フルート吹きの物思い

趣味のフルートと、それに関わるもろもろのこと。

プラスチックのリード その2

2007-02-20 | 関連グッズ
木管アンサンブルの仲間に、プラスチックのリードを買って使ったけれど期待よりは結構いいかもー、みたいなメールを流したら、早速ファゴットさんから返信があった。

曰く。

プラスチックリードはへたらないので、ちょうど良いと思った硬さより2割程度柔らかいのを選ばないとアンブシャーを痛めますよ。

なのだそうだ・・・・・


この返信メールで気がついたこと。

リードを使う楽器のベテラン奏者は、(演奏してだんだん水分を含むことによって)へたることを見込んでリードを選択していたのだ!

私の場合は初期状態で硬さを選び、へたってきたらリードを乾かそうとしたり、それでだめならさっさと交換してしまう。どうりで、合奏中はなにやら他のクラ奏者より忙しいわけだ。特に新しいリードはすぐに水分を含んでしまうので、交換が大変でしょうがない。この辺の演奏態度が私のクラ嫌いの遠因の一つかも??

なので、私の場合はいつもの通り硬さを選んでいれば、リードがプラスチックであってもアンブシャーを痛めることはないという結論。
プラスチックリードは、始めよければ最後まで良し。
実に私に向いているではないか。
音は今0.75な感じだけど、もしかしたらリガチャーとかマウスピースでクリアできるかもしれないし。

それともう一つ、ファゴットさんからのメールに面白いことが書いてあった。
それは、前回のこのブログでも書いたが、なぜか練習の終わり頃にはリードがへたったような気がする、という件。

曰く、

それは、実はへたっているのはリードでなくて、自分。
アンブシュアを作っているのは口の廻りの筋肉で、それが疲れて息を支えられなくなると、顎の筋肉で補おうとして「噛む」力が加わる。それで噛み過ぎになって、結果リードが薄く感じられる・・・・・
そして、この現象は本番前の緊張している時にも現れることがある・・・


ということらしい。
さすがベテランから出てくる意見はひと味違いますなぁ、と感心している次第。

フルートの演奏には、金管楽器やリードを使う木管楽器でいうところのへたるとかバテるという感覚はないので、なんだか新鮮で思いがけない分析だ。


よしよし、今度の(エキストラで出る)吹奏楽練習の時にでも自分で検証してみよっと。

プラスチックのリード

2007-02-19 | 関連グッズ
我々のオケのコンサートが終わって、気持ち的に一段落。
今度は、4月に吹奏楽のエキストラでクラリネット。今日、その吹奏楽の練習に今期はじめて顔を出した。この楽団には、もう5回ぐらいお邪魔している。

なんだかクラリネットは久しぶりな気分。
今日の練習に備え、先週クラリネットをちょっと吹いてみた。
なんだか高音がよく出ない。
と。
なんと、タンポが破けているではないか。
フルートもクラリネットも、タンポはフェルトとフィッシュスキンと、同じ?材質でできているのに、なんでクラリネットの方が頻繁に破けるんだろう。

昨日、楽器を買ったお店に直してもらいに。
そのお店の修理技術はあまり信用していないが、安いからいいかな。

・・・案の定、帰ってきてよく見たら、タンポがビミョーに小さい。他メーカーのものか、使う場所を間違えてる。しかも、ネジを入れる場所が間違えてて、一カ所はネジ山に頭が出てなくて、もう一カ所はネジ山が飛び出てる。
・・・・クラリネットは、こういうことされることが良くあるんだけど、やっぱし、っていう感じ。

若い女の子が直してたけど・・・・しっかりしてよ!

まあ、音はちゃんと出るからいいかぁ・・・応急処置と思えば。
そのうち、ちゃんとしたところに持っていこう。

お店にいったついでに、プラスチックのリードをgetしてみた。
Legereとかいう、透明なプラスチックでできてる。

あまり、というかほとんど期待していなかっただけに、これが思ったよりなかなか良い。
リードを買うには、硬さが気になるところ。普段はリコーの赤箱の3-1/2使ってるけれど、このリードの3-1/2でちょうど良い感じ。

で、今日の吹奏楽練習でずっと使ってみた。

音質は、まあ、こういうリードもあり得るね、という範疇。
やっぱりふつーの材質のリードの方がよいけれど。
中低音はまあ良いけど、中高音以上がちょっとべったりとしたキンキン感(意味わからねー!)があって、ちょっと嫌かも。
でも、まあ、普通のリードでもあり得る範囲ではある。
相性の悪いリードを買ってしまって、しぶしぶ使うよりはよっぽどまし。


