⭐️⭐️浅野まことのここだけの話⭐️⭐️

浅野まことがここだだけの話をブログで大公開!!

医療崩壊

2020年04月07日 | 日記
医療崩壊が現実味を帯びてきている。先日、発信者不明の日赤の医師の悲鳴が拡散されたようであるが、感情的ではなく、冷静に日本の感染症治療つまり集中治療の現実について医療崩壊が何故叫ばれるのかを理解すべきである。

4月1日付けの日本集中治療医学会の西田修理事長の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する理事長声明をご覧頂きたい。

注目すべきは下記である。

「新型コロナウイルス感染症がオーバーシュートした場合の医療体制で最も重要なことは、如何に死者を少なくするかということであり、集中治療体制の崩壊を阻止することが重要ですが、本邦の集中治療の体制は、パンデミックには大変脆弱と言わざるを得ません。

イタリアでは3月31日の時点で感染者105,792人に対して死者約12,428人であり死亡率は実に11.7%と急増しております。一方でドイツでは、感染者約71,808人に対して死者は775人に留まり、死亡率は1.1%です。この違いの主なものは、集中治療の体制の違いであると考えます。ICUのベッド数は、ドイツでは人口10万人あたり29~30床であるのに対し、イタリアは12床程度です。ドイツでは新型コロナウイルス感染症による死亡者のほとんどはICUで亡くなるのに対し、イタリアでは集中治療を受けることなく多くの人々が亡くなっているのが現状です。イタリアは高齢者が多いことも死亡者が多いことの原因と考えられますが、日本ではイタリアよりも高齢化が進んでいるにもかかわらず、人口10万人あたりのICUのベッド数は5床程度です。これはイタリアの半分以下であり、死者数から見たオーバーシュートは非常に早く訪れることが予想されます。」

日本の深刻な状況が分かる。
上記から分かることは、新型コロナに罹患すると治療が受けられないまま死んでいく人数がイタリア以上になる可能性が極めて高いということである。
死にたくなければコロナに罹ってはいけないということになる。

残念ながら新型コロナの治療においては、薬ができるまでは、専門外の医師は基本的に何もできない。
ICUに知見のある医師と看護師の確保を急いで欲しい。

今後、公園に野営テント、仮設治療室が作られることになると思う。戦場に似た光景である。そして警官と自衛隊が町中の至るところに立ち、「外出するな。外を歩くな」と注意しまくる光景である。

今日、発表される緊急事態宣言。宣言をきいて今までと何も変わらないと思う人も多いと思う。人々は生きるために会社に通うだろう。

戦後最大の経済対策も真水部分は26兆円だという。「小さすぎて、遅すぎて、届かない」。

人々は生きるために、会社に通うだろう。

新型コロナ対策

2020年03月26日 | 日記


新型コロナウイルスはペストと比較されることが多い。そこで、「ペスト大流行時代と現代の驚くべき類似点!」を読んでみた。

https://www.designstoriesinc.com/panorama/lapeste/

ペストは現在でも根絶されたわけではなく、治療法としては、抗菌薬の経口摂取と全身管理が必要とされる。
ペストは腺ペスト、敗血症型ペスト、肺ペストの3つに分かれ、過去に複数回の世界的大流行(パンデミック)が記録されており、特に14世紀に起きた大流行では、全世界で1億人が死亡したと推計されており、当時の世界人口を4億5000万人から3億5000万人にまで減少させた。ヨーロッパでは、1348年から1420年に大流行し、域内全人口の30%から60%が死亡したとされる。3]。ヨーロッパで猛威をふるったペストは、そのまま放置すると肺炎などの合併症によりほぼ100%の人が死亡し、たとえ治療を試みたとしても、当時の未熟な医療技術では十分な効果は出ず、死亡率は30%から60%に及んだ。イングランドやイタリアでは人口の8割が死亡し、全滅状態となった街や村もあった。この大量死は、それまでの社会構造を変え、現代にまで至る痕跡を残すほどの打撃を与えた、歴史的な負の記憶として深く刻み込まれている。

日本人からすると、ヨーロッパ諸国の新型コロナ対策は、都市封鎖などやり過ぎと思うかもしれないが、ペストの暗い経験と反省がそうさせているのかもしれない。

新型コロナはペストに比べれば、致死率も低く、感染しても多くは自然治癒が可能とされる。但し、ウィルスは新しい能力を獲得し進化する可能性があり、更に強力なウィルスになる可能性があるので油断はできない。

現在、新型コロナの治療法、抗菌薬、ワクチンの開発を世界中が待っているが、その間は、ウィルスの特徴を考えた感染予防をする必要がある。
ウィルスは、自己増殖できない。増殖は細胞にくっついて、コピーを作って増えていく(複製させる)。それと闘う方法は、ウイルスに細胞を与えないこと、つまり人と人が触れ合わないこと、清潔にすること、検疫をすること、栄養をしっかり摂って免疫を高めることである。
その意味で、現在各国や自治体が外出禁止令を出すのは理にかなっている。
感染症に立ち向かうためにできることは何世紀も経ち、比較できないほど医療が進んだ今も変わっていない。
新型コロナを正しく恐れ、個々人が対策をし、二次被害である経済危機から第二次世界大恐慌にしないことが重要だ。
4月になると抗菌薬の効果についてのある程度の見解が揃うようである。

