◎2014年4月20日(日)
小川町駅(6:05)……官ノ倉山CP(7:15)……笠山CP(10:01)……堂平山CP(10:50)……剣ヶ峰CP(11:02)……大霧山CP(13:12)……皇鈴山CP(15:19)……登谷山CP(14:52)……鉢形公園ゴール(17:10)
<外秩父七峰縦走ハイキング大会>に参加した。昨年は申し込みはしたものの、雨で参加を見送ったので、初挑戦となる。そもそも、こういった、大挙して数珠つなぎで歩くハイキング大会なるもの、自分には苦手、というか、むしろ感情的には嫌いな類いのイベントである。だが、いろいろと私見を述べるのも、体験してからこその話であり、その面からも、いつか歩いてみなければと思ってはいた。大会に参加してまで歩かずとも、当日以外の日にのんびり歩くというのも手ではあるが、これでは意味もなく、やはり、このフェスティバルの実態を知るには参加するしかない。
この42kmのコース、標準コースタイムを合算すると、休憩含まずの12時間27分になる。ゴールの締切り時間は18時30分。6時半スタートだから、12時間で歩ききらないといけない計算になる。この間に渋滞も発生するだろうし、休憩、食事、トイレの用足しもある。かなり慌ただしい歩きを覚悟しなければならない。主催する東武鉄道が作成したハイキングマップには「10時間以内は超健脚」と記されている。最初からケチをつけるようでおこがましいが、「奥武蔵の里の春景色を楽しみながらの、のんびりゆっくり歩きはできませんよ」と主催者側が謳っているようなものなのである。参加する以上は、時間の制約に従わざるを得ないが、「ハイキング大会」をくっつけた名称、「歩け歩け大会」のようなのんびり歩きのイメージはあるものの、実際のところは、「ハイキングを楽しむ」といったニュアンスからは程遠いものがある。
家を4時過ぎに出た。小川町の知人の駐車場を借りてある。そこで、5時にI男、S男さんと待ち合わせしている。自分から誘ったわけではない。3人ともに、昨年のドタキャンの不名誉挽回といった感からの参加である。今日の歩き、トイレ渋滞の心配が頭から離れなかった。長蛇の列でワナワナではたまったものではない。起き抜けに何とか済ませておかなきゃと気は焦れども便意なし。途中の道の駅にさしかかってもその気配がない。かなりやばい状況だと思っていたが、嵐山に入ってからおもむろに兆してきた。だが、こういう時に限って専用施設がないものである。致し方なく、薄暗く見えている人家から離れた林に向かった。そんなことで、駐車場に着いたのは5時5分。2人を待たせてしまった。お二人ともに、大の方は済ませていない雰囲気。どうすんだか。付き合わされ待ちは勘弁してもらいたい。
(まだ電車が来ていないのにすでに行列)
少しでも渋滞にあわないようにするには、電車が入り込む前に並んでいるしかない。駅に着いたのは5時25分。すでにざっと300人の行列ができていた。これを目当てのコンビニのおにぎり販売が動き回っている。自分らの前には船橋からのグループが並んでいる。リュックに垂れた名札ですぐにわかった。
電車が着くたびにホームを走って改札口に向かう人たちは桁外れの人数だ。あっという間に、列の尻は振り返っても見えなくなっていた。どういうわけか、電車で来た方々の一部が我々の前に入り込む。どこでも見かける光景だが、こういうことを年配の方が平然とやってのける。その間、I男がトイレに行った。小の方ではあったが、戻ったのは5分後。大の方はやはり行列だったそうな。天気は曇り。何とか持ってくれれば助かる。雨の中を黙々と歩き続ける根性はない。
(受付開始~スタート)
6時に受付開始となった。たちまち列が動く。ここで、参加記念の軍手とハンドタオルをいただき、チェックポイント(以下CP)記録カードを渡される。ダッシュする人もいれば、改札口に向かう方もかなりいる。竹沢駅からショートカットルートを歩く方々だ。渋滞は少しは避けられるらしい。参加者の年代はどんなものかと眺める。確実に年配者は多いが、若手もかなりいるし、学童もいる。そういう意味では多彩な年代層だ。男女比は5:3で男性か。
車の少ない車道をしばらく歩く。みんな早足である。この時点では、渋滞する前に官ノ倉山を出てしまおうと画策している方々がほとんどなのだろうなと考えていたが、走り出す人が目に付くようになって、どうも、そうではないような感じになってきた。あからさまにトレランに切りかえている参加者もいる。この大会、「競技」と認識している人もかなりいるのではないのか。確か、走りは厳禁で退場命令。杖、ストックの使用もダメのはずなのだが、この時点で規約違反がかなり目につく。こういうルールを守れない方々と歩いていること自体に、早々に違和感を覚えてしまった。年代的には「いい年をした方」に目立つ。もちろん少数派だ。
(こんなのをのんびり撮っていたらたちまち抜かれた)
八幡神社の前を通り、菜の花が咲く田舎道に入る。どんどん追い越される。こちらが追い越すのはまずまれなこと。道端の石仏をのんびりと立ち止まって撮っていたら、あっという間に20人にかわされてしまい、I男、S男さんの間が開いてしまった。以降、こんな調子の歩きがずっと続く。改めて、歩いている方々の歩き方を観察する。黙々と歩いている方が何と多いことか。周囲の景色に目を向ける人は少ない。花はともかく、廃れた石仏、石塔なんかに目を向けるのはだれもいない。
(北向不動。これもよく見ておきたかったのだが)
(狭い山道では一列歩きになる)
官ノ倉山の登りに入った。植林の中。自然、一列になった。前も後ろも途切れがない。右手に北向不動が見えた。階段を登って見に行きたかった。だが、状況がそれを許さない。見に行って、戻っていたら、まずは200人くらいに抜かれ、それだけ渋滞にはまる確率も高くなるというもの。さすがに登りはゆっくりとなるが、ちょっと道が膨らんだところになると、脇からどんどんと入り込まれて、気が抜けない。何だか、すごいレースに参加してしまったものだと思うようになっていた。
石尊山に到着。その前にクサリ場はあったが、さほどの渋滞にははまらなかった。敢えてクサリに頼る必要もなかったし、脇も通れる。まだまだ余裕の前半グループを歩いているのだろう。山頂はガスで何も見えない。汗もかき、上を脱ぐ。ここから官ノ倉山に向かうのだが、大会のコース設定は官ノ倉山ピークを踏まずともいい。下をかすめてCPが設けられている。官ノ倉山ピークに向かう人の姿はない。自分らもそれに倣う。今日の官ノ倉山の山頂は、「忙中閑続き」といった状態だろう。この大会に参加していなければ、自分に限らず、だれでも山頂に立ち寄るだろう。今日はおかしな現象が起きているのではないのか。