吹奏感は、最初はちょっと不思議な感じがあるけれど、慣れれば違和感なく吹ける。そうとう研究して作られているんだなぁ、と思った。

ふつーのリードは、特に新しいやつは、少し長く吹くとだんだん水分を含んできてビロビロになってくるけど、それがないのは本当にありがたい。
私のクラリネット嫌い(=リードに気を遣ったり、世話したり、コンディションが一定しないのが嫌)には、もしかしたら将来的には良く効く薬になるかも。

でも練習の終わり頃には、微妙にへたった感じがしたのは何故?
(取説には、へたるけど休ませると復活する旨の記述あり)

これだけ安定しているのだったら、プラスチックリードを使ってオーボエもはじめてみたいね!(いーかげんにしろ!>自分)


今日の結論としては、プラスチックのリードは吹奏楽の2nd、3nd向き。
というか、オススメ。

何故かというと。
やっぱり、音色を求めるとまだまだフツーのリードの方が良い。なので、ソロがあったり、メロディーの一番上で使うには、人によってはちょっと厳しいかも。特に、これが私の音よ、みんな良く聞いてよっ、というタイプの人には向かないと思われる。もしも気に入れば別だけど。

それに対して、中低音以下で、音色と言うよりはハーモニー重視で、しかもいつも安定したコンディションで演奏できる。というところはまさに2nd3rdクラリネット向きなのでは。なんかリードミスも少ないような気がする?・・・・かも。

ランニングコストと、良いリードを消耗しなくて済むという意味で個人練習にも向いていると思われる。

そのうち、別のプラスチックリードにも挑戦してみようかな。

我々のコンサート

2007-02-14 | 吹奏楽、管弦楽&アンサンブル団体
知人の出演するコンサートの次の日。というか、昨日。
我々のオーケストラのファミリーコンサートだった。田舎だけあって?ご年配のご来場者が多いように見受けられる。

演奏は、なかなか良かったと思う。
小さな多目的ホールを使っているので収容人数は少ないが、おかげさまで二回公演してどちらも御礼満員の立ち見付き。

すごいですねぇ・・・

おとといの知人のコンサートもでかいホールが九割以上は埋まったようですごい人出であったが、人口比からして動員はこちらが上だったりして(?)

くやしいのは。

パート紹介をやったのだけれど、フルートの紹介で私が音(高いFis!)をはずしてしまったこと。
打ち上げ時、私はいつでもフツーに吹いてしまうと思っていたけれど人並みに緊張するのがわかって良かった、と複数の人にいわれたこと。

ぐやぢぃ~

まあ、緊張するのは本当だし、見栄を張ってもしょうがないのだが。

はっきり言ってしまえば、パート紹介で一人で吹くとき、それほど緊張してしまっていたわけではない。どちらかといえば落ち着いていたと言える。

ただちょっと、悪い欲が出たか。

良い曲を気持ち良く楽しんで吹こう、と思って演奏するときはたいてい上手くいく。が、上手いと思ってもらおう、みたいなよこしまな心が少しでもはいると、緊張度はさして高くなくてもどこかに無理が来るようだ。こういうときは何故か、緊張度とはあまり関係なく指が動かなくなったり唇の自由が効かなくなる。

まだまだ修行が足りないということか。

次こそは・・・・?

アマオケのコンサート

2007-02-11 | 吹奏楽、管弦楽&アンサンブル団体
今日は、会社の同僚(先輩)が出演するアマチュアオーケストラのコンサートに行って来た。我々田舎のオケからすると、一等地で、しかも目も眩まんばかりの豪華ホール。そして、超有名な合唱もついている曲がメインプログラム。

すげーっ
うらやましいーっ
エキストラも微少人数でできてるし。

曲が曲だけに、途中は安眠で行こう思っていたのだけれど。
残念ながら・・・・安眠できず。
なんというか、半学級崩壊!?(ゴメンなさいm(_ _)m)

難しい曲なんだなぁ・・・・・
きっと我々弱小オケには、もっと無理なんだろうなぁ・・・

その中で、ピッコロさんが頑張っていたのが好印象。
音も良く通る。
ちょっとかわいそうだったのが、周りから浮いて、合っていない感じだった。
でもね、どう聞いても、私的にはそのピッコロさんのリズム感は正しいの。
そう、どちらかというと周りが・・・・・

ピッコロさんのみ、アンサンブルしようとしていたし、付点のリズムもとれていたし、走ったりもしなかった・・・・と思うのよ。

ガンバレ、ピッコロさん。
ピッコロさんが他の曲で吹いていたフルートも良かったよ。
次回も応援するからね。
今度同僚にあったら、よろしく伝えるようお願いしときます。

