フルート吹きの物思い

趣味のフルートと、それに関わるもろもろのこと。

3日間呑むぞ、でも少しだけ練習しよう

2006-10-31 | 演奏や練習に関して
木管アンサンブルのメンバーで、合宿をやることになった。

楽器が吹けて、温泉に入れて、宴会ができる。
そういうところを探した。

合宿に名前がついた。
「3日間呑むぞ、でも少しだけ練習しよう」の合宿
なんだと。

最近のメールの内容は、砂風呂があるとかないとか。
アルコールは誰が何を持っていくかとか、持ち込みできるとか。

あ、楽譜も忘れないでね。

アマオケ演奏会に行ってきた

2006-10-30 | 吹奏楽、管弦楽&アンサンブル団体
いつも木管アンサンブルにて、素晴らしいクラリネットを聞かせてくれているOさん。今日は彼の所属するアマオケの演奏会があって、他の木管アンサンブル仲間と聞きにいった。

実は、彼はバイオリンで出演。
バイオリンの人数が足りないからとバイオリンを弾いたら、もうクラリネットへは戻れなくなってしまったという。今ではほとんどクラリネットは卒業?してバイオリンに専念。というか、かなりハマっている。

大人になってからバイオリンをほとんど独学で始め、今では立派に?2ndバイオリンのトップに座っているという上達ぶり。(単に人がいないだけという説もある)


特に目標があるわけでもなく、月に数回のバイオリンのグループレッスンで仲間に会って帰りに食事をすることを楽しみに、のんべんだらりとマイペースでやっていた私に、オーケストラに入らない? と普通に考えたらあり得ない誘いをかけてきたのは、なにを隠そう、このOさんでさる。

木管アンサンブルで会うたび、飲みに行くたびに説得され、何となくその気にさせられてしまい。まずは手始めにと、自分のオーケストラの弦楽セクションのアンサンブルに入れてもらい。そこでちょっと褒めてもらったからと新しい楽器を買い。そして老人ホームでの簡単な演奏会に出演するまでになった。その諸悪の根元はこのOさんである。

実は、今日の演奏会に乗らないか、と以前に誘われていた。
楽譜まで一方的に送りつけられてしまい、(自分としては)だいぶ練習し、やっぱりダメでしたと鄭重にお断り。したものの、やはり未練は残る。

まあ、今回はダメでも、次は乗ってね。まずは演奏会を見に来てよ、とOさん。
というわけで、他のメンバー共々連れ立って会場へ向かったのであった。

普通は音響のことなどを考えて真ん中あたりか、それより後ろに座るのだけれど。今回はOさんの腕前拝見と、万が一次回の演奏会に向けて乗ろうとした場合のことを考えて2ndバイオリンパートや指揮者の様子を伺うという重要なミッションがある。そこで我々は、2ndVnトップが一番見やすい場所ということで、前から2番目の列に横並びに陣取った。指先や弓の動きがよく見える。

「きっとOさん私たちに気づいたらおどろくよ~」と脳天気に笑う隣に座ったホルン嬢。
彼女の宣言通り、ステージに入ってきて席に着いたOさん。我々を発見して、一瞬顔が強烈にひきつる。それを見てホルン嬢さん大喜び。Oさんは演奏の間中二度と我々とは視線を合わせない。

演奏会ではこんなに前に座ることはなかった私たち。ここまでかぶりつきの位置に座ると、演奏会中におこるさまざまないろいろことが手に取るようにわかる。それが面白くてたまらない。隣のホルン嬢やその隣のオーボエ嬢は、何かが起こるたびに顔がひきつったり、拍をとるゼスチャーをしたり、笑ったり、泣いたり。その様子がまたまた面白い。

チェロの二列目に座っている人が、ホルン嬢の知り合いらしい。第一部が終わり楽屋へ戻るとき、ホルン嬢に向かって、「バーカ、目障りだから後ろへいってろ」なんてコメントを残していく。そりゃそうだ。知り合いで、しかもオーケストラのことをよく知っていて、しかも口うるさい奴らが最前列に近いところで列になっていたら。それはそれは嫌だろう。自分でもきっと、必ず、同じ事を言う。というか、強制排除する。(できるかどうかは別)
言われたホルン嬢は、「なんか、後ろへいけっていわれちゃったよ。客に文句言っていいのか?」なんていいながら輪をかけて喜び、はしゃいでいる。