(竹沢駅からのショートカット組が加わる)
CPで記録カードに印を押してもらう。ここまで5.1km。コースタイム1時間半を1時間10分で着いてしまった。行列歩きで何ともオッソロシー。まだまだ先がある。このCPに竹沢駅から歩いて来た一団が加わり、さらに団子状態の歩きになった。I男もS男さんも群衆に紛れ、探すのに一苦労。ここで、I男が、今日の大会には6,000人の参加応募があったとスタッフから聞きつけてきた。この人だかりも、全体のほんの一部なのである。
自分にはうまく表現できないが、半ズボンとタイツじみたものを履いている人が、特に高齢層に多い。これは、どうみてもトレランスタイルなのだが、現に走る方も、このスタイルの方に集中している。マラソンを山に持ち込んでいるのか、トレラン中心に山を歩き回っているのか、それは知らない。こういう方々は、ゴール近くでデッドヒートを演じるのが楽しみで参加しているように思えなくもない。
(東秩父村に入る。花がきれいなところだ)
(和紙の里)
(ここにも桜)
方や、町の中を歩いている格好で、リュックはなく、手提げ袋とビニール傘を持ち、靴もスニーカーといった出で立ちの方もいた。番外編では、そんなところで立ちションしなくともと言いたくなる人。種々雑多な方々の歩きスタイルが目に入る。決して否定するものではない。どこの山に行っても、違和感歩きの方々はいるものだ。
上からポツリと落ちて来た。この大会、過去2回ともに雨に祟られているから、予想もしていたことではあるが、合羽を着こんで歩くようになったら、適当なところから下るつもりでいる。過去の記事を拝見すると、泥んこになったり、滑って転んだりするようだ。こうなったら、もはやバトルかサバイバルでしかない。何千人も歩けば、さらに条件も悪くなる。雨はすぐに上がった。しばらくは空の様子を気にしながらの歩きになる。
どんどん下る。ツツジが咲く里を通って車道に出た。東秩父村に入ったようだ。ツツジの写真を撮ったりしているのは自分くらいのもの。「和紙の里」に着く。スイトンにまじって、なぜかビールも販売している。この寒さで売れるのだろうか。すぐに小便になってトイレの行列に加わるだけだろう。裏手に回り、林道のようなクネクネした車道を歩く。これがまた長い。林道をこのまま行けば笠山峠に出るのだろうか。集団はすぐにバラけた。相変わらず走って行くジイサマがいる。ここで何人か抜いたが、やはり、抜かれるパターンの方が多い。
(車道歩きが尽きない)
(本当に花がきれいな里なのだが、自分の腕ではこの程度)
50分歩いて車道歩きから解放されたが、どうも足裏にマメができつつある。痛くなってきた。そもそも、自分の身体は長時間の舗装道路歩きには耐えられる仕様になっていない。林道をそのまま歩く人もいたが、先で、またこの林道に合流した際、「林道歩きの方が楽だよ」とおっしゃっている御仁がいた。不思議な感じがした。再びの林道を目の前にして、ここで足裏にテーピングしておく。今さら遅い処置だが、何もしないよりはましだ。この間、50人が脇を通過して行った。
花のきれいな里に入った。天気が晴れていればさぞきれいだったろう。先週のあんぱんさんのブログで東秩父村の「花桃の郷」の記事を拝見したが、もしかしてここが花桃の郷?と思うようなイメージだった(実際はさらに北西の大内沢という地区ではあった。ここは萩平地区)。こんなところは花を愛でながらゆっくりと歩きたいものだが、数人が写真を撮る程度で、緩やかな歩きをしている人はいない。大方は、目もくれずに黙々と歩き続けている。林の中に入って、すぐにまた林道。ここに売店があった。1本50円のバナナを買う。店主のオッサンにビールを薦められたが、その気になれない。当人は飲みながらの商いをしている。お気楽なものだ。
(ここで渋滞。これは仕方がない)
(笠山山頂)
(こういうラフなスタイルの方が歩いていた。手提げ袋とビニール傘。なかなかの健脚で、すぐに見えなくなった)
また山道に入ると、今回唯一の待機状態に入った。上にまた林道への出口があり、ガードレールの下は斜面で、ロープが付いている。林道を越えてまた林の中となる。この辺になると、林道は未舗装になっている。笠山CPに到着。笠山の山頂はすぐ脇にある。とは言っても、立ち寄る人は数人といったところ。ほとんどが素通り。笠山で休み、少し腹を満たした。ハイキングマップには「日光の山々がよく見える」とある。今は何も見えない。晴れた日に改めて来てみたい。
休憩はせいぜい10分くらいだった。その間200人、もしくはそれ以上に抜かれたようだ。これもまたI男の話だが、スタッフに確認すると、笠山CP通過は600番台だったようだ。10分で800番台に落ちてしまった。あっという間の出来事だ。これが、これからもグズグズと続くことになる。それにしても、こんな大会に参加する方々は、皆んな揃って健脚だ。最初のうちは、女性、特にオバチャンクラスに抜かれるのに愕然としたものであったが、もう麻痺して、何も感じなくなっている。山の中をこんなに早足で歩いたことはない。それでもどんどん抜かれていく。やがて「18時半までに着けば帽子もらえるんだろ。自分らのペースで行こうよ」となる。だが、どんどん遅れていくのもまた気分的につらい。
(堂平山で)
(まぼろしの天文台)
堂平山に近づいた。この山は初めてだ。以前から、天文台を直に見てみたいとずっと思っていた。しかし、ガスで見えるのはシルエットだけ。ここは賑やかだ。地元のゆるキャラが愛想を振りまいている。テントがいくつか張られ、食い物コーナーも充実しているようだが、さっき笠山で食べたから、改めて何かを食べたい気分になれない。ましてや、今度は吐く息が白くなってきている。一等三角点の標石に立ち寄る人は少なく、ここもまた忙中閑続きの状態。
この辺から、I男が筋肉痛を起こしてしまった。かなりつらそうだ。こちらは、足裏マメが別のところに出きはじめていた。テーピングしていないところだ。もうこのままにしておく。まだ18.4km。
(たまに閑散とした道になったりして)
(すぐにこうなる)
(定峰峠)
下る。たまに人の姿がふと見えなくなることがある。さっきまでの喧噪は何だったのだろうか。これも一瞬のこと。すぐ霧の中から行列が現れた。一列の場合、どうしても先を行く人のペースに合わせるから、こういったエアポケットもできてしまう。これに関連しての話だが、車を運転していて、車間距離をとらない後続車には腹立たしい思いをすることがあるが、6,000人も歩いていれば、いろんなハイカーがいるもので、登り坂で後ろにぴたりとくっつかれ、鼻息やらハーハーゼーゼーを共有するのは嫌なものである。さっと脇に避けて、行っていただくことにする。だが、すぐにまた別人とため息を共有する。
