フルート吹きの物思い

趣味のフルートと、それに関わるもろもろのこと。

バッハ本

2009-06-06 | レッスン
レッスンでは、フランス物ピエールサンカンの次はまたバッハになってみた。有名なフルートソナタh-mall、BWV1030。

スイートに一つおいて続き、だが、でもバッハは好きではないのだが、まあ師匠の思うところもあるのだろうし、レッスンとしてはいいのではと思ってみた。なかなか格好良く演奏できる人は少ない、といわれるとちょっとやる気がでる。


バッハというと、高校時代のギター部の友人を思い出す。ギター部というと、なぜか、ビバルディもそうだがバッハ好きが多かった。
ブラバンの私には、スーザとかリードとかチャイコフスキーとかショスターコービッチ(笑)の方がずっと偉大な作曲家だったのだけど。


今でも、ギター部友人の「バッハの時代にピアノがあれば・・・」の言葉は忘れられない。
そんなにいいのか、バッハ。当時の(今も?)私の耳には、単に単調なメロディーとも分散和音ともつかない音列の、なにやら永遠に続きそうな継続にすぎなかった。機械が演奏したとしてもすぐに飽きそうだ。


そういうものの、レッスンではちょっと様子が違う。

かなりアゴーギグをつけるし、場面場面予め準備や計画が必要で、かなり即興的に聞こえるような、なんというか遊びの要素と、場面場面切り替えがもりだくさん。

あえて言葉にすると、アゴーギグと、同じ音や音形が続く時のプランの実行、ということになるだろうか。


最近はバッハの演奏もいろいろと研究が進み、ちょっと前(どのくらい前?)とはだいぶ様変わりしているそうである。

だからというわけでもないが、銀座山野楽器の楽譜売場に寄った際、バッハ本がたまたま目立つところにいくつかおいてあったので買う気になってみた。

そこにあるバッハ本をぺらぺらとめくった結果、磯山雅氏著「J・S・バッハ」にしてみた。

選択の理由は、「バッハ演奏はいかにあるべきか」という章があったから。

この本曰く、「バッハ演奏は今革命がおこりつつある。」のだそうだ。

要するに、メンデルスゾーンに発掘されて以降、モダンな楽器を使用して「ロマン派」的な「歪曲」された演奏が主流となり「旋律本来の素朴さと活気が失われて」いたそうだが、バロック時代当時の楽器を使用した演奏がされて音量バランスが本来の姿に復元され、その他研究がすすんできたことによるらしい。


最近の研究をもとに?「優れたバッハ演奏の条件」として次のようなことがあげられている。

・旋律を歌うよりリズムの生命力
・中声部のふくらんだ厚い響きではなく、外声のくっきりでる透明な響き
・テンポルバートによらず、拍節内におかれたアクセントで、表現を生かすこと。そのアクセントを生かすためには、適切なアゴーギグが必須。
・長いレガートを避け、短いアーティキュレーションを積み上げること。


二番目は、フルートは単音の楽器だからかもしれないが私にはよくわからないが、その他の項目は概ねレッスンの通りだ。よかったよかった。

「バッハの楽譜は、すべての音符を均一に演奏したのでは、だめである。それはフランス革命以後の発想であって、宮廷文化華やかなりしバロック時代の音楽にはふさわしくない。」

というくだりは、今のレッスンがなかったろ意味がよくわからなかったことだろう。


単純に楽譜を均一に演奏するだけでも骨が折れるのに、宮廷文化華やかなイメージを思い浮かべつつ、アゴーギグをつけ、しかも立てたプランを、場面転換著しい中きちんきちんと実行していく・・・


・・・えらく骨の折れる作業だこと!