空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

「黒澤明と『赤ひげ』」

2022年06月23日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介] 

都築政明氏による、
黒澤映画の解析本。
「黒澤明と『七人の侍』」(1999)の好評により、
次に書かれたのが、2000年刊行された、この本。
この後、「黒澤明と『天国と地獄』」(2002) 、
「黒澤明と『生きる』」(2003)、
「黒澤明と『用心棒』」(2005)に続く。

「赤ひげ」は、1965年(昭和40年)4月3日に公開された作品。
モノクロ、シネマスコープで、上映時間は3時間5分。
途中に休憩が入る。

原作は山本周五郎「赤ひげ診療譚」で、
貧しい病人のために尽くす養生所の医師と、
エリート医師を目指していた青年との交流、
貧困と病苦に苦しむ貧しい人々の姿を通して、
人間の尊厳を描き出していく。

主人公の青年、保本登(加山雄三)は、
3年間の長崎での医術の勉強を終えて、
幕府の御番医になり、御目見医の席が与えらるとの
期待を胸に江戸に戻って来た。
しかし、派遣されたのは、小石川養生所だった。
それは、享保の改革で徳川幕府が設立した貧民のための病院で、
収容されているのは、貧しい人々ばかり。
まさかそんなところに押し込められるとは思っていなかった登は、
小石川養生所の所長で赤ひげと呼ばれている
新出去定(にいできょじょう:三船敏郎)に徹底的に反抗する。

しかし、座敷牢に隔離されている美しい女に籠絡されて
命を失う危機を経験し、
怪我をした女人足の手術に立ち会って
余りの凄まじさに失神したことで、
まず鼻をへし折られ、
その後も、入院患者たちの死に立ち会う中、
赤ひげの医師として真摯に立ち向かう姿に、
次第に感化されていく。

その一つが蒔絵師の六助の死
末期ガンで危篤状態の六助の死について、
赤ひげは
「人間の一生で、臨終ほど荘厳なものはない。
それをよく見ておけ」
と言うが、登には薄汚い老人の死は醜悪にしか見えない。
しかし、六助が死んで、
訪ねて来た娘おくにから
六助の不幸な一生を聞いた時、
不幸を黙々と耐え抜いた人間の尊さを知り、
死を醜いと感じた自分を恥じるのだった。

また、車大工の佐八が死の床で語った、
妻・おなかとの悲しい物語を聞いて、
胸に迫るものを感じた。
佐八は、病気の体をおして、仕事で金を稼ぎ、
その金を貧困層の仲間のために使っていた。
それは、みな、おなかに対する供養だった。

裕福な環境で育った登にとって、
想像も出来ないような、
貧しい庶民の真摯な生き方を知ることで、
赤ひげが言った、
「病気のかげには、いつも人間の恐ろしい不幸が隠れている」
という言葉が胸に蘇る。
そして、「人間を貧困と無知のままにしておいてはならぬ、
という法令が一度でも出たことがあるか」
という赤ひげの怒りに、初めて共感を覚える。
その結果、登は拒んでいた養生所のお仕着せを身につけるようになる。

ここまでが前半。
六助の人生の苦しみを初めて知った登が、
「おとっつぁんは死ぬ時に、苦しんだでしょうか」
と訊く娘・おくにに
「いや、安楽な死に方だった」と赤ひげが答えた時、
「そうでなくっちゃ、そうでなくっちゃ、
おとっつぁんの一生は、ひどすぎますもんねえ」
という、おくにの言葉に、
登は、はっとして六助の死の情景を思い出す。
佐藤勝の音楽に乗って、
六助の臨終の様子が浮かび上がる。
この場面で、高校生だった私は落涙した。


この時、おくにを演じた根岸明美は、
8分33秒を一人語りで演じ、本番1回でOKにした。
しかし本人は、そのラッシュのフィルムを見ている最中に
撮影中のことを思い出して感極まり、
試写室を飛び出してしまった。
以来、映画本編を一度も見なかったという。