剣ヶ峰CPを過ぎて白石峠。サイクリングが目に付く。ここからの登りは少々きついが、全体が遅くなるため、自分にはストレスのない登りだった。北側の展望が開け、下ると定峰峠。ようやく半分を過ぎて22.4km。ここの桜はまだ散りはじめレベル。ラーメンを作って食べている人もいる。トイレの行列はここでものようで、I男もS男さんも、小なのに時間をかけて戻って来た。
S男さんは、先々週だったか、律儀にこのコースを下見したらしい。小川町から歩き、定峰峠から下ってバスで帰ったとのことだ。自分なら、下見をしてしまったら、本番には参加しないだろうな。ここまででも長い車道歩きが耐えられない。
(そして大霧山のCP)
アカヤシオを見ながら登ると「ダイダラボッチの伝説」の案内板があった。ここが旧定峰峠だろうか。上には石祠がある。最近置かれたのか新しい。さて、この案内板、帰ってからゆっくりと写真の説明文を読むつもりでいたがピンボケ。この写真に限らず、今日の写真はピンボケだらけ。行列の中で歩いていると、立ち止まっての撮影が難しく、歩きながらとなる。結果、こういうことになってしまう。これ、言い訳でもある。
登りきると、ちょっとした休憩スポット。進路と反対側に行けそうで、身も隠せそうだしと、ここで用足しをさせていただいた。後ろに並ばれる圧迫感がないのがいい。今回のレース途上で、小用はここと、歩き出してすぐの公共トイレだけであった。公共トイレは、珍しく、だれもいなかったのである。
一休みして、ちょっと下って登って大霧山。25.4km。ここまで来れば、完歩も視野に入る。休憩する人が多い。S男さんと休憩しながら、また菓子パンを頬張って、遅れがちになっているI男を待ちのスタイル。ところがなかなか姿が見えない。これまた150人目くらいに姿を出した。かなり疲れている様子。筋肉痛で粥新田峠(粥仁田峠)から下りると言い出した。痙攣まで起こしたそうな。致し方あるまい。週末はサーフィン続きで山歩きなんかしていない。こんな過酷なレースにエントリーすること自体が無謀なのである。週一歩きの自分やらS男さんですらつらい思いをしている。
休み過ぎた。寒くなってきた。上をまた着る。
(粥新田峠の地蔵)
(林道歩き再開)
しばらく休みたいと言うI男を残して先に進む。その後、I男はどうなったかというと、粥新田峠でスタッフに「ここから下っても先に行っても同じだよ」と説得されながらも下ったとのこと。とぼとぼと下って橋場のバス停でスタッフから押印してもらい、来年の30回記念大会への参加につなぎを付け、白川車庫からやって来た満員のバスに乗車して小川町駅まで戻ったということだ。その後は、足を引きずって駐車場に行き、しばらく休んだ後に、我々を迎えに寄居まで車で来ることになっている。こちらにしてみれば、ある意味、I男の脱落は怪我の功名のようなもの。この時点では想像もしていなかったが、バスが満員だったということからして、6,000人にまぎれ、リタイアして途中で下って行く方も多いようだ。
粥新田峠に下った。ここにある地蔵を写真撮りするつもりでいたが、立ちションする人がずらっと並んでしまい、木立ちの下から地蔵を撮るしかなかった。また、車道歩きが始まった。実質、これからが延々の車道歩き主体になる。車道から逸れたのは皇鈴山区間と登谷山区間だけ。山道歩きは大した距離がない。ゴールまであと16km。
(向こうに見えるのが官ノ倉山だろうか)
(300円なり)
(二本木峠)
(ここもツツジが満開だった)
(皇鈴山)
展望がまた広がった。ここは放牧場。右手に見えるガスのかかった山は官ノ倉山だろう。あとはどこもわからない。前後して栃木言葉をまくしたてる5~6人のオジチャン、オバチャングループと行きかう。のどかな気分になる。牧場は「彩の国ふれあい牧場」。ここに立ち寄ってアイスクリームを食べる。300円。S男さんは牛乳を飲みたかったらしいが売り切れで、いかに我々が遅くなっているかがうかがい知れるというもの。
花を見ながら二本木峠。ツツジやら山桜がきれいに咲いている。もう、この辺になると、行列は消滅している。早い人ならゴールに近づいているのではないだろうか。6時スタートから8時間半経っている。この先、公園に入って行くような感じで車道から離れて登ると、皇鈴山に着いた。ここにもCPがある。桜が満開。こんな歩きでなかったら、ゆっくりとくつろげる山頂だ。木の社があり、その先に石祠。
(夜景のメッカとのことだが)
(最後のCP)
右下に集落が見えてきた。後で知ったが、これが東秩父村の大内沢のようである。また林道に出て脇道を登る。左は「登谷高原牧場」とある。丘のような小ピークに出た。正面先にアンテナの立ったピークが見えている。あれが登谷山だとすれば、えらく遠いなと思ったが、これを下ると林道に出て登谷山CP。ということは、あの小ピークが登谷山だったということになる。夜景のメッカらしいが、ガスで遠望がきかず、夜景がきれいだと言われてもぴんとこない。ここでS男さんはトイレ。仮設の一基。集団もばらけているので、待ちもせいぜい3人程度のものだが、男女区分なしのトイレというのも、並ぶ側には苦痛だろうな。
(10kmの車道歩きが始まった)
(秩父地方らしい、唯一の景色に出会えた)
ようやく残り10km。足の裏が完全にバカになっている。マメが片足3つずつできている気配だが、今さらどうにもならず、このままゴールに向かうしかない。もう舗装した道以外に歩きようがない。釜山神社の参道を左に見る。立ち寄ってみたいと気持ちはもう起きない。先に寄居町観光協会が開いている給水所があった。水をいただく。さすが名水百選「日本水」。腹に染み渡る。さらに梅干しとミカンだかハッサク。アルミの盆に載っていたそれは、タイミングが悪かったせいか分厚い皮だけのが残っているだけで、一かじりしたものの、甘いのか酸っぱいのかもわからぬままに捨てた。S男さんは身のあるのをしっかりと食べていた。 ※この柑橘類だが、「グレープフルーツ」と記した記事を見かけた。そうであったかもしれないが、皮をかじっただけのことだから、自分には判断がつかない。
(石仏を見て)
(諏訪神社)
