たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

赤倉山で山名板交換。やはり、紅葉は程よい近さから全体を眺めて正解だったようだ。

2022年10月27日 | 足尾の山
◎2022年10月21日(金)

赤倉郵便局上駐車地(9:04)……深沢渡渉(9:22)……南尾根取付き(9:42)……赤倉山(11:13~11:46)……大畑山(12:16)……茨倉山(12:38~12:53)……林道・中宮祠足尾線?(13:05)……折り返し(13:12)……半月道に下る(13:48)……雨量計(14:41~14:56)……深沢渡渉(15:26)……駐車地(15:44)

 赤倉山の新山名板はすでに用意していた。塔の峰板の後は赤倉か小法師の予定でいた。今の赤倉山の板がどういう状態になっているのか気になり、YAMAPで赤倉山を探したら、8月に歩かれた方の記録に自分の板の写真が出ていた。交換すべきかは難しいところだ。不出来な板だったがまだ持ちそうだ。先送りでいいか。だが、二つほど気になることがあった。一つは、そのYAMAP記事に、三角点のあるピークの向かいにあるピークにも山名板があり、山頂は「どっちやねん?」とコメントされている。その写真に出ていた板は記憶にある山部さんのものだった。
 赤倉山には何度か行き、山部さんの山名板は見慣れていた。7年前のことだ。雪田爺さんが霧の中を赤倉山に行かれ、山名板が消えていたと記されていた。あの山に山名板がないのでは寂しいと、板を作って出かけた。やはりなかった。そこで設置した。以来、何度か交換したりしている。今になって気になった。山部さんの山名板が健在なのは北側ピークの方ではないのかと。だが、あそこは大畑山に向かいながら何度も通っているし、これまで気づくことはなかった。もしかして、落ちてヤブに埋没していた板を誰かが再設置したのか。山部さんの北峰への設置の意図がどんなものかは知らない。地元に伝わる話があるかもしれないし、以前は北西尾根ルートが一般的だったかもしれない。こちらは単純に三角点のある南峰を赤倉山山頂と思っているし、実際のピークは北側なのか、そんなことは自分にはわからない。とにかく、山部さんの山名板だけは確認はしておくべきだろう。この理由だけなら、今すぐにでも確認に行く必要はなかった。
 気になる肝心なことの二つ目。19日に半月山に行った際、赤倉山尾根の紅葉が映えていた。見るなら今しかない。早々に現地で体験したい。だったら、山名板も含めて、すぐにでも行くことにしよう。ということになったわけだ。

 犬の散歩をしていたら出発が遅くなった。通勤時間にもろにぶつかった。太田市内を抜けるには逆方向ゆえに支障はなかったが、国道50号線を越えると今度は大間々中心部への通勤時間に入っていて、ノロノロになり、信号の当たりも悪くなり、右折車だらけでさっぱり進まない。足尾まっしぐらの上桐原交差点に出るまで自宅から一時間以上かかってしまった。道が空いていれば45分もあれば行く。

(なんだ、これなら車で入って来られたじゃないの)


(林道終点。中のピークが赤倉山かと思うが)


 歩き出しは9時を過ぎていた。駐車地はいつものように、赤倉郵便局の脇の路地を上に入った空地。以前は林道終点の広場まで車で入れたが、次第に荒れた道になり、今はいつもここから歩き出す。歩いて行くと、未舗装ながらも整備されている。工事用車両でも入るようになったのか、悪路というほどでもなくなっている。途中でユンボを見かけ、終点の広場にはジムニーが一台置かれていた。どうせここに戻るのだし、知っていれば、ここまで車で入れた。普通車でも可能だろう。損をした気分になった。

(深沢を渡渉)


 歩く人もいないのか、深沢まで下る道はなく、てんでに付ける踏み跡だけになっている。ヤブもまた深くなっている。赤倉山に行くには一般的なコースなのだが、中倉山に押され、足尾でもよほどにマイナーな山になってしまったのだろう。石の上を靴を濡らさずに対岸に渉る。

(今日はここから登る。目の前に大岩)


(途中から古道を見下ろす)