目の前を我々に陣取られていたOさん。
やはり相当プレッシャーに感じていたらしい。(そりゃそうだ)
演奏会終了後、なんであんなところにいるんだ。おかげで最後の曲になるぐらいまで、演奏の記憶がないよ、などとおっしゃっていた。(そりゃそうだ)

まずい。
仕返しに注意しなければ・・・・・・

肩当てが壊れた。

2006-10-27 | 関連グッズ
バイオリンの肩当てを二日前に買った。
ところが昨日、速攻で壊してしまった。

楽器を買ったときにつけてもらったやつ(KUN)はいまいち不安定で。いろいろ試してみて、ビバムジカのコンパクトという、比較的安価かついろいろ調整できる感じなので買ってみた。

パッケージには、肩当ての足の部分(楽器をはさむところ)が折りたためるという説明&写真があるので試してみたら。支点部分のもろいプラスチックがメキッと開脚。

おーい、それはあり得ないだろう!

しかも驚いたことに。
ネットで補修部品がないか探していたら、初期品以外は特許の関係で足の折りたたみはできなくなっているとの記述を発見。
だったら、パッケージの写真を替えるなり、注意文ぐらい書いとけよ。

バイオリンという、この良くも悪くも中世的な楽器。ニスがなにもしなくても溶けたりはげたり、駒が自立してないとか、糸巻きの構造が現代ではあり得ないだろう、とか、不可解なことがたくさんある。現代の設計である肩当てもこのざまだ。

フルート吹き、というか管楽器奏者には信じられないことがたくさん起きる。

ヤマハさんあたり、21世紀にふさわしい、安心して使える部品を作ってくれないものか。

ばいよりんでびゅーっ

2006-10-24 | 楽器、その他
先日、とうとうバイオリンでのコンサートデビューを果たした。

ぱちぱち。

それは立派なコンサートではないけれど。
老人ホームへの訪問演奏。
私の所属する管弦楽団から、弦メンバー有志が参加するところへ私も入れてもらった。

吹奏楽では老人ホームで演奏したことがあるが、そういうときは今となってはほとんど緊張しないもの。
なのに、バイオリンをもつとやたら緊張。汗が肩当てにしたたり落ちる。

ステージ度胸というのは、慣れたシチュエーションでだけでのみ通用するということが改めてわかる。人間って不思議だ。

老人ホームなどの慰問演奏は気楽だけど、人生の最後?に聞くのかもしれない楽器の音に私の怪しい音が混じっていたかと思うと、ちょっと申し訳ない・・・かな?
簡単な曲ばかりだけど、私としてはとっても練習したのよ。だから許してね。それでもいまいちよくできたとは言い難いけど。

楽器選びと男選び

2006-10-19 | 楽器、その他
私の知人の、若い女流演奏家(の卵)のT(仮名)さん。

少し前に彼女のページを訪問したらすごい記事が。
さっき見たら、何故か削除されていたけれど。
だから、うろ覚えゴメン。

Tさんは演奏家の卵なので、コンビニでバイトをしている。
そのバイト先で、見知らぬ人からアドレスを渡されたらしい。どうやら、それが気に入らない。音大の学生時代は毎週違う異性から声がかかっていたそうで(うらやましい!)、彼女としては、声をかけるヒマがあったら練習しろみたいな勢いだったとのこと。
男が必要な時は今すぐにでも必要だけど、いらないときは、ふんっ、みたいな。

その男選びと、楽器選びは似ているのではないかという。

楽器に自分が合わせることもあれば、自分に合った楽器を選ぶこともある。
楽器が必要なときはすぐにでも欲しいが、そうでもないときはどうでもいい。
みたいなところで共通点があるらしい。