里の風景を楽しみながら、車道を下る。関所跡を通過し、寄居駅5.9kmの標識。そして石仏。できるだけ道路の端を歩くようにした。細かい木の葉や枝がたまっていて、足裏にやさしいクッションだからであるが、次第にそれもなくなってきた。
どんどん抜かれて行く。この期に及んでも走る人がいるし、スタート時と変わらぬ競歩速度で歩いている人もいる。こちらは、見るからに疲れ歩きのオジチャン、オバチャンを15人くらいかわしただけだが、差引き50人には抜かれた。みんなすごい余力だねぇ。もう一周出来んじゃねぇのか。ハイキング愛好者が車道歩きに強いというのもまたこちらとしては複雑な思いだ。不思議にも、ズボンに泥付けの人が多い。転んだのだろうが、自分は一度もヘマはしなかったけどなぁ。これだけはせめてもの自慢か。
八高線の踏切を渡って諏訪神社。ここで最後の休憩にして、後はラストスパートといたしましょうか。タバコを吸う。今日はやたらとタバコを吸っている。ここまで10本は吸った。山歩きをしてこんなに吸ったのは初めてのことだ。S男さんは離れて周囲を眺めている。結構、余裕しゃくしゃくの顔付きをしている。もしかして、自分の鈍足に付き合わされて、うんざりしてんじゃないのか。I男からメールが届いた。ゴール前の駐車場にいるとのこと。
(左に鉢形城跡。ここもゆっくりと探索してみたい)
(ゴール)
鉢形城跡を左に見ながら歩く。もう17時を過ぎ、薄暗くなりはじめている。思い込みではあったが、ゴールは寄居駅だと思っていた。右手前方に人だかりがあった。何かやってんのかなと近づくと、そこがゴールだった。得した気分でほっとした。11時間か。超健脚には1時間不足の記録であった。
(景品交換所。そういえば、今日は山ガールも結構見かけた)
記録カードを提示し、完歩賞状をいただく。賞品はタオルかCAPの選択。タオルを選んだ。S男さんはCAP。屋台が出て、食い物、土産屋が並んでいる。ビールをグイッと飲みたかったが、運転があるので我慢。もっとも、一口でいきなり酔っぱらっていたろう。こんな過酷な42kmを歩くなんてのは初めての経験だ。
車の中ではI男が伸びていた。もうどうでもいい感じになっている。寄居駅まで歩き、さらに小川町駅から駐車場まで歩かなくとも済んだことに心より感謝した。このまま歩き続けたら足裏は破裂する。
(今日は、こういったものをいただいた)
達成感はあった。歩けたんだなと、自信に似たものがあり、満足もした。だが、このコース、2/3は車道歩きだったのではないだろうか。その結果が足裏マメである。6,000人が参加すれば、その人数分の参加目的もあるだろう。いろんなことやいろんなものを目にした。この大会に参加して、いい経験をさせていただいた。どんな大会なのか知りたい。それが自分の目的であった。これで十分だ。二度と歩くことはあるまい。それにしても、リピーターの何と多いことか。大会に魅力があるからのリピーターなのだろうが、自分にはそれが最後まで理解できなかった。
慌ただしい歩きだった。見るべきところが多いのにほとんど見ないで素通りした。天気も悪かった。考えてみれば、車道歩きが多く、わざわざ縦走して歩くまでもないコースである。今度歩く時は、細切れにしてじっくりと歩いてみることにしよう。ここには石仏もあるし花もある。
(本日の歩数計記録。これまでの最高は袈裟丸~法師岳歩きの46,000歩だったが)
帰って風呂に入ると、足の裏に大きな水泡ができていた。多少の筋肉痛もあった。翌日は、足が何となく腫れぼったくなっていて、靴が窮屈で、痛みもあったため、歩行がつらかった。翌々日には水泡も勝手に破れ、何とか回復してくれた。別に味をしめたわけではないが、改めて車道歩きのないロングコースを物色してみることにしようか。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
小川町駅(6:05)……官ノ倉山CP(7:15)……笠山CP(10:01)……堂平山CP(10:50)……剣ヶ峰CP(11:02)……大霧山CP(13:12)……皇鈴山CP(15:19)……登谷山CP(14:52)……鉢形公園ゴール(17:10)
<外秩父七峰縦走ハイキング大会>に参加した。昨年は申し込みはしたものの、雨で参加を見送ったので、初挑戦となる。そもそも、こういった、大挙して数珠つなぎで歩くハイキング大会なるもの、自分には苦手、というか、むしろ感情的には嫌いな類いのイベントである。だが、いろいろと私見を述べるのも、体験してからこその話であり、その面からも、いつか歩いてみなければと思ってはいた。大会に参加してまで歩かずとも、当日以外の日にのんびり歩くというのも手ではあるが、これでは意味もなく、やはり、このフェスティバルの実態を知るには参加するしかない。
この42kmのコース、標準コースタイムを合算すると、休憩含まずの12時間27分になる。ゴールの締切り時間は18時30分。6時半スタートだから、12時間で歩ききらないといけない計算になる。この間に渋滞も発生するだろうし、休憩、食事、トイレの用足しもある。かなり慌ただしい歩きを覚悟しなければならない。主催する東武鉄道が作成したハイキングマップには「10時間以内は超健脚」と記されている。最初からケチをつけるようでおこがましいが、「奥武蔵の里の春景色を楽しみながらの、のんびりゆっくり歩きはできませんよ」と主催者側が謳っているようなものなのである。参加する以上は、時間の制約に従わざるを得ないが、「ハイキング大会」をくっつけた名称、「歩け歩け大会」のようなのんびり歩きのイメージはあるものの、実際のところは、「ハイキングを楽しむ」といったニュアンスからは程遠いものがある。
家を4時過ぎに出た。小川町の知人の駐車場を借りてある。そこで、5時にI男、S男さんと待ち合わせしている。自分から誘ったわけではない。3人ともに、昨年のドタキャンの不名誉挽回といった感からの参加である。今日の歩き、トイレ渋滞の心配が頭から離れなかった。長蛇の列でワナワナではたまったものではない。起き抜けに何とか済ませておかなきゃと気は焦れども便意なし。途中の道の駅にさしかかってもその気配がない。かなりやばい状況だと思っていたが、嵐山に入ってからおもむろに兆してきた。だが、こういう時に限って専用施設がないものである。致し方なく、薄暗く見えている人家から離れた林に向かった。そんなことで、駐車場に着いたのは5時5分。2人を待たせてしまった。お二人ともに、大の方は済ませていない雰囲気。どうすんだか。付き合わされ待ちは勘弁してもらいたい。
(まだ電車が来ていないのにすでに行列)