楽観視はできないが、期待したい。
政府は、企業と国民にお金が回るようにあらゆる手段を講じるべきだ。

株価の乱高下について

2020年03月14日 | 日記

 

NYダウ1985ドル高と史上最大の上げだったという。ドル円レートも108円近くまで円安が進んでいる。
新型コロナで市場心理は右往左往し、それを自動売買のAIが拍車をかける。ビジネスはゲームだという考えがある。
株の世界は10%しか生き残れないと言われる。残りの90%はお客さんだ。そこにAIが登場して1秒間に数万回の取引が出来る組織に個人が勝てるわけがない。
225先物、FXなど証拠金取引をしている人は、今回の乱高下で返せない程の借金を負った人が多いだろう。
資本市場がカジノと化している。これを見過ごすのに僕は、疑問を感じる。



誕生日に思うこと

2020年01月20日 | 日記

私事ながら、本日、51歳になりました。また一つ老けました。これまでの人生を振り返ってみると実に多くの方に迷惑をかけてきました。
この場をお借りしてお詫びします。ごめんなさい。すみません。

自身の性格を一言で言えば、熱しやすく冷めにくい。そんな厄介な性格ですが、一生懸命努力することに労を惜しまないのは唯一よい点だと思います。方向さえ間違わなければ....

ところで、昨日の炎鵬vs遠藤戦。今場所、遠藤は別人と思うほど成長しておりました。白鵬に勝った試合は、ここ数年の試合ではNo.1だと思います。
しかし、昨日、小兵力士の炎鵬に完敗しました。
遠藤が昨日の試合から何を学べるかでこれからもっと強くなれるかが決まると思います。昨日の試合は、相手を見てしまったことに原因がありました。大関、横綱に昇進する力士は、戦わずして勝つような勢いがあります。相手にあまり触れることなく、相手が吹っ飛ぶようなイメージです。合気道の塩田剛三、最盛期の白鵬、往年の千代の富士の試合などです。
共通するのは、「氣」なのではないかと思います。氣は武道やスポーツだけに限りません。
同じ言葉を喋っても重みのある人がいます。同じ歌を歌っても魅力的に聴こえる人がいます。
時間あたりに投入するエネルギーが大きいのだと思います。

51歳、僕は戦わずして勝つ分野を探したいと思います。

今日も元氣に頑張りましょう!
僕も頑張ります。


若者よ!夢を語れ

2020年01月13日 | 日記

「若者よ!夢を語れ」

新成人の皆さんへ
ご成人おめでとうございます。
「夢を語ろう」という言葉を送りたいと思います。
君のしたいことは何なのか?まだ決まってない人が殆どだと思います。「思考は現実化する」という本をナポレオン・ヒルという人が1937年に書いた名著があります。
500人にわたる成功者を取材して成功哲学をまとめた方なのですが、成功者に共通したのは「諦めなかったこと」だったそうです。
大きな夢を描き、誰に批判されようがその夢に向かって邁進する。そうすることで夢は現実のものになっていくのです。

僕は夢は年とともに変わっていってもいいと思います。
しかし重要なことを忘れてはいけません。夢を実現するには1人では出来ないということです。そこには協力者が必要です。そこで重要になってくるのは、君が描く夢は共有される価値がないといけないということです。自分だけ金持ちになりたい、自分だけ幸せになりたいと言う夢では協力者は出てこないでしょう。
つまり夢には人が感心するような、意味がある必要があるのです。
「青年よ、大志を抱け」とクラーク博士の有名な言葉がありますが、大志とは遠大な希望のことです。夢には志が必要です。

夢、希望、大志と色んな言葉が出てきましたが、これらは同じ意味で考えていいと思います。

若者よ!夢を語ろう!

謹賀新年 

2020年01月01日 | 日記

明けましておめでとうございます。2020年が幕を開けました。
今年は、台湾総統選挙(1/11)、英国のEU離脱(1月末)、東京都知事選(7/5)、東京オリンピック(7/24〜8/9)、東京パラリンピック(8/25〜9/6)、米国大統領選挙(11/3)と国際的なイベントが目白押しで非常に重要な1年になります。

昨年は米中貿易戦争に見られる様に、中国はほぼ対等に米国とやり合うことができることを示した一年でした。日本は1980年代に米国に為替の見直しと構造協議という名の市場開放を約束させられてコテンパンに遣られたのとは大違いです。

一方、中国も米国の手強さを思い知った1年でした。
基軸通貨ドルの存在、原油の純輸出国となり中東の重要性が薄れていること、あらゆる分野において世界ナンバーワンの企業が米国企業であること。世界中から資本市場にマネーが集まっていること、そして世界最強の軍事力と諜報機関が世界中の通信回線を通じた情報傍受をしています。