後半は登とおとよの物語。
外診に出かけた岡場所で、
虐待されていた12歳の少女・おとよを救い出し、
赤ひげは、この娘は身も心も病んでいるから
お前の最初の患者として癒してみろ、
と登に預ける。
おとよは、子どもの頃から不幸な目に遇い過ぎて、
恐ろしく疑い深く、他人を寄せ付けない娘であった。
登は自室でおとよを昼夜もいとわず看病を続け、
やがておとよは次第に心を開き、
登が高熱で倒れた時には枕元で必死に看病する。
その後おとよは、あるきっかけから
長次という7歳の男の子と知り合う。
その日の食う物にも事欠く長次のために、
自分の食事を減らしてまで分け与えるまでに心は優しくなっていった。
だがある日長次の一家が心中をはかり、
養生所に担ぎ込まれてきた。
貧しいゆえの所業であったが、助かる見込みは無かった。
おとよは、井戸の中にその名を呼べば呼び戻せる言い伝えを信じて、
必死で井戸の中に向かって長次の名を呼ぶのだった・・・

登はもはやかつての不平不満ばかりを並べる人間ではなかった。
赤ひげの唱える貧民たちへの医術に生き甲斐を感じ、
長崎留学中に自分を裏切った許婚者を許せるまでに成長していた。
そしてその妹と夫婦になることとなり、
その内祝言の席で、
登が幕府のお目見得医に決まったことを告げられるが、
登は、小石川養生所で勤務を続けたいと宣言する。

ラストシーンは、ファーストシーンと同じ養生所の門前。
赤ひげは登に「お前は馬鹿だ。必ず後悔するぞ」と忠告するが、
登は「試してみましょう」と答える。
初めて来た時は、地獄の門に見えた養生所の入り口は、
今の登には、素晴らしい門に思えるのだった。

黒澤明監督は
「日本映画の危機が叫ばれているが、
それを救うものは映画を創る人々の情熱と誠実以外にはない。
私は、この『赤ひげ』という作品の中に
スタッフ全員の力をギリギリまで絞り出してもらう。
そして映画の可能性をギリギリまで追ってみる」
と熱意を込めて作り、
そのとおり、シナリオ執筆に2年、撮影に1年半もの期間をかけ、
「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」などで確立した、
1シーン1カットの撮影方式を用い、
俳優の感性を極限まで高めての撮影で、
見事な完成度の映画に仕上げた。
1シーン1カットとは、
演技を途中で中断せずに1シーンを一貫して演じさせ、
それを複数のカメラで撮影して、
編集段階でカット割する方式。
それにより、俳優の感情を
継続して維持できる。
そのために入念なリハーサルをし、
最も俳優の気持ちが高まった時に一挙に撮影する。

物語は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を基盤としているが、
後半のおとよの物語は
ドストエフスキー「虐げられた人びと」をベースにしている。
「虐げられた人びと」は、
新進作家ヴァーニャが魔窟の娼家から救い出した、
身も心もボロボロになった少女・ネルリを回復させるストーリー。
医者が飲ませる薬のサジをはねのけるエピソード、
看病で疲れたヴァーニャが倒れると、
ネルリが今度は徹夜で看病するエピソード、
茶碗を叩き落として割ったネルリが
橋の上で物乞いをして金を集めて茶碗を買い、
ヴァーニャが声をかけた瞬間、手元から落として割ってしまうエピソード、
ネルリがヴァーニャの恋人ナターシャに嫉妬するエピソードなど、
原作者にドストエフスキーの名前を冠してもいいくらいに、
「虐げられた人びと」から取り入れている。

黒澤監督は、最初にベートーベンの「第九」をかけて、スタッフに聴かせ、
第4楽章の合唱で、
「最後にこの音が出なかったら、この作品はだめだぞ」
と言ったという。
そんなことを言われて一番苦しんだのは、
作曲担当の佐藤勝だろう。
なにしろ、ベートーベンである。
どんな音楽を書いたらいいのか。
結果として、佐藤勝は素晴らしい映画音楽を生み出す。
むしろ、ブラームスの「第一」に似たものだが、
映画の持つ気高さ、荘厳さを示すメロディーである。

https://youtu.be/R33FcoHPlsA

三船敏郎は、生涯最高の演技。
加山雄三は、本作で演技開眼、
おとよを演じた14歳の二木てるみ
長次を演じた8歳の頭師佳孝
佐八とおなかを演じた山崎努桑野みゆきなど、
素晴らしい演技を黒澤明は引き出した。