少しでも渋滞にあわないようにするには、電車が入り込む前に並んでいるしかない。駅に着いたのは5時25分。すでにざっと300人の行列ができていた。これを目当てのコンビニのおにぎり販売が動き回っている。自分らの前には船橋からのグループが並んでいる。リュックに垂れた名札ですぐにわかった。
電車が着くたびにホームを走って改札口に向かう人たちは桁外れの人数だ。あっという間に、列の尻は振り返っても見えなくなっていた。どういうわけか、電車で来た方々の一部が我々の前に入り込む。どこでも見かける光景だが、こういうことを年配の方が平然とやってのける。その間、I男がトイレに行った。小の方ではあったが、戻ったのは5分後。大の方はやはり行列だったそうな。天気は曇り。何とか持ってくれれば助かる。雨の中を黙々と歩き続ける根性はない。
(受付開始~スタート)
6時に受付開始となった。たちまち列が動く。ここで、参加記念の軍手とハンドタオルをいただき、チェックポイント(以下CP)記録カードを渡される。ダッシュする人もいれば、改札口に向かう方もかなりいる。竹沢駅からショートカットルートを歩く方々だ。渋滞は少しは避けられるらしい。参加者の年代はどんなものかと眺める。確実に年配者は多いが、若手もかなりいるし、学童もいる。そういう意味では多彩な年代層だ。男女比は5:3で男性か。
車の少ない車道をしばらく歩く。みんな早足である。この時点では、渋滞する前に官ノ倉山を出てしまおうと画策している方々がほとんどなのだろうなと考えていたが、走り出す人が目に付くようになって、どうも、そうではないような感じになってきた。あからさまにトレランに切りかえている参加者もいる。この大会、「競技」と認識している人もかなりいるのではないのか。確か、走りは厳禁で退場命令。杖、ストックの使用もダメのはずなのだが、この時点で規約違反がかなり目につく。こういうルールを守れない方々と歩いていること自体に、早々に違和感を覚えてしまった。年代的には「いい年をした方」に目立つ。もちろん少数派だ。
(こんなのをのんびり撮っていたらたちまち抜かれた)
八幡神社の前を通り、菜の花が咲く田舎道に入る。どんどん追い越される。こちらが追い越すのはまずまれなこと。道端の石仏をのんびりと立ち止まって撮っていたら、あっという間に20人にかわされてしまい、I男、S男さんの間が開いてしまった。以降、こんな調子の歩きがずっと続く。改めて、歩いている方々の歩き方を観察する。黙々と歩いている方が何と多いことか。周囲の景色に目を向ける人は少ない。花はともかく、廃れた石仏、石塔なんかに目を向けるのはだれもいない。
(北向不動。これもよく見ておきたかったのだが)
(狭い山道では一列歩きになる)
官ノ倉山の登りに入った。植林の中。自然、一列になった。前も後ろも途切れがない。右手に北向不動が見えた。階段を登って見に行きたかった。だが、状況がそれを許さない。見に行って、戻っていたら、まずは200人くらいに抜かれ、それだけ渋滞にはまる確率も高くなるというもの。さすがに登りはゆっくりとなるが、ちょっと道が膨らんだところになると、脇からどんどんと入り込まれて、気が抜けない。何だか、すごいレースに参加してしまったものだと思うようになっていた。
石尊山に到着。その前にクサリ場はあったが、さほどの渋滞にははまらなかった。敢えてクサリに頼る必要もなかったし、脇も通れる。まだまだ余裕の前半グループを歩いているのだろう。山頂はガスで何も見えない。汗もかき、上を脱ぐ。ここから官ノ倉山に向かうのだが、大会のコース設定は官ノ倉山ピークを踏まずともいい。下をかすめてCPが設けられている。官ノ倉山ピークに向かう人の姿はない。自分らもそれに倣う。今日の官ノ倉山の山頂は、「忙中閑続き」といった状態だろう。この大会に参加していなければ、自分に限らず、だれでも山頂に立ち寄るだろう。今日はおかしな現象が起きているのではないのか。
(竹沢駅からのショートカット組が加わる)
CPで記録カードに印を押してもらう。ここまで5.1km。コースタイム1時間半を1時間10分で着いてしまった。行列歩きで何ともオッソロシー。まだまだ先がある。このCPに竹沢駅から歩いて来た一団が加わり、さらに団子状態の歩きになった。I男もS男さんも群衆に紛れ、探すのに一苦労。ここで、I男が、今日の大会には6,000人の参加応募があったとスタッフから聞きつけてきた。この人だかりも、全体のほんの一部なのである。
自分にはうまく表現できないが、半ズボンとタイツじみたものを履いている人が、特に高齢層に多い。これは、どうみてもトレランスタイルなのだが、現に走る方も、このスタイルの方に集中している。マラソンを山に持ち込んでいるのか、トレラン中心に山を歩き回っているのか、それは知らない。こういう方々は、ゴール近くでデッドヒートを演じるのが楽しみで参加しているように思えなくもない。
(東秩父村に入る。花がきれいなところだ)
(和紙の里)
(ここにも桜)
方や、町の中を歩いている格好で、リュックはなく、手提げ袋とビニール傘を持ち、靴もスニーカーといった出で立ちの方もいた。番外編では、そんなところで立ちションしなくともと言いたくなる人。種々雑多な方々の歩きスタイルが目に入る。決して否定するものではない。どこの山に行っても、違和感歩きの方々はいるものだ。
上からポツリと落ちて来た。この大会、過去2回ともに雨に祟られているから、予想もしていたことではあるが、合羽を着こんで歩くようになったら、適当なところから下るつもりでいる。過去の記事を拝見すると、泥んこになったり、滑って転んだりするようだ。こうなったら、もはやバトルかサバイバルでしかない。何千人も歩けば、さらに条件も悪くなる。雨はすぐに上がった。しばらくは空の様子を気にしながらの歩きになる。
どんどん下る。ツツジが咲く里を通って車道に出た。東秩父村に入ったようだ。ツツジの写真を撮ったりしているのは自分くらいのもの。「和紙の里」に着く。スイトンにまじって、なぜかビールも販売している。この寒さで売れるのだろうか。すぐに小便になってトイレの行列に加わるだけだろう。裏手に回り、林道のようなクネクネした車道を歩く。これがまた長い。林道をこのまま行けば笠山峠に出るのだろうか。集団はすぐにバラけた。相変わらず走って行くジイサマがいる。ここで何人か抜いたが、やはり、抜かれるパターンの方が多い。
(車道歩きが尽きない)
(本当に花がきれいな里なのだが、自分の腕ではこの程度)