楽器も男も、その程度か。
男もアクセサリーも同じだ、みたいなところが行間から臭う。


自分の楽器選びとはなんだろう。考えてみた。

どんなに世間にいいと言われていようと、自分が吹いていいと言われる音がでようと、それが自分のありたいあり方でなければ、それは自分の楽器ではない。
例えば私が(今はあまり好きでない)金の楽器を演奏して良い評価を得たとしても、それはあくまでも”私の”サウンドではない。間借りの音である。

私の思うに、楽器選びは自分の、人生のパートナー選びである。運命共同体である。パートナーと作り上げるものが自己そのものである。その場で着飾るアクセサリーではない。

楽器に異性を感じながら演奏することはある。私の場合はピッコロがそう。
でも、それは遊ぶ彼女が欲しいというのとは違う。ピッコロとうまくつきあうには、優しく接しなければならない。楽器の特性としてフルートのように雑につきあうことができない。
そこで私は、気むずかしいけれど根はかわいらしい某知人を想像する。
優しく接すれば、楽しい時間を過ごすことができる。雑な面を見せれば、すぐにすねる。自分の良いところを見せて彼女の気をひこうというのではない。音楽を楽しむ、重要で大切で無二のパートナーとして、礼節を持ってつきあうということである。

Tさんに次にあう機会があれば、一言いってやりたい。
と思ったのだけど、単にもてないひがみでしょ、と取られかねないし、事実その通りなのである。

もてないおじさんは、じっと我慢の子なのであった(>_<)。

アンサンブルと執念

2006-10-17 | 吹奏楽、管弦楽&アンサンブル団体
私が参加させてもらっている木管アンサンブルも人数が増えてきた。
もともとは五重奏だったのが、ある時八重奏(フルートなし、オーボエとクラリネットとホルンとクラリネット各2)をやるということでフルート以外の楽器をもう一人ずつ集めたのだった。

次回のアンサンブルを発表の場では、9重奏(8重奏+フルート)、5重奏×2(フルートの私だけ掛け持ちで二つユニットを作る)をやることになった。

五重奏のユニットを作る上でじゃんけんで二つチームを作ったのだが、「負け」組の初顔合わせが先日あった。
オリジナルの五重奏からみると、オーボエとホルンが新しい人(といっても八重奏の時からの顔なじみ)に入れ替わっている。

人が入れ替わると、アンサンブルがどう変わるかは誰しも興味のあるところだろう。
クラリネット氏はどうなるか楽しみだと、合わせの前から言っていた。

メンバーはみんなどこかしらの管弦楽に所属して立派に演奏しているので、多少の技術の差はあるにしてもアンサンブルができなくなってしまう、なんていうことはない。
それぞれの個性が入れ替わるとどうなるか、というところが興味の対象である。


今回、人が入れ変わってわかったのは、演奏者の「執念」である。
アンサンブルで執念なんて、なんなの?
そう思う・・・・と思う。

みんな初見でのあわせで、楽譜を追うのがやっと。そういうある意味極限状態で、執念の違いが出た。
余裕がなくて指がまわりきらない。そういうときに、どこにプライオリティを持っていくか。
音符を目が追うこと? 指をまわすこと?

今思い出すと、自分がジャズレッスンを始めたとき先生に言われたのは。
とにかく拍を数えろ(リズムをとれ)と。1、2、1、2・・・・・
頭の中で、8割はとにかく数えなさい。頭がいたくなるぐらい数えなさい。
運指とかは残りの2割以下。

指がまわらなくても、細かい楽譜に目が回っても、演奏が事故っても、息が続かなくても。
とにかくリズムを追い続ける執念。
先生に言われなくても(言われたのかもしれないが)、とにかくビートを追い続ける。
いたんですねえ、それを天性?でやっちゃう人が。

すごいよ、すごいよ。感心、感心・・・・なんだか、また楽しくなってきた。

宴会BGM

2006-10-08 | 演奏や練習に関して
毎年、私の母校(中学&高校)では同窓会大会なる集まりがあって、某ホテルの大広間で立食形式のパーティーがある。つい先日、その集まりの、創立○周年スペシャルがあって参加してきた。