 半月道は来る都度に落石やら崩れで歩きづらくなっていく。地下タビには不向きなので、今日は久しぶりに登山靴にした。それでも歩くのがもどかしくなる。予定では、雨量計手前の一般ルートから登るつもりでいたが、この古道の歩きには耐えられず、渡渉から20分ほどのところに尾根の突端を見つけ、ここから登ることにした。地図上では877m標高点になっているところだ。真上には大岩があった。こういうところは意外に歩きやすいもので、踏み跡等はないが、大岩を回避して登るのにさほど苦はなく、あっさりと大岩の上の尾根に這い上がれた。 ※そもそも、赤倉山へ行く「一般ルート」とはいっても、そんなのものはない。昭和60年発行の『山と高原地図』にすら、半月道の破線路はあっても、赤倉山に登る実線も破線も記されてはいない。ただ、大方がそこから登っているようなので「一般ルート」とした。さりとて、決して気楽に登れる尾根筋ではない。

(激斜とまではいかずも、かなりの急斜面だった)


(たまにこんなところでもないと、ただの面白くもない急斜面の印象で終わってしまう)


(紅葉はまだまだ)


(西からの稜線。紅葉本番はこれからかもしれない。半月山から見た時は本番に感じたが)


 半端じゃない急な尾根が待っていた。いずれ緩くなると思ったがさっぱりだ。紅葉目当てもあって、薄暗い古道を歩いて行くよりも、さっさと尾根に上がった方が紅葉を楽しめそうだという気持ちもあったが、周囲に濃い色づきはなく、うっすらと赤味がかった葉を集めた樹をいくつか見かけただけ。むしろ、たまに樹間から覗く、壁のように赤倉山に西から続く稜線が陽を浴びてきれいな色を付けている。半月山から眺めたきれいどころの一角だろう。あの稜線まではかなりの距離がある。急斜面を登りながらうんざりした。
 ふと、この尾根、以前歩いたことがあるような気がした。帰ってから調べたらやはりそうだった。4年前に歩いている。ただ取り付きは違っていて、大岩が目障りだったので、下の伐採地からトラバースして尾根に乗っていた。この時点では確信は持てなかった。おそらく、4年前も急登りに辟易して、周囲の景色を眺めて記憶に収める余裕もなかったのかと思う。
 傾斜が少し和らいだかと思うとすぐに急になる。適当に立ち休みを繰り返しながら登って行く。色づきの稜線との距離はさっぱり縮まない。いい加減に嫌になる。それでも、単純な急斜面尾根ともいえず、たまにシャクナゲヤブやらこじんまりした岩場がバリアになり、忙中閑ありと表現するにはおかしなものだが、こんなバリアでもなければ、嫌な尾根歩きでしかないし、お薦めできるものではない。まして、クマ糞も目に付き、人間やシカとは違う大きな足跡が横切っていたりし、動物がうなるような声も一回だけだが聞いた。

(テープを初めて見た)


(古河マークの標石。ここも古河の山なのか。ただ、よく見ると、ヤマイチマークの右上の垂れ線が欠けている。古河?)


(尾根が狭まってきた)


(袈裟丸が見え、稜線も近づいてきた)


(どうも、この辺で一般ルートの尾根が右から合流していたらしい。テープを続けて見るようになったのはこの上からだったし)


(新旧のテープ)


(緑が半分だから、これからだろうな。いや、ここはこんなものかも)


 木の枝に巻きつけられた色褪せたテープが目に入った。歩いていた人もいたのだろう。テープはその一巻きだけだったが、1350mを過ぎてから、たまに見かけるようになった。いずれも古いテープと新しいのが加わっていたりする。地図を確認する。やはり雨量計あたりから登る一般ルートの尾根にすでに合流していた。合流地点にはまったく気づかなかった。その一般ルートの尾根だが、大分前に下りで使ったことがある。明瞭な踏み跡があり、場所によっては窪み状にもなっていた。すでに一般ルートに入り込んでいるわけだが、もう踏み跡も窪みも消えている。あるいは、下にはあったかもしれない。いずれにせよ、山頂までの標高差は100mを切った。もう少しの辛抱だ。ここで何とか我慢して登れそうなのに、何で一昨日は阿世潟峠から社山に登れなかったのだろうか。地図忘れを体のよい理由にはしたが、そんなことではなかった。

(笹ヤブゾーンに入る。踏み跡はわかる)


(こうなると適当に上に向かうしかない)


(ようやく赤倉山山頂)