50分歩いて車道歩きから解放されたが、どうも足裏にマメができつつある。痛くなってきた。そもそも、自分の身体は長時間の舗装道路歩きには耐えられる仕様になっていない。林道をそのまま歩く人もいたが、先で、またこの林道に合流した際、「林道歩きの方が楽だよ」とおっしゃっている御仁がいた。不思議な感じがした。再びの林道を目の前にして、ここで足裏にテーピングしておく。今さら遅い処置だが、何もしないよりはましだ。この間、50人が脇を通過して行った。
花のきれいな里に入った。天気が晴れていればさぞきれいだったろう。先週のあんぱんさんのブログで東秩父村の「花桃の郷」の記事を拝見したが、もしかしてここが花桃の郷?と思うようなイメージだった(実際はさらに北西の大内沢という地区ではあった。ここは萩平地区)。こんなところは花を愛でながらゆっくりと歩きたいものだが、数人が写真を撮る程度で、緩やかな歩きをしている人はいない。大方は、目もくれずに黙々と歩き続けている。林の中に入って、すぐにまた林道。ここに売店があった。1本50円のバナナを買う。店主のオッサンにビールを薦められたが、その気になれない。当人は飲みながらの商いをしている。お気楽なものだ。
(ここで渋滞。これは仕方がない)
(笠山山頂)
(こういうラフなスタイルの方が歩いていた。手提げ袋とビニール傘。なかなかの健脚で、すぐに見えなくなった)
また山道に入ると、今回唯一の待機状態に入った。上にまた林道への出口があり、ガードレールの下は斜面で、ロープが付いている。林道を越えてまた林の中となる。この辺になると、林道は未舗装になっている。笠山CPに到着。笠山の山頂はすぐ脇にある。とは言っても、立ち寄る人は数人といったところ。ほとんどが素通り。笠山で休み、少し腹を満たした。ハイキングマップには「日光の山々がよく見える」とある。今は何も見えない。晴れた日に改めて来てみたい。
休憩はせいぜい10分くらいだった。その間200人、もしくはそれ以上に抜かれたようだ。これもまたI男の話だが、スタッフに確認すると、笠山CP通過は600番台だったようだ。10分で800番台に落ちてしまった。あっという間の出来事だ。これが、これからもグズグズと続くことになる。それにしても、こんな大会に参加する方々は、皆んな揃って健脚だ。最初のうちは、女性、特にオバチャンクラスに抜かれるのに愕然としたものであったが、もう麻痺して、何も感じなくなっている。山の中をこんなに早足で歩いたことはない。それでもどんどん抜かれていく。やがて「18時半までに着けば帽子もらえるんだろ。自分らのペースで行こうよ」となる。だが、どんどん遅れていくのもまた気分的につらい。
(堂平山で)
(まぼろしの天文台)
堂平山に近づいた。この山は初めてだ。以前から、天文台を直に見てみたいとずっと思っていた。しかし、ガスで見えるのはシルエットだけ。ここは賑やかだ。地元のゆるキャラが愛想を振りまいている。テントがいくつか張られ、食い物コーナーも充実しているようだが、さっき笠山で食べたから、改めて何かを食べたい気分になれない。ましてや、今度は吐く息が白くなってきている。一等三角点の標石に立ち寄る人は少なく、ここもまた忙中閑続きの状態。
この辺から、I男が筋肉痛を起こしてしまった。かなりつらそうだ。こちらは、足裏マメが別のところに出きはじめていた。テーピングしていないところだ。もうこのままにしておく。まだ18.4km。
(たまに閑散とした道になったりして)
(すぐにこうなる)
(定峰峠)
下る。たまに人の姿がふと見えなくなることがある。さっきまでの喧噪は何だったのだろうか。これも一瞬のこと。すぐ霧の中から行列が現れた。一列の場合、どうしても先を行く人のペースに合わせるから、こういったエアポケットもできてしまう。これに関連しての話だが、車を運転していて、車間距離をとらない後続車には腹立たしい思いをすることがあるが、6,000人も歩いていれば、いろんなハイカーがいるもので、登り坂で後ろにぴたりとくっつかれ、鼻息やらハーハーゼーゼーを共有するのは嫌なものである。さっと脇に避けて、行っていただくことにする。だが、すぐにまた別人とため息を共有する。
剣ヶ峰CPを過ぎて白石峠。サイクリングが目に付く。ここからの登りは少々きついが、全体が遅くなるため、自分にはストレスのない登りだった。北側の展望が開け、下ると定峰峠。ようやく半分を過ぎて22.4km。ここの桜はまだ散りはじめレベル。ラーメンを作って食べている人もいる。トイレの行列はここでものようで、I男もS男さんも、小なのに時間をかけて戻って来た。
S男さんは、先々週だったか、律儀にこのコースを下見したらしい。小川町から歩き、定峰峠から下ってバスで帰ったとのことだ。自分なら、下見をしてしまったら、本番には参加しないだろうな。ここまででも長い車道歩きが耐えられない。
(そして大霧山のCP)
アカヤシオを見ながら登ると「ダイダラボッチの伝説」の案内板があった。ここが旧定峰峠だろうか。上には石祠がある。最近置かれたのか新しい。さて、この案内板、帰ってからゆっくりと写真の説明文を読むつもりでいたがピンボケ。この写真に限らず、今日の写真はピンボケだらけ。行列の中で歩いていると、立ち止まっての撮影が難しく、歩きながらとなる。結果、こういうことになってしまう。これ、言い訳でもある。
登りきると、ちょっとした休憩スポット。進路と反対側に行けそうで、身も隠せそうだしと、ここで用足しをさせていただいた。後ろに並ばれる圧迫感がないのがいい。今回のレース途上で、小用はここと、歩き出してすぐの公共トイレだけであった。公共トイレは、珍しく、だれもいなかったのである。
一休みして、ちょっと下って登って大霧山。25.4km。ここまで来れば、完歩も視野に入る。休憩する人が多い。S男さんと休憩しながら、また菓子パンを頬張って、遅れがちになっているI男を待ちのスタイル。ところがなかなか姿が見えない。これまた150人目くらいに姿を出した。かなり疲れている様子。筋肉痛で粥新田峠(粥仁田峠)から下りると言い出した。痙攣まで起こしたそうな。致し方あるまい。週末はサーフィン続きで山歩きなんかしていない。こんな過酷なレースにエントリーすること自体が無謀なのである。週一歩きの自分やらS男さんですらつらい思いをしている。
休み過ぎた。寒くなってきた。上をまた着る。
(粥新田峠の地蔵)
(林道歩き再開)