私はほとんどの機会でその同窓会大会に出席しているが、それは同窓生に会うためではない。というか、知ってる顔は残念ながら全然来ない。

何が目的かというと、OBバンドでの演奏である。
これは年に数少ない、クラリネットを演奏する貴重な機会でもある。(私は中高校時代にクラリネットだった)


何をやるかというと、昔我々がよくやったような曲ばかり。
OBだけでは足りないので、奥様とかお友達なんかもエキストラでつれてきたりする。そういうエキストラのみなさんは、なんで我々がこんなすぐに曲ができてしまうのかとびっくりしている(楽譜は配らないで練習のたびに回収)が、それもそのはず。エキストラさんは初めてでも、我々のほとんどは昔しつこくやった曲だから。


まずは、来賓の入場に会わせて行進曲を数曲。
開会の挨拶や乾杯にあわせてファンファーレ。

その後我々は数十分の休憩があるが、その間に急いで飲んで食べる。
まずはリハーサルの前後に物色しておいた食べ物をGET。(立食形式だから)
それを食べながら、他人がなにやらおいしそうなものを食べているのを見つけると、次はそれに向かってダッシュ。時間切れまでひたすらその繰り返し。その間にきちんとアルコールも流し込む。

集合十分前ぐらいに、トイレに行って歯磨き。エライでしょ。歯磨きまではしないにしてもバンドの他の人もだいたい行動パターンは同じで、広いトイレも吹奏楽部OB関係者ばかりになる。

その後席に着くと、このころになってやっと満腹中枢への「もう食えねえよ」刺激が届くのか、おなかが破裂しそうなことに気がつく。
大丈夫大丈夫。毎年のこと。

アルコールも回ってくる。こんなんでほんとうに吹けるのか。
私は顔にすぐ出る方なので、たぶん顔は真っ赤だろう。
大丈夫大丈夫。毎年のこと。
かえって、指のまわりが良いようだ。
おととしは、楽譜を見るだけで目が回りそうだったけど今年は大丈夫。

BGM開始して2、3曲の間は、困ったことにゲップ(失礼!)がとまらない。
演奏は腹筋に力を入れる作業なので、なおさらのようだ。
ゲップ(失礼!)がゲロ(ごめんなさい!m(_ _)m)にならないことを感謝。
大丈夫大丈夫。毎年のこと。
真剣に見ている人なんてそんなにはいない。

懸念のムーンライトセレナーデのソロも無難にこなす。

のりのいいおばちゃん達のアンコールに応えて、無事演奏終了。

今日の燃料(食料)過補給分は何時間自転車に乗ればチャラになるのだろうかと、もたれる胃を支えながら帰途についたのであった。

演奏後のクーリングダウン

2006-10-07 | フルート本体
「ウ"ァイオリン各駅停車」森元志乃著 レッスンの友社 によると、練習で「いじめた楽器をいたわるために」クーリングダウンをする必要があるという。「これをするのとしないのでは、楽器の音色、響きなどの安定度が全く違います。」という。何をするのかというと、調弦をしなおして、開放弦を適度で心地よい音量、できるだけ良い音で、音が落ち着くまで弾くのだそうだ。

残念ながら、私は音が荒れてるとか落ち着いているとか、そういうバイオリンのご機嫌がわかるほど熟練していない・・・(T_T)。今日は楽器の調子が良いなあとか悪いなあなんていうことは、実は未だ一度も感じたことはないの。(涙、涙)


それに比べると、さすがにフルートは、長くやっているだけに毎回いろいろ思うところはある。
一日の最初にそっと息を吹き込んで、いまいちだなぁ、とか調子いいなぁ、とかいつも思う。しかしそれは、楽器というよりはほとんど自分の調子だろうと思う。思っていた。

いままでフルートに関する書籍類を見ていた限りでは、クーリングダウンについての記述は見たことはない。それでも、練習後の片づけの時間がそうとうせっぱ詰まった時でない限り、そおっとゆっくり吹いて、最低音までいって終わるというクーリングダウン(?)をいつの頃からか、だいぶ前からやる習慣がある。次に吹いたときの調子が良い悪いを意識してではなく、なんとなく今日も一日ありがとう、みたいな気持ちで。


