フルート吹きの物思い

趣味のフルートと、それに関わるもろもろのこと。

フルート奏者の吹奏楽指導

2007-02-05 | 吹奏楽、管弦楽&アンサンブル団体
うちの吹奏楽団。いろいろ指揮者との都合合わせが上手くいかず、なかなか良い具合にすすんでいってくれない。

代理の指揮者をいろいろ都合しているのだが、先日呼んだ指揮者(というか指導者)は、フルートパートのうちの一人がレッスンに付いている、某プロオケのフルートプレイヤーのおじちゃんであった。

ちょっと嫌な予感。

指導者がフルートプレイヤーということがあって、私がやや遅れて練習についた時、他のフルートパートの人が安堵の顔を浮かべる。フルートパートにキビシイのではないかという恐れがあったようだ。

結果として、そういう意味ではフルートパート的には何も問題はなかったのだが・・・・

なんというか、細かいのである。

まず最初に一度曲を通してほしいのではあるが。
16小節とか32小節ぐらいさっと全体で吹かせた後、ぶつぶついいながら分析をはじめ、えんえんと分析結果を解説。パートごとにちくちくと解説しながら小分け演奏させ、やっとこさその箇所が終わる。で、なんとかその次へ・・・・

私はフルートアンサンブルの団体に所属していたこともあり、何人かフルート奏者の合奏指導を見たことがある。が・・・・
フっ、フっ、フっ、フ、と、去年と同じ呼吸法指導ばかりで、そればかりを音楽大学で習ってきたの?みたいな人とかいて、私としてはあまり好印象の人は一人を除いていない。

うまく言えないけれど、フルート奏者の指導というのはどちらかというと部分最適化の集合で合奏をまとめようとする傾向があるように思う。
それに対して、金管奏者系指導者は、ノリや雰囲気重視傾向と言えるのではないか。

この意味で、今回のうんちく系指導者と私が曲を演奏するときの思考回路は酷似しているようだ(悲)。
全体はもちろん考えているのだけれど、意見や注意の時は枝葉末節の言葉をどうしても使ってしまう。聞く方はつまらないよねぇ。しかも、同じようなバックボーン(レッスン経験有無など)がないと、理解できない。

コラールなどで協調性が発揮される金管系と、ソロよっ、私がっ、僕がっ、系のワガママ高音木管楽器系では、深層心理のどこかで音楽に対する取り組みがビミョーに違うに違いない、と感じつつ。「次はもうこの指導者呼ばないんだよね?」「うん、もうない」などと吹奏楽の運営事務局連中と立ち話をして帰路についたのであった。


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