しばらく休みたいと言うI男を残して先に進む。その後、I男はどうなったかというと、粥新田峠でスタッフに「ここから下っても先に行っても同じだよ」と説得されながらも下ったとのこと。とぼとぼと下って橋場のバス停でスタッフから押印してもらい、来年の30回記念大会への参加につなぎを付け、白川車庫からやって来た満員のバスに乗車して小川町駅まで戻ったということだ。その後は、足を引きずって駐車場に行き、しばらく休んだ後に、我々を迎えに寄居まで車で来ることになっている。こちらにしてみれば、ある意味、I男の脱落は怪我の功名のようなもの。この時点では想像もしていなかったが、バスが満員だったということからして、6,000人にまぎれ、リタイアして途中で下って行く方も多いようだ。
粥新田峠に下った。ここにある地蔵を写真撮りするつもりでいたが、立ちションする人がずらっと並んでしまい、木立ちの下から地蔵を撮るしかなかった。また、車道歩きが始まった。実質、これからが延々の車道歩き主体になる。車道から逸れたのは皇鈴山区間と登谷山区間だけ。山道歩きは大した距離がない。ゴールまであと16km。
(向こうに見えるのが官ノ倉山だろうか)
(300円なり)
(二本木峠)
(ここもツツジが満開だった)
(皇鈴山)
展望がまた広がった。ここは放牧場。右手に見えるガスのかかった山は官ノ倉山だろう。あとはどこもわからない。前後して栃木言葉をまくしたてる5~6人のオジチャン、オバチャングループと行きかう。のどかな気分になる。牧場は「彩の国ふれあい牧場」。ここに立ち寄ってアイスクリームを食べる。300円。S男さんは牛乳を飲みたかったらしいが売り切れで、いかに我々が遅くなっているかがうかがい知れるというもの。
花を見ながら二本木峠。ツツジやら山桜がきれいに咲いている。もう、この辺になると、行列は消滅している。早い人ならゴールに近づいているのではないだろうか。6時スタートから8時間半経っている。この先、公園に入って行くような感じで車道から離れて登ると、皇鈴山に着いた。ここにもCPがある。桜が満開。こんな歩きでなかったら、ゆっくりとくつろげる山頂だ。木の社があり、その先に石祠。
(夜景のメッカとのことだが)
(最後のCP)
右下に集落が見えてきた。後で知ったが、これが東秩父村の大内沢のようである。また林道に出て脇道を登る。左は「登谷高原牧場」とある。丘のような小ピークに出た。正面先にアンテナの立ったピークが見えている。あれが登谷山だとすれば、えらく遠いなと思ったが、これを下ると林道に出て登谷山CP。ということは、あの小ピークが登谷山だったということになる。夜景のメッカらしいが、ガスで遠望がきかず、夜景がきれいだと言われてもぴんとこない。ここでS男さんはトイレ。仮設の一基。集団もばらけているので、待ちもせいぜい3人程度のものだが、男女区分なしのトイレというのも、並ぶ側には苦痛だろうな。
(10kmの車道歩きが始まった)
(秩父地方らしい、唯一の景色に出会えた)
ようやく残り10km。足の裏が完全にバカになっている。マメが片足3つずつできている気配だが、今さらどうにもならず、このままゴールに向かうしかない。もう舗装した道以外に歩きようがない。釜山神社の参道を左に見る。立ち寄ってみたいと気持ちはもう起きない。先に寄居町観光協会が開いている給水所があった。水をいただく。さすが名水百選「日本水」。腹に染み渡る。さらに梅干しとミカンだかハッサク。アルミの盆に載っていたそれは、タイミングが悪かったせいか分厚い皮だけのが残っているだけで、一かじりしたものの、甘いのか酸っぱいのかもわからぬままに捨てた。S男さんは身のあるのをしっかりと食べていた。 ※この柑橘類だが、「グレープフルーツ」と記した記事を見かけた。そうであったかもしれないが、皮をかじっただけのことだから、自分には判断がつかない。
(石仏を見て)
(諏訪神社)
里の風景を楽しみながら、車道を下る。関所跡を通過し、寄居駅5.9kmの標識。そして石仏。できるだけ道路の端を歩くようにした。細かい木の葉や枝がたまっていて、足裏にやさしいクッションだからであるが、次第にそれもなくなってきた。
どんどん抜かれて行く。この期に及んでも走る人がいるし、スタート時と変わらぬ競歩速度で歩いている人もいる。こちらは、見るからに疲れ歩きのオジチャン、オバチャンを15人くらいかわしただけだが、差引き50人には抜かれた。みんなすごい余力だねぇ。もう一周出来んじゃねぇのか。ハイキング愛好者が車道歩きに強いというのもまたこちらとしては複雑な思いだ。不思議にも、ズボンに泥付けの人が多い。転んだのだろうが、自分は一度もヘマはしなかったけどなぁ。これだけはせめてもの自慢か。
八高線の踏切を渡って諏訪神社。ここで最後の休憩にして、後はラストスパートといたしましょうか。タバコを吸う。今日はやたらとタバコを吸っている。ここまで10本は吸った。山歩きをしてこんなに吸ったのは初めてのことだ。S男さんは離れて周囲を眺めている。結構、余裕しゃくしゃくの顔付きをしている。もしかして、自分の鈍足に付き合わされて、うんざりしてんじゃないのか。I男からメールが届いた。ゴール前の駐車場にいるとのこと。
(左に鉢形城跡。ここもゆっくりと探索してみたい)
(ゴール)
鉢形城跡を左に見ながら歩く。もう17時を過ぎ、薄暗くなりはじめている。思い込みではあったが、ゴールは寄居駅だと思っていた。右手前方に人だかりがあった。何かやってんのかなと近づくと、そこがゴールだった。得した気分でほっとした。11時間か。超健脚には1時間不足の記録であった。
(景品交換所。そういえば、今日は山ガールも結構見かけた)
記録カードを提示し、完歩賞状をいただく。賞品はタオルかCAPの選択。タオルを選んだ。S男さんはCAP。屋台が出て、食い物、土産屋が並んでいる。ビールをグイッと飲みたかったが、運転があるので我慢。もっとも、一口でいきなり酔っぱらっていたろう。こんな過酷な42kmを歩くなんてのは初めての経験だ。
車の中ではI男が伸びていた。もうどうでもいい感じになっている。寄居駅まで歩き、さらに小川町駅から駐車場まで歩かなくとも済んだことに心より感謝した。このまま歩き続けたら足裏は破裂する。
(今日は、こういったものをいただいた)
達成感はあった。歩けたんだなと、自信に似たものがあり、満足もした。だが、このコース、2/3は車道歩きだったのではないだろうか。その結果が足裏マメである。6,000人が参加すれば、その人数分の参加目的もあるだろう。いろんなことやいろんなものを目にした。この大会に参加して、いい経験をさせていただいた。どんな大会なのか知りたい。それが自分の目的であった。これで十分だ。二度と歩くことはあるまい。それにしても、リピーターの何と多いことか。大会に魅力があるからのリピーターなのだろうが、自分にはそれが最後まで理解できなかった。
