最近いろいろと滞りがちなバイオリンのほう。
受験参考書と同じ?で、買って安心する演奏法の本。
仕事関係で渋谷へ行った帰り、例によって渋谷ヤマハでトラップに落ち、「ヴァイオリン奏法のコツ」(音楽の友社)を買ってきてしまった。
立ち読みでぺらぺらとめくった第4章。表題が、「弓とヴァイオリンは男女の関係」とある。
真っ昼間から惹かれるではないか!?
なんか、古本屋のそおいうコーナーでひそひそと読む気分だ。
諸説あるようだが、楽器の女王といえば、バイオリン。
というような単純な話かと思えば。
「・・・・・そのウエストのラインや、下半身がふくよかで・・・・ヴァイオリンには女性の本質がたずさえられている・・・・もののかたちとそれに携えられた本質や機能とは切り離して感がえられるものではありません。・・・・なぜ女性の特有の形をしているのでしょうか。・・・・「音をうむもの」です・・・あらたな生命を「うむ」存在なのです・・・・世界が創造されるときに神はあたらしい生命の誕生を男性と女性というような組み合わせをつくってそれに託しました。ヴァイオリンが女性的な本質をそなえているとするならば、男性的な本質、つまり「うませる」はたらきは、このばあい、やはり弓に託されていることになります。そして、ヴァイオリンと弓とをひとりで手にするわたしたちは、神の存在に共通するはたらきを持ち合わせることにもなるのです。・・・・英語では弓をbowとあらわしますが、これは曲がったものという意味です・・・この両方のテンションが高められた時、始めて音に生を与えることができるのです。もちろん弓が呼び起こす側であり弦はそれに答える側・・・・過度に攻撃的なボーイングは楽器の反応を殺してしまいますし、反対に力のない弱々しい弓づかいは楽器の反応を引き出すことができません。つまりこれは人間のばあいと同じです。・・・・・・・ヴァイオリニストが創造する世界が無限の可能性に満ちていることは、ヴァイオリンのうずまきの形に象徴されています・・・ヴァイオリンによる創造の世界は、あたらしい生命の誕生をくりかえす無限の広がりなのです。・・・・・演奏とわたしたちの生命の神秘とのあいだには分けて考えることのできない密接なつながりがあるということです。・・・・右腕が演奏上のエネルギーの送り手であること、左手の正確さなどの問題を深く追求するうえで、重要な足がかりになります。」
おーっ
楽器の形から単に官能的な妄想を広げてるのか? と思えば、それがキリスト教的(?)世界観や生命の神秘へと展開して、それがまた奏法の話へと戻ってくる。
以前、うちのオケに来てくれているコンミスの先生に、なんでこんな難しい楽器(バイオリンのこと)が何百年もひきつがれてるんですかねーっ、と話をしたことがあるが、それがなんとなくわかった気がした。
少なくとも管楽器では、そんなに深い楽器の意味について考えたことないし、それに触れた文献は見たことがない・・・・
尺八とか、あるいはあっちの方から伝来している龍笛とかの雅楽系の楽器には何かありそうではあるが・・・・。
うちのオケに当てはめてみた。
前列の方では。
あまり、その、男女関係が上手くいっているかというと、神は気まぐれな感じではあるものの、生命の神秘を日夜?真剣に追求している敬虔なる人達。
その後ろの、例えば笛は、ある意味鳥や昆虫の鳴き声と同じ?で・・・要は求愛活動ばかりに励んでいる・・・享楽的な木管??
金管は、地上に災いをもたらし週末を告げる天使の吹き鳴らすラッパかもしれない、が・・・そんなに立派なものではないだろう。
要は、探し求めてもなかなか与えられない弦楽器と、いろんな意味で迷える木管楽器。終末ならぬ週末を待つ金管。
遅れてきた羊飼い(指揮)は群れにならず好き放題の羊に右往左往。
・・・・・・・
それが何か?
