ウォオオオ
ウォオオオオオ-!!!! オ~エ、オエ、オエ~
夜空に花火が上がりました。マドリードは夜中の3時過ぎまでお祭りで、車はクラクションをビービー、ブーブー鳴らしながら走り、みんな大喜びです。早朝に回ってくるゴミ回収車もピーピーと囃し立て、集めるオッサンたちもオーエ~、オーエ~とやってました。皆、寝ないで、はしゃいだままで仕事へ行ったのではないでしょうか。翌日の凱旋パレードも凄かった!!!ウクライナからチームを乗せてきたイベリア航空機のボディには大きく「スペインの誇り」と書いてありました。
やったぜ
マドリードのバラハス空港にスペインチームが到着した時から、TV全国中継のライブでした。マドリっ子たち、地方から駆けつけたスペイン人たち100万人以上がマドリードの目抜き通りに集まりました。選手たちが乗ったオープンバスを迎えるスペイン人で、通りは人、人で溢れかえり、ジョ・ソイ・エスパニョール(Yo soy español /スペイン人で良かった、の意味)を歌っていました。仮設ステージが造られたシベーレス広場も人でぎっしりと埋まりました。兎も角ウレシイィィィ!です。
ウクライナまで応援に行ったスペイン人、なんと!1万人!
パレードのオープンバスは人ごみで立ち往生
皆、スペインチームのユニホーム(赤色)をきて集まったので、広場は真っ赤になりました。国民の喜び方はその国夫々なのでそこに住んでいないと分かりにくいけど、笑顔は世界共通なので写真を見て下さい。2008年の欧州杯→2010年のW杯→再び2012年の欧州杯です。欧州杯を二連覇しただけでもサッカー史上初めてです。500万人の失業者、EUによる銀行救済、国債危機に喘ぐ、どん底のスペインに神様が与えてくれた光としか思えません。よくも言ったものです、神に最も愛されているスペイン人とは!
真っ赤な人の波
ステージは慣れない選手たち
連覇チャンピオンとなったスペインチームですが「ボールをキープするものが試合を制する」と言う基本中の基本を守った結果が2008年欧州チャンピオンでした。スペイン式パスリレーを編み出したアラゴネス監督(Aragones)の時代でした。それを引き継いだデル・ボスケ監督は2010年にスペインをW杯(ワールドカップ)のチャンピオンにしました。今年もナショナルチームの監督を続け、彼はそれに「和」を加えました。「ヒーローは要らない」と皆で攻め、皆で守るチームワークを重視しました。ショートパスのリレーで相手にボールを渡さないでジワジワと攻め進みました。
スピード攻撃に欠けるので、僕のようなド素人は、オッサン(デル・ボスケ監督です)何考えてるんだよ~でした。そんな声にも耳を貸さずに貫いた結果が連勝でした。シャポーです。デル・ボスケ監督が選手に求めたのは、日本に住んでいる日本人がみな持っている和の精神です。確かに、日本は閉塞感のあるのが現状かも知れませんが、本来からの日本人精神を忘れるのはアイデンティティの喪失です。
和に長ける日本チームには個が足りないと思われがちですが、長所短所は監督がどのようにそれを活用するかでしょう。個の強いスペイン選手たちは監督に良く従いました。我慢の報酬が一人30万ユーロ(ほぼ3千万円)です。試合に出た出ないは関係なく、選抜された22人の選手一人ひとりにご褒美です。和です。スペインのおじいちゃんおばあちゃんたちは、孫たちがこんな快挙を遂げるとは、スペイン市民戦争やフランコ独裁時代には思っていなかった。きっと目を細めていると思う。
カップを掲げるラモス
そんな、年寄りが喜ぶ話を一つ。スペインチームのディフェンスの一人がラモス(Ramós/レアル・マドリー)です。セビージャの貧しい家庭で生まれたラモスは初めての契約金でおばあちゃんの家に新しい台所とトイレをプレゼントしました。前回のコパ・デ・レイ(Copa de Rey /スペイン国王杯)で優勝パレード中に、オープンバスの上からカップを落としてペッチャンコにしてしまった、オッチョコチョイですが憎めないやつです。
彼は闘牛士になりたかっけどサッカー選手になってしまい、今回も大活躍でした。だから、ラモスは試合に勝ったサッカー場で闘牛士の真似をしてしまうのです。決勝戦はいい試合で、汚い反則がなかったのが素晴らしいです。スペインの誇りです。2010年のW杯で主審を務めた日本人審判もスペインチームは紳士だった、と褒めていました。正々堂々と試合をした彼らを見たスペインの子供たちは立派なサッカー選手になる夢を見るでしょう。グラシアス!ラ・ロハ!(Gracias! La Roja! /有り難うスペインチーム/La Roja《赤》はスペインチームのことで、ユニホームが赤色だからです)