慌ただしい歩きだった。見るべきところが多いのにほとんど見ないで素通りした。天気も悪かった。考えてみれば、車道歩きが多く、わざわざ縦走して歩くまでもないコースである。今度歩く時は、細切れにしてじっくりと歩いてみることにしよう。ここには石仏もあるし花もある。
(本日の歩数計記録。これまでの最高は袈裟丸~法師岳歩きの46,000歩だったが)
帰って風呂に入ると、足の裏に大きな水泡ができていた。多少の筋肉痛もあった。翌日は、足が何となく腫れぼったくなっていて、靴が窮屈で、痛みもあったため、歩行がつらかった。翌々日には水泡も勝手に破れ、何とか回復してくれた。別に味をしめたわけではないが、改めて車道歩きのないロングコースを物色してみることにしようか。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
確かにお花の時期で、どこを歩いても綺麗ですね、年代の影響か競歩大会になってしまうのは、分かるような気もするけど・・・ 個人的にゆっくりと歩きに来るのがいいかな。
一番若いI男がダウンして、たそがれさんとS男さんはやりますね、11時間ね、私が参加していたら、病院行だったかも。
完走記念品があると、やる気が出るのは、何歳になっても同じ気持ちだと思った。
お疲れ様でしたじっくりとお話を聞かせてください。
昔,桐生100キロウォークの完歩率は7割となってましたけど,3割のリタイアは,大体,足裏の肉刺だと聞いたことがありますヨ。
桐生100キロウォークには,参加したいと思ったんですけどネェ・・・最後の年に申し込めずで,代わりに,「つくば100キロウォーク」がはじまりましたが,此方は,アスファルトならぬ,ほぼ100%コンクリートの「りんりんロード」歩きで,参加する気が失せましたワ。
それにしても6千人とは,やはり1日で歩けるから参加者も多いのでしょうネ。
七峰縦走お疲れ様でした。
レポを拝見すると蘇ります。以前、参加した時のおぞましい記憶が。。(^_^;)
普通に歩いても時間的な余裕がないところで、山道しかも渋滞では、走るなということ自体が矛盾していますよね。もっとも私の場合は走る余裕もなく、足の皮も剥けて、ラストはただ彷徨っていました。
完歩して感じたのは、ものすごく辛かったけど、何かすごい事をしたなぁ~という錯覚?、満足感?だけでした(笑)
めったに体験することができないことですから、また繰り返したくなったりもするのですが。。。
それにしても最後まで周りを冷静に観察しながら歩かれるたそがれさんはさすがです。
今回、参加出来ませんでしたので、その代わり?に、ロングコース歩きたくなりました。
じっくりとお話しですか。私の話なんか、これで尽きましたよ。これ以上ありません。
むしろ、I男君の失敗談を聞きながら笑い転げた方がおもしろいのではないでしょうか。
「ゆっくり景色を楽しんで」なんて風情のハイキング大会ではなかったですね。実は、そういう方もいらっしゃるかなと思いましたが、私が入り込んだ、前半から中盤グループにかけては、そういったスタイルの歩きをしている方はあまりいないようでした。
このコースを最初から2回に分けて歩こうとする気持ちでしたら、のんびり歩きもできるというものでしょうが。
自分との闘いを演じる方もいれば、デッドヒートを視野に入れる方もいて、まぁ、多種多彩な方々が集うハイキング大会でしたよ。
●kmウォークだの、ハイキング大会への参加は、この大会への初参加で正直のところ懲りました。以降はありません。
確かに、足裏マメとの戦いになってしまった感があります。登山靴で歩いている方もかなりいましたが、私と同じことになっていたのではないでしょうか。やはり、こういった車道歩きがメインのウォーキングは底厚のスニーカー系に限りますよ。
コース上に悪路も入り込みますが、そんなのは一部のことで、登山靴でないと歩けないわけでもありませんしね。
42kmでこのザマですから、100kmといったらとつてもなくエンドレスでしょうね。自分には無理ですが、ふと考えると、そういった大会に出ていた方々が本大会に流れてきたのでしょうかね。
うすうすとは感じておりましたけどやっぱりそうでしたか。年齢よりも精神的なデッドラインがありそうです。景色を眺めながら…なんてよく言ったものですね。大昔にイベントで、阿蘇山から熊本市内まで歩くのに参加してずっと舗装路歩きで非常にまいったのと、妙な達成感があったのが思い出されました。大変お疲れ様でした。シリーズ化は…ないですね(笑)
冷静に観察なんてとんでもない。最初から最後まで唖然とした42kmでしたよ。気持ちも休まらなかったといったところですかね。しかし、いろんな方、いますね。
私、てっきり、HIDEJIさんも参加されていると思っていましたよ。まして、昨年の続きの権利もお持ちでしたしね。
抜いて行く方々の中に、きっとHIDEJIさんもいるんだろうななんてね。
そもそも、この大会、HIDEJIさんのブログを拝見して知ったイベントなのですが、心残りとためらいをお持ちのHIDEJIさんと違って、私の場合は、この一回でふっきれておりますよ。
春爛漫の季節です。そろそろHIDEJIさんも、お得意のロングウォーク、見せてくださいな。
残念ながら超健脚レベルではなく、ただの健脚で終わったようです。
あんぱんさんのように、この大会、最初から歯牙にもかけない気分ならそれでいいのですが、何だかねぇ、気になっちゃいましてね。6000人の一人として紛れ込んでみたわけですよ。
私の視野には、体験した立場からの批判といった大それたこともあったのですが、皆んな、それぞれの目的で参加して完歩されていますので、私も、余計な思いは口に出さないことにいたしました。
あんぱんさんが笠山でリタイアというのもまたおかしな話ですよ。それ、せいぜい、2週目の笠山でといったところじゃないですか。
そうなんですよ。やってみないとわからんものなのですよ。外野のままでいろいろ批評しても始まりませんからね。
シリーズ化はご容赦を。
考えるに、この舗装道歩きがあるゆえのの6000人参加なのでしょうか。これが、本物の山道42km縦走なんていったら、どれほどの方が参加するものでしょう。興味があります。
むしろ、精鋭揃いで各所でデッドヒート、トレランだらけといった状況になるでしょうね。武尊あたりでやっているようですが。
せっかくの、花のきれいな時期、さっささっさと流れを気にしながら早足で歩いているのも、山の歩きの楽しみを半減させているような感じがいたしましたよ。