浜大津こだわり朝市へ午前中行ってみた。
色々なこのような地産の紹介とこだわり手づくり食品の販売マルシェを
良く見てきたのであるがこの浜大津のそれは「こんなんでっせー」1と
売り方にパワーがあるように感じた。
特にここに紹介する琵琶湖の中に浮かぶ最大の島《沖ノ島》のお母さんたちの
ぴちぴちの琵琶湖淡水魚の加工品は多くの人の人気を集めていた。
全く気取ることなく、何よりハイカラでなく、ほんとに地場産という空気むんむんで、
お母さん方のお姿も普段の作業着で現地の日常そのままをこの浜大津駅前に
持ってきているようで好感が持てた。
コック帽や板前さんの服装ではなく長靴と割烹着!
決してテーブルに整然と並べるのではなく地面に店開きというところもすごい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/a0/de713b6be71e248666120a4be26087ad.jpg)
又一方では餡餅である。
搗き立ての草もちをあんこを炊いた鍋に入れて餡子を絡ませて販売である。
演出効果抜群!注目をひき出来立てを感じるにはすばらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/3c/0c5b7efb0f301d2d8f170b6ed393d81a.jpg)
せっせ・せっせと黙々とどちらのお母さんたちも作業の手を止める事も無く
お客様の注文をこなしている。
また、行列を作ると言うところも演出の一つであろうが、
うまい具合に販売する数と販売の数への対応のタイミングがずれていて、
手渡されるのを待つ人のその行列が人寄せの効果を生み、
又、その後ろに人垣ができるという作戦が知らぬ間に出来上がっている。
そのタイミングがずれている事がかえって変な作業の手際の良い作業の手返しの
リズムをも生んでいる事が感じる
このようなイベントではオネーチャンよりやはり、おばあさんに近いお母さんの方が
やはり手際が良く、聞こえる会話の内容にも笑顔がこぼれるしパワーがある。
私自身、大津で感じる事であるが、この方々と同様に大津の街中ではお年寄りの
ご商売人さんが元気やな~と感じる事が多かった
膳所付近で軽自動車で煮豆を売るお父さんがいたがこのお父さんも
90歳近いお父さんで注文に答え販売するスピードが遅いので行列が生まれていた。
このお父さんは10年ほど前でその年齢のようだったので今はどうされているのか?
超大盛りで有名な、膳所本町駅前の《美富士食堂さん》も結構なご年配であったが?
その近所の《ますぎのうなぎ屋さん》のお母さんは?
今も元気で店頭にお立ちであろうか?
京の街中では見られない元気なお年寄りの商売人さんに驚愕するのが
滋賀県のお年寄りの特徴かもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/12/26e1f81d220179e5f2cb25c7843a02a0.jpg)
で、なぜか急に思い出したお年寄りがいる。永くご無沙汰している.
福井県若狭大島宮留の大道大福丸のお父さんは元気であろうか?
私はこのお父さんに若狭湾での沖釣りを教えていただいた。
全く船酔いに慣れる事ができなくて最初の2年は釣りにならなかったが、
船酔いを何とか克服する方法を習得した後は楽しくて仕方がなかった。
なぜなら、高級といわれる魚がなんなりと釣れる。
アマダイは当たり前。30センチほどの丸鰺はいつでも。
ヤリイカ(マイカ)は食べ切れんほどで、
スルメイカについては魚市場で卸売りできるなと言っていいほど釣らしてもらった。
若狭湾内を西は博打岬・冠島の東の京都福井県境から敦賀半島先端まで
縦横無尽に走ってくれた癒された良い思い出がある。
若狭湾と日本海との境目といえる沖合い、
経ヶ岬灯台の明かりと越前岬灯台の明かりが見える地点まで出て
船首からパラシュートアンカーというものを海中に広げイカの魚群の上に船を停め、
その潮に流れに載せて流し釣りをも体験させてくれた。
この時は、若狭湾のイカがいなくなるのと違うかというぐらいの釣果と良形がそろった。
ご無沙汰して10年である。
その当時の道具を出してみて久々に整理してみた。
われながら整備が行き届いているのでバッチリいつでも行ける。
今は何をするにもしんどい事が多いので、仕事に接しない勇気を持って休日を取り
遊び過ごすのもよいかもしれない。
5月に入れば中旬に丸一日船上にて、
鯛・いさぎ・鰺・ソイ・アコウ・ヒラメでも狙ってみようか。
今年は必ずイカは釣りに行きたいものだ。
色々なこのような地産の紹介とこだわり手づくり食品の販売マルシェを
良く見てきたのであるがこの浜大津のそれは「こんなんでっせー」1と
売り方にパワーがあるように感じた。
特にここに紹介する琵琶湖の中に浮かぶ最大の島《沖ノ島》のお母さんたちの
ぴちぴちの琵琶湖淡水魚の加工品は多くの人の人気を集めていた。
全く気取ることなく、何よりハイカラでなく、ほんとに地場産という空気むんむんで、
お母さん方のお姿も普段の作業着で現地の日常そのままをこの浜大津駅前に
持ってきているようで好感が持てた。
コック帽や板前さんの服装ではなく長靴と割烹着!
