池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

多様性の面白さと《たまたま》という短い時間の表現

2012年07月14日 | 独特の感覚
世の中を見渡してみよう。

当然周りには多くの人が居る。
その中でも自分と全く同じ人は居るであろうか?
居るわけが無い。

そんな事を考えていて、突然思いついたことが有る。
ひょつとして生物で同じものはこの世の中全て、無いのではないか?と。
個体差は工業製品でも工差をわずかながらにでも有しているので、
生物以外でもその範囲を広げることができるかもしれない。
が、そのことは後回しにして生物を考えてみた。

では、物質のその構造において同じものの分類を考えてみた時には元素レベルの
組み立てにまで細かくならないと同一のものは存在しないと
言えるのではないであろうかと結論を出してはみたが
異論は無いであろうか?

そんな、細かい話をしだすと自身の脳内が煮えてしまって
ゴッツ疲れるのであるが、ここからは少し真剣にバカな話に付き合っていただきたい。

土の中には1グラムの中に1億個の微生物が居ると言われている。
1円玉一個の質量分に日本国民が居るわけだ。
で、その一億個の性質が違うと言う予測論が言われている。
同様・同型であったり似た特性を持ちつつも少しのところでその特性の違いで、
分かれる事になるようだ。

その一億個の微生物の特性を有益に利用しようとその特徴の選別を行う
研究が行われている。
どのようにするか、1億個の中から目的に必要な有益な微生物を見つけ出す研究。
1円玉一個の質量分の微生物だけで1億個であるから、
生息できる環境の中から見つけ出すと言う事になると
たぶん数字では、表す事のできない数字中の一個と言う事になる。

私は、これが面白く感じる。
分子応答機構学という学問である。

先日このブログでも記したがカリブ海のラム酒工場跡地の土壌の中の微生物から
蛾の幼虫に対して毒性をもつ土壌放射線菌(スピノサド)というものが見つかった。
その発見は偶然に等しい。
《たまたま》農薬会社の研究者が休暇に訪れたその土を持ち帰って
微生物を調べているうちのその効果をこれまた偶然的に発見する事ができた。
なんとそれから製品化されるまでに17年もかかっている。
化学合成品ではありえない開発の遅さだ。

《たまたま》という、偶然の時間的短い尺度で表現されている発見であるが、
そこから見つかった有益性は、《たまたま》という時間よりはるかに
長い時間にわたり今後使われ続ける事になっていることに注目したいと思う。

微生物や植物や動物のみならず、身の回りの人間社会においても
同様に多様性を見ることができる。
容姿、性格・・・・・・・等、何一つ同じものは無い。
同じ人が居てる訳が無いし、鏡の中の自分でさえ本当に自分であるかどうかさえ
分からない事を感じる事は無いであろうか?

私は夜の鏡を見るのが怖い。これも多様性の一つと言える。

多様性が有るからこそこの世の中が面白い。

そのように感じる事が多い今日この頃。

雨が続いていてあまり仕事ができないでいる私は
雨の日中、深く考える事が多くなってきて、
又、どこか脳内で時空の狂いか隙間が生じだしたのかもしれない。

その分子応答機構学を研究しているところは京都大学農学部に有る。
自由で裾の広い視野の研究は京都大学ならではであると思う。
昔、友人の京都大学工学部大学院生が私に言った言葉が有る。
「池さん、東大は官僚科学者を作るけど、京大は好き物科学者を作るし集まっている。
基礎科学を掘り進むのが京大や!だから東大よりノーベル賞受賞者が多いやろ~。」と。



科学は先のスピノサドの発見ごとく、興味本位からの研究スタートが行き着く先への
奇跡の道を生む。

今、原発が安全の会見をしている科学者の多くが東大の傘を着ている事実を見て
私は信用できないでいる事実が有る。
彼らはたぶん「タバコの健康被害はない!」と言え!」と言えば、
科学的根拠で論じる事ができるのではないであろうか?
で、東大と言うブランドも人心を納得させるパワーも有る。

《たまたま》その官僚科学者には使って欲しくない言葉である。
なんか、そうでなかった時に言い訳に使われそうだ。
《たまたま》汚染が拡散した。とか・・・・・。

物事の始まりは《たまたま》から。
これは大切にしたい時間的尺度だ。

今日はこの動画で〆てみたい気分だ。

グッド・ナイト・ベイビー


渋い!渋すぎる!





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