上述の本の記述を読んでしまったので、なんとなくクーリングダウン実行の有無と次回に最初に息を入れたときの楽器の調子の良さ度を比べる気になってしまった。

それを思いついたのは、本番の前日のGPの時。
その前の練習時はてきとーに片づけてしまったためか、GPで最初に息を入れたときの調子感はいまいち荒れた感じだった。
GP終了後、ゆっくり、ホールの残響を確かめるようにしてクーリングダウン。

果たして、本番当日。
フルートを組み立てて、そっと息を入れてみる。

やったぜ!今日の本番は勝った!
そんな感じ。音の芯がしっかりと出ていた。

本番の日のステージリハーサル。今まで何度もリハ中での事故(楽器を落としたりぶつけたり)を目撃している私は、休憩になって楽器内のしめりけを拭いた後はそのままケースに入れてしまう習慣がある。

休憩後に楽器を組み立てて息をいれてびっくり。今度は楽器が荒れている。

うーん。ということで、次の休憩ではクーリングダウンもどきをしてから楽器にガーゼを通してケースへ。

そうしたところ、その後の楽器の調子はまたばっちり。

おいおいなんなんだよ、ということで。本番は怖いので、ガーゼを通す前には必ずゆっくりと息を通してから。
そうやって本番を無事にやり過ごした。

なんというか、余計なジンクスをまた一つ増やしてしまった気がする。
いいんだか、悪いんだか。

よい子の皆さんは精神衛生上良くないので、仮にクーリングダウンはするにしても、その効果を確かめようとは絶対しないことを私としてはお勧めする。

まだうなされてます。

2006-10-05 | 演奏や練習に関して
先週末、オケの本番終了。

演奏は、自分で言うのもなんだけど、すご~~く良かった。
我々のオケとしてはたくさん入ったお客さんの、拍手も最高。
実はこの交響曲はアマオケではメジャーなプログラムなため、私は4回目。その中でも最高のできかも。

やっぱり、今回からの新しい指揮者の威力によるところが大きい。個人的にはあんまり好きなタイプではないけれど。(できれば代えたい・・・)


それはいいとして、演奏はよかったのに、まだ夢にうなされている。
その夢の出演者は、むかし書いたうしろのひとりよがりさん。

ステリハではしっかり指揮者のチェックが入ったため、本番では大きな被害を被ることはなかった。

でも、未だに夢のなかではまだまだやりたい放題。
「なんでそこがそうなるんじゃ~(激怒)!」で、早朝に目が覚めてしまう。


いままでこんなことなかったなあ。

初心者とアンサンブルしても全然平気だし、普通にリズム悪いぐらいならしょうがないなぁ、って普通はついていける。いまだかつて、他人の演奏で腹が立つことはぜんぜんなかった。
それでも強いて言えば、友人が合唱団(アマチュア)で出演した演奏会で演奏していた、プロのオーケストラがあまりにひどかった時ぐらいか。このときは持っていたワイングラスをコンマスに本気で投げつけたかった。

でも、夢でうなされたりはしなかったぞ。
何が違うんだろう。

毎回テンポが違う。指がまわらないところにくると音量が下がってテンポまで狂わす。出すところでださない、出して欲しくないところでだす。
とにかく、気ままで、ワガママで、暴れん坊で、自分勝手で、プライド高くて、気が小さくて、他人と合わせる意識がなくて・・・・・

自分が入る数小節前からテンポをとって入るのだが、直前にそのひとりよがりさんがやりたいほうだいなので、全く自分のテンポがつかめない。音量も。なんとか入ったとしても、やられてしまったテンポになってしまうので、悪い意味で目立ってしまう。

傾向がわかれば、注意のしようも、気のつけようもあるのだが。

大勢がきちんと整列して行進しているところで、一人だけ自分勝手にやって全体を乱しているようなもの。純粋に演奏技術の問題ならアドバイスのしようもあるというものだが、この場合は「ちゃんとやれ!」としか言いようがない。

