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白い影法師の誘惑

2007-12-21 23:58:22 | Cat 猫族の甘い生活
冬の午後、あわい陽だまりでころころまどろんでいる猫をみると、
決まって「白玉さん」とその子供たちのことを思い出す。

白玉さんは、10年ほど前に出逢った野良猫。
小学校の裏のプールに面した細い路地でよく見かけたスレンダーな白猫だった。
初めて逢った夜、闇のなかにふっと浮かび上がるその姿は、まるで白い影法師のようだった。

まだここへ越してくる前、かつての池袋モンパルナスにほど近い場所に住んでいた私は、
ちまちました住宅地のしじまを縫う細い路地をわざと選んで歩くのが好きで、
白玉さんと出逢った路地は、勝手に「プール小路」と名づけていた。

桜が散りかけた或る春の夜、私は茶とら猫と楽しげに路地をギャロップしていく白玉さんを目撃した。
その年の初夏、彼女はプール小路の小さな駐車場に5匹の仔猫を産んだ。白黒、茶白、茶とら等など
柄もさまざまなら、缶詰をあげても、すぐに突進してくる仔から、塀の隙間から顔を半分だけ覗かせ、
いつまでも内気な転校生みたいにいじいじ様子を窺う仔まで、性格もさまざまだった。

白玉さんは、ミルクをあげると、授乳期には仔猫を差し置き一気飲みしていたが、
やがて仔猫が育ってくると、仔猫にすべてを譲り、寡黙なサッカーコーチよろしく
少し離れたポジションで、一部始終をじっと見護るようになっていった。しかし彼女は
誰よりも警戒心が強く、撫でようとしても、毛一本とて触れさせてはくれなかった。

快い秋風が吹くころ、毎晩プール小路を通りかかると、猫好きと思しき人々が、思い思いに遊ぶ
綿毛みたいな仔猫たちの姿をぽっと眺めたり、餌をあげたりしているのをしばしば見かけた。
が、冷たい木枯らしが吹きすさぶ頃になると、様子は一変していった。
同じ頃、「迷惑なので猫に餌をやらないでください。」と書かれた紙が、駐車場に張り出された。
その頃から、白玉さんの姿だけ、ごくたまにしか見かけなくなった。

供給される餌が減った仔猫たちは、飢えに加えて毎晩の寒さによる鼻水や著しい目ヤニ、
ノミや猫ダニによる引っ掻き傷の血痕で、日に日に薄汚れていった。
私は以前より大きな缶詰をこっそり持って、毎晩プール小路に立ち寄った。
飢えた仔猫たちは、私の気配を察知するや、まるで『ウエストサイドストーリー』のダンサーみたいに
闇からぴょ~んと一斉に飛び出してきて、いつもせつなくなるほどはしゃいだ。

師走の声を聞いた或る凍える晩、2匹の仔猫が私のあとをどこまでもどこまでも追ってきた。
いつもは缶詰に夢中で私が帰るのに気付かないのに、その時はとうとう家まで着いてきてしまった。
一晩でも温かな宿を貸してあげたかったけれど、うちには既にニキが居た。ニキは他の猫をひどく
嫌うし、もし家に招き入れれば、仔猫たちの風邪やノミやダニをニキに感染させることになる。
獣医にもその危険性についてはきつく警告されていた。やむなく缶詰とミルクだけ外に置き、
命を選ぶ自分の残酷さに打ちのめされながら、ドアを閉めた。

――翌朝、ドアを開けると、2匹がすぐさまきゃきゃっともつれるように駆け寄ってきた。
冬晴れの日曜の朝、私は重い足取りでプール小路に2匹を帰しにいざなった。

そしてクリスマス目前の晩、それは起こった。いつものように缶詰を持って現れた私の前には
一段とみすぼらしくなった仔猫たち。缶詰をあげるが、一匹だけなぜか食べようとせず、
その仔は私の前にふらふらと来て、ありったけの声で絶叫した。
ぎゃああああああああああああっ。生きていくことのつらさを全身全霊で訴えていた。
ぼやけていく私の視界の中で、その仔はか細い手脚で冷たいアスファルトを踏みしめ
昏いプール小路に呆然と立ち尽くしていた。

その夜を境に、その仔の姿は消えた。他の仔たちも一匹、また一匹と消えていった。
白玉さんだけは 幸い冬も逞しく生き延び、私が引越す夜、ちゃんとプール小路に現れてくれたが。。

この時季になると、どうしても白玉さんたちのことを思い出す。温かな毛布にくるまれて
ぬくぬくしているニキをみると、不意に胸の奥がちくちくいたむ。

(↑ぬくぬく、というよりもこもこ。。)

数年前、仕事でハワイに行った時(そもそもハワイは仕事でしか行ったことがないのだが)、
ふくちゃんにこの話をして寝たら、夢に白玉さんが出てきた。ハワイで白玉さんに逢えるとは
ゆめゆめ思っていなかったから、うれしかった。夢のなかの白玉さんは、陽光が照りつける
ワイキキビーチではなく、冬闇のプール小路にいた。やっぱり、白い影法師のように。
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