黒澤が強調するのは、
日本映画の強敵はテレビではない。
映画には映画の美しさがあり、
その原点に帰るべきだと主張する。
黒澤は言う。
映画とは「“生きる力”を与えてくれる」ものでなければならない」
「主人公は、観客を元気づけるものでなければならない」
「映画というものは、
観客が映画館から出てきた時、
力がみなぎっているようなものでなければならない」
今の映画人が、これを聞いてどう思うだろうか。
「古くさい」と言うのだろうか。
しかし、日本映画が
そういう志で臨んでいた時代があったということは、
認めなければならないだろう。

都築氏は書く。
『赤ひげ』の主題は、
人間への信頼をベースにした“人間の尊厳”であり、
それを黒澤はベートーベンの第九の奏でる“荘厳”に譬えた。
赤ひげの貧民たちへの没我的な愛、
厳しい試練に耐え抜いて医師としての使命に目覚める登、
江戸のどん底に喘ぎながらも
人間としての矜持を持って美しく生きる庶民、
そこに黒澤の限りない人間への信頼と、
醜悪な現実を突き抜けた人間の尊厳とがあり、
それらは人間存在を崇高な何かに止揚する、
まさに“荘厳”な響きがそこから高まってるるのである。

さらに書く。

『赤ひげ』は、人間を励まし、勇気を与え、
啓蒙し、導き、“生きる力”を与える
映画の中の映画であり、
黒澤ヒューマニズムの最高の精華である。

映画を観た原作者の山本周五郎が
「原作よりいい」と言った。
そして、その年のキネマ旬報ベスト・テンで第1位に選ばれたほか、
第26回ヴェネツィア国際映画祭で男優賞(三船敏郎)、
サン・ジョルジョ賞などを受賞した。

都築氏は、あとがきの中で、
黒澤の偉業が
忘却という非情な波に洗われ、
浸蝕され、風化し続けていることを嘆いている。

実は、私はこの本と並行して、
「赤ひげ」を20年ぶりくらいに観た
高校生の時に観て以来、
カミさんに見せた時の1度しか観ていない。
それは、あまりに感動した作品が、
後で観たら、それほどでもなかった、
というような経験を味わいたくないからだった。
今回、改めて観て、
監督が言うとおり、
黒澤映画の集大成だったことを感じた。
それと共に、やはり黒澤明の最高傑作であることも確信した。
この時、黒澤は55歳。
映画監督として、最も脂の乗り切った時である。

しかし、集大成をなしてしまった監督は、
その後、どうしたらいいのか。

「赤ひげ」に続く
「どですかでん」(1970)、「デルス・ウザーラ」(1975)、
「影武者」(1980)、「乱」(1985)
「夢」(1990)、「八月の狂詩曲」(1991)、「まあだだよ」(1993)
は、私のようなコアな黒澤ファンを満足させるものではなかった。
やはり、「赤ひげ」は、
黒澤映画の集大成、代表作、最高傑作と呼ぶにふさわしい。


ドラマ『国民の僕』シーズン1

2022年06月22日 23時00分00秒 | 映画関係

[ドラマ紹介]

  
ウクライナのゼレンスキー大統領
俳優時代に出演して大統領役を演じ、
実際に大統領になってしまった、というドラマ
「国民の僕」がNetflixで配信中
2015・2017・2019年の放送で、
シーズン3まである。
2016年には、映画化作品も公開。