ハンガリー田園前半終了

2007-02-10 | レッスン
レッスンで今課題にしている、ドップラーのハンガリー田園幻想曲。
レッスン二回目にして、超難関の前半部分(Molto Andante - Poco animato)が、よし、となった。
ふぅ。
そーとー苦手意識があったわりには、順調であったといえる。

まあ、その前にやってたシランクスが大変だったからなぁ・・・

先生のお言葉。
「最初は(レッスンの初回)はどうなることと思ったけど、君らしくなったね」

びみょーな言い回しだけど、まあ、よしとしておこう。

レッスンの内容としては、なんとなく聞き覚えでてきとーにえんそうするのではなく、ちゃんと楽譜通りにやること。これにつきる。
そして、かっこよくするために、テンポは積極的に動かす。ここはシランクスとびみょーにニュアンスが異なるところか。

これがなかなかうまく行かなかったところは、タイでつながっているところだった。8分音符~32分音符(9小節目)、8分音符~16分音符(11小節目)、8分音符~64分音符(12小節目)のタイがあるが、これらをきちんと長さが逆転したりしないように。
それほど難しいことではないんだけど、楽譜を良く読むのが困難(>_<)。
他にも引っかけ問題みたいな音符の長さが多発で油断ならない。(笑)

慣れで甘えていたのか、真剣に楽譜を読む事ってなくなってるんだな~と実感。

そういえば、ジャズではあまり楽譜にしばられないように、遠目に薄目で見るようにしてるし(笑)。

次は、Andantino Moderato から。
だいぶ気が楽だよ。
といっても、先生の都合でこのところ間があいてしまっているけど。
ちょっと指のややこしいところと、オクターブの早い跳躍を練習しておかないと。

アドリブのために何をしてみたか

2007-02-07 | レッスン
リットーミュージックの、「はじめてのジャズ セッションで困らないための必修スタンダード50曲」なる伴奏CD付きの本。
この本の中には、アドリブ挑戦指南がある。第一章の序文。の、イラスト。

「アドリブできない」→「飛んでみる!」→「アドリブできる!」
アドリブに慣れてから、ジャズの要素(理論)を覚える。

と、ある。

形や結果はどうあれ、まずはこの「アドリブできる!」に飛んでみるのが、入門者にとってはものすごく、とてつもなく大きな壁。壁から下へ落ちてしまうなり、なんとか対岸にしがみつくことができるなり、とにかくこの「飛んでみる」がとにかく大きくて高くて困難。
しかし、とにかく、超えようとしてみないことには、ジャズ理論をかじっても、なんのことやらさっぱり。

アドリブ入門書の常として、リズムを崩してみる、コードやスケールを練習する、とある。
でもさあ、我々フルーティストは既に吹奏楽で意地の悪いリズム練習してみたり、タファネル・ゴーベールやらトレバーワイの2巻やらでスケールやコードの指の鍛錬してみたり、はすでに履修済み。

だったら誰でもアドリブできるってことでしょ? でも現実は違う。

上述の本では、
>「私はクラシックをバリバリ弾けるのに、”デタラメで良い”なんていうジャズはくだらない」というプライドは、アドリブの大敵です。
とある。

私はこの本を気に入っているが、この部分の記述にはちょっと違和感を覚える。
少なくともジャズに興味を持っているのだから、くだらないなんて少しも思っていないよ。もしクラシック奏者がそのようなプライドを持っているとしたら、単にジャズが好きでないか、自由に演奏を楽しんでいるジャズ奏者に対する嫉妬ではないかしらん。

変なプライドはない(はず)なのに、壁がある。
なぜか。

本人に全く自覚はないのだけれど、深層心理のどこかに、譜面から少しでも逸脱して演奏することに罪悪感のようなものが深く深く深く根付いてしまっている。
メロディーを吹くだけ。但し、「譜面通りに吹かないように」。そう言われても、最初の4~8小節はがんばってみるのだけれど、いつのまにかどこからか罪悪感のようなものが芽生えて葛藤し、最初の1コーラスの半ばには気持ちがすっかり負けて息絶え絶え。音も当然のことながらスカスカ。

ジャズで通常使う楽譜。リードシートと呼ばれ、コードと、簡素化されたメロディーのみ書き込まれたものである。自分なりに崩したり、即興的にアレンジしたりして演奏することが大前提の、曲の覚えとかメモとかネタ的なもの。
そうとは頭ではわかっているものの、なかなかリズムを崩すことさえままならない。
どうしても、頭の中を何か罪悪感のようなものがちらついてしまう。

