マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

ポブレ・デ・ミとなったスペイン人

2012-07-17 10:30:00 | スペイン日記

サン・フェルミン祭の始まり!

 白いシャツに白ズボン、首に巻いた赤いハンカチ。この格好で「闘牛に追いかけられる」ので有名なのがパンプローナ(Pamplona)の「サン・フェルミン祭り/Fiesta de San Fermin」ですが、それがやっと終わりました。何故?首に赤いハンカチ? スペインだから?イエ、イエ、違います。祭りの主役、聖人フェルミンは斬首されたので、首から出た血の代わりが赤いハンカチです。


エンシエロ

 エンシエロ(encierro)を牛追いと呼ぶので、日本では「牛追い祭り」と報じられるが、パンプローナのエンシエロは「牛に追われる」が正しい。昔は馬に乗った牧童たちが長い棒を持って、闘牛の群れを牧場から闘牛場まで野原や田舎道を追って行ったのです。牧童だけでは闘牛は暴れるので、大人しく誘導させるために去勢した仲間牛を同伴させました。その闘牛の群れを村の入り口で放して、闘牛場まで走らせたのが、セゴビア県のクエジャ-ル(Cuellar)の村祭りでした。村の男どもも牧童たちと一緒に追ったそうです。闘牛の群れを後ろから、まさしく「追った」のです。


エンシエロ

 スペインの村祭りにこの「エンシエロ/牛追い」はつきものですが、牛の前を走るのに使われる牛は闘牛ではなくベセロ(becerro)と呼ばれる子牛です。子牛なので、その前を走れる訳です。万が一牛にどつかれても、トクホンを貼っておけば済む程度です。ところが、パンプローナのエンシエロは500キロ級の正真正銘の闘牛です。だから、それを見て興奮したのがアメリカ人・ヘミングウェイで、彼が「陽はまた昇る」に書いたおかげで、パンプローナの「牛追われ祭り」が全米人の知るところとなりました。未だに祭りに来るアメリカ人は多いそうです。

 パンプローナはナバーラ州(Navarra)の州都です。ナバーラ州は日本ではイエズス会のザビエルの生地として知られています。800年前のナバーラ王国はスペインレコンキスタ(la Reconquista/再征服/イスラム教徒を北アフリカへ追い返した聖戦)にも参軍しました。まさに800年前の今日、1212年7月16日のナヴァス・デ・トロサの戦い(Navas de Tolosa/ ハエン県)がレコンキスタの始まりでした。300年近くも戦いは続きました。

 おっと話は、9日間に及ぶサン・フェルミン祭りですが、「牛追われ」は毎朝ありますが3分くらいで終わります。他は何をするかって?近頃は盛りだくさんな催し物があるようですが、酔っぱらいはもっと飲んで、タパスのツマミ歩きです。バスク人が多いのでタパスは美味しいです。ヘベレケになったら公園の芝生で昼寝、夜も公園の芝生で野宿でした。僕が行ったのは血の沸く若い頃でした。


ポブレ・デ・ミ

 近頃はサン・フェルミン祭を避けてパンプローナへ行きます。祭りの最後の日にも、初日同様に再びコンシストリアル広場(Plaza de Consistorial/市庁舎前広場)に集まります。その時は赤いハンカチを首から外して、頭上に掲げてポブレ・デ・ミ(Pobre de mi/可哀そうなアタシ)を合唱します。さぁ、みんな、嘆くな、2013年のサン・フェルミン祭まで、たったの364日と半日だぁ、サン・フェルミン祭バンザイ!

 このサン・フェルミン祭でスペインの北東部が酒臭くなっている間に、マドリードでは消費税のアップが閣僚決議され、9月1日からあらゆるものが値上がりします。僕が困ったのは、絵を売った時の消費税がド~ンと上がるのと床屋代です。それらも映画代も8%だった消費税が21%になります。ほんと、ポブレ・デ・ミ(可哀そうな僕)です。これじゃ、我々自営業者たちは領収書無しで商売をして消費税を誤魔化します。小切手やカードを使わずに、いつもニコニコ現金払い、です。電気も水道もガスもメトロも電話も全てが上がるので、ジワジワと住みにくくなってきたスペインです。

 そりゃ、デンマークと比べたらスペインの消費税はまだ低いけど、給料の差は2倍近くなので、スペイン庶民の生活のほうがきつくなります。これでスペインの景気が良くなったら、それは奇跡です。スペインチームの欧州杯連覇は実力だったので、奇跡ではなく現実です。スペインの経済停滞は始まったばかりです。破綻しなくてもあと10年間はジャガイモばかりの生活です。あ~あ「ポブレ・デ・ミ」ですが、夏のヴァカンスが終わったらソイ・ポブレ(私は貧乏/Soy pobre)です。
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