30代の歴史教師であるヴァシリー・ペトロヴィチ・ゴロボロドコは、
ウクライナ政治の批判をしていたところを生徒に撮影されて
Youtube 上にアップロードされてしまう。
この投稿が一夜にしてバズってしまい、
生徒たちは、本人が知らないうちに
ウクライナの大統領選に立候補するための
クラウドファンディングを立ち上げてしまう。
多くの支援者を得たゴロボロドコは
本当にウクライナの新大統領に当選してしまう。

大統領府を訪れたヴァシリーは、
美容係など、全く不要な職員が雇われていることに驚愕する。
大統領特権を排し、官邸ではなく自宅に住み、
公用車として配置されたリムジンを断ってバスで通勤、
大臣たちが、わずかな距離をパトカーの先導で
会議に向かう悪癖も非難し、やめさせてしまう。
政府が特権と賄賂と脱税の汚職まみれであることに怒り、
改革を始める。
また、閣僚を公募するなど、反発を買いながらも、
政府の中に蔓延する腐敗を撲滅しようとする。
縁故採用も自ら廃止。
行政支出の削減と税制改革を進める中、
オルガリヒは陰謀を図り、
大統領とその周辺に賄賂を送り、
その証拠映像をマスコミに流すが、
大統領側は、その賄賂を、職員の給与未払い分に充ててしまう。
しかし、汚職体質は、そう簡単に治ることはなく、
道路整備の予算も、
上から下に通過すると、中抜けされて実際の現場には届かない。
そして、公開討論番組の中で、
諸悪の根源である首相の汚職を暴き、逮捕させてしまう。

というのがシーズン1の内容。
政治の素人が、
まともな感覚で、悪習を排除し、
国民のための政治をしようと奮闘する様が心地よい。

シーズン2では、改革に失敗したヴァシリーは大統領を辞任してしまうが
再起を図って色々な政策を打ち出す。
シーズン3は、20年後の話になり、
ヴァシリーは獄中におり、新大統領は
南アフリカから石炭を買う中、壮大な詐欺行為を働いている・・・

23話構成で、
シーズン1の合計時間は9時間37分。
30分番組なので、1回はすぐ終わる。

大統領役を演じていたゼレンスキー氏は
2019年、自分の出演したテレビドラマにちなんで
「国民の僕」と命名した政党を結成。
国民の間ではドラマで描かれた主人公と
ゼレンスキーを重ね合わせ、
大統領選挙への出馬を期待する動きが起きた。
2019年の大統領選には
過去最大となる44名もの候補者が乱立し、
有力候補は現大統領と元首相だった。
ゼレンスキーは「作品の続き」をイメージした宣伝を開始し、
選挙活動面では政治集会や討論会などは挑まず、
原作の展開と同じくインターネット上での呼びかけを集中的に行った。
選挙は勝利し、
2019年5月20日、大統領に就任。
同年7月に行われた最高議会選挙では、
「国民の僕」党は、424議席中240議席以上を占める圧勝をした。
ウクライナの議会選史上、
初めて単独過半数を大きく上回る勝利で、
現有議席ゼロから一気に第1党になった。

彼をコメディアン上がりと揶揄する向きもあるが、
正確には、俳優出身
元俳優が大統領になって悪いわけはなく、
西部劇の三流役者と言われていた人が
アメリカ大統領になった例もある。

ゼレンスキーの政治運動は
公正で自由主義的な社会を目指すことで、
内政面では最優先に「反汚職」を掲げ、
税金の浪費を止めることを公約している。
具体的には議員の免責特権廃止、
選挙制度や裁判制度の改革、
国民投票による直接民主主義の導入などを掲げている。
経済政策でも企業の脱税や賄賂を取り締まり、
社会正義を回復させることが
経済成長や国外からの投資に繋がると主張している。

しかし、ウクライナが抱える
経済、汚職、紛争といった難問を解決できず
当初7割台だった支持率は下落した。
2021年10月には支持率25%まで後退した。

しかし、ロシアのウクライナ侵攻の際は、
国外に逃亡せずに国内に留まり、
大統領府の外で撮影したビデオ演説を公開。
「われわれはここにいる。国を守る」と述べ、
あくまで首都にとどまり、
ロシア軍と戦い続けると強調した。
支持率は急上昇。
世論調査では、91%が大統領の行動を支持すると回答した。

