Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

愛の彼方に見えてしまうもの

2006-08-03 23:20:45 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

ようやく夏らしい晴天となったので、すかさず機材を持ち出してフィルム2本(42カット)ほど撮影する。
あらかじめ、昼過ぎに空き時間ができてしまったのはわかっていたので、事務所に機材と感材を持ち込んでいたのだが、こんなによく晴れてくれるとは思わなかった。
作家氏からポストカードをいただいていたこともあり、撮影のついでにギャラリーにも顔を出したのだが、重い機材を担いで炎天下をとぼとぼ歩いたので、すっかりばててしまった。


まず、最初はロータスルートギャラリーで藤巻いづみ写真展「さすらいの丘 vol.2」を鑑賞したのだが、よい意味でテイストが全く同じといってもよく、非常によい形で前回の展示を継承しつつ、その延長線上に新たな到達点を見出したのではないかと思う。
そして、なによりも写真に対する真摯な姿勢が展示にも現れていて、口ばかり大層で手を動かさない自分のだらしなさを思うと、別の意味で非常に刺激的な展示になっていた。


次に立ち寄ったのはプレイスMで、こちらの金子友洋写真展「Botany ―無風帯」は絡みつくように繁茂する植物をテーマにした作品で、壁ごとに作品をくっつけて横一列に展示していたため、あたかも巨大なパノラマ写真であったかのような印象を与えていた。絡みつくように繁茂する植物といえば、やはりリー・フリードランダーを想起してしまうのだが、フリードランダーの作品が広角レンズの描写を活かした立体パズル的な奥行き感を備えていたのに対して、金子氏の作品はあくまでもストレートに地表を覆うテクスチャとしての植物を描写しているのは、決定的な違いと観てもよいだろう。
この試みについて、個人的には非常に興味深いと思うのだが、果たしてどのように受け止めてよいものやら、いささか戸惑うところがなくはない。また、途中から黒のアルミフレームが少しずつゆがんでいたり、また細かな傷が付いていたことや、また壁面の多孔ボードが持ってしまうテクスチャ感といった雑音が気になり始めてしまい、集中して作品を鑑賞できにくくなってしまったという問題もある。


展示会場にあわせた展示を組み立てるのか、あるいは展示内容に合わせて会場を探すのか、非常に難しい問題ではあるが、その点についてもきちんと目配りしなければならないと思った。


最後は、メーカー系のギャラリーをテキトウに流して締め。ただ、こういってはなにだが、ニコンサロンの干田哲平展「母と」は、思わぬ掘り出し物だった。
正直、自分はある種の先入観を持って観て頂きたいがために、あえてこういう表現を用いるのだが、ぶっちゃけ風俗写真すれすれのキワモノっぽさがあふれかえっており、その点のみですっかりマイマインド鷲捉まれ状態となってしまったのだ。
作品紹介の画像を観ていただくだけでも、わかる人にはかなりの部分が伝わると思うのだが、もはや出オチというかイッパツ芸の連鎖というか、繰り返しギャグというか猫ヒロシというか、そういうテイストもコミコミでヘテロによる無自覚なキャンプ感覚が横溢していて、個々の作品を観るたびにひざかっくん状態となってしまうのだ。


ただ、確信を持って言えることは、作家氏自身にはそのような自覚が全く無く、かつこのような読みをされること自体は不本意であり、極めてストレートに家族への愛と、そしてほんのヒトさじのいたずら心を表現した作品であるということだ。
恐らく、広告写真的な技法を家族写真へ応用したことによる、偶発的なキャンプテイストなのだろうが、それにしてもすばらしい。


ただ、全く言葉通りの意味で「二度と同じ手は使えない」から、今後はどうするつもりなのか、本当に気になるな~~


追伸
はてなの「はてなキーワード」システムは、検索エンジンに大量のごみをばら撒き続けているため、本当にいつもいつも悩まされているのだが、キャンプって「野営の意味じゃない」からわざわざ筆者が注釈つけてるのに、勝手にキーワードリンクを貼って台無しにしているのを見ると、本当に心から腹が立った。
以前より思っていたのだが、はてなは本当に「少数意見を汲み取ろうとしない、多数派の横暴が無制限にまかり通る、独裁的なシステム」というのが、非常によくわかりました。