 一面の笹ヤブになった。間もなくだ。笹は伸び放題になっていて、かろうじて見えた踏み跡はどこに行ったのか、ヤブこぎになり、たまにストンと落ちる感触があって、上からは見えない踏み跡に戻っていたりする。どこでも歩いては行ける。山頂は見えている。雪のない時期としては4年ぶりだが、その頃はまだ歩きやすかったし、こんなに笹も伸びてはいなかった。

(山頂の赤。半分の満足)


(ご苦労さまでした。ゴミ箱行きになるだけのことですが、これからはお休みください)


(三角点標石は倒木の下にある。標柱も立っていないのでは、頻繁に来る人以外には分かりもしない)


(先ずは標石を出す)


(これなら半年は持つか? だが、訪ねるハイカーは数人だろう)


(次は新しいのに交換)


(実は、こんなのも用意していたが、さすがに取り付けはやめた)


 山頂(三角点南峰)は笹ぼうぼうの状態で、ヤブ山でも少しは山頂らしく草は少ないものだが、ササが少しは丈が低いだけで地面も見えていない。赤倉山はこんな様になってしまったのかとちょっとセンチな気分になった。自分の山名板を見た。まだ大丈夫だが、裏面の損傷がひどい。やはり交換だな。それよりも先にやることがある。その前にタバコを吸って一服。大したことでもない作業の段取りを決める。
 ザックから草刈鎌を出した。決してボランティア活動目的で持参した鎌ではない。普通なら山頂周辺を刈るだろうが、自分の場合、そうではない。あくまでも自分の山名板の位置を正当化をするためのものだ。笹に埋没して見えていない三角点標石の周囲を刈って、三角点標石が目に入るようにした。そして標石への通路も軽く刈った。こうすれば、だれにでも、三角点と山名板がセットされていると思ってもらえる。安心したのも束の間、わりきったはずなのに、ちょっとばかり仏心が出た。大きな鎌にしとけばよかった。どちらにするか悩んで、小さいのをザックに入れて来た。大きな鎌にしていたら、おそらくは山頂周辺も少しは刈り払いをしたろう。庭いじり用の小さな鎌ではそこまでできない。ここは目をつむる。大きな鎌にしていたら、おそらく、自分の性格上、徹底的にやってしまい、このまま下ってしまうことになりかねない。
 続いて山名板の交換。くすんだ板をやや明るい板に変えた。取り付けはあっさり済み、手頃な赤い紅葉がバックになっていたので、これはラッキーと記念撮影をしたが、陽の光が南になっていて逆光になってしまった。これは残念。
 山頂に来る急斜面でヘビを見てしまったので、笹に直に腰掛けて休むわけもいかず、まして手頃な石や倒木もない。しゃがんだままで菓子パンを食べて水を飲み食後の一服。ここに長居はできない。仏心がまた出てくる可能性がある。用事も半端に終わったが、そそくさと北峰に向かった。

(北峰に向かう。100mもない)


(山部さんの山名板は健在だった。久しぶりに見た)


 くどいようだが、笹ヤブはかなり濃くなっていて、踏み跡らしきものがあちこちにある。最後は西から回り込んで北峰に出た。山部さんの山名板を探した。やはりあった。しかし、何で、三角点標石のないこちらに山名板を設置したのだろうか。深くは考えまい。自分の山名板の方が、三角点もあることだし、立場的に有利なはずだ。山部さんの意図はともかくも、おのずから「どっちやねん?」の回答は出てくるかと思う。この「どっちやねん?」だが、小法師岳にも同じようなことがあり、自分は地理院三角点側に山名板がなかったからそちらに付けたが、主三角点側には2枚だか3枚の山名板があった。
 もう12時近くになっている。これから大畑山と茨倉山の山名板をチェックし、足倉沢のボンボン紅葉を見て、半月道を起点から戻らないといけない。時間的に気になった。古道の荒れ具合からして、すんなり行けるとは思えない。薄暗くなる前に、せめて雨量計まで行っていないと迷ったりつまづいて転ぶことにもなりかねないし、暗くなると獰猛な生き物も動き出す。確かに赤倉山山頂のボランティア刈りをしていたら、かなりまずい状況になっていたかもしれない。

(大畑山へ)


(この雰囲気が好きだ。下ってみたくなるが、果たしてこの先はどうなっているのやら)


(笹も短くなり、踏み跡の有無は気にならない)


(やはり、まだ先かねぇ。これで終わりということはないだろう)


