当に巻いて下るが、ここもまた滑る)


 ここのダム、エレベーターで下降すれば、かなりの時間と距離を稼げることは知っていたが、ダム見学に来たわけでもないし、余計なことを言われるのも何なので、そのまま左岸道路を歩いた。途中、ショートカットを2回。滑って転んだのが3回。

(浦山口駅に到着。ここも無人駅ではなかった。下りの乗客は自分を入れて3人)


 浦山口の駅が近づいたところで上り線の電車が走って行った。ということは、最低30分は待ちになるか。あの辺に、食堂なんかはないはずだ。浦山口駅に着くと、やはり、熊谷方面は13時58分だ。今12分だ。すると、14分発の三峰口行が入ってきた。とっさに、三峰口駅に駅ソバ屋があることを思い出した。この辺はフリーきっぷの強みだ。これに乗った。どうせ、時間的にこの電車が折り返しになるのだろう。待ち時間をベンチに腰かけてオニギリを食べるという手もあるが、これでは何となく寂しい。
 三峰駅で降りたのは10人もいたろうか。駅の周辺は、むしろ、車でSLを見に来たと思しき人の姿の方が多かった。

(フィニッシュは三峰口駅)


 三峰駅で山菜ソバを食べ、ついでに食後の一服。トイレに寄って、缶コーヒーを買って、楽勝で13時43分の熊谷行きに乗った。また文庫本を読む。今日はハイカーよりもカメラマンの姿が多い。SLの撮影がらみだろうか。長瀞で何人かハイカーが乗ったが、いずれもバアサングループ。下りの秩父鉄道、交換待ち合わせが多く、1時間46分かけて熊谷駅に着いた。フリーきっぷは12月いっぱいの限定らしいが、それはともかく、秩父鉄道もうまく乗りこなせば、山歩きでの有効活用できそうだ。しばらくは寄居やら西武秩父線方面も多くなるだろうし。

 今日の歩き、新靴の履き慣らしは短時間のこともあってか特に問題なし。ただ、先週の酉谷山で足指の爪を痛めたのか、数日後の風呂上りに左足の2番目の爪をきれいに剥してしまっていた。痛みはないが、歩きながらずっと気になっていた。バンドエイドとテープをぐるぐる巻きにしての歩きではあったが、特別なトラブルもなく、血がにじむこともなくほっとした次第である。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

コメント (10)    この記事についてブログを書く
« 魔界を楽しみたい気分半分で... | トップ | 加波山。おかしなところを歩... »

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (でん)
2014-12-22 22:42:10
「駅からハイク」ですね。
電車で山へ行ったことはないので新鮮かもしれませんね。
しかもこんなフリー切符があるならわたしの家から使えばフルに使えてお徳(^^)
昭和38年の古い新聞、もしかしたか価値があったかもしれませんよ~(笑)
返信する
若御子山 (ハイトス)
2014-12-22 23:24:09
こんばんは。
先週の言葉通りこちら方面にはまだまだ候補をお持ちのようですね。
自分はどうも最近こちら方面の意欲が湧かないのはどうしてかなぁ。