なんなんだか自分で考えていることがわからなくなってきた・・・・
受験参考書と同じ?で、買って安心する演奏法の本。
仕事関係で渋谷へ行った帰り、例によって渋谷ヤマハでトラップに落ち、「ヴァイオリン奏法のコツ」(音楽の友社)を買ってきてしまった。
立ち読みでぺらぺらとめくった第4章。表題が、「弓とヴァイオリンは男女の関係」とある。
真っ昼間から惹かれるではないか!?
なんか、古本屋のそおいうコーナーでひそひそと読む気分だ。
諸説あるようだが、楽器の女王といえば、バイオリン。
というような単純な話かと思えば。
「・・・・・そのウエストのラインや、下半身がふくよかで・・・・ヴァイオリンには女性の本質がたずさえられている・・・・もののかたちとそれに携えられた本質や機能とは切り離して感がえられるものではありません。・・・・なぜ女性の特有の形をしているのでしょうか。・・・・「音をうむもの」です・・・あらたな生命を「うむ」存在なのです・・・・世界が創造されるときに神はあたらしい生命の誕生を男性と女性というような組み合わせをつくってそれに託しました。ヴァイオリンが女性的な本質をそなえているとするならば、男性的な本質、つまり「うませる」はたらきは、このばあい、やはり弓に託されていることになります。そして、ヴァイオリンと弓とをひとりで手にするわたしたちは、神の存在に共通するはたらきを持ち合わせることにもなるのです。・・・・英語では弓をbowとあらわしますが、これは曲がったものという意味です・・・この両方のテンションが高められた時、始めて音に生を与えることができるのです。もちろん弓が呼び起こす側であり弦はそれに答える側・・・・過度に攻撃的なボーイングは楽器の反応を殺してしまいますし、反対に力のない弱々しい弓づかいは楽器の反応を引き出すことができません。つまりこれは人間のばあいと同じです。・・・・・・・ヴァイオリニストが創造する世界が無限の可能性に満ちていることは、ヴァイオリンのうずまきの形に象徴されています・・・ヴァイオリンによる創造の世界は、あたらしい生命の誕生をくりかえす無限の広がりなのです。・・・・・演奏とわたしたちの生命の神秘とのあいだには分けて考えることのできない密接なつながりがあるということです。・・・・右腕が演奏上のエネルギーの送り手であること、左手の正確さなどの問題を深く追求するうえで、重要な足がかりになります。」
おーっ
楽器の形から単に官能的な妄想を広げてるのか? と思えば、それがキリスト教的(?)世界観や生命の神秘へと展開して、それがまた奏法の話へと戻ってくる。
以前、うちのオケに来てくれているコンミスの先生に、なんでこんな難しい楽器(バイオリンのこと)が何百年もひきつがれてるんですかねーっ、と話をしたことがあるが、それがなんとなくわかった気がした。
少なくとも管楽器では、そんなに深い楽器の意味について考えたことないし、それに触れた文献は見たことがない・・・・
尺八とか、あるいはあっちの方から伝来している龍笛とかの雅楽系の楽器には何かありそうではあるが・・・・。
うちのオケに当てはめてみた。
前列の方では。
あまり、その、男女関係が上手くいっているかというと、神は気まぐれな感じではあるものの、生命の神秘を日夜?真剣に追求している敬虔なる人達。
その後ろの、例えば笛は、ある意味鳥や昆虫の鳴き声と同じ?で・・・要は求愛活動ばかりに励んでいる・・・享楽的な木管??
金管は、地上に災いをもたらし週末を告げる天使の吹き鳴らすラッパかもしれない、が・・・そんなに立派なものではないだろう。
要は、探し求めてもなかなか与えられない弦楽器と、いろんな意味で迷える木管楽器。終末ならぬ週末を待つ金管。
遅れてきた羊飼い(指揮)は群れにならず好き放題の羊に右往左往。
・・・・・・・
それが何か?
なんなんだか自分で考えていることがわからなくなってきた・・・・