 ようやく稜線歩きの始まりになる。半月山で見た楽園紅葉の光景が続くと思っている。こちらは笹が低く、草地も続いているせいか踏み跡は拾える。ここはいつもながらに歩いていて気持ちがいい。だが、ずっと緑が続いている。色づきはあってもまだ淡い。赤倉山に登る間に、向かいに見えた稜線の色づきは何だったのか。どうもそのままの延長ではないらしい。もしかしたら、紅葉はあくまでも斜面であって、稜線上ではないとしたらがっかりだ。それが証拠に、垣間見る、帰路に通る林道(中宮祠足尾線というのか?)沿いの紅葉は盛りになっていて、それもまたあくまでも斜面、山肌部分だ。そんなものかもしれないな。「鹿を逐う者、山を見ず」というが、意味合いは違うものの、目先の紅葉ばかりに期待していると、足元の美しさは隠れて見えず、むしろ、離れて見えるところばかりが気になってしまうのではないだろうか。飛躍かもしれないが、遠くから見てきれいだった。間近に見たくて行ってみた。まったくダメでしたといったようなものだ。

(ようやく赤やら)


(オレンジ色になって)


(右手はきれいな景色が覗いている)


(大畑山)


(メンテナンスで済ます)


 とはいいながらも、大畑山が近づくと、鮮やかな赤やオレンジが目に入るようになる。これでいい。これで十分だ。何もなかったでは歩いた甲斐もない。
 大畑山と茨倉山の山名板は用意していない。ダメになっていたら外すつもりでいた。大畑山はまだ長生きしそうだ。裏も問題ない。スプレーニスをかけてメンテとする。このスプレーニスだが、以前、塔の峰の板のメンテで持って行ったところ、透明と白を誤って持っていき、真っ白にしてしまい、新しい板を作って二度手間になった失態をしたことがあったので、今回は二回も確認してから持って来た。

(茨倉山への途中で)


(同じく)


(茨倉山)


(今日の御大には雲もかかっていない。数日後に初冠雪となる)


(こちらもメンテナンスで済ます)


(西側のカラマツ林)


 茨倉山までの間は、特に見るべき紅葉もなく、せいぜい、半端に色づいた黄色を見ただけで、他は焼けていたり、これからだったりでちぐはぐな紅葉だった。繰り返すが、こんな具合でも、遠くから見ると、山肌はおそらく盛りの様相になっているのだろう。
 茨倉山の山名板もスプレーメンテだけで問題はなかった。ここで休憩を入れる。腰を掛けるものはなかったが、低い草地だったので今度は座り込んだ。また菓子パンを食べる。のどかで気持ちが良い。寒くもなく、暑くもなしだ。風もない。昼寝をしたいくらいだ。
 ここまで来たら、後は足倉沢のボンボンだけだ。半月山の駐車場まで行きたいところだが、体力的にも時間的にも無理な話。

(林道に向けて下る)


(崩壊した足倉沢上部。半月山が見えている)


(こちらは社山)


 下って登る。左手に崩壊した足倉沢が見えてくる。わざわざ寄り道で見に行く。いつもの光景だが、おそらく、日に日に崩壊を続けているのだろう。どこまで登らすのかよとため息をついたところで林道に出た。

(林道を半月山方面に歩く)


(社山を眺めながら行くと)


(張り出しの一角が見えた)


(これが例のところの景色。遠くに盟主様)


(いつもより密ではない。ちょっと早かったかも)


(ため息)


(アップで)


(さらにアップ)


 林道を半月山方面に向かう。この林道沿いはカラマツ紅葉がきれいかもしれない。これからだ。社山の南東尾根が見えたところで、足倉沢の左岸斜面が見えた。先に進むに連れて、山肌をさらけ出してくる。やはりここのボンボンは、この辺では一級品だ。しばらく眺めた。飽きない。遠くオロ北台地の上に見える盟主様が超然としているのもまたいい。ただ、ボンボンの範囲が以前はもっと広かったような気がする。上の色づきが悪いから、全体としてはこれからなのかもしれない。終わりということはないだろう。

(林道終点。とはいっても先は車道になっていないだけで、半月山駐車場まで続く県道になっている。足尾側は国道122号線の入口から通行止めになっている。認識が誤っていたら失礼)


(半月山。わかりにくいが駐車場がかすかに見えている)