今、僕が注目しているのは、中国が人民元の電子マネーをいつ始めるかです。SWIFTという銀行間の決済で使用されるシステムは米国がモニターできるとされており、電子人民元は、SWIFTを経由せず送金できることから、金融における米国の覇権を脅やかすことになります。
戦略物資である原油の取引はドルで行うという国際的な暗黙のルールはドルが基軸通貨であり続けるためには必要不可欠な条件。
米国は、普通であれば電子人民元の存在は許さないでしょう。人民元の暗号化システムを破って、価値を崩壊させる様に仕向けるでしょう。
許したとしても原油だけはドル決済の条件を飲ませるでしょう。その時の取引条件に香港の一国二制度の廃止が使われるかもしれません。
まさにハードボイルド小説の様な血生臭い世界です。

僕は、人類の未来といういうものを楽観視していません。

その意味で2020年は、今後を決める重要な年になります。

今年も宜しくお願いいたします。





さようなら2019年

2019年12月31日 | 日記

昨日は、加納ロータリーのゴルフのはずでしたが、生憎の雨でコンペはそのものは中止となり有志のみでやることになりました。
僕は迷わずやりましたが、気温は低く、氷雨の中、グローブが濡れて...大叩きをしましたが、楽しくも考えさせられるゴルフでした。

ゴルフしながら...日本人は仕事をしなさすぎだ。2日働いて1日休む。世界で最も仕事しないのが日本人であり、これで成長なんか出来っこない。これに更に仕事させない、働き方改革で労働者の所得は頭打ちになり、経営者は雇用に四苦八苦している。この国の労働力はスカスカになってしまった、という話をしていました。

今年(2019年)、国内で生まれた日本人の子どもの数が86万4000人と1899年の統計開始以来、初めて90万人を割り込むなど人口減少が今後急速に進みます。
あらゆる統計の中で最も信頼できるのは人口動態。

一刻も早く社会保障費の増大に手を打たないと、国の損益分岐点がドンドン上がり、つまり社会保障費を含めた税金がドンドン上がり、もう倒産するしかない。そんな状況に追い込まれていく。それが日本の現状です。

日本人は、自国の未来ついてもっと危機感を持つべきで、2020年は、政治も経済も心を入れ替え望むべしと申し上げて、今年を締め括ろうと思います。

謡曲をはじめて

2019年12月20日 | 日記

今年から始めた謡曲。

始めた当初は、勝手がわからりませんでしたが

2~3ヶ月後位から楽しくなってきました。

今年は11月に内輪の舞台でデビューしましたが

謡曲は、共演者と助け合いながら謡います。

そこは、合唱に似ています。

皆さんも、是非、未踏の地に足を踏み入れられるのを

お勧めします。






フランシスコ ローマ教皇スピーチ全文

2019年11月26日 | 日記
フランシスコローマ教皇が24日夜、広島市の平和記念公園で行ったスピーチの全文

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122.8)。
あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。
ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光(せんこう)と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、おのおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。

この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。
わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、静かに祈るためです。とくに若者たち、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。
わたしはへりくだり、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。

確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器を保有することもまた倫理に反します。そのことについては2年前にも申しました。これについて、わたしたちは神の裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、諸国間の行動を何一つしなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪の演説という役に立たない行為をいくらかするだけで自らを正当化しながら、どうして平和について話せるでしょうか。
平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス――地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。

真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を他者に押し付けることはいっさい正当化できません。その逆に、差の存在を認めることは、強い責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。
実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈し、対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃虚を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策であるとして、核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

思い出し、ともに歩み、守ること。この3つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この3つには、平和となる真の道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても、国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。
だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。

神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音(ごうおん)はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌(も)えいで、正義は天から注がれます」(詩編85.11-12)。
主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!

人間関係について

2019年10月15日 | 日記
古い名刺を整理していたらこれまでに実に多くの方と名刺交換をしていると思った。あの人は今頃何をしているんだろうか、あの時は楽しかったなぁ、苦い思い出、そして顔を思い出せない人も多い。

人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数は150名程度だという。これをダンパー数というそうだ。この社会関係というのは、個人が、各人の事を知っていて、さらに、各人がお互いにどのような関係にあるのかをも知っているという関係を意味する。ダンバー数は、1990年代に、イギリスの人類学者であるロビン・ダンバー氏によって提唱された。霊長類の脳の大きさと平均的な群れの大きさとの間に相関関係を見出し、人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度だという。
なるほどそういえばそうかもと思う。
そう考えると、家族というのは、その頂点に位置するのだろう。仕事、趣味の仲間...僕も様々なコミュニティーに属して多くの方と日々交流しているが、どうせ付き合うのならよい関係を維持したいと思う。
SNSが画期的なのは150人という上限を突破できることなのだろう。
今日も仕事で新しい出会いがある。折角会うのならよい出会いをと思う。
今日も元氣に頑張るぞ!