ほとんどノイローゼだよ。いつ直るんだろう。

個人的には嫌いではないのだけれど、私は嫌なことはすぐ表情にでてしまう。今後のつきあい方が難しい。あ~ぁ。

清水の舞台から

2006-10-02 | レッスン
アマチュア音楽家は、どういう時に清水の舞台から飛び降りるような気分になるだろうか。
高価な楽器をいよいよ買うと決断した時? レッスンに通おうと決めた時? 発表会や演奏会でのソロがある時?

音楽とは縁はなさそうだけど、舞台から飛び降りる決心をした。それは、英会話スクール。マンツーマンにしたのでそれはそれは高価。効果は果たしてどのぐらいあるのだろうか。一年後が不安である。お金をどぶに捨てたのと同じになっているだろうか。

楽器(特にジャズ)と語学学習は似たようなところがある。文法だけでもボキャブラリーだけでもだめ。

才能は関与するにしても、楽器にしろ楽器にしろモチベーションが重要。
こういった習い事でモチベーションが上がる要因は二種類あると思う。すぐに海外出張とかホームステイ、発表会があるとかの、目の前のいまそこにある、クリアしなければならない目標がある場合。それかもしくは、その習い事がおもしろくてハマッてしまった場合。
英会話では、ちょっと海外旅行で使えたらいいな程度の動機ではくじけ率が高いように思う。

実は、グループレッスンの英会話に通っていた。始めたころは仕事上の動機があったのでかなりのハイテンションであったが、その動機付け要因が終わってからはちんたらしてしまい、以後全く上達の気配がない。継続は力なりと言うが、グループレッスンとは言え安価ではなく、コスト対効果を考えると無駄金に限りなく近いのではないかと感じてきていた。

念のために言っておくと、きちんと学習のモチベーションが継続できるのであれば、小人数のグループ英会話も悪くないと思う。友達もできるし、楽しい人ははまると思う。
まあ、モチベーションが維持できて、相性が合えば通信教育でもラジオでもなんでもいいのだろうけど。

私のように特段の語学の才能もなく、イマイチモチベーションの持続がだらしないけど、そこをなんとかならないとなぁ。
そういう半端な人には、突然海外赴任でも命ぜられる以外には、もうマンツーマン英会話で勝負に出るしかないような気がしてきた。グループでだらだらと無駄に浪費し続けるより、一発勝負。だめなら潔くそれまで。人生一回だもんね。それで清水の舞台からあらためて下をのぞき込んでいるというわけではある。


その点、楽器の方は自分で言うのも何だが良く続いていると思う。モチベーションの維持に苦心することなく、レッスンの進捗もふつーの人よりは早い方だった。


フルートのレッスンを始めようとしたきっかけは、総銀ハンダ付の高級フルートが欲しいのだが、仲間に楽器だけ良くて中身が伴ってないと言われたくなかったから。
今から思うと、なんと消極的かつ後ろ向きなことか。これが英会話なら3週間もつづかなさそう。それでも問題なく継続できたのは、後者の、ハマってしまっているから、ということだろう。

今レッスンで楽しいのは、たまに顔を出しているグループのジャズクラス。
学生時代からなんらかの形でジャズをやっていたとか、今アマチュアのビッグバンドに入っているとか、それなりのバックボーンを人が多くてある意味恐ろしいところ。クラシック畑出身なのは私と、もう一人は音大でたての若い女の子。おいおい、っていう感じ。

モチベーションが足りていなかったとしたら、周りはこんなにすごいのに自分は何? みたいに気持ちがすぐに負けてしまうだろう。
それでも今は、この人がこんなことをやった。すげーカッコ良かった。よし、じゃあ自分はこういうふうにトライしてみよう、なんて、自分でも不思議なくらいポジティブ。自分と他人を変に比較してしまったりすることなく、くじけることなく、楽しくやっている。

英会話でもこうだったら、将来はすごくあかるいんだけどなぁ・・・・