(この先の紅葉は濃い。半月山には、あれを越えて右に行く形になる)


(戻って。崩壊地を少し入れる。正面から撮りたかったが、行くには危険過ぎた)


(飽きないが、ここで時間をつぶしているわけにもいかない。帰路の時間が気になる)


 林道終点から先に行ってみる。半月山駐車場が見えるところまで行ってみた。こちらから見る半月山の紅葉はくすんだ感じがする。陽を正面から受けているはずなのに。これ以上先に行くときりがなくなりそうなので引き返して、またボンボンを眺める。いいねぇ。

(林道左の土手上)


(賑やかだ)


(右手は少し寂しいが、遠くから見ればきれいなはずだ)


(茨倉山かと思う)


(これが限界かとは思うがムンムンしていた)


(赤倉山のような気がするが)


(これもまた左の土手上)


(紅一点だった)


(ラストで黄色)


 林道歩きが長い。左の土手の上はカラマツからツツジに変わり、赤やオレンジが続く。黄色も加わったりして飽きない。ただ、道路沿いという意識がどうも邪魔をする。対して向かい側の赤倉山尾根側は、陽が当たらなくなったせいか暗いが、道がカーブするときれいなところも見えるが、2日前に半月山から眺めたほどの賑やかなものでもなくなっている。きれいなものを見た後では、きれいというレベルでは同じでも往々にして貧相に感じるものだ。

(半月道入口)


(歩道が隠れつつある)


 半月道(深沢古道)の入口に着いた。2時前だ。普通に歩いて行ければ日没帰着ということはあるまい。だが、この古道は、自分にはどうも苦手で、悪路であることもさることながら、よく間違えては戻り、踏み跡を探し回ることが多い。ここから抜けられなくなるといった危険はあり得ないが、右岸歩きが基本であることを忘れないようにしないと、沢歩きをすることになってしまう。要注意は、序盤戦のススキの生い茂るところで踏み跡が不明瞭になるところだ。まして、歩く人もまれだ。さらにヤブになっているかもしれない。そもそも、古道の入口には何の標識がなく、「安全」の字しか読めない工事看板が置かれているだけだ。初めての人はまごついてしまう。

(こんな流れを見た記憶はないが)


(やはり右岸側に歩道があった。うかつに端は歩けない)


 カーブ道を沢までどんどん下る。やはり笹が道を隠している。沢に出た。ここで先ずミス。右岸に渉るべきところだが、左岸側に踏み跡があった。他人のせいにするつもりはないが、結局、不明瞭だから、あちこちに踏み跡ができる。崩れたところにも踏み跡があったので、こんなところを歩いた記憶はないなと対岸を見ると、しっかりと丘状になった道型が見えた。深沢は渡渉にさして問題はない。行き詰まったらさっさと対岸に渉ればいい。上流部では足を濡らすこともない。沢よりも崩壊している個所が多々あって、変な巻き方をすると、ともすれば危険な目に遭う。以前、この古道は歩くところではないと記した山行記事を見たことがある。確かにそうではあるが、この文章への感じ方は人さまざまだろう。そうなのかと好んで歩く人もいる。

(いつもここを左に行ってしまって戻る。今回も同じ)


(かなり崩れていて、無理に登れば、左の石が落ちてきそうだ。ここは沢沿いに左から巻いた)


 やはりススキのところで混乱した。踏み跡と思える溝がいくつかあり、一方の溝を沢に下って行った。戻って、もう一方の溝を歩いたら正解だった。毎回のことだ。ようやく落ち着いたら、今度は崩壊地。ここはさらに崩壊が進んでいて、以前までは無理やりに這い上がったが、今回はどう歩いても手をかけるとくずれそうだ。真下の沢から巻いたら簡単に復帰できた。こんなことを一々記しても詮方ない。以降は省略。一時的に左岸を歩いて右岸道に戻ったりする。

(古道の紅葉に見るべきものはない。せいぜいこのレベル)


(石垣は健在)


(これを歩く人はいまい)


(名物の標識。これではわかりづらいが、ここで右岸に渉る)


(深沢大滝)


(雨量計に到着。まずはほっとした)


(石灯籠)


(石像1)


(石像2)


