変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




中国では、王の二人称として「大王」が使われていたような気がするが、
ドラマか何かの先入観だろうか。
それさえなければ、歴史上「大」付きで呼ばれた王なり皇帝は数少ない。
あ、逆に中国には尊称としての大帝がいないなぁ。漢の武帝も唐の玄宗
も、大帝とは呼ばれないんじゃないかしら。
ちょっと面白い。
いやいや、古代エジプトだってそうだよ。クフやラムセス2世でさえ、大王
とは呼ばれていないはずだ。

そうなると、最初の大王はアレクサンドロスになるのだろうか。
待て待て。
ペルシャのダリウス1世をして、大王とした記述を見たことがあるぞ。
でも、ネブカドネザルやアッシュールバニパルはフツーの王と皇帝。
何かよく分からんなぁ。
インドでも、カニシカもアショーカも王様止まり。
う~む。。。

後年に尊号が与えられたケースもあるだろう。
例えば、キリスト教から支持されることで「大」付きになった人もいるし。
コンスタンチヌスの業績を否定はしない。功績と受け止める人が多いのも
認めよう。テオドシウスは、、えーと、カールやピョートルに至っては、、。
モンゴルの「大」汗は微妙だ。意味が違う。封建帝国の皇帝に近いだろう。
そうは言っても、チンギスやフビライの業績はすげぇーし。。
イスラム帝国の大帝たちはどうだろう。トルコからインドまで。う~む。。

理屈じゃないようだ。

時代の要請に応える。
これによって、評価がグンと上がる。
そえぞれ素晴らしい(同時に惨たらしい)業績を上げながら、「大」が付く
ためには強運が必要なようだ。
別に為政者に限ったことじゃない。
先日までオリンピックが開催されていたが、スポーツの世界でも、人心を
掴む記録・順位、というものがあるようだ。
音楽の世界もきっとそうだろう。

つまり、タイムリー。空気を読む。
難しいなぁ。。はぁ。。

そうでなければ、後年の夢を叶える、という手もアリかな。
いやいや、人たるもの、刹那を完全に否定はできまい。
それに、後年の利害や価値観に縛られないなんて、不可能に近い。
つまり、この手は狙ってできるものじゃないってこと。

結果的にしろ、両方の要素を持ったから、アレクサンドロスの業績に
「大」を付けるに躊躇しないのだ。少なくとも欧州は。
これが「力」というものか。
しかし、この男、いったい何人殺したのかな。
そして、その犠牲を強いる程の本当に業績って何だったのかな。


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