ウクライナ情勢、
世界はテレビドラマと同様に、
正義が行われるのを期待している。

 


父の日の焼肉

2022年06月21日 23時00分00秒 | 身辺雑記

おとといの日曜日は、父の日
そこで、家族3人で、市内の、

この焼肉屋「いちり」に。

予約をして6時に着くと、
なんと家族連れで満席。


どうやら父の日だかららしい。


個室を予約しましたが、
衝立で区切っているだけなので、
隣の音はダダ漏れ。


やかましい、やかましい。

コース料理は平日だけなので、
今日は、料理別に注文。

↓は、カルビ、ロース、ハラミ

↓は、ハツ

↓は追加のカルビ

他に、↓サラダ


キムチ盛り合わせ


野菜盛り合わせ


ホタテ

それに、↓サンゲタン

腹一杯食べて、良い父の日でした。

いちりのホームページは、↓。

焼肉 いちり 新浦安店【公式】 (owst.jp)

 


短編集『たそがれ清兵衛』

2022年06月19日 22時53分52秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

藤沢周平の短編集。
1983年から1988年にかけて「小説新潮」に掲載された
短編を集めたもの。
名前の前に、
それぞれ愛称のような、蔑称のようなあだ名が付けられた
主人公が題名になっている。

たそがれ清兵衛

井口清兵衛は、病弱の妻奈美の世話のため、
下城の合図と共にそそくさと帰宅することから、
「たそがれ清兵衛」と陰口をたたかれていた。
その清兵衛が藩の政争に巻き込まれる。
筆頭家老の堀将監が専横を極めたため、
堀に対立する家老杉山頼母らは、
上意討ちを決意して、
討手に無形流の達人である清兵衛を選んだのだ。
一旦断わった清兵衛であったが、
妻の療治への援助の約束から、
ついに上意討ちを引き受ける。
予定通り執政会議の席で堀を切り捨てると、
上意討ちの褒美として、
名医による治療と転地療法を施すことができ、
妻もみるみる回復していった。
しかし、堀の股肱であった北爪半四郎が清兵衛の命を狙っていた・・・

うらなり与右衛門

三栗与右衛門は、顔が青白くて細長く、
あごがしゃくれていて、
へちまのうらなりを連想させるため、
陰で「うらなり」と渾名されて軽んじられていた。
その与右衛門に艶聞が立ち、
20日の遠慮処分が下される。
それは、藩内に起こっている勢力争いに絡んで、
密かに家老長谷川志摩の警護役を務めるはずであった
与右衛門に対する罠だった。
長谷川家老は刺客に襲われるが、
与右衛門の親友中川助蔵と、
急遽代理で警護に就いた白井甚吉の奮闘により
家老の命は守られる。
しかし、手傷を負った助蔵は命を落としてしまった。
権力を掌握した長谷川家老によって、
反体制派の多くが処分されたが、
助蔵の命を奪った襲撃については、
証拠不十分で断罪されることがなかった。
それを不満に思っていた与右衛門は、
ある日家老襲撃の実行責任者であった
伊黒半十郎と道ですれ違う・・・

ごますり甚内

川波甚内は、ごますり男として悪名を上げていた。
ある事情で5石の減俸処分を受け、
それが早く撤回されるよう、
甚内は上役にごまをすって回っていたのだ。
その甲斐あってか、家老の栗田兵部が
甚内に禄の回復を約束してくれる。
その代わりに、ある使命を与えられ、
その帰り道、3人の刺客が襲ってきたが、
甚内は3人に手傷を負わせて撃退した。
その1 か月半後、
甚内は家老の山内蔵之助と大目付の大熊百弥太に呼び出され、
彼を襲わせた黒幕の名を告げられた・・・