 そろそろ深沢大滝だ。観に行きたいが、時間的に往復30分はかかるだろうからと我慢し、上からの眺めだけで済ませ、雨量計に到着し、ここまで来れば、もう暗くなっても大丈夫だと休憩する。まだ3時にもなっていなかった。往時には茶屋があったというここの風景だけは変わらない。大きな石灯篭は倒れずに傾いている。石に乗っかった樹も、大魔神のような変てこな石仏もそのままにある。もう最後の休憩だ。ようやく石に腰掛けてタバコを吸った。やはり疲れた。赤倉山のボランティアをやって、さらに半月山の駐車場まで行っていたら、優に+2時間。おそらくは、まだ半月道の入口に至っていず、ヘッデン歩きは必至。最悪、林道から国道122号を歩く形になったかもしれない。今の限度の歩きだ。残念ながら、ボランティアをするには日が短くなっている。

(一般ルートのテープ)


(こんな道が続く)


(あまり意味はない)


(今日はここを登った)


(以前はここから今日の尾根に上がった)


(深沢を渉って)


(林道終点広場)


 古道を下る。何でこんなに歩きづらいのかと腹立たしくなる。右側の尾根を眺めていると、テープが3か所に付いていた。最初のテープは一般的ルート。後の二つは地図の上では地形が不明瞭だが、谷筋から上がる人もいるようだ。自分の今日のスタート地点にテープはない。いずれにしても、山頂下で一般ルートに合流するようだ。
 深沢を渉って広場に出る。すでにジムニーは消えている。山歩きだったのか、工事関係者だったのかは、会うこともなかったから不明だ。休んでもよかったが、そのまま林道を下る。林道の右手、つまり、深沢の左岸側にはフェンスが続いている。以前は、沢側に東屋があって、入って行くことができた。それはできなくなったどころか、ヤブの背が高く、東屋そのものも沢も見えない。

(右手にはフェンスがずっと続いていた)


(駐車地に帰着。山あいで日照時間の少ない足尾はそろそろ夕暮れ時になりかけている)


 駐車地に到着。汗をたいしてかくこともなかったが、時間的に肌寒くなっていた。車に置き去りにしていたジャンパーを着込み、暖房を入れて帰路に就く。
 半月山から眺めて見とれた赤倉山側のボンボンに魅かれてやってきたが、スポットとして見えることができたのは足倉沢の斜面だけだった。そんなものだろう。遠くから眺めて、現場に行ったらがっかりということはよくあることだ。
 先日の半月山の帰りに神子内を通ったら、国道沿いの樹々の葉はまだ緑のままだった。ここのところ冷え込みが続いている。あのお祭り会場の紅葉もそろそろだろうか。

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2 コメント

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Unknown (みー猫)
2022-10-27 21:59:07
たそがれさん、こんばんは。
>落ちてヤブに埋没していた板を誰かが再設置
は自分です。石畳沢を遡行した後で北峰の草地に
落ちてました。こっちに取り付けたのは標高が
違っているからです。気づきましたか?正解は
ご本人に伺わないとわからないですが。
根名草山から手白山に下ったときも
3D板を見つけました。この時は下りだったので
付けに行けませんでしたが。それにしても
ちょうど良いタイミングだったんじゃないですか!
ボンボンはたそがれさんの記事で見た気持ちに
なりました。ありがとうございます。
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みー猫さん (たそがれオヤジ)
2022-10-28 09:13:11
みー猫さん、こんにちは。
そういうことでしたか。みー猫さんは相変わらず元気なお歩きをなさっているので、自分とはレベルが違い過ぎだなとみー猫さんからのブログからは遠ざかっておりました。改めて確認しましたよ。やはり落ちていたわけですね。表示の標高が20mも違うから北峰へということだったわけですか。納得。
これでいくと、山名板のメンテや交換もさることながら、取り付けにも工夫しないといけませんわね。ただ、山部さんの山名板は、昨年9月のみー猫さん写真に比べたら、かなり干からびていましたよ。むしろ、そのまま寝かせたままの方がよかったような気もします。
名物のボンボンですが、タイミングとしては数日早かったようで、上まで広がるには、ちょうど今日あたりがよかったかもしれません。あのボンボンはどうしても林道から撮るしかないのですが、やはり、正面から見たいもの。足倉沢崩壊地の真下からでは上が見えづらいだろうし、崩壊地を登るというのも危険過ぎる。みー猫さん、もっとうまく撮れる方法を考えてくださいよ。
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