決してテーブルに整然と並べるのではなく地面に店開きというところもすごい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/a0/de713b6be71e248666120a4be26087ad.jpg)
又一方では餡餅である。
搗き立ての草もちをあんこを炊いた鍋に入れて餡子を絡ませて販売である。
演出効果抜群!注目をひき出来立てを感じるにはすばらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/3c/0c5b7efb0f301d2d8f170b6ed393d81a.jpg)
せっせ・せっせと黙々とどちらのお母さんたちも作業の手を止める事も無く
お客様の注文をこなしている。
また、行列を作ると言うところも演出の一つであろうが、
うまい具合に販売する数と販売の数への対応のタイミングがずれていて、
手渡されるのを待つ人のその行列が人寄せの効果を生み、
又、その後ろに人垣ができるという作戦が知らぬ間に出来上がっている。
そのタイミングがずれている事がかえって変な作業の手際の良い作業の手返しの
リズムをも生んでいる事が感じる
このようなイベントではオネーチャンよりやはり、おばあさんに近いお母さんの方が
やはり手際が良く、聞こえる会話の内容にも笑顔がこぼれるしパワーがある。
私自身、大津で感じる事であるが、この方々と同様に大津の街中ではお年寄りの
ご商売人さんが元気やな~と感じる事が多かった
膳所付近で軽自動車で煮豆を売るお父さんがいたがこのお父さんも
90歳近いお父さんで注文に答え販売するスピードが遅いので行列が生まれていた。
このお父さんは10年ほど前でその年齢のようだったので今はどうされているのか?
超大盛りで有名な、膳所本町駅前の《美富士食堂さん》も結構なご年配であったが?
その近所の《ますぎのうなぎ屋さん》のお母さんは?
今も元気で店頭にお立ちであろうか?
京の街中では見られない元気なお年寄りの商売人さんに驚愕するのが
滋賀県のお年寄りの特徴かもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/12/26e1f81d220179e5f2cb25c7843a02a0.jpg)
で、なぜか急に思い出したお年寄りがいる。永くご無沙汰している.
福井県若狭大島宮留の大道大福丸のお父さんは元気であろうか?
私はこのお父さんに若狭湾での沖釣りを教えていただいた。
全く船酔いに慣れる事ができなくて最初の2年は釣りにならなかったが、
船酔いを何とか克服する方法を習得した後は楽しくて仕方がなかった。
なぜなら、高級といわれる魚がなんなりと釣れる。
アマダイは当たり前。30センチほどの丸鰺はいつでも。
ヤリイカ(マイカ)は食べ切れんほどで、
スルメイカについては魚市場で卸売りできるなと言っていいほど釣らしてもらった。
若狭湾内を西は博打岬・冠島の東の京都福井県境から敦賀半島先端まで
縦横無尽に走ってくれた癒された良い思い出がある。
若狭湾と日本海との境目といえる沖合い、
経ヶ岬灯台の明かりと越前岬灯台の明かりが見える地点まで出て
船首からパラシュートアンカーというものを海中に広げイカの魚群の上に船を停め、
その潮に流れに載せて流し釣りをも体験させてくれた。
この時は、若狭湾のイカがいなくなるのと違うかというぐらいの釣果と良形がそろった。
ご無沙汰して10年である。
その当時の道具を出してみて久々に整理してみた。
われながら整備が行き届いているのでバッチリいつでも行ける。
今は何をするにもしんどい事が多いので、仕事に接しない勇気を持って休日を取り
遊び過ごすのもよいかもしれない。
5月に入れば中旬に丸一日船上にて、
鯛・いさぎ・鰺・ソイ・アコウ・ヒラメでも狙ってみようか。
今年は必ずイカは釣りに行きたいものだ。
イカ釣りなら数年前にした事あります。
ワタシも行きたいです!!
魚釣りに行きまひょ!
行くなら7月~9月でしょうか。
出船は午後3時ぐらいから。
帰港は午前1時ぐらいです。
この釣り方は半夜釣りと言います。
日が暮れるまでは普通の魚種を狙って
日暮れからはイカ釣りに専念します。
そのイカ釣りの最中にも、
仕掛けを換えてイカ以外の夜釣りをすると
大物が出たことがあります。
あとバイク乗る方いませんか?
近々、マニアックなバイクの昔ネタ復活します。