ど忘れ万六

物忘れがひどくなり、
そのために職務で失態を犯した樋口万六は、
家督を息子の参之助に譲って隠居生活を送っていた。
息子の嫁の亀代は、万六のことを少し粗略に扱うようになった。
ある日、その亀代が突然万六の前で涙を見せた。
聞けば、亀代はある行為が、札付きの大場庄五郎に見とがめられ、
脅されているという。
大場のもとに乗り込んだ万六は居合技で大場をこらしめるが・・・

だんまり弥助

杉内弥助は、極端な無口のため、少々変わり者と見られていた。
15年前、弥助は従妹の美根に、ある尋常でない場所で声をかけ、
その結果、美根を自殺に追い込んでしまった過去があり、
その自責の念にさいなまれ、無口になっていったのだ。
弥助は藩の政争に巻き込まれるが、
会議の場で、
密かに調べた大橋中老の不正について意見を述べた。
普段無口の弥助の意見に周囲は驚き、
中老は断罪された。
その後、中老一派であった服部邦之助と対決することになる。
服部こそ、美根の自殺の原因を作った男だった・・・

かが泣き半平

「かが泣き」というのは、
わずかな苦痛を大げさに言い立てて、
周囲に訴えることをいうが、
鏑木半平はこのかが泣きの人物であった。
同僚も妻も、半平のかが泣きには慣れっこになっており、
まともに相手をしてくれない。
3年前の普請の事故で亡くなった常雇い人夫の後家と
ねんごろな関係になってしまった。
そんなとき、藩主が家老の守屋采女正を秘密裏に暗殺するよう下命し、
心極流小太刀の名手であった半平が討手に選出されてしまう。
その腕を藩内で知る者がないのが理由だった。
家老宅に呼び出された半平は、
かが泣いて辞退しようとするが、
後家との不始末を指摘され、
不問にして欲しければ守屋を討てと脅される・・・

日和見与次郎

藤江与次郎の父は、藩の派閥抗争に関わって敗れたため、
家禄を半減され、失意の中で死んだ。
そこで与次郎は、派閥から距離を取り、
日和見与次郎と呼ばれている。
そんな折、従姉である織尾の夫、杉浦作摩が
政争に巻き込まれ、全員死亡した。
与次郎は織尾に密かな想いを抱いていた。
与次郎は、独自の調査で
一派の真の盟主である淵上多聞が
杉浦一家殺害を命じたという確証を得、
密かに淵上の元に向かった・・・

祝い人助八

御蔵役の伊部助八は、
2年前に妻を亡くしてから身なりに構わず、
御蔵を視察に来た藩主に、
体の匂いを注意されるという失態を演じた。
上司の取りなしで処罰はまぬがれたが、
以来、物乞いを意味する「祝い人」(ほいと)と呼ばれていた。
そんな助八の元に、親友飯沼倫之丞の妹、波津が尋ねてきた。
彼女が嫁いだ御番頭の甲田豊太郎が暴力を振るうため、
離縁したが、
豊太郎は承服せず、
波津につきまとっているという。
豊太郎が倫之丞に果たし合いを申し込み、
助八は代理を申し出て、豊太郎を叩きのめした。
倫之丞は波津を後添いに迎えないか、と助八に語ったが、
助八は、この話を断ってしまう。
しばらくたって、
組頭の殿村弥七郎が中老の内藤外記を城内で刺殺するという事件が起こる。
助八は、豊太郎との立ち会いを評価され、
屋敷に立てこもった殿村に対する討手に選ばれる。
波津が身支度を手伝ってくれ、
御武運をお祈りしますという波津の声に送られ、
助八は殿村の屋敷に向かい、死闘が始まる・・・

どの短編も、
藩では下士だが、
隠れた剣客としての才能を秘めており、
それがあることをきっかけとして
発揮して人を斬ることになる。
それに恋模様が絡んで、色彩を豊かにする。

山田洋次監督による映画「たそがれ清兵衛」(2002)は、
本書の「たそがれ清兵衛」「祝い人助八」に
「竹光始末」を加えて脚色。


真田広之、宮沢りえ、田中泯の出演。
アカデミー賞外国語映画賞にノミネート

 


