変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




先日の記事で「ALWAYS 三丁目の夕日」を観たことを記録した。その時に書いた
ように、とても感動したのだけども、それはおいらの目はこんなに涙を流せるのか、
という新しい発見を伴うものでもあった。
そのことに嘘偽りは無い。

しかし。

以前からおいらの心に巣食っている『違和感』が、この映画の感想とともに再び
顔を覗かしているのも事実である。

この『違和感』は何だろう?
例えば、ある分野で成功を収めた巨匠がいたとして、その人のインタビュー等で
「内助の功」を称え感謝を現す時。
或いは、この映画で薬師丸ひろ子扮する「お母さん」の様に、家庭を懸命に切り
盛りする母親が登場した時。
その姿を尊敬し賞賛していながら、同時に『違和感』を覚えているおいらがいる。

「あなたの人生は、本当にそれで良かったのですか?」

良し悪しを聞かれれば、いいに決まっている。例え思惑と違っても過去は過去。
その思いは、これからの人生に生かせばいい。

こんなおいらでも母親がいる。ちょっと特殊な仕事をしていた関係で、家を空ける
ことが多かったように思う。少なくとも、おいらの周囲にいた友人達の母親よりは。

でも、一生懸命に母親もやっていたと思うし、恐らく頑張る妻でもあったはずだ。
いわゆる働くお母さんでありながら。
だから、と言う訳では無いのかもしれないが、家庭の一切合財に人生の全てを
投入する母親像というのが、おいらには無いのだと思う。

決して良し悪しのハナシをしているのではない。
その人の人生観で、自らの意思を何で具現化するか、どうやって生まれ持った
役割を成し遂げるか、ということなのであって、やり方やサイクルは人それぞれ
であっていい。家事や育児、仕事やパートタイム作業、何でもいいはずだ。

理屈でそう分かっていても『違和感』は消えない。

夫と妻。互いに人生の伴侶であって、実生活上の役割を分担するのは当然だ。
それが表裏の関係なこともあるだろうし、左右なこともあるだろう。上下は無い。
要は、本人的な納得感の有無なのだろうけど。

でもさ。
納得感って、とれも心もとないよ。二つの意味で。
一つ、社会や世間の価値観が個々人の素養を許し受け入れてくれるか。
一つ、本当に納得できる程の知識教養や判断力を持って納得しているか。

ふん。

おいら自身に返って来やがったな。
おいらの問題でもある訳さ。

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