長年の?クラシック歴で、譜面は忠実に演奏されなければならない、という強迫観念が無意識に根付いてしまっているのだな、と他人事のように感心してしまった。それは自分が想像していたよりも、ずっとずっと強烈な植え込みであった。

そうとわかれば、そこんところ、どうにかしないとね。
で、どうしよう。

演奏が息絶え絶えに至る過程を考えると。

リズムを崩したり、アドリブもどきをしてみる。 → (デタラメで何も問題がないにもかかわらず、何故か)罪悪感が芽生える → 気持ちが凹む → 音が死に体になる → もっと凹む → 曲が途絶える・・・

ということ。
この悪循環をどこかで断ち切る必要がある。
で、どこから手をつけようか?

そこで私は、「音が死に体になる」に手をつけようと考えた。なんとか1コーラスの間に音をキープさえできれば、あとは「気持ちが凹」まないような精神鍛錬(!)に集中できるのである。

ところが管楽器は、どうしても音に気持ちが出てしまう。
そう、鍵盤楽器を使えばいいのだ!
こんなことを言ったらシリアスな鍵盤楽器奏者に怒られてしまうかもしれないけれど。

鍵盤楽器(私の場合はクラビノーバを使用)は、どんなに気持ちが凹んでいようと、それなりにちゃんと音が出る。
意外に管楽器は「デタラメ」に吹くのも技術が要る(!)のであるが、鍵盤楽器は本気でデタラメに弾くことが容易である。

レッスンで先生から頂いた「枯葉」などの伴奏CDに、(フルートではなくて)クラビノーバでひたすら気持ちが凹んでも凹んでも、とにかく最後まで気持ちを萎えさせず、デタラメにも罪悪感を感じず(笑)に演奏し続ける(というよりは叩き続ける)精神力を維持する訓練をしてみた。

その甲斐あってか、レッスン開始数ヶ月後には多少のお褒めの言葉も得られたので、全く無駄な練習(というより精神鍛錬)ではなかったのだなぁ、と今は思う。

フルート奏者の吹奏楽指導

2007-02-05 | 吹奏楽、管弦楽&アンサンブル団体
うちの吹奏楽団。いろいろ指揮者との都合合わせが上手くいかず、なかなか良い具合にすすんでいってくれない。

代理の指揮者をいろいろ都合しているのだが、先日呼んだ指揮者(というか指導者)は、フルートパートのうちの一人がレッスンに付いている、某プロオケのフルートプレイヤーのおじちゃんであった。

ちょっと嫌な予感。

指導者がフルートプレイヤーということがあって、私がやや遅れて練習についた時、他のフルートパートの人が安堵の顔を浮かべる。フルートパートにキビシイのではないかという恐れがあったようだ。

結果として、そういう意味ではフルートパート的には何も問題はなかったのだが・・・・

なんというか、細かいのである。

まず最初に一度曲を通してほしいのではあるが。
16小節とか32小節ぐらいさっと全体で吹かせた後、ぶつぶついいながら分析をはじめ、えんえんと分析結果を解説。パートごとにちくちくと解説しながら小分け演奏させ、やっとこさその箇所が終わる。で、なんとかその次へ・・・・

私はフルートアンサンブルの団体に所属していたこともあり、何人かフルート奏者の合奏指導を見たことがある。が・・・・
フっ、フっ、フっ、フ、と、去年と同じ呼吸法指導ばかりで、そればかりを音楽大学で習ってきたの?みたいな人とかいて、私としてはあまり好印象の人は一人を除いていない。

うまく言えないけれど、フルート奏者の指導というのはどちらかというと部分最適化の集合で合奏をまとめようとする傾向があるように思う。
それに対して、金管奏者系指導者は、ノリや雰囲気重視傾向と言えるのではないか。

この意味で、今回のうんちく系指導者と私が曲を演奏するときの思考回路は酷似しているようだ(悲)。
全体はもちろん考えているのだけれど、意見や注意の時は枝葉末節の言葉をどうしても使ってしまう。聞く方はつまらないよねぇ。しかも、同じようなバックボーン(レッスン経験有無など)がないと、理解できない。

コラールなどで協調性が発揮される金管系と、ソロよっ、私がっ、僕がっ、系のワガママ高音木管楽器系では、深層心理のどこかで音楽に対する取り組みがビミョーに違うに違いない、と感じつつ。「次はもうこの指導者呼ばないんだよね?」「うん、もうない」などと吹奏楽の運営事務局連中と立ち話をして帰路についたのであった。