マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

2年ごとに夢は花開く

2017-11-22 10:00:00 | スペイン日記

ベサメ・ムーチョ展

 ベサメ・ムーチョ(たくさんキスをして!)が個展タイトルでした。画廊を訪れた方々は今回の💋作品、壁に並ぶおびただしい💋💋💋にビックリされました。作品から離れてのお茶を飲みながらの世間話はスペインのバルセロナの独立(カタルーニャ州独立が正しい)の事でした。そのバルセロナを州都とするカタルーニャ州の独立茶番劇はあとで語るとして、個展は無事に終わりました。個展案内状がショッキングだったのか、ベサメ・ムーチョのタイトルが受けたのか、ヤマダトミオの作品の質度が上がったのか、たくさんの方々が見に来て下さいました。有り難う御座いました。

ベサメ・ムーチョ展

 2年おきに東京で個展を続けて40年近くになります。時期はいつも10月下中から11月初旬です。いかにも“芸術の秋”を狙ったかのようですが、違います。作品の運送上の都合でそうなっただけです。80年代は作品を木箱につめて船で東京に運んでいました。8月にはひと月のヴァカンスを取るスペインでは、夏前に作品を送る書類手続きを始める必要がありました。その申請が通り作品が税関をパスしてスペインの港から日本向けのコンテナ船に載るのが、ヴァカンス明けの9月の初めでした。地中海を進みスエズ運河をプカプカと通過して東京港へ着くにはひと月から40日間かかりました。その結果、上記の時期の個展開催となった次第です。

ベサメ・ムーチョ展

 21世紀になり、作品運送は航空便になりましたが、20世紀からの習慣でその時期に個展を続けているのです。いつも好天に恵まれた“天高く~”の秋です。ところが今年の東京はその時期に2回もの台風が来ました。夏服プラスαで帰国した僕は寒さと雨と突風にいじめられ、ユニクロとコンビニに駆け込みました。温暖化による気象異変とは言え、いくらなんでも台風が!!それも2回も! 来るの? でした。でも過ぎた出来事なので蒸し返しはやめます。そのような悪天候でしたが、それにもめげずに沢山の方々が個展へ来て下さいました、有難いことです。

ベサメ・ムーチョ展

 ところが話題はベサメ・ムーチョよりもバルセロナでした。結論から言わせてもらえば、もう勘弁してよ、バルセロナでした。僕はアンチ・バルサではありません。個展の盛況は写真で確認して頂くとして、カタラン人(カタルーニャの人々をそう呼びます)の話をします。一つ言わせてもらえれば、日本のメディアはカタルーニャ州とバスク州(スペイン北東部。スペイン語とは全く違ったバスク語を話し独自の文化を持ちます)を勘違いしています。さてですが、カタルーニャ州独立劇は2年ごとにくりかえされて300年も続いています。意味することは過去も今も明日も独立は不可能なのです。

オープンしました

 でも何故、やるのか? ですよね。それは一種の病気で、カタルーニア病と呼ばれています。それを繰り返すことで、スペイン国家予算配分の優遇、EU援助金の獲得です。得たその金は独立劇の資金となり、余ったのは独立資金として埋蔵していました。それがバレました。カタルーニャ州に本社を置く企業からは儲けの4%を独立税として闇で搾取をしていました。それもバレました。もろもろの真実が明かるみに出たのが、今回の独立劇を急速に正当化するための世界的アピールでした。


 それにまんまと乗せられたのが日本のメディアでした。それらのアピール費用はスペイン人の税金です。スペイン憲法だけでなくヨーロッパの他の国の憲法も同様に、一地方がその住民だけで独立を問う投票は違法です。もしするなら、憲法の一部を改正してから全国民による独立を問う投票を義務づけられています。なぜか?民主主義国家だからです。その民主主義の象徴が国会です。プイデモンテ・カタルーニャ州首長は度重なるラホイ首相(現政府・国民党)の国会での独立に関する演説とその討議の誘いを拒否しました。国会での討議を自ら否定をしておきながら、スペインには民主主義がない、の彼の言葉にはスペイン国民の300年間の堪忍袋の緒が切れました。

カタルーニャ州の自治権剝奪の閣議に臨むラホイ首相

 ラホイ首相にスペイン憲法の155条‐自治州の自治権限剝奪-の施行を迫ったのはスペイン国民だったのです。スペイン国に対して反乱を起こしたのがカタルーニャ州議会なので、今回のラホイ首相の政府の対応には60%を超えるスペイン国民が賛同をしました。ヨーロッパ人にとって、政府の仕事は自国の憲法を守ることが第一です。それが国民の自由につながることを第二次世界大戦で学んだからです。80年代にできた現スペイン憲法ですが、その憲法承認に賛成した州民の数ではカタルーニャ州がトップでした。


 自分たちで築き上げた民主主義を壊そうとしているがバルセロナのカタルーニア独立右翼政党です。カタルーニャ州の住民の60%は独立に反対です。独立したら公務員は年金を失います。今でも州立学校ではスペイン語を満足に学習できないことに父兄は不満です。でもそれを大声で言えません、カタルーニア独立極右翼(極左翼も)が怖いからです。彼ら、カタルーニア独立右翼政党に牛耳られた州議会がやっていることはフランコ時代の独裁政治と同じです。

プイデモンテ・カタルーニャ州首長 

 来月の州選挙では乱立した小党がバラバラと票を得ますが、それらが束なってカタルーニア独立右翼政党をつくります。こうして繰り返し演じられる独立劇がカタルーニャの歴史となったのです。2年後にも再び起こるカタルーニャ州独立劇ですが、その時は日本のメディアが今回と同じ落とし穴に落ちないことを願います。そして2年後の僕は東京で個展を開いています。そして、またかよ!と言いなが、繰り返されるカタルーニャ独立劇をブログで愚痴ってることでしょう。


 チャーチル英国元首相の言葉の一つに「人は歴史に学ばない」があります。カタルーニャ人は絶対に歴史に学びません。それは病気だからです。個展ともカタルーニャとも関係ありませんが、この1126日はあの“カサブランカ”の封切り75周年記念日です。「サム、もう一度弾いてくれ」には痺れました。

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