映画『FLEE フリー』

2022年06月18日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

「フリー」は「FREE」(自由な)ではなく、「FLEE」。
「(危険を避けて) 逃げる」の意だという。

研究者として活動しているアミン(仮名)が
友人にインタビューを受ける。
それは、誰にも語ったことのない、
驚愕の「逃げる」体験だった。

アミンはアフガニスタンのカブールに住んでいたが、
父親が反政府的言動をして連行され、行方不明に。
その結果、母親、兄と姉2人との5人で国外脱出する。
行き先は長兄の住むスウェーデン。


しかし、ビザを出してくれたのがソ連だけだったので、
ひとまずソ連に行き、スウェーデンに行く道を探る。
じきにビザが切れ、5人は「不法入国者」という立場になり、
当局の追究を逃れて、息をひそめる生活に。
(ここで描かれるソ連警察の腐敗ぶり。
警察を信じることの出来ない国は、不幸だ。)


密入国業者の手を借りるしかなく、
資金が足りなかったので、
まず姉二人がスウェーデンへ。
しかし、密入国業者が劣悪だったため、
コンテナに60人以上が押し込められて、
窒息寸前の瀕死の状態で長兄のもとにたどり着く。
次には、母子3人で密入国業者の手配したボロい貨物船に乗って、
バルト海を進むが、浸水して命の危機に。
エストニアの大きな客船に遭遇して、
結局沿岸警備隊に引き渡され、ソ連に強制送還される。
そして、次はアミンだけ偽パスポートで飛行機に乗るが、
着いたところはデンマークだった。

という悲惨な状況がアニメーションで語られる。

今年のアカデミー賞で、
長編アニメーション賞、長編ドキュメンタリー賞、
国際長編映画賞3部門に同時ノミネート
アニメでドキュメンタリー?
と不思議だったが、
出演者の安全を確保するために、
アニメーションの手法を取らざるをえなかったのだという。

その手法がぴたりと決まって、
実写以上の緊迫感が盛り上がる。
特に雪の中を船に向かって歩くシーン、
船でバルト海を渡るあたりは、
圧倒的な迫力で、
持ち込んだコーヒーを飲む気も起こらないで、
画面を凝視した。

その後、
残った兄と母もソ連を脱出できるのだが、
それまでは家族はバラバラ。
家族の大切さと絆の強さが胸を打つ。

兄や姉と合流したアミンに、もう一つの試練が。
アミンの性的指向についてのカミングアウトだ。
アフガニスタンでは決して赦されないLGBT。
アミンは、その試練を乗り越えられるだろうか?

ところどころ当時のニュース映像などが挿入され、
アニメという虚構ではなく、
現実に起こったことなのだと思い出させてくれる。
そして、アミンの語る内容は、
当局の追究を逃れて、
20年以上も抱え続けていた秘密だ。
親友である映画監督の前で、
瞑目しながら語る過去。
一人の人間が政治に翻弄された人生の断片。
あまりの真実に
観る者の魂が揺さぶられざるを得ない

映画祭や批評家から高い評価を受けている。
監督は、ヨナス・ポヘール・ラスムセン

5 段階評価の「5」

予告編は↓。

https://youtu.be/J0al68Fc-Zk

 

新宿バルト9他で上映中。

 

NHKの「映像の世紀」を見ると、
世界は戦争と内戦による難民の歴史だということが分かる。
その反省から国連が作られ、
国連憲章第2条4項で
「武力による威嚇又は武力の行使」を
禁じているにもかかわらず、
ロシアはウクライナを侵略し、
新たな難民を生んでいる。
そのロシアが、拒否権を持つ常任理事国だから、
国連は機能しない。

世界は虚偽と悪意に満ちている。

本作を観ると、
日本に生まれた幸福を思わざるを得ないが、
しかし、日本は核を保有する
ロシア、中国、北朝鮮に囲まれている。
日本が侵略されたら、
日本人難民はどこにも行きようがないのだ。
ウクライナの人々の姿が
明日の日本人の姿にならないように、祈るばかりだ。