急斜面で秘技幹抱き付きを駆使されましたね。(笑)
補助ロープを出すかどうか悩む場所で植林が適度な間隔でなされていると使いたくなります。

ところで山中の社や祠には手をあわさない方が良いと云われているのですか?
自分は時々手を合わせて安全祈願などしておりますが。
返信する
でんさん (たそがれオヤジ)
2014-12-23 04:23:39
でんさん、こんにちは。
でんさんのところから羽生までなら10分もあれば行けるんじゃないですか。
むしろ、私よりもアクセスはいいですし、確かにフルに使えますよね。
ただ、秩父の山も好き好きで、奥秩父ならともかく、秩父市内寄りは札所とかもあって、あまりすっきりしたイメージはないのではないでしょうか。
51年前の新聞、でんさんに言われると、もったいない気にはなりますが、空間を隔てて宙に浮いていたようなものを持って帰るというのも、何やら不気味な感じがいたします。
古新聞というよりもお宝でしょうが、新聞入れの紙袋で換算すると、一つ分くらいはあったかと。
返信する
ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2014-12-23 04:50:37
ハイトスさん、こんにちは。
人里離れたところにポツンとある墓や祠に手を合わすと、その辺に漂った、往生できないままでいる霊がいっしょにくっついて家まで帰って来る…。そんな話を聞いたことがあります。非科学的な迷信のようなものですが、それを何かで読んで以来、私は無下に手を合わすことはしておりません。迷信でも、嫌な話じゃないですか。ああいうのは、やはり、「物」として見るべきものと思っております。
抱き付きの秘技は、ただ、ロープを出すのが面倒なだけでやったことですが、あれも数回はいいですが、繰り返しをやっていたら参りますね(笑)。体力も使いますよ。
秩父方面の山は、私も、足尾の山と違って、腰が重いところがあります。きっかけがないと、引き続き行きたくなるようなエリアではありません。秩父独特の雰囲気がありますしね。ブランクができると、やはり二の足を踏んでしまいます。できるだけ候補から外すといったところなのですが。
でも、わざわざ寒くて危ない思いをしてまで雪山には行きたくもないし、となれば、自分には、奥武蔵を含めたこちら方面になりますわ。仕方がないといえばそれまでですが。
返信する
若御子山 (あんぱん)
2014-12-23 05:32:03
おはようございます。若御子山、大反山、こちらはまだ訪れたことがありません。いつしか、とは思っていましたが、たそがれオヤジさんに先起こされてしまったと言う感じです。最近は時々私も電車で山へ行くのですが、まったりできるところがいいようです。これで若御子山周辺の様子が分かりました。参考にさせて頂きます。酉谷山の情報も大変助かりました。こちらも、そのうちに考えたいと思います。しかし、この時季のフリー切符は知りませんでした。
返信する
あんぱんさん (たそがれオヤジ)
2014-12-23 07:11:42
あんぱんさん、こんにちは。
若御子、大反山ともに、先を越されたという程の山でもありませんわ。余分な時間があれば、そして、その気があれば、いつでも行ける山です。
玄人の方は、なかなか、こういう山に目が向かない。そんな盲点の山というか、盲腸みたいな山です。
私の記事は針小棒大な表現もありますので、あんぱんさんが歩かれる際には、いつものように冷静沈着でやってください。
秩父鉄道のフリーきっぷは、調べると、その時季、および土日祝日には販売しているようですね。ただ、1,440円です。今回は開通記念というのがプラスされての割引でしょう。
電車でのハイクも、帰りは缶ビール片手にというのが理想ですが、その先、家までは車の運転があることを考えるとそうもいきません。いずれは、それを実現すべく、自宅からバスで駅まで、と模索はしているのですがね。これをやると、さらに時間限定も加わってしまう。難しいところです。
返信する
若御子山 (HIDEJI)
2014-12-23 17:10:48
たそがれさん、こんにちは。
以前、矢岳に行ったついでで大反山に寄ろうとして、行きそびれた山でした。若御子山も含めてよく分からない地域で、イマイチ行く気が湧かないところでしたが、参考にさせていただきます。
それにしても5つの小部屋って謎ですね。50年前の新聞も信じられませんが、それも一見の価値ありですかね。
あと、秩父鉄道フリーきっぷ、今日、真似させていただきました。
電車は楽ちんでいいですね(^^)
返信する
HIDEJIさん (たそがれオヤジ)
2014-12-23 17:38:39
HIDEJIさん、こんにちは。
フリーきっぷでどこかに行かれました?
HIDEJIさんあたりでは、羽生に行かない限りはあまりメリットがないような気がいたしますが。
電車は確かに楽ちんですが、秩父鉄道のシートは堅いですね。JRの通勤電車も堅いですが、まさかそれ並みとは思ってもいませんでした。
三峰口からの帰り、さすがに腰が痛くなりましたよ。
若御子山、イマイチ行く気が湧かない。それでよろしいかと思います。好きな山の一つに挙げる方には失礼ですが、私も、別に後悔はしておりませんが、それだけだったら、イマイチの印象です。
だれが選定したのか知りませんが、埼玉百名山になっているようですね。
実は、HIDEJIさんが行ってやしないかと、事前調査させていただいたのですが、やはりナシでしたね。
HIDEJIさんが行かれることがあって、半世紀前の新聞におもしろい見出しがありましたら、撮って、紀行に入れてくださいよ。
返信する
おニューの・・・ (瀑泉)
2014-12-24 17:37:31
靴でのお歩き,お疲れ様でした。多少,落ち葉で歩きづらかったようですが,靴擦れができることもなくマズマズといったところでしょうか。
それにしても若御子山ですか,この地域に土地勘が無いので何ともですが,大岩を巻いた先から道型が不明瞭になる辺り,ロープが張られているとはいえ,一般には歩かれているのは奥社までなんでしょうネ。
ちなみに,ロープ場への下り,せっかくだからロープワークの練習をされても良かったのでは(笑)。
確かに山中の社や祠には,安易に手をあわせるモノじゃ無いと言われてますネ。まぁ,日本の神様が八百万の神で疫病神や貧乏神も奉っているからだそうですが,とはいえ,山中に奉られている神様に,ご挨拶もせず通り過ぎるのは憚られるので,やはり手はあわせておりますヨ。
神様はどうでも,今回の新聞はさすがにネェ。今までだって誰か見つけたろうし,持ち帰っていても可笑しくない話しでしょう。残っていること自体不気味だし,自分でもご遠慮いたしますヨ。
返信する
瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2014-12-24 22:10:49
瀑泉さん、こんばんは。
瀑泉さんには、縁遠い土地柄の山、ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
さて、新靴ですが、何せ、安いトレッキングシューズでして、まぁ、それでも3万円ほどはしたのですが、靴づれもなく、別途の中敷を入れることもなく、快適でした。とは言いましても、この程度の歩きですから。この先、裏切られることがあるかもしれません。
ロープワーク、実は、レクチャーを受けて以来、懸垂下降セットをザックに入れてはいるのですが、やはり、古い人間と申しますか、ぎりぎりまで四つ足で歩きとおしたいといった思いがありまして、今回もまたロープを出しただけで終わりになりました。そのうち、カラビナもエイト環も取り付け方を忘れて、ジェットコースターかセミになりそうですよ。
古新聞、これまでだれも気付かなかったのでしょうか。えらく不思議です。25年経過程度でネット記事にもなるかとは思うのですが…。
やはり、50年物ともなれば、不気味ですよ。気づいたとしても、さわらぬ神に祟りなしといった状態ではないでしょうか。
返信する

コメントを投稿

秩父の山」カテゴリの最新記事